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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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不変遺伝子手段の使用例

  そんなとき、同僚Zから連絡が入った。「A国のAP大統領と、M将軍を除く軍の幹部の一部と、諜報機関の幹部の一部は、シェルターに退避したのではない。恐らく、宇宙船で宇宙に退避した」と。なるほど、独裁的なものであれ何であれ、権力が一枚岩であるわけがないと思った。Zは、旧軍の司令部に入り、離反者とともに旧軍の機器を利用して、宇宙に逃走した者たちを探している。私はM将軍に事態を説明した。M将軍は「AP大統領と軍の幹部の一部は、自分の命令に従わなかった。彼らはシェルターに降下するのではなく、宇宙に退避する道を選んだのだと思う。私には彼らを追跡する余裕がなかった。後のことを自分は知らない。本当だ」と言う。私は、Zに、M将軍も彼らの退避先等を知らないことを伝えた。AP大統領はM将軍に利用されているだけの人間だと思っていたが、一概にそうも言えないようだ。彼らが宇宙から全体破壊手段で、地球上の人間を攻撃する可能性は、ゼロではない。私はすぐに旧軍の指令室に向かった。
  私は旧軍の指令室に入った。Zの顔は真剣だった。旧軍の技術者と、A1大学とA2大学の科学者が集まっていた。あのO元参謀も来てくれていた。まず、以下のことを突き止めなければならない。彼らがどこの基地からどのロケットまたは宇宙船で退避したのか、それらに全体破壊手段は搭載されているのか、どの種類のものが搭載されているのか、彼らは今、どこにいるのか、宇宙船か人工衛星か…などを突き止めなければならない。主として旧軍の技術者たちがそれらに躍起になっていた。O元参謀が主導してくれた。
  そんなとき、Tという女性が、宇宙空間から私と接触したがっている、ということが分かった。私は、さっそく生映像音声で接触することにした。スタッフの多くが、その映像に映らないように声が入らないようにして、見守った。そのTという女性が映し出された。あの女スパイTだった。Tは以下のように語る。
  あの後、Tは単独でM将軍を暗殺しようとした。Tはまず、A1大学からの配置転換を願い出た。すると、司令部での情報分析の仕事に回され、M将軍に近づくことができた。ある夜、Tは暗殺計画を実行した。だが、失敗し、拘束された。M将軍に拘束されたまま弄ばれた。その後、軍の幹部に処遇を委ねられた。軍の幹部は、AP大統領の護衛をするよう命じた。AP大統領を暗殺するためだったと思われる。TはAP大統領を利用して、M将軍らを倒そうとした。軍の幹部の何人かも、AP大統領側について、M将軍を倒そうとした。それとともに、彼らはAP大統領も倒そうとしていた。TはAP大統領を護ろうとした。
  例のミサイル発射後、M将軍はシェルターに退避しようとした。AP大統領とそれらの軍の幹部とXは、宇宙船で巨大人工衛星に退避することにした。退避後、軍の幹部がAP大統領と自分を殺害しようとすることは、明らかだった。そこで、AP大統領は、人工衛星内で不変遺伝子手段AVを使用した。
  O元参謀はTの言っていることは十分にありえる。嘘ではない、と言う。さらにAVについて即座に調べてくれた。AVはAP大統領に近い科学者が開発した。AVは、塩基配列以外のものを変化させた不変遺伝子手段である。第一に、突然変異を起こさず、自然淘汰されない。第二に、従来のウイルスより広く速やかに飛沫感染し、咳やくしゃみだけでなく、日常会話でも人間に感染する。第三に、従来の消毒法で死滅しない。第四に、免疫系によってブロックされない。第五に、感染すれば、哺乳類の大脳辺縁系の精神的情動を司る中枢を破壊する。まず、第五のために、粘着的傾向、自己顕示的傾向、支配的傾向、破壊的傾向、権力欲求だけでなく、すべての自我の概略と精神的情動が減退する。そのために、AVが地球上で解き放たれれば、人間の生存への欲求を含む情動と自我が減退し、少なくとも人間は絶滅する。
