経済的権力の利潤追求そのものは大きな問題にならない。また、独占・寡占がなく自由競争が無傷なら、資本主義経済や市場経済は大きな問題にならない。大きな問題になるのは政治的経済的権力の癒着である。「汚職」のレベルまでいかなくても問題になることがある。いずれにしても、癒着という言葉は汚職を含むことにする。そのような癒着によって、政治的権力の実質的な独裁が進み、経済的権力の独占、寡占が進むことが多い。そのような癒着によって「軍官学産複合体」が拡大し強化されることが多い。
千年代末期と二千代初頭の超大国と大国のいくつかは民主的であり、いくつかは非民主的と見なされている。だが、非民主的なものだけでなく民主的と見なされていたものも全体破壊手段の開発、製造、保持、使用、世界大戦、地上の人類の絶滅へと突き進んでいくかもしれない。それはそれらが、自由と民主主義の覆いの下で、政治的権力の独裁は目立たなくても、以下の(1)-(5)が進むからである。
(1)政治的権力と経済的権力の汚職すれすれの癒着
(2)または暴露困難な汚職
(3)経済的権力の独占、寡占
(4)軍官学産複合体の拡大
(5)軍官学産複合体による軍備拡張、特に全体破壊手段の開発、製造
この(1)-(5)は独裁的な国家においてだけでなく一見したところ民主的な国家においても暗部で進行し、軍官学産複合体はひとりでに拡大し、必要、不必要に係らず全体破壊手段を生産し続ける。結局、独裁制と従来の自由主義と民主主義を含めて従来の政治制度の下では、(1)-(5)はなくならない。