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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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男と女と子供

  居酒屋では大いに語り合った。中には過去の栄光を語る人々がいる。人生を語る人々がいる。別れた配偶者や子供の話をする男も女もいる。そんな中にJ(♂)がいた。以下はJの話を要約した。
  Jは港湾の仕事をする。港湾でも、クレーンやコンテナの操作ロボットにはできない宙吊りの仕事が残っていた。Jはその宙吊りの人々が着ける安全帯を点検する仕事をしていた。それは責任重大だろう。その安全帯を着けて仕事をする人々も飲みに来て「Jが点検したものなら信頼できる」と言っていた。Jはすごい美人と結婚し、二児をもうけた。しばらくして、妻はJと結婚したことを後悔し、子供を巻き込んで子供とともにJを疎んじた。Jの同僚たちも両親も耐えかねて「あんな女とは別れちゃえ」とアドバイスしていた。それでもJは働いて妻子を養っていた。ある夜、家に帰ったら、妻が子供に飯を作らず、それをJのせいにしていた。妻は、Jがおカネを家に入れない、と子供に説明していた。そんなはずはない。Jは、自分が遊ぶカネをケチっても、家にカネを入れていた。妻のクローゼットには真新しい高そうな服が吊ってあった。子供は腹を空かしていた。Jはついに妻を一発、殴った。それから子供に飯を作って食べさせた。Jは仕事と炊事に疲れてすぐ寝た。
  翌朝、Jが目を覚ますと、妻も子供も居なかった。妻は離婚調停を出した。二千〇〇年、男女平等は既に遠い昔、達成されていた。だが、「男が働いて妻子を養う」「離婚した場合、子供は妻が引き取る」「養育費は子供一人当たり男の収入の十五パーセント」などの慣習法が残っていた。簡単に言って、男性にとっては最も辛い時代だった。Jたちについて、調停で「妻が二人の子供を引き取り、Jは子供二人分で収入の三十パーセントの養育費を支払うこと」となった。裁判に持ち込む方法もあったが、Jは調停の内容に応じた。調停に支払いの方法の規定はなかった。そこで、毎月一回、元妻は徴収にJを訪れた。
  この頃は元妻は居酒屋まで徴収に来ていた。その徴収の日だけは元妻もJも一見、穏やかで、カウンターに座って並んで飲むことが多かった。元妻は本当に美人で他の客ももてはやした。元妻が帰る頃、Jが元妻に現金入りの封筒を渡すときの悔しさを押し殺す表情が忘れられない。その後、元妻が帰った後、女性客も含めて飲んだ。本当に男にとっては一番、辛い時代だ。女性客も同情していた。
  そんなある日、元妻が若い男を連れてきて、婚約したと言う。若い男は軟弱でJにもへりくだったように話す。Jも「何だこんな男か」と言わんばかりに余裕をもって話していた。元妻はビジネスライクに養育費を要求した。このときばかりは、Jも私も女性客を含む店の客も唖然とした。元妻は「法律で決まったとおりに払ってよ」と言う。女性客も含めて、店の客のJに対する同情と、元妻に対する怒りが高じていくのが分かる。私は思わず「世の中、法律がすべてではない。お前らはJの養育費を辞退するべきだろう。それは法ではなく人道だ」と「人道」という言葉を生れて初めて使っていた。店の客たちの怒りを感じ取り、元妻とその男は何も言えず、二度と来なくなった。
  以下は後で分かったことである。あの若い男は外の高級住宅街に住む有名な富豪夫妻の息子で、元妻はその息子と正式に再婚し、子供は富豪夫妻が引き取った。さらにすぐに元妻は別の富豪と再々婚した。結局、子供は元の富豪夫妻が育てることになった。その富豪夫妻が子供の親権をもっていた。Jは、その富豪夫妻のもとへ、子供をどうするか、話し合いに行った。話し合いで、平日は富豪夫妻が子供を育て、土曜日曜はJが子供を遊びに連れて行くことになった。ついでに、土曜の夜はJは富豪夫妻の豪邸に泊めてもらうことになった。親権はJがもつことになった。

