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[これらの著作の著作権について]
小説『二千年代の乗り越え方』   生存と自由   生存と自由の詳細   それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること   感覚とイメージの想起   自我と自我の傾向   悪循環に陥る傾向への直面   宗教を超えて(超宗教)  

  これらの著作の日本語訳がこのページで無料で読めます。ですが、日本語訳に関する限りで、紙の媒体でにせよインターネット上でにせよ引用される場合は必ず最新版の紙の書籍を購入し、題名、著者名、版番号(第何版か)がある場合は版番号、引用部分の章名、節がある場合は節名を明記してください。それとともに、インターネット上で引用される場合はリンクしてください。小説『二千年代の乗り越え方』については初版も無料で読めますが、引用される場合は上のようにして最新版を引用してください。

  これらの著作は歴史学、法学、国際政治学、経済学、生物学、心理学…などの専門家と世界の市民が、「二千年代の乗り越え方」をテーマとして1999年と2000年に語り合う中でできあがりました。それらの専門家の発言はその語り合いの参考になったことは確かですが、語り合いの大きな流れは世界の市民が作りました。これらの著作の直接の筆者はその語り合いを文書化し諸言語に翻訳しただけです。ですが、その語り合いに参加したすべての人々がその中で生まれる著作の著作権がそれらの筆者に属することに同意しています。2000年以降もそれらの語り合いと文書化は続きました。2013年の時点で生存していたそれらの話し合いの参加者がNGO OUR-EXISTENCE.NET(NPO法人わたしたちの生存ネット)がそれらの著作を、そのとき現在の政治的経済的社会的情勢に適合するものに更新し、諸国語に翻訳し、それらの著作の著作権を行使することに同意しています。それらのことから、これらの著作の著者を「NGO OUR-EXISTENCE.NET(NPO法人わたしたちの生存ネット)『編著』」と表記しました。

[著作権代行者の連絡先]
前述のNGO OUR-EXISTENCE.NET(NPO法人わたしたちの生存ネット)の日本語版著作権代行者の連絡先は以下のとおりです。

copyright@our-existence.net
NGO OUR-EXISTENCE.NET(NPO法人わたしたちの生存ネット)日本語版著作権代行者

[これらの著作の題名について]
前述の語り合いの1999年当初のテーマは「二千年代の乗り越え方」でした。語り合いが進む中で、テーマは実質的に「地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物が生存する方法」となりました。つまり、生存を確保する時間は「二千年代」ではなく「地球や太陽の激変のときまで」となりました。ですが、できるだけ身近に感じていただくために、これらの著作の一部の題名を「二千年代の乗り越え方」としました。また、語り合いが進む中で、それらの目的の達成のためには自由を確保することが不可欠だということが分かってきて、語り合いの実質的なテーマは「人間を含む生物の生存と人間の自由を両立させる方法」となりました。ですからこれらの著作の一部の題名を「生存と自由」としました。その他の著作については、より具体的な題名をつけました。

[これらの著作の難解さと改訂と引用について]
前述の語り合いに参加した人々のうち専門家たちが論じて展開することはそれぞれに中等度に難解でした。直接の筆者はそれらをできるだけ分かりやすくしたつもりです。ですが、依然、軽度に難解だと思います。今後もできるだけ分かりやすくするように切磋琢磨していきます。また、そのとき現在の世界の政治的経済的社会的情勢とそれらへの対処法も取り入れていきます。ですから、これらの著作は頻繁に改訂される可能性があります。また、これらの著作の日本語訳の訳者らはそれらの訳の著作権を主張しています。ですから、日本語訳に関する限りで、これらの著作の部分を引用される場合は、必ず紙の書籍を購入し、それぞれの著作に版番号(第何版か)がある場合はそれも付記してください。それとともに、インターネット上で引用される場合はリンクしてください。購入できる紙の書籍はすべてその時点での最新版です。改訂に伴いページ番号、行番号は変動しますので、それらの付記は不要です。インターネット上では最新版のすべてと旧版のいくつかが、無料で自由に読めます。それぞれの著作のトップページに最も近いものが最新版です。

小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"改訂版(最新版)

―生存と自由を両立させる方法―

―国家権力を民主化し分立する方法―

―全体破壊手段を全廃・予防する方法―

―悪循環に陥る傾向に直面する方法―

―自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる方法―

―世界革命の起こし方―

                    …など

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

[この小説の中での引用について]
この小説の中には、 生存と自由   生存と自由の詳細   それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること   悪循環に陥る傾向への直面   からの引用がありますが、それらの著作の著作権はすべてNPO法人わたしたちの生存ネットに属します。また、この小説の著作権もNPO法人わたしたちの生存ネットに属します。ですから、この小説の中では、それらからの引用があることを明記していません。
[この小説のインターネット上での及び紙の書籍としての公開年月日]
初版:2022年1月1日
改訂版(最新版):2023年3月1日

[この小説中のアルファベットが25YY年の初夏において意味するもの]

    A国:超大国
    A1大学:A国の大学
    A2大学:A国の大学
    AP大統領:A国の大統領
    AQ:AT街の大衆酒場
    AT街:A国の首都の庶民の街
    B国:超大国
    B1大学:B国の大学
    B2芸術大学:B国の芸術大学
    BC:B国出身の報道写真家、四十代の女性
    BP大統領:B国の大統領
    BP大統領秘書:三十代の女性
    BQ:BT街の大衆酒場
    BT街:B国の首都の庶民の街
    C国:超大国
    D国:A国とB国の間に位置する小国
    E国:大国
    EC市:E国の大都市
    F:放射能が残留しているとしてA国政府が立ち入り禁止にしているA国辺境の森林
    G:A国の反政府グループ
    H:B国の反政府グループ
    I:私のニックネーム、私はA1大学の歴史学の教授、思想史と科学技術史が専門、反政府グループGのリーダー、四十近くの男性
    J:B国B2芸術大学の画学生
    K:AT街の独居老人
    L系:自由権を擁護する法の支配系
    M将軍:A国の軍所属、六十代の男性
    N大佐:A国の軍所属、五十代の男性
    О参謀:A国の軍所属、五十代の男性
    P教授:A国A1大学所属、憲法と政治制度の比較研究、六十近くの男性
    Q:私の前妻
    QC:Qにカウンセリングをしようとする心理カウンセラー、四十近くの女性
    QP:AT街に住む売春婦、三十代の女性
    R:Uが研究所で飼うウサギ
    S系:社会権を保障する人の支配系
    T:A国の経済学者、エリート官僚、私の中学と大学の同級生、四十近くの男性
    U:A国の医師、遺伝子治療の専門家、エリート官僚、三十半ばの女性
    V:B国B1大学の法学部教授、B国の反政府グループHのリーダー、私のB1大学留学時代の同僚、四十近くの男性
    W:C国の元革命家、七十代の女性
    X:A国の反政府グループGの同僚、情報技術者、三十を過ぎたばかりの女性
    20XX年:地上の人間が絶滅した二十一世紀後半のある年
    Y社:食品製造会社、庶民の街ATの中小企業
    Y社長:Y社の社長、食品開発者
    25YY年:二十六世紀後半のある年、現在の年
    Z:A国の反政府グループGの同僚、戦略家、四十を過ぎたばかりの男性

(注1)上記のアルファベットに、A→America, B→Britain, C→China などの当てこすりは全くありません。そもそも、地上の人類は20XX年に絶滅し、地下のシェルターに潜った人間が地上に戻って、数十世代で超大国を含めて世界の国家を新たに形成しています。
(注2)特にアルファベッドで指されていないもののうち「少女」と「父親」は20XX年の後に死亡するまでにある手記を二人で書き残した娘と父を指します。

自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる決定的方法

  25YY年、つまり、二十六世紀後半のある年の初夏、木立の中の道のようなものを私は踏みしめた。木漏れ日が差す。しばらく歩くと見えてきた。木々が開けて、太陽の光をいっぱいに受ける草むらがある。その真ん中あたりに民家だった思われるものがあり崩れかけている。屋根が落ちて来ないように私はそっと、その中に入った。屋根や壁の隙間から太陽が差して光の柱を作っている。
  私は超大国AのA1大学の歴史学の教授で、思想史と科学技術史を専門とする。20XX年、つまり二十一世紀後半のある年に政治的経済的権力者たちが第三次世界大戦を起こし「全体破壊手段」を使用した。権力者たちは地下のシェルターに退避し、地上に残された人間と他の動物のいくつかの種は全体破壊手段の使用から十数年以内に絶滅した。この辺りの人間を含む動物は全体破壊手段のうちの核兵器が放出した放射線と残留させた放射能によって数年、十数年のうちに死ぬ運命にあった。25YY年、この辺りの森と野原はA国の辺境にあり、A国の政府は、放射能がまだ残留しているとして、ここを含む広大な森と野原を「放射能残留立ち入り禁止区域F」としていた。この辺りに残る自由権、民主制、権力分立制、法の支配…などの文献が現政権の独裁への反対運動をあおることを恐れたのだろう。私は、放射線を測定して放射能が残留していないことを確かめながら、秘密裏にこの辺りの遺跡と文献を掘り出していた。
  棚だったと思われるものの上に、ある少女とその父親の二人による手記がある。手書きで分厚い。色あせているが十分に読める。言語は現代語とあまり変わっておらず、すぐに理解できる。少女と父親は、その手記を書いた時点で数年のうちに死ぬ運命にあることを自覚していた。少女が先に亡くなることも二人は自覚していた。私はその手記が劣化しないようにいつも陽よけ雨よけ風よけを置くことにしている。それを一時的に除いて、手袋をして手記を開き、自分のポケット・コンピューターを取り出す。そのような文献を、文献そのものや周りの状況を変えないように発掘し、発掘現場で撮ってコンピューターに保存することがここ数年の私の仕事の多くを占めていた。手書きの原稿については撮るだけでなく現場でタイプして保存していた。少女が以下を書いたのは思春期の終わり頃(17歳頃)だったと推測される。

