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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"
NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著
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潜伏前夜
窓の外の西の空にはまだ明るみが残っている。しばらくして、私は異変に気付いた。普段なら教授会の裏方は小奇麗な学長の秘書二人が務める。それが、秘書っぽい服装に隠されてはいるが、いかにも鍛えられた体格の男女数人に変わっていた。会議の内容に無関心な振りをしているが、ときに鋭い視線を会議の参加者に投げかける。私は何かがおかしいと思った。
議論が延々と続くことを予感した学長は「あなたの気持ちはよく分かるが、憲法の比較研究の国際大会を中止してもらえないか」とP教授にお願いを始めた。
P教授は過去から現在までの世界中の憲法と政治制度を比較検討する国際大会を主催者として計画していた。そのような会議で民主的分立的制度が支持されるのは明らかである。既に民主的分立的制度はネットワークで公開され、世界の市民に静かにだがしっかりと支持されていた。政治的経済的権力者はその支持が過激になることを恐れ、学長に圧力を掛けたのだろう。結局、学長はそれが言いたかったのだ。P教授はあきれて物が言えない。他のいくつかの教授から、国際大会の中止はできるものではないという中立的意見が出た。学長は堰切って言った。「いずれにしても、このA1大学の大会議室を利用することはできない」と。P教授は「なんだ、それが言いたかったのか。はい、分かりました。この大学の大会議室は利用しません」
後は些末な議題があるだけで、教授会は終了した。結局、学長はそれをP教授に言いたかったのだ。いやそれだけではない。あの秘書を装う男女は何なんだ。何かある、と思った。会議が終わる頃にはそれらの男女は既に立ち去っていた。会議の後片付けもあるというのにである。その後片付けだけは、いつもの秘書が来てしていた。やっぱりおかしい。私とP教授は、会議室を出て、それぞれの研究室に向かった。廊下にも窓があり、外を見ると、空は紺色で、高層ビルの灯が際立っていた。
後はP教授の研究室で飲み会となった。私と何人かの研究員は私の研究室にある農作物とワインの試作を持って行った。二千〇〇年、世界的に、既に魚類とも哺乳類とも鳥類ともつかない培養肉が実用化し、「人工光合成」の研究が進んでいた。一見自然に見える農作物も遺伝子操作が進んでいた。それらの人工、半人工の食糧の味は落ちてまずくなっていた。旨く自然に近い食糧の生産は限られ、価格は高騰し、政治的経済的権力者とその家族しか食せなかった。私たち研究者の待遇は低く、普通なら、前者しか食せなかった。それらに対して、私はできる限り自然に近い生物資源の開発に努めていた。自分で言うのもなんだが、私の開発した食糧は味は比較的よく、価格は比較的安価で、よく売れた。それらの一部をときに他の研究室に、特にP教授の研究室に無料で配っていた。また、このA国の政府はアルコール飲料の製造販売を独占し、あろうことに鎮静剤を混入させていた。だから、公に流通する「政府公認」の酒類はまずいだけでなく、酔いを味わうまでもなく眠くなった。混じり気のない本物の酒類は「密造酒」であり、厳禁だった。私の研究室は食糧資源を利用して自然なワインも試作していた。試作、試飲のみで製造販売しないという条件で、密造酒にはならなかった。それらを私はいつも台車に乗せてP教授の研究室まで運んでいた。私の研究室のスタッフのうち信頼のできる数人も参加し、どちらが自分の研究室なのか分からなくなっていた。
私と研究員が行くと若手の研究者から歓声が巻き起こった。もちろん歓声は食糧とワインに対してである。そのようにして私たちはP教授研究室所属者と、私の研究室所属者と、どこから来たとも知れない市民からなる反政府グループGを自然と結成していた。
