局所的環境、資源、人口、人間の情動の限界と余裕を予測することは比較的容易である。それに対して、前述のとおり、地球環境の限界と余裕を予測することは困難である。さらに、科学技術と技術革新の限界と余裕を予測することも困難である。何故なら、その限界と余裕を予測できるものは既に新しいものを開発しかけているからである。
ここでは禁止も考慮する必要がある。人間を含む生物の生存のためには全体破壊手段が全廃され予防される必要があり、それらの開発と製造に繋がる科学技術も禁止される必要がある。だがその必要性が分かると同時に、それ以外の科学技術を禁止する必要はないことが分かってくる。すると、科学技術には進歩の余地がかなりあることが分かってくる。例えば、全体破壊手段や大量破壊手段や無差別的破壊手段の開発が禁止されても、さらに選択的になる必要がある選択的破壊手段の開発が残っている。また、遺伝子の塩基配列以外のものを変えずに、不変遺伝子操作以外の遺伝子操作や伝統的な生物学的手段を用いて新しい生物資源や新しい治療法を開発することは可能である。
従来の経済学は環境、資源、世界人口、人間の情動、科学技術の限界を無視する傾向にあった。それ対して、今後は限界を強調しずぎる経済学が出現し、政治的経済的権力者に利用されるかもしれない。それに対して余裕の経済学は限界と余裕の両方を明確にしようとする。さらに、政治的経済的権力者がそれらの限界を強調して自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を制限することを予防する。