…動物は生きて、死んで、生まれて…と繰り返す。その生と死の繰り返しは、記憶をもつ動物のそれぞれが、記憶と個性の喪失を繰り返しつつ、永遠に生きること同じである。記憶をもたない動物については、その生と死の繰り返しは、個性の喪失の繰り返しだけで、永遠に生きることと同じである。つまり、わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる。地球上の生物が絶滅したとしても、無限の空間と時間をもつ宇宙では、地球上の記憶をもつまたはもたない動物と同様のものが、無限に発生し進化し、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる。以上のことを知れば、自己がやがて死ぬことへの不安は減退するはずである。ところがその不安はなかなか減退しない。それは何故か。
  多くの人間は、その不安の中で、この、特定の、わたしの自己を永遠化しようとする。だが、それが絶対的に不可能であることを誰もが知っている。だがそれでもわたしたちはそれを試みる。その結果、自己が唯一の入れ替わり不能の存在であるように感じられ、自己が死んだ後には永遠の時間と空間があるように感じられる。だから、その不安が強烈を超えて絶対的なものになる。その不安を減退させるためには、わたしたちのそれぞれはまず、この、特定の、わたしの自己がやがては死ぬことを受容する必要がある。そしてそれを悲しもう、恐れよう。また、他人の死はその人との完全な別れでもある。もう二度と語り合うことはできない。他人の死を悲しもう。悔やもう。さらに、天国や地獄や極楽や永遠の魂や精神があり、自己はその中で永遠に生きるなどという観念は捨て去ろう。その後でも、この、特定の、わたしの自己ではなく、一般の自己があるのではないか。それは入れ替わり可能なのではないか。
  だが、入れ替わりが不能に見えてしまうような観念は多い。例えば、「わたしに現れるものはあなたに現れない。あたなに現れるものはわたしに現れない。わたしに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができる。あなたに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができない。わたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているものの間には超えることのできない壁がある。わたしたちのそれぞれは、わたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているものの中に完全に幽閉されている。そのようにわたしたちのそれぞれは完全に孤立している。だから、わたしたちは互いに入れ替わることができない」…などの観念がある。そのような観念は入れ替わり可能性を否定し入れ替わり不能性を強調し、自己がやがて死ぬことへの不安を強化する。
  だが、そんなことは人間の誰もが考えている。そのような考えは心的現象として現れるものに不可避的に備わっている属性、つまり、事情に基づく錯覚に過ぎない。
  さらに、それらの心的現象として現れるものの属性は不可避的ではない。地球上の複数の個体の複数の神経系が錯綜することは滅多にない。だから、あなたに現れているものはわたしには現れておらず、わたしに現れているものはあなたに現れていない。だが、もしも神経系が錯綜するようなことがあれば、そのようなことが起こることはあると前提される。実際、二つの個体(個人)となるはずの身体が癒合し末梢神経が錯綜し、体性感覚で現れる彼らの皮膚の痛みが彼らの両方に現れたということはあった。もしも、複数の個体に属するはずの複数の中枢神経系が錯綜すれば、「あなたに視覚で現れるものがわたしに現れ、あなたに聴覚で現れるものがわたしに現れ、あなたにイメージとして現れるものがわたしに現れ、あなたに思考で現れるものがわたしに現れ…」のようなことが起こることがあると前提される。つまり、「わたしに現れるものはあなたに現れない。あたなに現れるものはわたしに現れない。わたしに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができる。あなたに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができない」というのは心的現象として現れるものだけでなく神経系の属性または事情にもよっているのである。それだけのことである。
  それらのことを知るとき、「わたしたちは互いに入れ替わることができない」というのは、錯覚に過ぎないことが分かり、払拭される。わたしたちのそれぞれの間には入れ替わりを妨げる何ものも存在しない。だから、わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる。それを「限りない生と死の繰り返し」とも呼べる。わたしたちは互いに「生まれかわる」とか「入れ替わる」とか「なる」と言ってもよい。それらのことを知るとき自己がやがて死ぬことへの不安は減退する。それらのことを知ることが自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる決定的方法である…

と少女は書いている。少し補足する。20XX年以降も科学、特に生物学は進歩し、神経学も進歩している。二個体の神経系が錯綜すれば、少なくとも体性感覚で現れるものについて、ある人間に現れる心的現象が別の人間に現れることがあることは確かめられている。
  当時、核兵器が使用された地域では、年少者から先に亡くなっていった。少女は全体破壊手段のうちの核兵器が放出した放射線による白血病で亡くなった。上の少女の手記は残された人々の間で広がり救いになった。全体破壊手段が使用された20XX年の数十年以内に地上の人類が絶滅し、その後に地下のシェルターに潜った者たちが地上に戻って現代の世界を作り始めた。そのとき少女の原稿のコピーがなんらかの方法で発掘され、少女が書いた部分は筆者の名前と年齢を変えられ広がった。筆者は二十代の女性で白血病で亡くなったと変えられていた。その白血病は全体破壊手段とは無関係に発症したと変えられていた。少女の死因が全体破壊手段使用による白血病だということは権力者にとって都合が悪かったのだろう。いずれにしても内容は変わらず、その内容が、現在に至るまで宗教の替わりになり、現代人の自己がやがて死ぬことへの不安を減じている。結局、宗教はその不安を減じるためにあった。だが、宗教はその不安を減じる決定的方法を提示できなかった。だから、宗教は衰退した。少女は、名前と年齢と本当の死因を変えられたが、宗教が衰退した現代において自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる決定的方法を現象学と神経学に基づいて提示した。
  それに対して、以下の父親が書いた部分は完全に隠蔽されていた。父親が書いた部分はすべて、権力者にとって都合が悪かったのだろう。今後、公開されると、倫理、道徳…などが宗教とともに衰退した現代において、それらを超える欲求や目的になるだろう。
  結局、私がここで発掘したものは脚色されたり削除されていない少女とその父親の二人による一つの手記の手書きの原稿だった。筆跡も年齢相応で明らかに娘と父で違っていた。ところで、手書きの原稿だったからこそ五百年近くの後にも残った。内外の記憶装置に保存されたり、インクやトナーのプリンターで印刷されていれば残らなかっただろう。手書きの原稿には千年を超える耐久性がある。また、伝統的な印刷術による紙の書籍にも同様の耐久性がある。この辺りには図書館の跡もあり、多くの紙の書籍が解読可能で残されていた。それらの中には世界中の独裁者によって闇に葬られた自由権、民主制、権力分立制、法の支配…などについての貴重な文献がたくさんあった。私はそれらも発掘し、それらのうち重要なものはリュックサックに隠してA1大学に持ち帰り、信頼できる研究者と共有していた。だが、何より重要と思ったのはこの少女とその父親の手記で、慎重に発掘保存作業を進めていた。その原稿の父親が書いた部分は、宗教の限界についてまとめた後で抜粋する。

宗教の限界

  その本性からしてそれぞれの宗教は神、魂、精神…などの現実の世界を超えたものを定立し固守する。宗教の中では、個人の生き方や社会的な制度を含む現実的なものも、そのような現実の世界を超えたものに基づく。現実的なものを超えたものは恣意的にならざるをえず、それに基づく個人の生き方や社会的な制度もそれぞれの宗教に特有のものにならざるをえない。だから、宗教は、すべての人間に共通するものを提示することができないのはもちろん、多くの人間に共通するものも提示することができない。多くの個人に共通する生き方や多くの集団に共通する政治的、経済的、社会的制度も提示することができない。もし、いくつかの宗教がすべての個人や集団に共通と称する個人の生き方や社会的な制度を布教しようとすれば、それらもそれぞれの宗教に特有のものでしかないのだから、宗教の間とそれらの宗教を容れる集団の間で不必要な争いが生じ、人間を含む生物の生存さえも危うい。特に、ほとんどの宗教は、自身の神を冒涜することを含めて自身を批判するものは物理的暴力を用いてでも破壊してよいあるいは破壊しなければならないという考えに陥りがちであり、それによる争いは致命的になりえる。実際、宗教は、第三次世界大戦と全体破壊手段の使用を止めるどころか、それらを煽ってしまった。一神教、多神教、汎神論の順にそれらの争いを煽る傾向は少なかったが、大差はなかった。
  だから、世界の個人と集団の多くに共通のものは宗教なしで提示される必要がある。人間を含む生物の生存と人間の自由を両立させる方法もそうである。それは鉄則である。この鉄則は私たちのすべての行動を通じて遵守される。
  さらに、自己がやがて死ぬことへの不安をある程度は減退させておく必要がある。その不安から自己を永遠の存在にしようとする欲求、つまり「自己永遠化欲求」が生じる。そこで、栄光や名誉や業績を歴史に残そうとして、権力を獲得し、結局は独裁、戦争、全体主義…などに暴走する人間がいる。彼らがそのようにすることを防ぐためには、私たちの多くが、その不安をある程度は減退させて、上の少女が説明したような意味で自己は既に永遠であり、自己を永遠の存在にする必要はないことを知っておく必要がある。
  自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる方法を宗教なしで提示することは可能である。さらに、多くの人間に共通する個人の生き方と政治的、経済的、社会的制度を宗教なしで提示することも可能である。五百年近く前に、前者をあの少女が、後者の基本をその父親がやってのけていた。

