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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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世界の市民と世界の権力者という横割りの構造

  上記の国家主義と愛国心の課題について。「国家を愛するからこそ、独裁制を倒し、全体破壊手段を全廃しようとしているんだ。と主張してはどうか」という意見が出た。だが、「そんな感傷で市民を煽るのでは権力者と同類になってしまう。また、権力者に逆利用される」ということで、そのような意見は下火になった。「特に近代以来、国家に対する無条件の信仰が形成されて来た。そのような極端なものに対する盲信を解体するには、逆の極端も必要だ」という意見が出て、支持が多かった。さらに、「国家という縦割りの構造に対して、世界の市民と世界の権力者という横割りの構造もできつつある。それを強調するべきだ」と発展した。それは私とP教授が語り合って、ネットワークで公開したことだ。それを改めて言ってくれた。だが、私は以下の伝統の重視も重要だと思って、言った。「それはもっともだ。いずれにしても、国家や国家権力のすべてを否定し破壊するのでは、新たな独裁や全体主義が生じる恐れがある。自由権を擁護する法の支配系において、厳格な自由権、社会権、民主制、三権分立制、法の支配という伝統を保持することも強調する必要がある」と。それに対して「国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立することと、前者においてそれらの伝統を重視することは、既に一般市民に受け入れられている。今後は世界の市民と世界の権力者という横割りの構造を強調する必要がある」という意見が多かった。結局、P教授が集大成しまとめたもののうちの重点は想像以上に市民に受け入れられていた。私は言う必要がなかったと思った。
  考えてみると、インターネットの中ではそのような横割りの構造が既に二千年前後から形成されつつあった。それらを活かすべきだと思った。

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