家ではライオン、外ではネズミ

  しばらくして、Jは飲みながら「俺はすごい女と結婚していたんだな…」「子供もすごい富豪になるんだな…」と感心していた。私は「そもそも結婚したのが間違いだ。相手を選べよ」と言っていた。「そうだな。だけど、恋愛のピークにはそんなこと考えられないだろう」とJ。「それもそうだな」と私。そんなとき、テーブル席に子供連れの夫婦が来て座っているのに気づいた。夫婦は飲んでいた。子供は夕食を食べながらゲームをしていた。夫婦は、子供に向かって、子供が近所の人に挨拶しないことを叱っている。子供が構わずゲームをしていると、夫婦は「人の話を聞きなさい」「人の目を見なさい」と叱る。Jは「子供を飲み屋に連れてくること自体が間違いだ」と言う。私は思った。居酒屋に子供が来るぐらいは構わない。大人が偏狭な価値観を子供に押し付けることが問題だ。挨拶をすること、人の話を聞くこと、人の目を見ること…などが悪いことだと言っているのではない。それらは強要するものではなく、それらをしたい人がすればよいことである。実際、そのようなことの強要は市民の間で「押しつけがましい」とタブーとなっていた。子供についてもそれが言える。いや、特に子供について言える。だが、何故かそれらを子供や配偶者に強要する若い男女が増えていた。外で他人に抑圧され他人を支配できない分、家で子供や配偶者を支配している。「家ではライオン、外ではネズミ(A lion at home and a mouse abroad)」と言われる対人機能である。私はその夫婦に「そんなことどうでもいいじゃん。どうしても言いたいなら、子供に言うより政府前広場で堂々と言えば」と言っていた。Jも「嫌なやつに挨拶しなくていいんだよ」と子供に言う。その夫婦は以降、来なくなった。子供はJと遊ぶためときに来た。「親はなくても子は育つ」と昔から言われる。「居ないほうがマシな親もいる」そこまではいいだろう。「俺はほとんど家に居ない。そんな親のほうがマシだろう」というのはちょっと無理があると思ったので、言わなかった。そもそも、私は独身で、EPを実直に卸す兄ちゃんで通っていた。