人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させるという欲求・目的

  その少女の死後、その少女の執筆部分に続いてその父親が以下のようにつづる。最も重要と思われる部分を抜粋する。

…娘が若くしてあの死を超越するような境地に至ってしまったことが悲しい、悔しい。平時なら若い人は友情や恋愛や遊びやあるいはちょっとした悪事を語っていただろう。確かに娘が書いた自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる方法に間違いはない。私の救いにもなっている。自己がやがて死ぬことへの不安は人間がもつ最大の苦痛である。娘はその苦痛を減退させてくれた。
  他の苦痛のいくつかは人間を含む動物の遺伝子と個体と集団と種が生存し進化するために必要である。例えば、皮膚の痛みは外傷が深部の重要な臓器に至り致命的となることを防ぎ、遺伝子と個体の生存をより確実にする。また、不安、恐怖…などの精神的苦痛は危険を事前に察知させ回避させ、遺伝子と個体の生存をより確実にする。また、性的欲動の不満は遺伝子と集団と種の生存をより確実にする。また、生存競争は苦痛を伴うが、それは人間を含む動物の種が進化し生存するために必要である。
  それに対して、人間は動物の遺伝子や個体や集団や種の生存や進化のためにも、また人間の自由のためにも必要のない苦痛を生じる。特に戦争を起こし、核兵器、不変遺伝子手段…などの全体破壊手段を使用する。実際、使用した。この辺りでは核兵器が即、放出した放射線と残留させた放射能から出る放射線によって男も女ももはや子供を作れない体になっている。妊娠していた女性たちも流産してしまった。乳幼児から先に死んでいく。もちろん、子供の喪失だけではない。放射線を浴びた皮膚のただれはなかなか回復しない。痛みがいつまでも持続する。鎮痛剤は少ししか効かない。また、鎮痛剤はほとんど残っていない。残り少ないものを近所で別け合う。残り少ない鎮痛剤を子供に与え、自分は自殺する親もいる。いずれは私も必ず発ガンする。娘の死因は白血病だった。全体破壊手段の中でも不変遺伝子手段が使用された地域では免疫機能が低下し感染症によって苦しんで亡くなっていく。全体破壊手段によって人間を含む動物は絶滅する。だが、すぐに死ぬわけではなく、数年から十数年、苦しんで死ぬ。そのような苦痛の中では、せめて人間が生じる「不必要で」執拗で大規模な苦痛を減退させたい。そのような欲求と目的が生じてくる。
  だが、同時に、そんな苦痛を消滅させるために、現実の世界から超越したいとも思ってしまう。だが、そんな現実の世界を超越した世界は存在しない。何より、このような苦痛の中では、もう死にたい。現実の世界も現実を超越した世界も何も要らない。無になりたいとも思ってしまう。だが、娘の言う「限りない生と死の繰り返し」があるだけであり、現実世界を超越することも、無になることも、不可能である。そのような限りない繰り返しがあるからこそ、そのような苦痛が文字通り永遠に続く。娘も残酷なことを言ったものだ。皮肉とも言える。限りない生と死の繰り返しは人間を含む動物の宿命である。とすれば、せめて人間が生じる不必要で大規模な苦痛を「できる限り全般的に」減退させたい。そんな欲求と目的が生じてくる。
    人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をこの地球においてできる限り全般的に減退させることができたとして、生と死の繰り返しの中で生まれかわるとすれば、人間は何を望むだろうか。多くの人間が地球で人間に生まれかわりたいと思うだろう。その願望は一概に不自然なものではない。人間は自己のイメージをもち、自分たちが記憶、知覚、連想、感情、欲求、自我、思考をもっていることを知っている。それらをもつことの喜びはもったことがあるものにしか分からない。だから、その願望は一概に不自然なものではない。
  また、その願望は一概に傲慢ではない。人間が生存するためには、人間は「環境」を保全し「資源」を保全しつつ有効利用しなければならない。そのような環境と資源は多様な動物、植物、微生物を含む。そのように人間の生存は多様な動物、植物、微生物の生存を伴う。また、生物は進化する。人間も進化する。人間が進化することに抵抗する人間はあまりいないだろう。もちろん、人間は他の動物にも生まれ変わる。だが、人間または進化した人間を含む生物が長く生存するほど、人間が人間として生まれる頻度は増える。そこで、人間が生じる不必要で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させて、「地球や太陽の激変のときまで」人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい。そんな欲求と目的が生じてくる。
  自己がやがて死ぬことへの不安が強烈なとき、自己を永遠の存在にしようという欲求が強烈になる。そのような欲求を「自己永遠化欲求」、永遠への欲求…などと呼べる。一部の人間は権力を獲得して人を支配して何か偉大なことをすることによって歴史に栄誉や業績を残して自己永遠化欲求を満たそうとする。その一部の人間が権力闘争を勝ち抜き権力を獲得し独裁、戦争、全体主義…などへと走る。現代では世界大戦と全体破壊手段の開発、使用へと走る。ここで私たちは娘が提示した自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる決定的方法に立ち返る必要がある。すると、自己は既に娘の言ったような意味で永遠の存在であって、わざわざ自己を永遠の存在にする必要も、わざわざ自己を永遠と思われるものに一体化させる必要も全くないことを私たちのそれぞれは知るだろう。例えば、栄誉を歴史に残したり、宗教や神を信じて善い行いをしたりする必要はないことを私たちのそれぞれは知る。すると政治的経済的権力者が余計なことをすることは減るのではないだろうか。
  人間は不必要で執拗で大規模な苦痛を生じるが、そのような苦痛を直接的に生じるのは権力であって、権力がなければそのような苦痛は生じない。現実の世界を超越したり無になって現実の世界を回避してしまうのでは政治的経済的権力者の思うつぼである。
  だからと言って、権力や権力者を倒すというのでは全くない。自然を保全し適正な人口を維持し経済を安定化させ私たちの最低限度の生活を維持するためには、いくつかの権力は必要である。また、私たちの自由は公的権力だけでなく私的権力によっても侵されるのであり、そのような私的権力を抑制するためには公的権力のいくつかは必要である。私たちは、権力のすべてを破壊するのではなく、必要な権力を民主化し分立する必要がある。権力を民主化し分立し、全体破壊手段を全廃予防し、人間が生じる不必要で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させて、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい。そんな欲求と目的が生じるてくる。そのような欲求を満たし目的を達成することは全く不可能なわけではない。だから、そのような欲求と目的を「(世代を超えて実現可能な)究極の欲求(・目的)」と呼べるだろう。
  だが、私たちに残された時間はわずかである。私にできることはそれらの思いを紙や木や岩に刻むことだけである…

以上が少女の父親が書いた部分からの抜粋である。実際、その辺りで紙の原稿だけでなくそれらが刻まれている木版がいくつか見つかった。また、筆者は異なるが同様の内容が記されている日記や文集がいくつか見つかった。
  あの少女とその父親たちが至った境地は、差し迫った死に直面している人間だけが至ることができるものだろう。差し迫った死に直面していない私たちがあそこまでの境地に至ることは困難なことだろう。だが、私たちにも理解はできると思う。参考になると思う。
  あの少女とその父親たちの思想は20XX年以前にあった「輪廻転生」の焼き直しだ、と言う人がいるかもしれない。だが、少女と父親はこの現実の世界を超越したり回避しようとしていない。少女はあくまでも現実の世界で現象学と神経学に基づいて生と死の限りない繰り返しを説明している。だから、宗教をもたない現代人にも自己がやがて死ぬことへの不安を減じる説得力がある。さらに、父親は現実の世界を変えようとしている。
  前述のとおり、宗教は、すべての人間はもちろん、多くの人間に共通する個人の生き方や政治的、経済的、社会な制度も提示することができない。父親は宗教なしにこの現実の世界の中で人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させることを目指している。それは確かに父親が言う通り「世代を超えて実現可能な究極の欲求・目的」だと思う。個人の中では「地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保する」というような欲求や目的は生じないように見える。だが、あの少女が言うように記憶をもつ動物は永遠に生きる。そして、あの父親が言うように、現在の地球の現実のままでは永遠に苦しむ。それは耐えられない。だから、その現実を変えようとする。これはやはり個人の中でも生じえる欲求や目的だろう。従来の宗教や倫理や道徳を超えながらも、人間の情動と自我の傾向に密着した「エゴイズム」と言える。「世代を超えた永遠のエゴイズム」と言える。端的に言って、私たちのそれぞれはそれぞれの情動と自我に基づいて自由に生きていればよい。簡単に言って、私たちのそれぞれは他人や社会のことを考えず、思うままに生きていればよい。そのような自由によってこそ私たちは少女と父親の思想、あるいはそれと同様のものに行き突くだろう。
  20XX年以前からそうだったのかもしれないが、少なくとも20XX年以降、宗教だけでなく、従来の倫理や道徳は衰退している。もはや、それらは力不足であるだけでなく、必要ない。また、それらが出現するとすれば、独裁制や全体主義を擁護したり煽るものになってしまっていた。世界の市民はそのような宗教や倫理や道徳に辟易していた。あの父親が書いた部分にあるような欲求と目的が必要だったのだろう。それに対して政治的経済的権力者にとってはその部分は最も都合が悪かった。だから、その部分は彼らによって闇に葬り去れた。今後、私たちはその部分をインターネットで公開していく。
  現実がいやになったら、現実から逃げる前にこの現実の世界の小さな部分を変えようと試みるぐらいのことはしてみよう。そこではその部分をできるだけ必要な部分に絞り込もう。

人間や生物の生存を名目として掲げて政治的経済的権力者が独裁制と全体主義へと走ること

  25YY年現在、人間はまだ絶滅していない。というより地上の人間は一度、絶滅した。20XX年、世界の政治的経済的権力者たちは、第三次世界大戦を起こし全体破壊手段を使用しておきながら、地下のシェルターや深海の潜水艦や宇宙の人工衛星に退避した。ほとんどの市民が地上に残された。全体破壊手段のうち核兵器が使用された地域では、それらが直接的に放出する放射線とそれらが残留させる放射能から出る放射線によって人々が苦しんで亡くなっていった。だが、全体破壊手段のうちの不変遺伝子手段も使用されていた。それは従来のウイルスを超えたもので、地上のすべての人々がそれに感染していた。それによって核兵器が使用されなかった地域でも、人々は免疫機能の低下、貧血…などによって苦しんで亡くなっていった。結局、地上の人間は絶滅した。哺乳類等の高等動物のいくつかの種も絶滅した。地下のシェルター以外では無理があったようで、宇宙や深海に退避した者たちは戻ってこなかった。それも哀れだろう。彼らも苦しんだだろう。地下のシェルターに逃げ込んだ政治的経済的権力者とその取り巻きは、地上の市民が絶滅して感染の危険がなくなってから、放射能が残留する地域を除いて、地上に戻った。私たち歴史学者はそれを、「地上の人間の絶滅」と呼んでいる。全体破壊手段を使用しシェルターに退避して生存した卑劣な人間の子孫が私たちというわけである。
  だが、政治的経済的権力を獲得するための能力と権力欲求と支配性や破壊性は遺伝しない。遺伝について、20XX年以前は遺伝子と進化論に対する盲目的な信仰のようなものがあり、何でも遺伝する進化するというような錯覚があった。進化論の先駆者となったダーウインたちはそのような信仰や錯覚を抱いたり薦めたりしたわけでは全くないのに、そのような信仰や錯覚があった。20XX年以降は遺伝子によって先天的に形成され遺伝し進化するものと後天的に形成されるものとが明確に区別されるようになった。まず、本能的機能や欲動の傾向はほとんど遺伝子によって形成され遺伝する。では、自我の傾向、感情、欲求、知識、知性についてはどうだろうか。それらの枠組は遺伝子によって形成され遺伝する。枠組みに対して、それらの能力または傾向を含む内容は遺伝せず後天的に形成される。例えば、自我の支配的傾向が強いか弱いかは、遺伝子によって形成されるのではなく遺伝せず、後天的に形成される。権力闘争や独裁において問題となるのは支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向と権力欲求と権力獲得能力だが、それらだけが他から切り離されて遺伝したり進化することは決してない。それらは主として後述する悪循環に陥る傾向として後天的に形成される。
  だが、それらの後天的形成は多くの科学者や一般市民にはなかなか理解されなかった。なかなか理解されなかったのは何故か。後天的に形成されるもののほとんどが乳児期幼児期前半に形成され、わずかがそれ以降に形成され、私たちの誰も乳児期幼児期前半の出来事を覚えていないからである。
  そして、一般市民ではなく、強い支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向と権力欲求と権力獲得能力をもつ人間が権力闘争を繰り広げた。それらの一部が政治的経済的権力と国家権力を再構築し拡張した。さらにそれらが独裁と独占・寡占へと走った。結局、A国、B国、C国という超大国と多くの大国、小国が新たに形成された。20XX年以前の十数年間は、超大国を含めていくつかの国家は民主的で、他は独裁的と思われていた。それに対して、現在はそのような差異はあまりなく、超大国を含めてすべての国家において自由主義・民主主義は形骸化し、すべてが大なり小なり独裁的である。
  20XX年の地上の人類の絶滅後、環境は一旦、回復し、危惧されていた「気候変動」…などもなくなった。また、資源も回復し、シェルターに逃れたわずかな人間たちは地上に戻った後、豊かな生活を営むことができた。だが、政治的経済的権力の独裁と独占・寡占、科学技術と経済の再興、人口増加、環境の悪化、資源の消耗、「軍官学産複合体」の再形成、全体破壊手段の再開発・保持は早かった。結局、25YY年には20XX年に直面し乗り越えられなかった問題と同様の問題に私たちは直面している。つまり、