P教授が「世界大会の成功のために」と乾杯の音頭をとり、見るからにワインが減っていく。
私の研究室出身の同僚X(♀)が、野菜を抱きかかえて簡易台所にもっていき、炒め物を作り始めた。Xは情報科学技術に関しては世界的超一流で、各国の政府と軍の情報をかっさらっていた。また、P教授の集大成とサマリーと私たちの研究成果を、どのような検閲や妨害にも負けずに公表するネットワークを構築していた。人工衛星も一機乗っ取っていた。
P教授の研究室出身の同僚Y(♂)は、酒を飲めない飲まない。研究一筋。この日もワインに手を付けず、野菜だけ食っていた。現行の独裁制が、環境を保全し資源を有効利用し人間を含む生物の生存を保障するためにも機能していないことを、最初に実証したのはYである。その成果は、Xが作ったネットワークで世界中に公開され、各国の同様の研究をリードしている。
暴力革命を目指す者もいたのだが、もっかのところP教授に追放されている。そのリーダーで一般市民出身の同僚Z(♂)と私は接触していた。彼らも成長し、今では、民主革命を目指し、それがかなわない場合にのみ、最低限度の武力を行使するという立場をとっていた。また、政府の弾圧に備えて、自衛のための武力を準備するととともに、地下を掘って潜伏所を作っていた。私はいずれ彼らを再吸収することをP教授に進言しようと思っていた。だが、今夜の教授会のような状況を考えると、私たちが、Zに吸収されて、Zが作る潜伏所に潜んだほうがよいのではないかと思った。だが、私たちの潜伏を許しても、P教授自身は絶対に潜伏しないと思った。
権力者による情報科学技術の乱用
二十世紀前後には、科学技術、特に情報科学技術の進歩によって、人間の労働を機械やロボットや人工知能ができるようになり、市民は仕事を失い、不平等や経済格差が広がるのではないかという危惧があった。だが、どんなに科学技術が進歩しても、人間にしかできない仕事が多々、残る。例えば、機械がほとんどの生産をやってしまうような広大で生産的な農地はもはや世界的に少ない。大型機械の入れないような辺境や、はたまたビルの谷間や屋上や室内でも農業をやらなければならない。それには人手が要る。しかも、そのような非生産的な空間で生産するとなれば、農業に習熟した人手が要る。また、工作機械やロボットがどんなに進歩しても、ビルや道路や橋を建設するには、車や大型機械が入れないような更地や高所や水中の現場で資材を運び組み立てる人手が要る。しかも、機械の操作・点検・修理や安全管理に習熟した人手が要る。また、医療福祉や教育においても人工知能やロボットにはできない仕事がいくらでも残る。
求職における競争は確かに激しくなった。だが、それは知的労働においてだった。知的階層でもほんの一握りの人々が本当に知的な仕事に就くことができた。だから、不平等や経済格差が激しくなったのは知的階層においてだった。それ以外の階層は依然として底辺だった。また、先進の科学技術を開発し利用する企業の競争は一時的に激しくなり、ほんの一握りの企業が生き残り、政治的権力と連携して独占へと進んだ。そして、人間を含む生物の生存の保障という名目の下に政治的権力の独裁が進んだ。結局、政治的経済的権力の独裁と独占が進んだ。
この頃、世界の政治的経済的権力者は、自然の保全と経済成長と人々の健康な生活のための総合的な政策を「人工知能」を用いて策定している、それ以上の政策はない、と主張していた。それに対して、XとYは共同して、それらの情報科学技術が、権力者の利権に繋がるようカスタマイズされていることを、証明し暴露した。それは、世界の情報科学技術の権力者による乱用を暴露し批判する動きの先駆けとなった。悪化・消耗していく環境・資源を保全しつつ、それらの悪化・消耗によって逼迫する経済と生活を立て直す総合的な政策の作成は、非常に困難なものである。それは、人工知能が策定しようが、人間が賢明に策定しようが、両者が協調しようが困難である。そんなところへ政治的経済的権力者が自分たちの利権を加味させれば、それらの政策は、市民にとって不公正であるだけでなく、自然の保全や経済の安定化のためにも機能するわけがない。