権力そのものを否定しているのでは全くない。権力を民主化し分立しようとしているだけだ

  グループGは混じり気のない純粋な酒類を「政府公認」の酒類として飲食店や居酒屋に卸した。そのために、飲食店や居酒屋は繁盛した。以下のことは完全に想定外のことである。混じり気のない純粋な酒であるからこそ、アルコール依存が顕在化した。そのために、断酒しようとする人々が出現した。居酒屋でもアルコール抜きで会話を楽しもうとする人々がちらほら居た。アルコール依存者のミーティングに参加する人々もいた。
  私も居酒屋の女性客に誘われて、参加してみた。昔のAA(Alcoholics anonymous)なるものは宗教がかっていたらしい。今のミーティングに宗教はない。参加者は宗教があったほうがむしろ楽に「断酒」できたかもしれない、と言う。私は思った。私や同僚X、Y、Zには目的がある。「目的があれば断酒しやすいのではないか」と言ってみた。参加者の多くが「そりゃそうだ。だが、目的なんて見つからない」と言う。何もこの人々だけでなく、目的がないから苦労している人は多い。だからと言って目的は与えられるものではない。この人々は何故、集まっているのだろう?私は「断酒することが目的になっているのではないか」「集まることが目的になっているのではないか」と言ってみた。「そうかもしれない」という反応はあった。いずれにしても目的は与えられるものではない。国家のためとか、企業のため…などの目的を強要されては困る。
  後で聞いた話だが、自助グループの中にもリーダーのポジションを巡る確執や派閥争いがあるらしい。それが嫌になってやめて行く人が多いらしい。また、障害者をサポートするNPOやNGOの中や間にも争いがあるらしい。どこにも「権力闘争」があるのか…それは人間社会の性だと思った。それならやはり権力分立だと思った。反政府グループ内では、世界的に民主的分立的制度が自然と現れている。他のグループにも参考になると思った。だが、押しつけがましいと思われては困るので、参考にして欲しいとも言わなかった。民主的分立的制度の本来の適応は国家以上にある。
  居酒屋の客の中には元軍人や元警察官もいた。有能な者は既に同僚Zらがスカウトしており、私はスカウトしなかった。元軍人や元警察官は言う。スラム街の「監視カメラは機能していない」と。敢えて監視カメラの真下で立ち小便をする元警察官もいた。自警団のようなものもできあがり、警察の巡回を見張っていた。だが、警察ももはやスラム街を相手にしていないようで、巡回はほとんどなかった。
  彼らの価値観には、退役後も、「権力崇拝」のようなものが残っていた。「権力がないと何もできない」「権力をもたない者が偉そうなことをいうな」…など。「権力がないと何もできない」について、全くその通りだと思った。権力がないと、自由権を擁護することも、社会権を保障することも、自然を保全することもできない。私たちは権力そのものを否定しているのでは全くない。権力を民主化し分立しようとしているだけだ。「権力をもたない者が偉そうなことをいうな」について、これも一部は当たっている。権力を民主化し分立するためには、多少の権力をもつ必要がある。世界の反政府グループは、自衛のための武力、情報発信のためのネットワーク、自分たちで稼いだ資金…などをもっている。
  あるとき退役したばかりの軍人が居酒屋にやってきた。彼は飲みながら、語ってはならないと思われる軍の内部事情を語り始めた。私は黙って聞いていた。軍の中にすごい美人の女スパイが居て、M将軍の溺愛を受けている、といううわさが軍の中で立った。そのスパイは研究機関に潜伏していたが、司令部に昇進したらしい。ある日の深夜、そのスパイはM将軍を暗殺しようとした。暗殺は未遂に終わった。女スパイがどうなったかは知らない。その女スパイは軍の中で伝説になっている、と言う。
  それらの半分はうわさに過ぎない。だが、それがあのTであり、Tが失踪後、M将軍に立ち向かって行ったことに間違いはない。それだけでも伝説の女スパイだ。しかも私を巻き込まずに、たった一人で立ち向かって行った。私は、Tに私の素性を明かし、Tを潜伏所に連れて来ればよかったと一瞬、思った。また、Tがまだ生きているなら、そうしようと一瞬、思った。だが、スパイにはスパイのやり方がある。潜伏者には潜伏者のやり方がある。スパイより地味で地道な潜伏者のやり方は、スパイには似合わない。また、私たちは、誰かに命令されるのではなく、自分の意志でやっている。また、私たちの目的はスパイやテロリストの目的と全く異なる。例えば、私たちは自らの命を掛けたり、同僚や市民を犠牲にしてまで、M将軍を暗殺しようとは思わない。Tは伝説に終わったと思った。だが、スパイから抜け出して、どこかで生きていて欲しいと思った。そして、普通の男と女として愛し合いたいと思った。
  だが、少しして高ぶりがなくなると、Tのような伝説的美人が、普通の男と女として、私と付き合うわけがないと思った。だから、Tと終わりにしないといけないのは、私だと思った。だが、Tに生きていて欲しいと少しは思った。乳幼児期に虐待を受けながら形成されたような自己への直面を、私はTとともにしてみたいと思った。