(1)地球規模の環境の悪化
(2)地球規模の資源の消耗
(3)世界の人口が地球で維持できるものに近づき超えようとすること
(4)(1)(2)(3)による地球規模の経済の逼迫
(5)(1)(2)(3)(4)による地球規模の一般市民の生活の逼迫
(1)(2)(3)(4)(5)に対して、以下が必要となる。

(1')環境の保全
(2')資源の保全と有効利用
(3')世界人口の適正化
(4')経済の安定化
(5')市民の最低限度の生活の保障

(1')(2')(3')(4')(5')は、「(人間を含む生物の)(狭義の)生存の保障」と呼べる。人権の観点からは、それは社会権の保障に含まれる。生存の保障のためには総合的な政策を立案し推進する必要があることは確かである。それに対して、

(6)総合的な政策から逸脱して、人間や生物の生存の保障を名目として掲げることによって、政治的経済的権力が、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を形骸化させ、独裁と独占・寡占と全体主義へと走ること。
(7)そのような国家権力の国際社会における孤立と軋轢と世界大戦の危機、それらの問題と争いを効果的に調整できる国際的または世界的な制度と機構の欠如、
(8)軍官学産複合体による核兵器、不変遺伝子手段、軌道を変えるような小惑星操作という全体破壊手段の開発・製造と国家権力による使用
(9)(8)による地上の人間を含む生物の絶滅の危機

(1)-(9)に私たちは直面している。以下を補足する。
  20XX年前には、北アメリカ、西ヨーロッパ…などにおける民主的な国家群と東アジア、東ヨーロッパからシベリア、中東…などにおける非民主的な国家群との間の軋轢があった。前者には自由主義と民主主義はいずれは勝つという油断が少なからずあった。それらに対して、後者は(1')-(5')を、名目として掲げて独裁制と全体主義を強化した(6)。それらの名目によって後者は市民の支持をわずかにでも得てしまった。だから、後者は崩れることなく、むしろ力を増した。そこで、両者が争って第三次世界大戦と全体破壊手段の使用へと突き進み、地上の人間は絶滅した。20XX年以降は自由主義と民主主義は形骸化し、(1')-(5')を名目として掲げることは甚だしくなった。そして、(1')-(5')は達成からほど遠く、人間を含む生物の生存は危い。端的に言って、最も重大なのは(1)-(5)ではなく(6)であり、名目である。
  (1)地球規模の環境の悪化について、地球温暖化または気候変動だけではなく、他の様々な問題が浮かび上がってきている。今後もどのようなものが浮かび上がってくるかは予想できない。だから、「地球温暖化」「気候変動」などの限定的な言葉を使用しないようにする。地球規模の資源の消耗について、エネルギーについては代替資源が開発されていくように見えるが、それがいつまで続くかは予想できない。食糧資源について、遺伝子操作、培養肉、人工光合成…などによる増分がどんなものかは予想できない。他の資源の増減についても予測不能である。だから、資源についても「エネルギー...」「食糧...」などの限定的な言葉をあまり用いないようにする。
  軍と軍を掌握する文官と科学者・技術者と公私の企業の複合体は二十世紀の冷戦以前からあった。冷戦初期に強く意識され「軍産複合体」と呼ばれていた。それは当時から少なくともそれらの四者の複合体だった。だから、それらの複合体を「軍官学産複合体」と呼ぶことにする。
  自由権と政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配は露骨に破壊されるだけでなく、上の表現にあるとおり「形骸化」もされる。また、政治的権力だけが独裁へと走ることは少なく、政治的権力と経済的権力が連携して独裁と独占・寡占へと走る。
  資本主義または市場経済、共産主義または社会主義経済…などの経済体制について、それらのいずれか一つだけでは経済が成り立たないことは誰も認めている。現在の経済体制はすべてそれらの混合であり、今後はますますそうなっていくだろう。その混合のあり方やいずれが優位になるべきかの論争はありえるが、二十世紀の資本主義か共産主義かの論争ほど激しいものにならない。
  国際的な制度と機構について、それらは存在しないわけではない。機能していない。そもそも、上記の問題のほとんどはグローバルな問題であり、国家の孤立した機能だけでは解決不能である。それらの解決のためには国際機構の機能または諸国家の協調が不可欠である。このことからも、国家権力の保持者が国際社会から孤立して掲げる人間や生物の生存の保障は、国家権力の独裁化のための名目に過ぎないことが分かる。
  科学技術、特に情報科学技術(インフォテク)と生物学的技術(バイオテク)の驚異的な進歩に係る様々な問題が危惧されている。最も重大な問題は以下の三つである。(a)科学技術全般は全体破壊手段を開発し精巧にする(b)情報科学技術は政治的経済的権力者によって乱用される。特に、(b-1)政策立案過程に彼らの利権が加味され、適正な政策の立案を妨げる。また、(b-2)選挙や国民投票の結果が捏造され、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配が形骸化する。(c)生物学的技術のうちの高度な医療は高額であり、政治的経済的権力者を含む富裕層だけに利用される。
  (A群)世界人口の超過とそれによる自然の破壊と消耗について、食糧・飲める水の不足、過密によるパンデミック…などの純粋なA群による窮状を来す以前に(B群)独裁制・全体主義、世界大戦、全体破壊手段の使用による窮状または絶滅を来す可能性が大きい。端的に言って、A群による地獄を味わえたら私たちは幸運である。20XX年においても、地上の人間はB群によって絶滅したのであり、A群による本格的な地獄を味わっていない。
  宗教、民族、文化的権力について、20XX年の地上の人類の絶滅にもそれらの間の紛争は多少、係わっていた。だが、それらとそれらの間の紛争をまるごと鎮圧した大国の間の紛争が20XX年の絶滅をもたらした。現代においてはなおさらそうである。
  結局、いつの時代でも優勢なのは政治的経済的権力を巡る権力闘争である。だが、二十世紀後半以降は(8)全体破壊手段による(9)絶滅がありえる点で決定的に異なる。
  さて、歴史学者としては20XX年と同様の失敗を繰り返すことは歯がゆい。今を生きる一般市民としてはそのような失敗は一度でもあって欲しくない。「歴史は繰り返す」と20XX年以前はよく言われていた。だが、20XX年の地上の人類の絶滅以来、そのようなことはあまり言われなくなった。それは語るには恐ろし過ぎたからである。だが、敢えて語ってみる。繰り返すように見えるものもその状況も変化し、そもそもそれが繰り返しと呼べるかさえも分からない。と私は主張している。人類は繁栄し20XX年に衰退し再び繁栄し始めたとも言え、それを繁栄と衰退と繁栄の一回半の繰り返しと言えなくもない。また、(1)独裁、専制、全体主義…などと(2)自由権、民主制、権力分立制…などについて、数千年前の政治権力または国家権力の発生から(1)→(2)→(1')の一回半の繰り返しがあったと言えなくもない。今後は、それ以上の繰り返しはなく(1')があるだけかもしれない。(1)→(2)→(1')→(2')→(1'')の繰り返しがあるかもしれない。(1)→(2)→(1')→(2')で繰り返しは終わり(2')があるだけかもしれない。何故なら、(2')の質と量が(2)から変化するかもしれないからである。というより、私が主張するとおり、それを繰り返しと呼べるかさえも分からない。いずれにしても、今を生きる一般市民にとっては、「歴史は繰り返す」などというのは歴史学者の吐くたわごとに過ぎないのであって、人間を含む生物の衰退や滅亡や絶滅はあって欲しくなく、(2)(2')はあって欲しい。人間を含む生物の衰退や滅亡や絶滅がないことを「生存」と総括でき、(2)(2')を「自由」と総括できる。端的に言って、今を生きる一般市民にとっては生存と自由を両立させたい。それに対して、世界の独裁者たちは、その両立は不可能だとして、自由を犠牲にして生存を選択するよう迫る。それに対して、生存と自由を両立させることは可能であり、両立させる必要がある。私たちはそう思い、その具体的方法を語り合い、実践に移していた。
  ところで、シェルターに潜って20XX年を生き延びた者は一定の言語を話す人々に限られていた。その結果、現代の世界の言語はほとんど共通語のようなもので、国家や地域による言語の違いは20XX年以前の「方言」の違いのようなものだった。そのような言語面からは私たちの語り合いと実践を国際的または世界的なものにすることは容易だった。

