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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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日はまた昇るのか

  私は来るべきときに備えて、例の評判のよい散髪屋に行った。政府や軍の主要施設からだいぶん離れており、スラム街の中でも退避を要しない地域にあった。話好きな店主だった。世間話をした。「サッカーのワールドカップ、延期になるのかね…」と店主。「延期になんねえよ」と私。実際、延期にならない確信があった。「予定通り開催されるか、何もねえかだぜ」と言いかけたが、代わりに「開催地のE国はいい所だぜ」と言い換えた。「行ったことがあるのか?」と店主。「妹が居らあ」と私。「サンゴ礁はあったか?」と店主。「もうとっくの昔にねえよ」と私。「行きたかったんだけどな…」と店主。店主はダイビングをやるらしい。A国でも潜れる海はあるらしい。「無人潜水艦を捕獲してくれねえか」と言いかけたが「鯨を獲ったことはあるか?」と言い換えていた。店主は手を止めて大笑いしていた。通常の料金で一時間もかけて、切って剃って整えてくれた。
  そのように、市民と権力の下層、中間層は、意外なほど平静だった。市民も全体破壊手段が使用されれば、地球上のどこにいても無駄だと思っていた。政府と軍の主要施設だけが破壊されることに希望を託し、それらの近隣から退避することに専念してくれた。それは、既に局地戦争が始まっている地域を除いて、世界的現象だった。これが今後の「ボタンを押すだけの戦争」の前夜だと思った。
  それから、潜伏所に帰った。同僚の多くが潜伏所またはスラム街の周辺に既に移動していた。残った少数といつもより少し多いワインといつもより少し贅沢な夕食で「前夜祭」とした。今後の準備を十分にしていたから、ワインや食事が少し足りない以外は、普通のパーティーだった。
  その翌日の午後二時、A国とB国の政府と軍の内部隠密情報提供者からついに来た。A国のM将軍がB国とB国の勢力圏の政府と軍の主要施設に向けたミサイルの発射命令を出した。B国のBP大統領がA国とA国の勢力圏の政府と軍の主要施設に向けたミサイルの発射命令を出した。という情報が入ってきた。ミサイル発射命令の情報は確かなものだった。だが、ミサイルがなんらかの全体破壊手段を搭載するかしないか、全体破壊手段を搭載しているが爆発させるのかしないのか、その爆発について決定し命令するのはどの段階のいつか…などについて確かな情報はなかった。
  特に「内部隠密戦略誘導者」に動いてもらった。彼らはそれぞれ、A国のM将軍とB国のBP大統領に「全体破壊手段を爆発させなくても、相手の政府と軍の主要施設を確実に破壊できる。全体破壊手段を爆発させれば、貴重な資源が汚染され使い物にならなくなる」と働きかけてくれた。それらの動きによって、両国は全体破壊手段をミサイルに搭載していないと推測できた。だが、搭載の有無について確実な情報はなかった。
  B国の反政府グループHも同様の情報を同時間に掴んでいた。グループGとHは即座に世界中の反政府グループと市民にネットワークでその情報を流した。もちろん、世界中の政権と軍にその情報が流れた。だから、世界の権力者が即座に反応してくれた。
  私たちはできるだけのことをしたつもりだ。だが、全体破壊手段が使用されない確信はなかった。全体破壊手段が使用されればどこに退避しても無駄である。何故なら、無人潜水艦、人工衛星…などに搭載される全体破壊手段のいくつかは、いかなる攻撃や報復によっても残るからである。報復の余地がいつまでも残るからである。政府と軍の主要施設への限定攻撃が本当に限定的にならなかった場合に私たちは備えた。既に一般市民はそれらの近隣に居ない。既にスラム街の人々には、スラム街の中でもできるだけ周辺部に移動してもらっていた。グループGのほとんどのスタッフにも潜伏所内またはスラム街内の中でできるだけ周辺に移動してもらっていた。私と同僚X、Y、Zも潜伏所内の周辺部に向かうことになった。Zは武器庫を厳重に封印した。XとYと私は不要なデータを削除し、不要な書類をシュレッダーした。首都の政府と軍の主要施設が破壊されたり、権力者がシェルターに逃げ込んだりすれば、すぐに武器庫を開錠して、武器をとって主要施設の占拠に向かうことができる。それらが完了した。Xと私は、潜伏所内の周辺よりのコンピューターの端末が残る部屋で、世界の情報を収集する、とYとZに伝えた。YとZは、さらに周辺の端末が残る別の部屋で、A国のグループGとG1、G2…とGFのスタッフとスラム街の人々を含む市民と連絡を取り合うことになった。
  その後、私とXが何をしたか?だいたいのことは想像がつくと思う。だが、詳細は分からないと思うので、説明する。人間を含む生物が絶滅するか、主要国の政府と軍の主要施設だけが破壊されるか、のいずれかだ、とXも私も確信していた。私たちは自暴自棄になったり欲望に溺れたのではない。十分に考えて計画していた。私たちは、地上に出て、誰もいない夕暮れの街を歩いた。ビルの谷間であっても、太陽が沈んでいくのが分かる。日はまた昇るのだろうか。より厳密に言うと、人間を含む視覚をもつ動物は、また昇る日を見るのだろうか。彼女は「私たちの運命やいかに」と言う。私は「人間を含む生物の運命やいかに」と訂正した。彼女は専門の情報科学以外ではボキャブラリーが貧弱なのだった。誰もいない極めて大衆的なホテルに入った。エレベーターは動かなかった。受付のカーテンを隔てたすぐ裏に、各部屋の鍵カードを入れるラックがあった。歩いて昇れる範囲で最も高そうな部屋を選んで、鍵カードを取った。表示されている宿泊料を受付カウンターに置いておいた。階段を昇って部屋に入った。シャワーはもちろん浴槽があった。電気も点き、お湯も出た。浴槽に湯を入れ始めた。「シャワーも浴びずに」ではなかった。寝室の窓も浴室の窓も広く、ビルの間から空が見えた。空色が紅色から紺色に時間的に変わって行く。考えてみると、時間的に空色が変わるのを見るのは生まれて初めてだった。空色の変化で見たことがあるのは、西から東への空間的な空色の変化だけだった。彼女が先に浴槽に入って、言っていた。「こんなにのんびりするの久しぶりだわ」
。。。
  高層ビルが崩壊し瓦礫になった荒野で、生きた人を探す。誰も生きていない。若き父も母も妹も生きていない。生きているのは自分だけだ。そんなとき、Xが同僚YとZと逆方向から歩いて来た。声を掛けても、見向きもせず去って行った。また、歩いた。今度は人の死体も見つからない。あるのは瓦礫だけだ。そんなとき、妻子が逆方向から歩いて来た。声を掛けても、見向きもしない。いつしか妻はいなくなっていた。子供は並んでスキップしながら遠ざかる。高層ビルが崩壊しているから、空が広い。空は夕焼けより赤い。たまらなく広く深い。私は一人だ。風もない。と思ったら、少女のような顔をした白髪の老婆Iだけが遠くで風の中で立っていた。Iだけが私を見つめている。

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