また、この頃、世界の政治的経済的権力者は、選挙やレフェレンダムの集計をロボットや人工知能にやらせており、それらの結果は公正であると主張していた。だが、情報科学技術がどんなに進歩しても、人間がそれに入力したり設定したりする余地は残る。権力者はそれらの結果も自分たちの都合のよいように操作していた。それが世界的に、民主制が名目ばかりのものとなり、独裁が進んだ第一の原因である。Xと私は共同して、そのような情報科学技術の乱用を暴露し批判した。その乱用を暴露できたのは、Xが世界の政府と企業のコンピューターに侵入できたからである。世界の政府と企業も侵入対策を練ったが、Xはその上を行った。二千年前後には人間に情報科学技術に対する不信があった。私たちの暴露によって世界の市民は、情報科学技術をむしろ信頼し、権力者に対する不信を深めた。
さて、自分で言うのも何だが、野菜もワインも旨い。P教授は「大会をどこで開けばいいんだ」と頭を抱えている。最悪でもオンライン会議とし、会議の過程と結果をXらが構築したネットワークで公表できる。だが、P教授は実際の会議にこだわっている。その気持ちはよく分かる。やはり、対面で世界の学者たちと議論を交わしたいだろう。だがもはや、そんな状況ではないのではないか。今は潜伏のときではないか。だが、P教授はそのような進言を聞く状態になかった。
最後までP教授に元気がない。普段ならP教授と私だけでも居残って朝まで飲み明かすのだが、この夜ばかりは午後十一時頃に切り上げとなった。
趣味や夢やライフワークや目的について
家に帰ると、当然、妻と二人の子供は眠っていた。だが、爬虫類や両生類や魚類が蠢いていた。ほとんどが夜行性なのだろう。目と目が合う、と思うと、目にも止まらぬ速さで水草の陰に隠れる。砂が舞い上がる。私は妻と普通に出会い、普通に結婚し、普通に二児をもうけた。普通でないことが一つだけある。妻は「都会の中で生息し絶滅しつつある水生動物」の保護を小さなグループでやっていた。といっても、他の会員が、ビルの谷間を流れる川や公園の池で弱っているものを保護して来る。妻はそれを家庭で飼育または繁殖させるだけである。だからこそ、家は小さな水族館のようになっていた。家のあちこちに水槽がおかれていた。プラスティック水槽や水道料金や餌代はたいしたことなく、私の薄給でも賄えた。だが、悪臭があった。夜中に不気味な鳴き声が響くことがあった。都会の中にこんなにたくさんの種がいるのか…という驚きが少しはあった。「都会 絶滅 動物」等で検索してみると、犬や猫も含まれていた。まだ犬や猫のほうがよかったのだろうか。犬や猫も大変だろう。それらの動物は部分的に人間とともに進化してきたのだろう。だから、それらを人間が保護するのは致し方がない。そう思って我慢していた。
だが、妻にそういう趣味や夢やライフワークがあったから、私を束縛せず自由にしてくれた、と思い直した。私は自由に生きることができた。子供たちも水生動物の観察と飼育を楽しんでいた。
私は家庭内で疎外されている、と見る人もいるだろう。確かに、家庭で疎外されていると私自身が感じることが多々あった。そういうときは、後述する目的を高め上げて家庭でも仕事をして、疎外される寂しさを凌いだ。また、独身者の仲間に入れてもらえそうもないときは「家庭の中にあっても、疎外されると辛いよ」と言うと、仲間に入れてもらえた。また、「不倫」や「浮気」に反感や嫉妬をもつ人には、そういう事情を話して「私も辛い目に逢っている」と言うと、許してもらえた。あるいは「夫婦、お互いに好きなことをやっているのだから、いいじゃないか」と言って、笑いごとで済ますことができた。それらは実際の経験者が語らないと、説得力がないだろう。