自分の仕事が部分的であることをわきまえること

  この頃、政治的経済的権力者は、街中や僻地で医療をする「臨床医」をもてはやしていた。何故なら、何も言わずにコツコツと医療をやる臨床医は、権力者にとって、益はあっても害はないからである。それに対して、生物学兵器、特に「不変遺伝子手段」を開発する可能性をもつ研究者は、父のように拉致、拷問となる。私もそうなりかねない。独裁制や全体破壊手段を批判する者は、P教授のようにいきなり暗殺となる。そのようなことを訴える研究者よりは、臨床医のほうが、権力者にとって都合がよい。
  例の居酒屋に、ある老女医がときに来ていた。彼女はこのスラム街で内科・小児科診療所を開業し、既に引退していた。だが、彼女は今もスラム街の人々から慕われていた。私はその老女医と、ときに話をするようになった。老女医は以下のようなことを語る。「自分は若い頃は、癌の克服とか、安全な遺伝子治療とか、研究の道を目指していた。だが、かなわなかった。そこで、臨床に専念し、ここ(スラム街の前身)で開業した。臨床とは、人類の生存とか市民の福利とか…ではなく、個々の命を救い、個々の人間の健康を維持することだ」と。私はドキッとした。私たちは、人間を含む生物の生存とか、人間の自由とか言っている。それへのあてこすりのようにも聞こえる。老女医は続ける。「最初は臨床にやりがいがあった。この街の人々に喜ばれると嬉しかった。だが、世界では、戦争や飢饉で何百万人の人々が数日で亡くなっている。それに対して、自分は個々の命を救うことはまれで、一日に数十人の健康管理をしているだけだ。臨床医の仕事ってなんてやりがいがないんだろうと思った。おまけに、医者は人の命を救うことがあたりまえだと思われる。人を健康にすることがあたりまえだと思われる。そこで、ちょっと医療ミスがあったり、患者に高慢な態度をとると、痛烈に批判される。やってられない。食えなくてもいいから研究に戻ろうか、臨床をやめようか、と思うことがよくあった」と。さらに続ける。「次第に、それぞれの人間は自分の仕事が部分的であることをわきまえる必要があると思ってきた。臨床医は個々の命を救い個々の人間の健康管理をしているに過ぎない。研究医は検査法や治療法を開発しているに過ぎない。現場で検査や治療を行い、個々の人間に対しているのは臨床医だ。それはそれで大変だ。農民は個々の植物を育てているに過ぎない。食糧資源開発者は植物の遺伝子を操作しているにすぎない。個々の食糧を生産しているのは農民だ。それはそれで大変だ。臨床医もそれと同様だ。それ以上の者でもそれ以下のものでもない」と。私は、その老女医からその言葉を聞いて、目から鱗が落ちたような気がした。私も、自分の仕事が部分的であることをわきまえ、それへの意欲が湧いてきた。P教授や私は、権力を民主化し分立する方法を収拾しまとめたに過ぎない。それはすごいと思われるかもしれないが、意外と簡単だ。実際に権力を民主化し分立する者たちのほうが大変だ。実際に民主化し分立するのは、同僚XやYやZだろう。彼らのほうが大変だ。だが、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。P教授も私も、それ以上の者でもそれ以下のものでもない。臨床医にしても、研究者にしても、政治家にしても、企業家にしても、革命家にしても、自分は世界の全体を変える仕事をしていると思っている人間は、危険だと思った。まさしく全体主義へ走るからである。
  特に政治的経済的権力者は、自分たちの業績を自慢する。特に経済的権力者がそうである。例えば、ある企業家は言う。「自分は、痩せた土地でも生育する作物を開発し普及させ、食糧難を解消している」と。だが、そのような作物を開発したのは、生物学系の研究者である。彼らはむしろ、特許権の乱用と独占によって、そのような作物の普及を妨げている。確かに、特許は、科学技術の進歩、環境の保全、資源の有効利用、医療福祉…などのために必要である。だが、行き過ぎた特許の申請や政府が行き過ぎを認可することは、それらを阻害する。この頃、政府による特許の認可は、公正でなかった。それにはかなりの偏向があった。それも政治的権力と経済的権力が「癒着」しての「独裁」と「独占」に含まれる。