権力を民主化し分立すること

  高層ビルが延々と続く。だが、遠くの山が遮られることはない。空の汚染は今日はあまりなく、空は澄み渡っている。風が強いからだろう。山と山の間に少し海が見える。その向こうに太陽が沈みつつある。西から東に向けて空色が紅色、薄紅色、水色へと変わる。ところどころに薄紅色の雲が流れる。25YY年には20XX年と同様に密集と高層化が頂点に達していた。このように空を見渡せるのは、都会の中では高層ビルの屋上だけだった。
  私はあの少女とその父親の手記を含む「放射能残留立ち入り禁止区域F」の文献と遺跡の発掘と保存を一段落させて、超大国Aの首都に本格的に戻った。その首都の中で最大の国際会議場で「人類の生存」をテーマにしたカンファレンスが開かれる。世界の大学と政府と大企業の研究者が集まる。世界に生で放映される。第一日目は夜にあり、開幕は30分後。私とP教授はその会議場のあるビルの屋上に登っていた。P教授は、A1大学法学部で歴史上の諸国家の憲法と政治制度の比較研究をする。私は四十近くで、P教授は私より二十歳ほど年上だった。だが、互いに友達だと思っていた。今の諸国の政府は20XX年以前の自由権、民主制、権力分立制、法の支配に係る文献をできるだけ伏せておきたかった。例の区域Fには図書館の跡もあり、私はそれらの文献も掘り出していた。P教授はそれらの文献のうち憲法と政治制度に係るものをまとめていた。
  P教授は今夜、法学の見地から講演をすることになっている。私とP教授は以下のことを改めて確認した。三年ほど前まではA1大学の研究者の間でも政府に迎合して「人間や生物の生存のためには人間の自由が制限されることはやむをえない」などと発言する者が多かった。それに対して、「生存とは無関係に人間の自由は追求されなければならない」と主張する研究者も若干いた。それはもっともなことなのだが、この時代に主張するには危険過ぎる。生存を名目として掲げることによって独裁に走る政権の幹部たちはそのような主張を暗部で抹殺しようとする。実際、そのような主張をした研究者、数名は恐らく独裁政権の黒幕であるM将軍らによって暗殺された。それによってA1大学の研究者は言論弾圧の下での自分たちの無力さに打ちのめされた。研究者たちは自由そのものについて公に語らなくなった。それらに対して、P教授と私は、「生存を保障するためには諸国の政府の政策に偏向があってはならず、偏向のない政策が立案されるためには言論の自由に基づく活発な議論が必要」…などと生存のためには自由は必要という主張の仕方をさしあたりはしていくしかないと語り合っていた。今夜もその一線を超えず、自由そのものへの言及を避けることを確認した。それは確認できた。他の民主制、権力分立制、法の支配…などについても形骸化しているものの原型を説明するだけにするよう私はP教授を説得していた。私たちの自由権と民主的分立的制度を確立する方法は既にインターネットで普及しているのだから、何もこの場で言う必要はない、と説得していた。だが、それは無駄だったようだ。P教授の表情には今まで抑圧していたものが吹っ切れた開放感のようなものがあった。開幕15分前。私とP教授は大会議室に向かった。
  まず、医師にしてA国政府所属の遺伝子治療専門の研究者のUが演壇に立った。三十代半ばの女性。25YY年、ほとんどのガンと感染症は克服されていた。残るそれらをUが克服しつつある。世界の医学界のヒロインだった。また、高額過ぎて庶民の手が届かなかった高度な医療を庶民も受けられるような安価なものに変えつつある。だがら、庶民のヒロインにもなりつつある。それらの道筋を一般市民や専門外の学者にも分かりやすく説明してくれる。私は美貌のわりに飾らない質素で明快なUの話し振りに感心した。
  次に、A国政府所属の経済学者にして官僚であるTが演壇に立った。Tと私は中学校とA1大学の同級生。ちょっとした友達でもライバルでもある。中学の学業成績と大学での研究成果は私よりはるかに上だった。いつものように、自然を保全し適正人口を維持しつつ経済を安定化させ一般市民の最低限度の生活を保障するためには総合的な政策の立案と推進が必要であることを強調する。Tはその総合的な政策を立案するのために人工知能も大いに活用していた。世界の経済界のアイドル的な存在だった。
  次に、P教授が演壇に立った。会場に緊張感が走った。P教授はいつもより豪快に語り始めた。

…現在の諸国の「総合的政策」は、市民の最低限度の生活や経済の安定化や適正人口の維持はおろか、自然の保全のためにも機能していない。それらの政策が機能していないことは後に諸国の研究者が実証する。政策が機能していないのは何故か。言論の自由がなく、公正な選挙がないために、政府の政策が批判されず議論されず、偏向しているからである。二十世紀の共産主義崩壊の主因は、言論の自由と選挙がなかったために、政府の政策が批判されず、偏向し、政策立案者が競争しないために無能に陥ったことにある。人間を含む生物の生存のためには総合的な政策が練られなければならないことは確かである。だが、適正な政策が練られるためには自由な議論と批判が必要であり、言論の自由と公正な選挙が必要である。私たちは自由のためだけでなく生存のためにも自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を確保する必要がある。また、いつの時代も政治的権力と経済的権力は癒着し汚職を行い、政策の立案と推進に彼らの利権を加味させる。現代においてはただでさえ困難な総合的政策の立案と推進が、彼らの利権が加味されて適正なものになるはずがないのである。政治的経済的権力者の癒着と汚職を抑えるためにもそれらを暴き批判する言論の自由が必要であり、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を確保する必要がある…

とP教授は語る。会場が騒然とし始めた。それはP教授に対する批判ではなく、「そんなことを言って政府に弾圧されないか、暗殺されないか」「もうそれぐらいにしといたほうがいいんじゃないか」…などというP教授の身の上に対する気遣いだった。P教授をよく知る私は、こんなものでP教授が止るわけがないと思っていた。誰が言っても、私が言ってもP教授はもう止まらない。今まで、P教授は自制して表立って政府を批判しないようにしていた。繰り返すが、私たちの自由権と民主的分立的制度を確立する方法は既にインターネットで普及しているのだから、何もこんな場で言う必要はない、と私もP教授を説得していた。あの屋上でもそう説得していた。だが、無駄だった。P教授の表情は爽やかで、開放感のようなものがあった。
  だが、これでもP教授はあの屋上で確認した一線を越えていない。P教授は生存のために自由を確保する必要があるという言い方しかしていない。本当のことを言えば、自由は言論などのための手段であるとともにそれ自体が目的である。一般市民は、最低限度の生活を基盤としてそれ以上のことについては、思いのままに生きたいと思っている。自由権を侵害しうる最大の権力は警察、軍…などの公的武力を含む国家権力である。自由権を確保するためには、自由権そのものと政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を確保し国家権力を抑制する必要がある。P教授と私が重点をおいたのは特に権力分立制である。20XX年以前にも以降にも革命はいくつかあった。だが、失敗した。その最大の原因は民主制のみを重視し権力分立制と法の支配を軽視したことにあった。単なる民主制は、はかなくすぐに独裁制に逆行する。革命または内戦を勝ち抜いたまたは数回限りの選挙で選ばれた者が独裁者へと豹変するからである。民主制は市民が直接的または間接的に公権力を抑制する制度である。権力分立制は国家権力を複数の権力に分立し分立した権力を相互抑制させる実に巧妙な制度である。それを強調するためにP教授は、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を「民主的分立的制度」と呼んでいる。法の支配は司法権が法を公正に個人と集団に適応することである。その公正そのものからは司法権が市民への抑制より権力と権力者への抑制を重視することにはならない。権力者への抑制は非常に困難なことであるから、それが際立ち市民にとっては貴重である。より詳細には、立法権の保持者に憲法を適応し、行政権の保持者に憲法と法律を適応することが際立ち貴重である。法の支配の第二の美点は単純な民主制が陥りがちな多数派の横暴さえも抑制できることにある。民主制だけでは、数少ない選挙やレフェレンダムを通じて特定の党派が大衆の熱狂的な支持を得て政権を握り、民主的分立的制度を停止して独裁へと暴走する恐れがいつでもどこでもある。特定の党派に煽られて一回限りの選挙やレフェレンダムによって大衆が民主的分立的制度を放棄してしまうことさえありえる。法の支配が厳格であれば、民主的分立的制度が停止されることも放棄されることも困難になる。大衆が望んだとしても、民主的分立的制度を放棄させないことは法の支配の第二の美点に含まれる。だから、原告または被告が権力者であろうが市民であろうが、司法権のそれぞれの裁判官が追求する必要があるのは公正さだけである。だが、裁判官が公正さを追求し、法の支配が厳格であるためには、司法権の独立が確保されなければならず、三権分立制が確保されなければならない。そのように権力分立制と法の支配は協働する。民主制が不要だと言うのでは全くない。民主制は独裁や専制よりはるかにマシである。さらにマシになるためには民主制は権力分立制と法の支配を伴う必要があると言っているだけである。権力分立制と法の支配は民主制を補完するとも言える。そのことを強調するためにも、「民主的分立的制度」という言葉を用いるのが適切である。私とP教授は一週間に一回はビールを飲みながらときには徹夜でそんなことを語り合っていた。権力分立制は三権分立制、地方分権、軍と警察の分立…などだけではない。私たちの語り合いがそんな月並みなもので終わるわけがない。さあ始まった。

国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を擁護する人の支配系(S系)に分立すること

  P教授はさらに続ける。

…国家権力を自由権の擁護という機能をもつ機構と社会権の保障という機能をもつ機構の二つの機構に分立することは、三権分立制を損ない、不可能である。それに対して、国家権力を「機構」ではなく、それぞれが三権を含む「系」に分立することは可能である。

と言って、スクリーンを示す。

[L系]自由権と民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)の擁護という機能をもち、厳格な民主的分立的制度が機能する系
[S系]社会権の保障という機能をもち、人間的な民主制と緩やかな三権分立制と法の支配が機能する系

P教授はさらに続ける。

L系を「自由権を擁護する法の支配系」と呼べ、S系を「社会権を保障する人の支配系」と呼べる。何度も言う通り、社会権を保障するためには自由な言論と公正な選挙によって総合的な政策を議論し切磋琢磨する必要がある。また、政策に政治的経済的権力者の利権が加味されないように、政治的権力者と経済的権力者の連携を抑制する必要がある。社会権を保障するためにも自由権と民主的分立的制度を拡充する必要がある。それに対して、政治的経済的権力者は生存や社会権を保障することを名目として掲げ、民主的分立的制度を形骸化させ独裁と独占・寡占と全体主義へと走る。それは「社会権からの逸脱」または「(広義の)生存権からの逸脱」と呼べる…

とP教授は語る。P教授は人格と思考内容が厳格であるだけでなく、言葉の定義も厳密である。だが、これでもP教授は一般市民向けに分かりやすく説明しているつもりである。P教授はさらに続ける。

…この社会権からの逸脱による戦争、大量虐殺、人為的飢饉…などは私たち人間が何度も体験したことである。それらを予防し生存と自由を両立させるためには、世界でそれぞれの国家権力が自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立する必要がある。確かに、社会権を保障するためには総合的な政策の立案と推進が必要である。だが、それらはS系だけで立案され推進されていればよい。L系においては総合的な政策なるものは必要ないだけでなく害悪である。L系において完全な自由権と厳格な民主的分立的制度を擁護する必要がありそれは可能である。S系において、L系が擁護する自由権と民主的分立的制度とS系に特有の人間的な民主制によって総合的な政策を立案し推進する必要がありそれは可能である。このL系とS系への分立を含む民主的分立的制度を改めて「民主的分立的制度」と呼び直せる。また、そのような制度を実現することを「権力を民主化し分立する」ことと呼べる…