だからと言って「それぞれが夢やライフワークをもつことが、夫婦円満、家庭円満の秘訣だ。離婚率低下に繋がる。子供もうまく育つ。夢をもとう。ライフワークをもとう」などと言うのでは全くない。趣味や夢やライフワークや目的をもつも、もたないも、何をもつも、個人の自由である。だが、他人や市民にとっては、夢やライフワークや目的の内容が問題になることがある。夢なら何でも、もてばよいというものではない。例えば、政治的権力や経済的権力を何が何でも獲得し振るう夢をもたれては、市民は困るのである。そのような夢や目的をもつのは後述する自己の「悪循環に陥る傾向への直面」ができていないからである。だが、そのような直面をするも、しないも個人の自由である。だが、政治的経済的権力者の横暴は抑制しなければならない。だからといって、私たちは権力者を暗殺するとか、権力そのものを倒すことを目的としているのではない。私たちは権力そのものを民主化し分立することを目的の一つとしている。
「直面」という言葉
私は前節で「不倫や浮気に反感や『嫉妬』をもつ人」と、いとも簡単に「嫉妬」という言葉を使った。そのような文脈では「嫉妬」という言葉に反感をもつ方は多いと思う。また、「不倫や浮気を本当はしたいのだが、自分はできない。そこで君は不倫や浮気をしている人を嫉妬している」というと、なおさら反感をかうだろう。そこで「本当の愛を知らないとは、哀れな人だ」という人は多いだろう。全く、その通りだ。十代で処女と童貞として出会って、不倫も浮気もせずに、その人と一生、添い遂げられたら、どれだけ幸せかと思う。だが、そんな愛は、なかなかない。そこで、そんな愛をしていると見える人々に私は嫉妬している。
いずれにしても嫉妬している自己を認識することは苦痛を生じる。私も「そこで、そんな愛をしていると見える人々に私は嫉妬している」と言うときは苦しかった。嫉妬している自己に限らず、自己のイメージに向かっていくことは、多くの場合、苦痛を生じる。だからこそ、多くの場合、私たちは自己のイメージを、回避したり切り替えたり取り繕ったりして、自己を認識できないのである。そのように苦痛を生じるイメージに向かっていくことを「知識(Knowledge)」「意識(Consciousness)」「認識(Recognition)」「分析(Analysis)」…などと呼ぶのでは舌足らずである。「洞察(insight)」と呼ぶと、少し近い気がするが、まだ足りない。だから、この小説では苦痛を生じるイメージに向かっていくことを「直面(Facing or Confrontation)」と呼ぶことにする。特に、自己のイメージに立ち向かっていくことを「自己への直面」または、自己という言葉を省略して「直面」と呼ぶことにする。
ここでは嫉妬している自己への直面というような子細な例を挙げてしまった。今後はそのような子細な例を挙ることはない。直面について重要なのは、後述する過度の粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などの自己の「悪循環に陥る傾向」に直面することである。
いずれにしても、直面という言葉を頻繁に使うのでは、その重みがなくなってしまう。だから、今後は大した苦痛を生じないものに対して直面という言葉を用いないことにする。過度の粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などの自己の悪循環に陥る傾向と向き合うことに限定して、直面という言葉を用いることにする。
潜伏、一般市民の犠牲の極小化
私は翌朝、寝坊して遅れてA1大学に出勤した。事件が起きていた。警察が来ていて、P教授が交通事故で亡くなったと言う。昨夜、帰宅したときに、車に轢かれたと言う。酔っぱらって車道に出たと言う。そんなはずはない。P教授はいくら飲んでもそこまで酔わない。
この頃、科学者や反政府主義者の拉致や暗殺が横行していた。科学者で核兵器や生物学的兵器の開発に関する情報を提供する可能性があれば、拉致、拷問となる。反政府主義者でその可能性がないなら、いきなり暗殺となる。それらは、政府や軍の幹部の命令と特殊な組織の働きによる。警察はそれらの裏を知らず、偽装事件の処理をするだけである。