自己と世界の間の間隙

  あの少女の手記と地下の手記によって、宗教は完全に不要になっている。だが、地下の手記を本格的に普及できない状態にあることによって、宗教にまつわる議論が残っていた。
  例の居酒屋には「歩く哲学者(Walking philosopher)」や仏教家(Buddhist)もよく来ていた。私はたまに話をするようになった。彼らが議論を始めた。歩く哲学者は以下のように言う。
  あの有名な少女は、「人間を含む記憶をもつ動物が、生まれて生きて記憶を失って死んで他の動物が生まれて…と繰り返すことは、動物が記憶喪失を繰り返しながら永遠に生きることに等しい...だから、自己がやがて死ぬことへの不安はない」と言うが、自分はそうは思わない。心的現象、つまり、「わたしに現在に現れているもの」は、あなたには決して現れない。他人には決して現れない。だから、私は他の人間や動物と入れ代わることができない。私が死ねばすべてが無になる、と言う。
  なるほど、「わたしに現在に現れているもの」つまり厳密な「心的現象」に着目すればそうなるかもしれない。
  それに対して仏教家は以下のように言った。
  それは正しいように見える。私は他の人間や動物と入れ代わることができないと。人間は誰もそう思っている。だからこそ、人間はそう思っている人間と入れ代わることができるのだ。私が死ねば、あなたになる。あなたが死ねば私になる。だから、あの少女の言ったことは結局、正しい、と言う。
  私は、仏教家の逆説的表現に感心した。だが、よく考えてみると、あの少女は既にそれらのことを手記に記していた。つまり、あの少女は心的現象に限定したアプローチもしていた。いずれにしても、仏教家はそこまでにしておけばよかったのだが、さらに以下のように続けてしまった。
  結局「輪廻」は正しい。だから、苦痛は延々と続く。だから、私たちに残された道は、「来世」で「解脱」するしかない、と言う。
  他の客は「また、始まったか」と言わんばかりに笑っていた。他の客は、他人の思想を自分の宗教の教義にこじつけてしまうことに辟易したのだろう。私は、
  「来世」や「解脱」などあるわけがない。彼らの言う「現世」があるだけだ。この地球上で苦痛を減らす努力をするしかない。苦しむ一般市民が、権力に反抗せずに、「来世」に行ってしまったのでは、権力者には好都合だろう。
  個人が、宗教を批判することが言論の自由であるのと全く同様に、宗教を擁護する発言をすることも言論の自由である。また、個人が、宗教を信仰することが自由であるのと全く同様に、宗教を信仰しないのも自由である。個人のレベルではそれだけのことである。社会的には少し難しい。政治的経済的権力者がどんな形にせよ宗教を利用することは、禁止されなければならない。公的学校における宗教教育も禁止されなければならない。家庭においては問題が残る。親が子に宗教教育を施すことはどうだろうか。恐らく、それは親が自主的に控えるべきことだろう。
  と思った。さらに考えた。
  人間の認識に限界があることは確かである。人間が認識できないものが存在し機能していることは確かである。だが、人間の認識の限界を人間はまだ完全に認識していない。だから、存在し機能しているもので認識できないように見えるものも認識できるかもしれない。それを認識しようとしてみる必要がある。そこでは過去の先人たちの試みが大いに参考になる。もちろん科学は参考になる。哲学や文学や芸術さえも参考になる。神学と哲学の重なりさえ参考になる。だが、正直に言って、宗教はあまり参考にならない。
  だが、高齢者の間では、伝統的な宗教を支持する人々がちらほら居た。居酒屋にもときに来ていた。そのような人々は「あの少女の思想は、『死』を克服しても、人間の倫理や道徳を提示していない。倫理や道徳がなければ社会はなりたたない」と言う。私はそのとおりだと思った。だからこそ、あの少女の手記から発展したあの地下の手記をもっと普及させる必要がある。宗教がなくても「人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を人間が減退させる」という欲求や目的は発生する。ただ、今の独裁政権の下では、あの地下の手記を、発掘場所まで公開し、さらに発掘調査し編纂することはできない。あの地下の手記の本格的な普及は革命後になる。あの地下の手記が普及した後は、以下のように言っていいだろう。従来の宗教も思想も、全体破壊手段を全廃できず、民主的分立的制度を確立できず、生存と自由を両立させることができなかった。そんな宗教や思想に存在価値はない。
  また、伝統的な宗教を支持する人々は言う。「あの少女は容易に死を克服し過ぎた。人間は死への不安にもっと向き合う必要があるのではないか」と。私はそれにも一理あると思った。だが、以下のことも考察しなければならない。
  人間では三歳以降に自己のイメージが生成し、それとともに世界の無限性に対する自己の有限性が認識される。それによって「自己がやがて死ぬことへの不安(The anxiety about the self's dying sooner or later)」が生じる。乳幼児期に母親の愛情とケアの希薄などがあり、疎外され孤立したとき、以下のようになることが多い。孤立していると、イメージの中で自己と世界の間の間隙が広く深くなり、世界の無限性に対する自己の有限性が際立ち、自己がやがて死ぬことへの不安が強くなる。そして、自己を永遠化しようとする欲求が強くなる。それらも「悪循環に陥る傾向」に含まれる。思春期以降は自己を永遠化する手段が練られる。「伝説」や「偉業」や「栄誉」を残す…などの手段である。そのような手段が問題となる。特に問題となるのは、国家や民族の存続と繁栄のために、政治権力を強固にする、軍備を拡張する、戦争で勝利する、領土を拡張する、経済を発展させる…などである。また、本来は手段であるはずの権力やカネに埋没してしまい、ひたすら政治的権力または経済的権力を獲得し振るおうとすることがある。それらが「人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛」を生じる。
  乳幼児期からもう一度、辿ってみる。主として母親の愛情とケアの希薄によって三歳までに、粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などが過度に形成される。主として孤立によって三歳以降に、自己と世界の間の間隙、自己がやがて死ぬことへの不安、自己永遠化欲求…などが大きく深くなる。主として思春期の年長者の模倣によって支配性と破壊性が強くなる。主として思春期以降に権力欲求が強くなる。自己永遠化欲求の強い人間において特に権力欲求が強くなる。それらによって、権力者が、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を生じる。それらのことに私たちは権力者とともに直面していく必要がある。端的に言って、権力者の自己がやがて死ぬことへの不安を減退させてあげる必要がある。

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