  Tは続ける。AP大統領は他の軍の幹部の支配性、破壊性と権力欲求を低下させ、人工衛星の支配権を得る目的でAVを使用した。その結果、人工衛星内のすべてのスタッフが感染した。支配性、破壊性と権力欲求が低下するだけでなく、すべての自我の概略と精神的情動が減退し、すべてのスタッフがまるでうつ病のようになっている。権力を巡って争うどころか、一日中、ほとんど何もせず、自分のカプセルに引きこもっている。そのような傾向の進行には個人差があり、AP大統領や軍の幹部はほとんど何もしない。自分は進行が遅いようで、これらを報告するだけの意欲はまだ残っているようだ。
  ZとO元参謀から目配せがあって、私は肝心なことをTに尋ねた。「まだ、AVは宇宙船や人工衛星内に残っているのか?」と。Tは「AP大統領が全部使ってしまった」と言う。「それは確認した」と言う。周りのスタッフからわずかばかりの安堵の声があがった。O元参謀が地上のAVの在庫を調べ、人工衛星に持ち込まれたAVがごく少量であることを確認してくれていた。Tの言うことに嘘はないと私たちは判断した。これで彼らがAVで地球を攻撃する可能性はない。だが、彼らからの感染の可能性は残る。Tは人工衛星内の窮状を語り続ける。
  私がTのそれらの話を聞いている間に、既に緊急会議が始まっていて、その内容が字幕で私に伝わっている。以下のように会議が進行している。
  「情動の中枢が破壊されたのでは『うつ病』よりももっとひどい状態になる。うつ病のような波もない。回復することもない。このまま生涯、すべての自我の概略と精神的情動が減退したままである」「うつ病のように悲しみも感じられない。身体的苦痛は残るが、不安、恐怖、悲しみ、孤独…などの精神的苦痛はほとんどない」「うつ病では自殺がありえるが、それらでは自殺もない」「Tのように進行が遅く中途半端だと、自殺に走る可能性があるが、進行すると自殺する可能性もなくなる」「神経系の再生は不可能であり、治療法はない」「Tの進行が遅れていることは奇跡としか言いようがない。Tもいずれは…」「人工衛星に医療チームを送り込んで、彼らの身体管理をすることは可能である。だが、そのチームが感染する可能性は極めて高い」「人工衛星が帰還したり、そのスタッフが地球に生還したのでは、どんなに厳重に隔離しても、感染が広がる恐れがある」
  私はそれらを読みながら、Tと話をする。Tは「この人工衛星内にいるのはもはや人間ではありません。というより哺乳類より下等です。生きる意味はありません。自分もいずれは…そう思うと不安でしかたがありません。人工衛星を地球と逆方向に発進させて、宇宙の果てまで行ってしまうことは可能です。それが人工衛星の『自殺』方法です」と言う。私は「ちょっと待ってくれ。今、救出の方向で会議をしている。待ってくれ」と言って、通信を保留にした。
  既に私の周りに、スタッフが集まっている。私は「彼らは生きている。見捨てるわけにいかない」と言う。誰かが「精神的情動がない状態では生きていると言えない。脳死とも違うが…」と言う。また、誰かが「彼らが地球に生還すると、地球上で感染が広がる恐れが強い」と言う。また、誰かが「事故か何かで自然に地球に落下するのでは、AVが人工衛星もろとも燃え尽き、地球に影響はない」と言う。このまま放置するのが最善策だ、と言いたいようだ。Zが「このまま彼らを見捨てたのでは、一般市民が納得しない」と言う。私は「現にTには情動が残っている。治療法があるのかもしれない」と言う。Zが「ロボットを人工衛星に送り込んで、身体管理をさせることは可能だろう」と言う。O元参謀が頷く。旧軍の技術者たちとA1大学とA2大学の科学者たちも「それは可能だ」と言う。それで決まった。