今になってあの会議の秘書の振りをした男女の意味が分かった。学長は、国際大会の中止や大会議室の使用停止だけでなく、あの男女を会議室に入れることを政府か軍に強要されたのだろう。政府や軍は、国際大会を中止させるだけでなく、政府や軍に反対するものを探り出そうとした。反政府主義者を刺激して本性を出させる。後に何回か目撃することになる政府や軍による反政府主義者の「あぶり出し」だ。そのようなあぶり出しは、政府や軍の幹部の命令により、一部の市民を犠牲にして、それをあぶり出しのネタにすることが多い。例えば、あえて市民の面前で、一部の市民を犠牲にして、他の市民の反応を見て、反抗的で組織がバックにあるような態度をとる者をあぶり出す。この度は、犠牲になったのは国際大会である。
学長はむしろ、あの議論を早く切り上げることによって、P教授にあれ以上の過激な発言をさせないように努力していた。学長は大学を護りつつ、P教授を犠牲にしないようにできるだけのことをした。あの男女は会議の録画か録音を幹部に示した。幹部はP教授の暗殺を決定し命令した。あの男女または幹部の別の手下が、P教授を殺害し、交通事故に見せかけ、警察を呼んだ。それらを私は確信した。
その後の飲み会も何らかの形で探られていたのかもしれない。盗聴器か盗撮器で。だが、あのときはP教授が頭をかかえるだけで、私も含めて他の同僚はワインと野菜を楽しんでいた。今、思えば、あれを真剣な会議にせず、飲み会にしてよかった。結果として、P教授だけが犠牲になった。だが、もっと早くA1大学に政府や軍の干渉が入っていることに気づいていればよかった。P教授に国際大会のあり方も含めてアドバイスしていればよかった。そうすればP教授も助かったかもしれない。
同僚Xは既に私の研究室に出勤していた。P教授の研究室は閉鎖されているらしい。同僚Yは私の研究室で待機していた。私とXとYは、私の研究室で密かに相談した。今後のことを考えると…そうこうしているうちに私たちも…やはり今、潜伏したほうがよいのではないか…と。以下は、XとYにあからさまに言わず、ほのめかした。グループGの他の同僚は比較的若く、独身だ。家族持ちにとっては、家族もろとも潜るか、家族もろとも潜れば他の同僚の足手まといになる、家族をどこに疎開させるか…などの問題が残る。それは男にとっても女にとっても同様である。また、昨夜のうちにP教授を地下に強引に潜行させるべきだった、という悔いもある。だが、それならP教授の家族をどうするかという問題が残る。それらをほのめかしただけでも、XとYは理解してくれた。
私とXとYは、以下のように決めた。私を除き、XとYを含む、グループGの同僚は地下に潜伏する。既に潜っている同僚Zらと合流する。私は、A1大学に残り、生物資源の開発に専念し、政府の役に立っている振りをする。それとともに、生物資源の開発に絡んで稼いだカネと得た物資を地下に送る。それとともに、妻子の疎開先を探し、いずれは私も潜伏する。
XとYが他の同僚にメールをした。他の同僚の全員から了解の返信が帰ってきた。Xは私に、端末を奪われる恐れがあるから、送受信したメールはすぐに完全削除するように、と念を押した。完全削除の方法ももう一度、確認した。それらは今後、グループGの鉄則になった。XとYはさっそく潜伏所に向かった。
私はその間、地下の潜伏所で待っているZによろしく伝えた。Zからは私も潜伏した方がよいというアドバイスがあった。私はもう一度考えた。P教授の集大成とサマリーのネットワークでの公開は、実名入りだった。P教授は憲法と政治制度の世界的権威であり、実名入りの効果は大きかった。また、Yの論文も実名入りで、その効果は大きかった。Xは、その情報科学技術の凄さによって専門家の間で自ずと有名になっていた。ということは、特にXとYは急いで潜伏したほうがよい。私の研究成果もネットワークで公表されていたが、私は匿名にした。二千年前後には匿名の情報を信頼しない風潮があった。