とP教授は語る。独裁者の身になってみれば、そこまで国家権力を分立されたのではたまったものではないだろう。そこには独裁者が求めていたものの半分しかない。発掘者が見つけた石像の上半身がないようなものだ。権力者が最も欲しがるのは、一方で警察、軍…などの公的武力と、他方で財力、経済的権力、簡単に言って、カネである。公的武力はL系に属する。カネはS系に属する。L系とS系が分立しているとき、武力を手に入れたとしてもカネがなく、カネを手に入れたとしても武力はない。P教授はさらに続ける。

…独裁者は生存と自由の両立は不可能だと喧伝し、自由を犠牲にして生存を選択するよう一般市民に迫る。そんなものは独裁者が独裁制を強化するための名目に過ぎない。生存と自由の両立は必要であるだけでなく可能である。国家権力をL系とS系に分立させることが生存と自由を両立させる決定的方法である。それはバランスや妥協ではなく両立である。生存か自由かの二者択一を迫られたときは、「おめえ馬鹿じゃねえの、両方に決まってるじゃねえか」と笑い流そう。「生存か自由か」ではなく「生存と自由」である…

会場は厳粛に聞き入っていた。P教授が暗殺も覚悟の上でそれらを語っていることを多くが感じ取ったのだろう。まるでP教授の葬儀のようだ。中には涙する人もいる。映像と音声を生で受信している全世界の市民も同様だろう。
  そんなとき、(反政府)グループGの同僚Xが私の座席の脇にやってきた。Xは小声で「緊急事態。来て」と言う。私はXについて大会議室の外の廊下に出た。Xは私を窓際に連れて行った。大会議室とこの廊下は高層ビルの中ほどの階にある。窓から見ると、近くの公園に数万人の市民が集まっていた。懐中電灯が振られ、「自由」「生存と自由」…などのバナーが掲げられている。環境保護団体も来ているようで「自然の保全と人間の自由の両立」などのバナーもあった。屋外ステージも占拠されていて「P教授」などの垂れ幕も掲げられていた。P教授を屋外でも登壇させたいようだ。Xはさらに遠くを指さす。小さな森の向こうに数百人の軍の兵士が重装備して集結していた。ライフルや機関銃だけでなく携帯ミサイルをもつ兵士もいた。恐らく化学兵器ももっているだろう。既に兵士たちはガスマスクを付けている。
  会議場内の演者の語りが廊下にも流れる。P教授の予言通りに諸国の研究者が諸国の政策が機能していないことを実証し始めていた。今の演者は諸国の政策が自然の保全のためにも機能していないことを様々な数値を示して実証している。
  窓の直下のデモには「最低限度の生活もねえじゃねえか」「まともなメシ食いてえ」「せめて子供に栄養を」「医療費値下げ」…などの日常生活に密着した訴えを掲げる市民が続々と入ってきている。「自由」はともかくとして、独裁政権が名目として掲げる「生存」を達成していれば、このようなデモは起こらなかっただろう。一般市民も最低限度の生活の保障、経済の安定化、人口の適正化が達成どころではないことを日常生活における欲求不満や不快として身をもって感じている。資源が消耗し環境が悪化していることも、食費や光熱費の上昇や蒸し暑さとして感じとっている。科学者の実証を待つまでもない。医学は進歩し遺伝子治療もあるが、高度な医療を受けられるのはごく一握りの政治的経済的権力者を含む高額所得者とその家族だけである。多くのガンと感染症は克服されたと言われるが、それらは依然、死因の上位を占めている。それは、市民は比較的安価な予防と早期発見…などの初歩的な医療に頼らざるをえないが、その初歩がおろそかにされているからである。市民にとっては生物や人類の生存より自分と家族の、明日ではなく今日の生活が問題だ。私たちにしても諸国の独裁政権が名目通りのことを達成していれば、行動を起こさなかったかもしれない。
  反政府グループGの同僚Zもやってきた。窓の外の森の向こうでは兵士の数が増えている。手前の公園では市民の数がさらに増えている。Zが「俺たちは市民を退避させる。I(私)とXはP教授を隠れさせてくれ。P教授には潜伏してもらったほうがいい。俺たちがP教授を潜伏させるまでなんとかP教授をかくまってくれ」と小声だが急いで言う。Zは公園に向かった。
  私とXはP教授が居ると思われる演者の控室に向かった。が、遅かった。トイレの出入口の周りに人だかりができていた。P教授が倒れたと言う。中に入るとP教授が床に横たえられていた。あの医学会のヒロインUが心肺蘇生の陣頭指揮をとっていた。救急車が到着し救急隊がかけつける。
  P教授倒れるの知らせをXがメールでいち早くZに伝えた。Zもそれを市民に伝えざるをえない。その知らせによって市民はいっそう奮起しかねない。だが、Zらはいつものように「(革命の)ときは未だ熟せず。後、六か月だけ待ってくれ」と市民を辛抱強く説得した。そのようなZらの努力によって、市民は解散し、市民に弾圧の犠牲はなかった。
  話はP教授倒れるの現場に戻る。救急隊は医師と近親者の同乗を依頼してきた。医師としてUが近親者として私が同乗した。

全体破壊手段

  結局、P教授は亡くなった。遺体は教授の遺族が引き取って行った。Uと私は、UがかつてA1大学で研究していたこともあって、初対面ではない。Uは、その救急病院の個室を借りて、P教授の死因を私と検討しようとした。私は応じた。その部屋にあるのは、天井、床、壁、ドア、机、椅子、照明とシャーカステンだけで、盗聴器や監視カメラはないようだ。Uは最初は、シャーカステンで頭部の画像を示しながら、P教授の直接の死因は脳出血だと説明していた。いちよう私はシャーカステンを開いて盗聴器・盗撮器がないことを確認した。Uは探るような眼で私を見つめる。私はP教授には脳血管の動脈硬化があって血液凝固抑制剤を服用していたことを説明した。Uはさらに探るような眼で私を見て、「これは今は内密にしてもらえる?」と言う。来た!  私は単刀直入に言った。「俺は(反政府グループ)Gのリーダーなんだけど…」  Uは少し驚いていた。だが、すぐに納得した。Uは「私はGに対しては匿名の政府からは隠密の離反者よ」と言う。公権力の中にあってそこそこの役職をもち隠密に反政府グループに情報提供、武器調達…などの協力をしてくれる人々を「(政権内)(隠密)離反者」と呼べる。中には匿名でそれらをしてくれる高官や軍人もいる。慎重な人たちである。Uは続ける。「日頃からGに協力しているのよ。これで完全な匿名でなくなっちゃったけどね」  私とUは握手した。Uは最初は、私もUと同様の隠密離反者だと思っていたようだ。ところが、離反者どころかグループGのメンバーでありしかもリーダーである。Uはそれを驚いていたようだ。握手する手に疑いやとまどいはない。Uは言う。「私は血液検査で、P教授の血液中の血液凝固抑制剤の分解産物も調べておいた。結果は高濃度と出た。通常の内服量で出る数値よりはるかに高濃度。政府に暗殺されたのよ。多分、スプレーで。あのトイレで。暗殺者がトイレに入って洗面台でP教授と並んで、P教授の顔にさりげなくスプレーした。標的はすぐに倒れないから暗殺者は簡単に逃走できる。その血液検査データは私が保存して公に向けては消去しておいたわ。頃合いを見計らって暴露してね」と一気に語る。私はそのデータの入った外部記憶装置を預かった。私はそれに満足せず、「不変遺伝子手段の開発、実用化はどうなってる?」と尋ねた。Uは「言っとくけど、私もあなたもいつでもP教授と同様に暗殺または拉致拷問される危険があるのよ」と言う。私はうなずいた。Uは一気に言う。「私たち科学者は全体破壊手段の研究と開発を迫られている。それを断れば拷問され開発方法を吐かされる。暗殺は拷問よりよっぽど楽よ。文科系の学者はいきなり暗殺されるだけ。それに対して、科学者技術者には、全体破壊手段を開発して極悪人になるか、拷問されて苦しんで死ぬかの葛藤があるのよ」  なるほど、P教授と私は文系の学者だ。だが、そんな苦痛の量を比較している暇はない。Uと私は以下のことを確認した。十数年前にUがA1大学に居た頃に既に以下のことは議論し確認していたのだが、改めて確認した。

人間が、地球上の、人間を含む感覚をもつ動物を絶滅させることを「全体破壊」と呼べ、全体破壊を生じえない手段を非全体破壊手段と呼べ、非全体破壊手段ではない手段を全体破壊手段と呼べる。言い方を替えると、人間の開発製造と使用の仕方次第で全体破壊を生じる可能性がわずかにでもある兵器を含む手段を全体破壊手段と呼べる。全体破壊手段は、核兵器、不変遺伝子手段、軌道を変えるような小惑星操作から成る。
  ただ一発だけで即、絶滅を生じる手段はほとんどない。全体破壊手段は、報復の連鎖や同時多発テロのような場合に、その多数が絶滅を生じうる手段を含む。また、その副産物が間接的に絶滅を生じうる手段を含む。例えば、核兵器が残す残留放射能は発ガンや不妊や免疫不全を生じ、絶滅を生じうる。
  全体破壊の定義が「感覚をもつ」という言葉を含んでいたのは以下の理由による。感覚がなければ記憶、情動、自我、思考…などもいわゆる意識もない。すると、植物がいくら美しく咲き誇っても、それを愛でる者は居ない。生存を求めるものも、絶滅を恐れる者も悲しむ者も居ない。私たち人間はそのような存在を生物の生存と認めないだろう。
  全体破壊の定義が「地球上の」という言葉を含んでいたのは以下の理由による。例えば、全体破壊手段の使用の直前に一部の人間が地下や海底のシェルターや宇宙の人工衛星に退避し、地上に向けて全体破壊手段を使用し、地上の人間を絶滅させてから地上に戻ることはありえる。私たちのほとんどはそのようなことを人間や生物の生存と認めないだろう。仮に一部の人間が太陽系の惑星や衛星や他の系の天体に退避して何万世代も生存するとしても、それらの人間は地球上の人間とは別の方向に進化する。私たちのほとんどはそのようなことを人間や生物の生存と認めないだろう。
  核兵器について、人間が誘発する原子核の変化を含む兵器を「核兵器」と呼べる。報復の連鎖の中で核兵器の多くが多くの地域で使用されれば、直接的かつ前述のような副産物によって間接的に絶滅を生じうる。だから、核兵器は全体破壊手段である。
  軌道を変えるような小惑星操作が全体破壊手段であることは意外だったと思う。以下のように言えば理解されるだろう。人間が惑星や衛星を操作しても軌道を変えてしまうことはない。だが、小惑星なら軌道を変えてしまい地球に衝突または接近させ地球に致命的な打撃を与えるか地球の軌道を変えるかもしれない。科学者や政治的経済的権力者はそんな確率は百万分の一以下だと言うかもしれない。だが、たとえ百万分の一であっても、市民に不安を与える。だが、実際は百万分の一ではなく、人間の創意工夫と悪意や狂気によっては百分の一になることは確実である。さらに誰かが言うかもしれない。「その創意工夫は別として、そんな悪意や狂気をもつ人間は百万人に一人だ」と。それに対してはこう言える。「その百万人に一人で十分だ。仮に十億人に一人だったとしても、十分だ。誰もそんな人間はいないとは言えないだろう」と。
  不変遺伝子手段についてはもう少し詳しく説明する。遺伝子の実質は五種類の塩基とそれを繋ぐ鎖から成る。塩基の順列、つまり「塩基配列」が生物の構造と機能の多くを決定する。塩基配列は自然的な条件下でも変化することがある。それが「突然変異」の実質である。遺伝子が突然変異を起こした生物のうち環境に適応できた一握りの生物だけが生存し「進化」する。それが「自然淘汰」である。人間が遺伝子を操作するにしても、遺伝子の塩基配列を変えるだけなら、それは突然変異に等しく、それを含む生物や手段は従来の生物に等しく自然淘汰される。それに対して、人間が遺伝子の塩基配列以外のものを変えた場合、どうなるか。突然変異を被らない可能性がある。人間の操作によって遺伝子の塩基配列以外のものを変えられた、または、突然変異を被ることが確実でない遺伝子まがいのものを「不変遺伝子」と呼べる。不変遺伝子を含む生物まがいのものや手段を「不変遺伝子手段」と呼ぶ。遺伝子の塩基配列以外のものが変化した、または、突然変異を被ることが確実でない不変遺伝子を含む不変遺伝子手段がどのように振る舞うかは計り知れない。だが、その可能性を挙げてみる。