支配性、破壊性、権力欲求を減退させるには、それらへ直面するしかない

  私はTとの通信を再開した。私が「ロボットを送り込んで、健康管理をする」と言う。Tは「でもこの人工衛星の中で、こんな人々を見ながら生きるのは耐えられない」と言う。そして、人工衛星を操作し始めた。
  技術者たちが悲鳴を挙げる。「Tが地球とは逆方向に人工衛星を発進させようとしている」と。つまり、Tは、人工衛星を宇宙のかなたへと葬り去り、乗員もろとも自殺しようとしている。私はZの顔を見た。Zは「阻止しろ。地上から完全に人工衛星をコントロールしろ。人工衛星の自己制御を無効にしろ。現状の軌道を維持させろ」と全員に命令する。しばらく、専門の技術者たちが機器操作に集中した。
  Tは通信画面に出て来ない。私は「治療法はあるかもしれない。諦めるな」と言い続ける。人工衛星から外部に向けての映像は映っている。ジェットエンジンと地球が見える。その背後に幾多の星が見える。ジェットエンジンが発火したり停止したりする。人工衛星の自己制御と地上からの制御が戦っているようだ。やがて、ジェットエンジンは完全に停止した。地球から人工衛星をコントロールできるようになったようだ。技術者たちが歓声を上げた。地球と星が静かに映っていた。青い海と渦巻き状の白い雲が映っていた。Tはどんな思いでそんな地球を見ているのだろうか。帰りたかっただろう。
  Tが画面に出て来た。「こうなったら地球の人々に協力するわ。私の体を調べてちょうだい。あ、違うか。ロボットに協力するわ。ロボットと仲良くするわ。かわいいロボットを送ってね。私たちの身体を調べて、全体破壊手段の悲惨さを伝えてね」と笑顔で言う。かつてと変わらない絶世の美人だった。
  私は、あのとき「治療法はあるかもしれない」と言ってしまった。本当にあのときはそう思った。だが、破壊された中枢神経系、それも破壊された情動の中枢が、再生するわけがない。既にあの時点の語りからして、Tの情動も浅薄になっていた。かわいい冗談と思っていたが、あの語りは冗談ではない、と気づいた。既に情動と自我の減退が始まっているのだ。このように、取り返しのつかないことがある。絶望でしかないものがある。どんな希望ももてないものがある。私たちはそれを受け止めなければならない。それらを受け止めた上で、全体破壊手段を全廃し予防する必要がある。だから、情動と自我が減退していくTたちを、記録に残さなければならない。だが、全体破壊手段から地球を救った薄幸の佳人として、美しい伝説にはならない。全体破壊手段から美しい伝説が生まれるわけがない。「かわいいロボットを送ってね」は冗談ではない。あまりにも虚しい。同僚Xもそうだった。チューブが抜けて失血死では、あまりにも虚しい。全体破壊手段や独裁からは、そのような虚しさしか残らないことを、伝える必要があると思った。
  これは、全体破壊手段のうちの、不変遺伝子手段のうちの一種の、使用例に過ぎない。他の不変遺伝子手段では、動物の生命を直接奪うこともある。生殖能力を破壊することもある。生殖細胞に組み込まれて後の世代を破壊することもある。だが、多くは、生殖細胞に組み込まれるまでもなく、一代で絶滅をもたらす。いずれにしても、従来の遺伝子と比較して、塩基配列以外のものが変化しているので、従来のウイルスなどより恐ろしい動きをする。
  もう一つ注意するべきことがある。AP大統領は、人工衛星という一つの世界の人間の支配性と破壊性と権力欲求を減退させようとして、AVを使用した。だが、それらだけを減退させることは不可能で、すべての自我の概略と精神的情動が減退してしまう。結局、それらの(悪循環に)陥る傾向を減退させるのは、薬物や遺伝子操作ではない。それらは乳幼児期から後天的に形成されてきたものである。それらを減退させるのは、私やR教授やM将軍がやってきたような「悪循環に陥る傾向への直面」、特にM将軍がやったような「イメージとして想起される陥る傾向を回避し取り繕う傾向への直面」である。それしかない。結局、支配性、破壊性、権力欲求は人間の誰もがもっており、私たちは、ともにそれらに直面していくしかない。だが、その直面は困難な道のりである。だから、個人としては陥る傾向に直面し、個人と社会としては民主的分立的制度を確立し維持する必要がある。そう痛感した。

国際機構または世界機構のあり方

  国家という枠組みが嫌になってきた。だが、「無政府主義者(Anarchist)」にはならない。過去に国家と国家権力の全体を否定し、新たに国家と国家権力を構築しようとした集団がいくつかあった。だが結局、独裁的で全体主義的なものを構築したに過ぎなかった。自由権、民主制、三権分立制、法の支配という伝統を尊重しながら、国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立し、それらを拡充していく必要があると思う。私は今、新しい国際機構または世界機構の構築に参画しようとしている。国際機構として残されたものは、政治的経済的権力にとって比較的無害な、パンデミックに対応する保健機構、自然保全のための機構…などだけだった。最も重要な集団安全保障と軍縮に係る国際機構は名目だけのものとなり、実質的に崩壊していた。国際機構の無力さというリアリズムを残すだけで、活かせる伝統を残さなかった。これから私は、国際機構または世界機構という人間にとってほとんど未知の領域に足を踏み入れようとしている。どうすればいいのか。私の中でまた、P教授が出てきた。P教授と語り合ったものが活きてくると思う。国際機構または世界機構においても、自由権、民主制、三権分立制、法の支配を尊重しながら、自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立し、それらを拡充していく必要があると思う。
  私は軍の施設で、シャワーを浴びて、着替えをして、空港に向かった。五台のコンボイになった。暫定政権とはいえ、社会権を保障する人の支配系の行政権の長官であるYが、空港まで見送ってくれた。地味なYが輝いて見えた。暫定政権という短期間に、社会権の保障において、結果を出さなければならない。経済、医療福祉、教育、科学技術…などを立て直さなければならない。今まで地味で地道に社会権を保障する人の支配系における政策を、Yは練って来た。それが報われる。既に結果に出しているが、もっと出すだろう。自由は確保され、平和がやって来た。Yの時代だ。そんなことは言わなくても、Yは分かっている。

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