現在の世界的な圧政の中では、どんな情報であれ匿名にすることは常識であり、実名入りは違和感さえもたれた。だから、私が匿名にすることに支障はなかった。また、私は、昨日の教授会で早めにあの秘書の振りをした男女に気づき、発言を控えた。また、政治的経済的権力者が、生物学的兵器開発のために、私の遺伝子操作技術を利用するべく私を拉致することはありえる。だが、私はまだ、彼らに協力的な態度も非協力的な態度も示していない。彼らはまず私の態度を探りに来るだろう。だから、いきなり拉致ということもないだろう。そんなことから、私はまだ潜伏しなくても大丈夫だと思った。また、私が開発した食糧やワインは重要な資金源になると思った。それらをZに伝えた。Zは「資金はなんとかなる」と言う。だが自信がなさそうだった。そりゃそうだろう。地下の潜伏所の人数が急に増えるのだから。潜伏者の食費や光熱費だけでも大変だ。私は結局、正直に「しばらく地上にいて家族を疎開させる方法を考える。そのうち私もお世話になる」と伝えた。そう言うとZも理解してくれた。
それらのように反政府グループが潜伏することは、スタッフの安全を確保するだけでなく、一般市民の犠牲の極小化に繋がる。反政府グループは、軍や警察に襲撃されたときに備えて、襲撃が一般市民を巻き込まないだけの物理的距離を、市民からとる必要がある。過密が進む現代では、その距離は地下を掘ることによってとられることが多い。物理的距離に対して、一般市民との精神的距離はネットワークを通じてできるだけ小さくする必要がある。
批判や非難の相手を間違えないこと
私は警察とともにP教授の研究室に入った。昨夜の飲み会の余韻が残っていた。警察はP教授がどれぐらい飲んだのか、私に聞いてきた。私は研究用のアルコール分十数パーセントのワインを数杯、飲んだと答えておいた。他人が何杯飲むか、私は数えたりしない。自分のそれさえ数えたりしない。P教授が世界から集大成したものとそのサマリーが重要なのだが、それらはすべて既にネットワークで公開されている。私は遺族にお返しする遺品を集めた。ロッカーにはP教授が講義のときに着る上着が残っていた。中身も外見も飾らない人だった。
A1大学から、私と学長を含む数人の教授と、数十人の准教授、講師、研究生、学生が葬儀に参列した。急なことだったので遺言はなく、葬儀、埋葬についての遺言もなかった。だから、奥様の意志でキリスト教で葬儀、埋葬が執り行われた。この頃、どの宗教も衰退していたが、冠婚葬祭に関する限りで、儀式が少し残っていた。P教授の奥様は学長の胸で泣いていた。学長の表情は複雑だった。学長を責めるのは門違いだ。学長も大学を護りつつ、P教授を犠牲にしないように、できるだけのことをした。P教授に過激な発言をさせないように、かなりの努力をしていた。遺族が何も知らないことに憤慨しても仕方がない。今は遺族が何も知らないことが遺族のためだ。私は友を失った。心の中に空洞ができた。それだけの空間をP教授が占めていた。同僚たちも同じ気持ちだろう。
しばらくの間、私は、生物資源の開発によって、政府の役に立っている振りをした。それとともに、製造販売への関与から得た資金を潜伏した同僚たちに流した。また、混じりけのないワインの製法と原料を地下に送り、潜伏者にも資金を稼いでもらった。資金と原料の受け渡しは、最初は政府にまだ顔が割れていない同僚に来てもらった。しばらくして同僚たちは独立し、それらの受け渡しの必要はなくなった。
「ペンは剣より強し」の意味
地下では同僚Xが主導して、P教授の集大成とサマリーと私たちの研究成果を伝えるネットワークをより強固なものにした。既にXらは人工衛星を一機乗っ取っていたが、それを一機増やして二機とした。人工衛星が攻撃破壊されない限り、P教授の集大成とサマリーと私たちの研究成果が世界中に公開される。