(1)自然淘汰されない可能性があるから、無際限に増殖し、人間を含む生物を駆逐する可能性がある。地球上の有機物を消費してしまう可能性さえある。
(2)従来の病原体より軽量でありえるから、より広く速やかに生物に感染する。
(3)従来の生物が含まない物質を含みえるから、免疫系によってブロックされない可能性がある。
(4)従来の生物が含まない物質を含みえるから、従来の抗生剤や消毒薬で不活化されない可能性がある。
(5)それらの遺伝子は突然変異を起こさない可能性があるから、個体においても従来の病原体より長期に渡って広く毒性を発揮するまたは潜伏する。だから、従来の病原体が破壊しなかったもの、例えば、神経系の免疫細胞や赤血球と免疫細胞の元である造血幹細胞を破壊する可能性さえある。

それらは不変遺伝子手段の一握りの可能性に過ぎないだろう。だが、(1)-(5)に基づくだけでも、不変遺伝子手段は全体破壊を生じる可能性があり、全体破壊手段である。
  十分な注意が払われなければならないのは以下のことである。全体破壊手段が使用されたほとんどの場合、地上の人間はすぐに死滅するわけではなく、数年から数十年苦しんで死ぬ。皆がすぐに楽に死ねるなどというものでは全くない。例えば、核兵器から直接的に出る放射線または核兵器が残す放射能から間接的に出る放射線は遺伝子を重点的に破壊する。女性も男性も子供を作れない体になる。障害された器官と組織はほとんど回復しない。数年後から十数年後には一個体においてもガンが多発する。早期発見早期手術や遺伝子治療は間に合わない。人々は、子供を作れないことへの絶望、回復しない器官や組織の痛み、発ガンへの不安で苦しむ。ガンが多発して進行した後は強烈なガン性疼痛で苦しんで死ぬ。鎮痛剤等はすぐに枯渇し、製造供給は間に合わない。また、不変遺伝子手段のいくつかはそれぞれの個体の免疫機能を致命的なほどに低下させる。様々な種類の伝統的な感染症が蔓延する。抗生剤、抗ウイルス剤は間に合わない。人々はそれらが生じる現代では稀な苦痛を経験して死ぬ。
  だから、生存を確保するためだけでなく、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させるという欲求と目的を満たし実現するためにも、人間はまず全体破壊手段を全廃し予防する必要がある。
  ところで、意外なことも分かってくる。例えば、環境の破壊と資源の消耗を抑制するためには、企業の活動だけでなく一般の市民の日常的な欲求が部分的にせよ制限されざるをえない。それに対して、全体破壊手段の全廃予防は、一般市民の日常的な欲求と自由をなんら制限しない。全体破壊手段が全廃されたところで、今まで地下や海底や宇宙に隠されてたものが消滅するだけで、市民はその消滅に気づくことさえない。軍事費の減少と税金の軽減によって日常生活が楽になるだけである。
  人間以外の生物の種は、繁栄すれば、その繁栄によって自らの自然を破壊する。その破壊によってその種は衰退または絶滅する。その衰退によって自らの自然は復活しその種は復活する。その絶滅によって他の種は復活する。それらを「繁栄と衰退のサイクル」と呼べる。私たち人間はそのサイクルを逸脱している。何故なら、全体破壊手段が地球の全体で生物を短時間で破壊し、上のような復活の余地を残さないからである。だから、全体破壊手段を繁栄と衰退のサイクルを逸脱した手段とも定義できる。
  そのように人間は地球や太陽の激変と自然な終焉以前に人間を含む生物を絶滅させる可能性をもつ。人間を含む生物が自然な終焉のときまで生存するためには、人間が全体破壊手段、つまり、核兵器と不変遺伝子手段と軌道を変えるような小惑星操作を全廃し予防する必要がある。異星人の襲来が地球上の人間を含む生物を滅亡させるなどというのはSFに過ぎない。人間は異星人の来襲や地球や太陽の激変に対処する必要はなく、自身と自身の手段を処理していればよい。簡単に言って、人間は自身にかまっていればよい。

ここまで確認した後、Uは自分の苦境に立ち返る。「M将軍は私に集中的に、全体破壊手段の開発を迫っている。それも不変遺伝子手段…」と口ごもる。私は思わず言った。「それはかわいそうだ。早く全体破壊手段を世界で禁止し、世界の権力者はその開発を誰にも迫ることができないような制度を確立しないといけない」と。もちろん、それが現時点では理想論に過ぎないことは分かっている。私が現実論を言わないから、Uが私の替わりに言うことになってしまう。「全くそのとおり。だけど、すべての国家で実質的な独裁政権ができている今の世界ではそんな制度が確立できるわけがない。私が拒絶し拷問されても吐かず、苦しんで死ぬとして…それでも、他の科学者がやってしまうでしょう」と。だが、Uはそんな現実論にはとどまらなかった。Uははっきりと言う。「だから、私はむしろ全体破壊手段の開発を主導して、M将軍の前では開発しているように見せかけて、実際の全体破壊に決して繋がらない見せかけの、つまり偽物の全体破壊手段を作ることに専念している。私にできることはそれだけ」と一気に語る。私は感銘した。さすがはUである。だが、あわれでもある。少し前まではUはガンと感染症の完全克服と医療の低額化に専念していた。そのヒロインがこんなことをしなければならないとは…何とも哀れだ。Uは続ける「私は不変遺伝子手段以外の全体破壊手段の情報も蓄積しているけど…A国の政府や軍が使用しそうなのは私の開発した偽物だけよ」と。私はUを見つめて「それは確かか。それは非常に重要なことだ」と尋ねた。Uはしっかりとうなずく。彼らが使用しそうな全体破壊手段はUが作った偽物だけだ。これは非常に重要なことだ。Uが離反者であることを極秘にすること、Uが権力者向けに開発したものが偽物であることがバレないことも非常に重要なことだ。
  私はUともっと話したかった。だが、P教授の弔いについてXやZと協議することがある。私はUと次回の会合について確約し、XやZが待ってくれているA1大学の自分の研究室に向かった。今夜の今まではP教授の死因追及とUという強力な離反者を確保することに必死だった。タクシーの中で今頃になってP教授を失ったことが実感できた。自由権と民主的分立的制度の確立ための牽引車を失ったということもあったが、私にとっては最大の友を失った。そのほうが大きかった。窓の外は大雨だ。風も強い。水しぶきを上げてあの公園から撤退する軍の車両ともすれ違う。はかない。虚しい。今は耐えなければならない。