だが、世界的な検索システムも超大国の政府に吸収され操作されていた。検索システムで上位でヒットしなければ意味がない。だが、Xらは政府の上を行き、検索システムにも侵入し、上位でヒットするよう操作していた。政府からして検索システムを操作しているのだから、それぐらいのことはしてもいいと思った。政府もそれらに対する対策を講じていたのだが、Xらはさらにその上を行った。実際、アクセス数が世界的に伸びて行き、P教授が集大成しまとめたものは、市民に静かにだがしっかりと支持されていた。
当然、一般市民もそのネットワークに書き込めるようになっており、市民どうしが議論できるようになっている。その一環として、P教授が主催を計画していた国際大会も常設のものとなった。一般市民が参加できるのだから、憲法、政治制度などの専門家が参加できるのは当然のことである。また、市民の意見を収集できるだけでなく、投票も可能である。そこで、そのネットワークに、政権側のスタッフが入って来て、「世論操作」のようなことをする可能性がある。Xらは、政権と密に連絡をとっている人間を割り出し、その人間は書き込みができないようにした。政権もそれに対する対策を講じたが、Xらはさらにその上を行った。
二千年より前の「ペンは剣より強し」は、政治的経済的権力に対するささやかな言論の逆説的な強さを意味していた。それに対して、千年代末になって「マスコミ」が興り、二千年前後は「インターネット」が興った。それに対して、二千年を過ぎてしばらくたつと世界的にマスコミもインターネットも、政治的権力の独裁と経済的権力の独占によって自由なものでなくなり、衰退した。それに対して、Xら情報技術者はそれらに侵されないネットワークを構築した。人工衛星乗っ取りもその一環である。地上では既存のケーブルと通信塔を拝借した。その結果、ネットワークに関する限りで自由な言論が可能になった。それは、言論が二千年より前の「ペンは剣より強し」のものに戻ったと言えるだろう。
だからと言って、Xら情報技術者がすべてと言うのではない。民主的分立的制度の確立、全体破壊手段の全廃…などはもはや世界の趨勢だった。Xらが構築したネットワークがなくても、それらはいずれ完結しただろう。だが、Xら情報技術者がいなければ、それらの完結は数十年遅れていただろう。その数十年が大きい。数十年の間に絶滅が先に完結していたかもしれないからである。
グループG内において、P教授の生前は、P教授がやや強権的であったことは否定できない。P教授が亡くなって、強力な指導者がいなくなり、グループG内でも権力の分立が進んだ。
革命後に目指すべき民主的分立的制度はP教授の集大成とサマリーで明確に提示されていた。集大成のすべてを読み理解することは難しい。だが、そのサマリーは共有できた。そのサマリーはグループGの中だけでなく、世界の市民と世界の反政府グループに共有された。だから、目指す民主的分立的制度に関する争いは、世界の反政府グループの間でも中でも少なかった。そのサマリーは、世界の反政府グループの憲法のようなものになっていた。グループGの防衛上の戦略と作戦については、Zが主導した。Zは二十歳前後から世界の反政府グループの防衛に当たってきた専門家であり、その戦略と作戦には説得力があった。グループの資金稼ぎのための活動、資金の管理、同僚の健康管理…などについては、社会権の保障の専門家であるYが主導した。Yの経営方針は分かりやすく合理的であり、信頼できた。同僚の食糧を始めとする生活必需品について、最初は私が流す資金と物資が役に立った。だが、私が流した製法と生産材料を元に、同僚らはやがて独立して生産を行った。生産物の外部への販売だけでなく、生産物のグループG内での分配について、Yが調整した。だから、食欲、飲水欲は充足できた。性的欲動について、そこまでは説明する必要はないと思う。
上記は、民主的分立的制度が小さなグループにも適応できることの一例に過ぎない。民主的分立的制度の適応の狙いは、国家権力以上にある。将来的に国際機構または世界機構が実現した後は、そこにも狙いがある。地方自治体にも適応は可能である。だが、適応の狙いは国家権力以上にある。
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