潜伏と隠密離反

  あの会議では諸国の政策が人間や生物の生存や社会権の保障のためにも機能していないことがますます実証されていた。そこでA国政府は一日目も終わらないうちに中止した。名目は会議の参加者と近隣の安全のためというものだった。
  私が研究室に帰るとXとZが待ってくれていた。私たちはA国の反政府グループGの同僚である。まず、P教授のグループGとしての葬儀は、現在の独裁政権を倒してから行うことになった。
  さて、Xの情報科学技術は超一流。諸国の政府や大企業のコンピューターや人工知能に潜入して政治的経済的権力者の情報科学技術の乱用の証拠をつかんでいた。全体破壊手段の開発、保持と政治的権力者と経済的権力者の癒着と汚職の証拠もつかんでいた。そして、政府のどんな操作にも侵されないネットワークを構築し、それらの証拠を暴露していた。私が発掘しP教授がまとめた文献も公開していた。あの少女とその父親の手記を含む私が持ち帰ったばかりの文献も既に速やかに公開していた。ちなみに、20XX年以降も情報科学技術は進歩し、現在の「ポケット・コンピューター」は性能は20XX年以前の「パーソナル・コンピューター(PC)」ではなく「コンピューター」と同程度だった。世界の反政府グループと離反者が連絡をとりあうポケット・コンピューターはXが構築したネットワークとソフトウエアを使用しており安全確実なものだった。仮にポケット・コンピューターが盗まれても、安全確実な生体認証によってしか起動または作動しないようになっていた。誰かが内部の記憶装置を取り出そうとすれば、すべてのデータとプログラムが消滅するようになっていた。また、Xは政府の監視カメラと生体認証システムにも随時、侵入し最新データを入手し、反政府グループのメンバーを政府に顔が割れている者と顔が割れていない者に振り分けていた。政府に顔が割れている者には潜伏所に居てもらった。私とXとZはまだ、政府に顔が割れていない。潜伏と革命に要する資金調達について、Xらが大物政治家たちの銀行口座に侵入して大企業から振り込まれる明らかに不正なカネをちょっとばかり頂いていた。不正なカネなのだから、政治家たちも追及しなかった。それも政治家たちが不正を行っている証拠になる。
  世界の反政府グループもXの先導で以上と同様のことをやっていた。数年前までは世界中で、反政府グループが今、政府と軍に対してやっていることを、政府と軍が反政府グループに対して盛んにやっていた。その結果、世界の幾多の反政府グループが暴露され殲滅され、幾多のスタッフが虐殺または暗殺された。A国にも他の反政府グループがいくつかあったが暴露され、それらの多くのスタッフが虐殺または暗殺された。または、政治犯として捕らえられている。それに対して、Xは全く新しいプログラミング言語と暗号化法を開発した。それらのおかげで、世界の反政府グループは、政府や軍による反政府グループ間の情報網への侵入を完全にブロックできるようになった。それらが政府や軍に解読、解明されない限り、侵入はない。だが、いつかは解読、解明されるだろう。Xは既に、さらに新しいプログラミング言語と暗号化法を開発し、世界の反政府グループに新しいものの詳細を送っている。だが、相手が現在のものを解読、解明し、こちらが新しいものに変える前に革命を完結させてしまうことが理想である。
  言い遅れたが、Xは三十を過ぎたばかりの女性である。Xは本当は情報科学技術の平和利用に取り組みたかった。だが、今の独裁政権の下では誰もそれはできない。Xの若さからすれば、革命後にその夢を実現することは十分に可能だろう。
  Zは四十を過ぎたばかりの男性。世界の反政府グループを渡り歩いてきた。反政府グループの潜伏と防衛を主導し、今はグループGの潜伏と防衛に当たるとともに、世界の反政府グループにそれらの方法を提示している。軍内部の隠密離反者からライフル、機関銃、携帯ミサイル、無人飛行機、無人潜水艦…などを入手していた。潜伏所でメンバーの訓練とそれらの兵器を用いて演習を行っていた。戦車の部品も取り揃えていて、革命の本番では組み立ててて出すらしい。他方、Zは世界各地の失敗した革命で幾多の市民が犠牲になるのを目撃した体験から、一般市民の犠牲を最小限に抑える方法を模索していた。今日、一万人を超える市民があの公園から退避し誰も犠牲にならなかったのは、Zが「(革命の)ときは未だ熟せず。六か月だけ待ってくれ」と市民にお願いしたからである。そのようなZの市民に対する姿勢は私も他のメンバーも見習った。そして、Zは期が熟したと見れば一気に片を付ける方法を模索していた。
  政府に顔が割れている者は潜伏所に完全に潜伏していた。政府にまだ顔が割れていない私とXを含む者は潜伏せず、潜伏所の所在地も知らないようにしている。政府や軍に捕まり拷問されたときに潜伏所の所在地を吐いてしまう恐れがあるからである。ただし、Zら潜伏者と非潜伏者の連絡を行う者は、捕まりそうなときのために腕時計のように腕に自殺装置を装着している。その中には毒針が隠されていて、生体認証されるワンタッチで毒薬が体内に注入されるようになっている。彼らのそれぞれは自主的にそのような装置を装着している。私は彼らが哀れでたまらない。一日でも早くそんなものを外せる日が来て欲しい。
  あのUのように政権内にあってグループGに隠密に情報、武器…あどを提供してくれる人々を私たちは「(政権内)(隠密)離反者」として重宝していた。彼ら彼女らは当然、政府と軍の幹部には隠密でなければならない。離反者の中には、今日の夕方までのUのように、反政府グループに対して匿名にする人々もいる。彼ら彼女らも貴重であり、私たちはその匿名性を尊重していた。匿名であれなんであれ、そのような離反者を質、量ともに増やしていくことが私の現在の主な仕事だった。今夜のUは最高の離反者だった。そして、離反者が質、量ともに十分になったときが革命の期が熟したときである。私たちが立ち上がったときには離反者たちが私たちを政府と軍の主要施設に誘導してくれることになっている。全体破壊手段の不活化にも協力してくれることになっている。それらの傾向も世界的なものである。
  ところで、政府または軍の工作員が離反者を装って、反政府勢力らしきものに接触してくることはありえる。だから、私たちは離反者らしきものとの接触に最大限に注意していた。特にその人物にどれだけ離反する動機があるかをよく調べていた。あのUにしても政府と軍から何かぶっそうなものの研究と開発を強要されていることを、私はXらとともにつかんでいた。だから、あのUとの話し合いが容易に実を結んだのである。それにしても、あのUは最高の離反者である。
  Xはいつものように、政府の監視カメラのデータ保存場所に潜入し、あのP教授暗殺のトイレの映像も入手していた。あのUが予想した通り、洗面台で手を洗うP教授の脇に講演の聴衆を装う若い男がさりげなく寄り、P教授の顔に香水のように見えるものをいたずらっぽく笑いながらスプレーしていた。P教授は少し驚いてその男を見た。それが余計に悪かった。だが、P教授はすぐに笑い返した。P教授は多分、「近頃の若い人によくある遊びだ」と思ったのだろう。P教授は何かを言っていた。多分、「いい香りの香水だな」とか言ったのだろう。P教授の一般市民に対する寛大さ、特に若い人々に対するそれが裏目に出た。だが、P教授はすぐに倒れない。男はさりげなく去っていった。P教授は個室から出て来て、もう一度、手を洗うときに倒れていた。まさしくUの予想通りだった。このXが収集した証拠を公表するだけでP教授が暗殺されたことを証明するには十分だろう。Uが収集した証拠の公表は革命後にしたほうがいいだろう。Uは非常に貴重な隠密離反者だ。Uの証拠を公表すると、Uが危ないし、あの疑似の全体破壊手段の計画も台無しになる。このトイレの映像の公開にしても、P教授の家族葬が終わってからにしよう。今、公開すれば、遺族の悲しみを倍増させることになる。それらを私とXとZは決定した。それらに関する限りで後に公開される。他についてはいつも即、公開していた。

政治的経済的権力者による情報科学技術の乱用

  あのTが言ったとおり、環境の保全、資源の保全と有効利用、適正な世界人口の維持、経済の安定化、市民の最低限度の生活の保障、つまり人間を含む生物の生存の保障または社会権の保障のためには総合的な政策の立案と推進が必要であることは確かで。そのためには(1)人間の専門家と(2)人工知能等の情報科学技術の産物が協調する必要があるだろう。そのような状況の中では、政治的経済的権力者が(1)だけでなく(2)を操作して乱用し、自分たちの利権をそれらの政策に加味させ、しかも、それらの政策は公正無私な(2)によるものだから公正であると主張する可能性がある。それらの政策の立案と推進は、最も卓越した(1)が最善を尽くそうが、最も洗練された(2)が最善を尽くそうが、(1)(2)の両者が協力して最善を尽くそうが、非常に困難なことである。誰かの利権が混入した政策がうまく機能するわけがない。だが、一般の市民の情動は加味される必要がある。何故なら、見方を変えれば、社会権の保障の大部分は一般市民の情動を満たすことだからである。ここで(2)が一般市民の情動を公正かつ中立的に評価できるという錯覚が生じては面倒なことになる。(2)がどんなに進歩しても、それらが人間を含む動物がもつような快不快の感覚や欲動や人間がもつような感情、欲求…などの精神的情動を創出したり保持したりすることは決してなく、情動を直接的に加味することできず間接的に加味することしかできない。
  この間接性についてここでもう少し詳しく説明する。一つの神経機能を生じえる神経細胞の集合を「神経細胞群」と呼べる。神経細胞群の中の神経細胞の軸索の束がいわゆる「神経」である。神経細胞群の中のそれぞれの神経細胞は空間的相対的位置を属性としてもち、全体として神経細胞群は神経細胞の配列を属性としてもつ。その配列が崩れるとその神経機能も崩れるとき、その配列を「有意義選択性」と呼べる。横紋筋の収縮、平滑筋、心筋の収縮弛緩の調整を含む自律機能、本能的機能を生じる神経細胞群は有意義選択性をもつ必要がない。それに対して、感覚、記憶、精神的情動、自我、思考を生じる神経細胞群は、有意義選択性をもつ必要があり、実際にもつ。例えば、人の目の白目の部分を感覚し記銘する神経細胞群の部分は高密度で興奮、伝達し活性化され、瞳や輪郭を感覚し記銘する部分は低密度で興奮、伝達し活性化される。そうでないと、私たちは人の目を感覚したり、思いだしたり、それに感情をもったりすることはできない。また、医療において、末梢神経系の運動神経は有意義選択性をもたず、傷害された運動神経をなんらかの電子的な装置とコードに取り換えて、横紋筋の収縮を調整することは不可能ではない。それに対して、中枢神経系の記憶や思考に係る神経細胞群は有意義選択性をもち、それらに何らかの記憶装置を埋め込んで、記憶力、思考力を増強したり、まだ個人がもっていない知識を個人に付与するようなことは不可能である。いずれにしても、そのような有意義選択性をもつ神経細胞群の機能を直接的に電子的な暗号に変換することは永遠に不可能だろう。何故なら、その直接的な変換のためには神経細胞群に属する何万の神経細胞のそれぞれをなんらかの電極のそれぞれになんらかの方法で接続しその有意義選択性を維持しなければならないが、それは不可能だからである。例えば、人が幸せか不幸せかは血圧、脈拍、発汗…などを測定することによってある程度は査定できる。それに対して、何に幸せを感じているのか、何に不幸せを感じているのかは直接的に査定できない。だから、人間の感覚、記憶、精神的情動、自我、思考の内容を査定するには、伝統的なアンケート、心理テスト…などに頼らざるをえない。
  そのような間接性を通して何者かがそれらの政策に恣意的なものを加える余地がいくらでもある。特に、政治的経済的権力者が情報科学技術の産物を操作し乱用し政策を自分たちの利権に繋がるように偏向させ、しかもそれらの操作と乱用を隠してそれらの政策は公正であると主張する可能性がある。ただでさえ困難な生存や社会権の保障が政治的経済的権力者の利権が加味されてうまくいくわけがないのである。
  また、選挙やレフェレンダムの結果の集計はますます情報科学技術とその産物に依存している。権力者はそれらを操作し乱用し、自分たちの都合のよい結果を捏造している。さらに悪いことには、彼らが捏造された結果を、それらは公正無私な科学によるのだから、厳正であると主張している。それが民主制が形骸化した一因である。
  科学技術、特に情報科学技術(インフォテク)と生物学的科学技術(バイオテク)に対する批判はいろいろある。生物学的科学技術については、後述するとおり、不変遺伝子手段を除くものを精錬せざるをえない。それを除くと、科学技術に係る問題のうち、最も重要なのは、政治的経済的権力者による情報科学技術の乱用である。Xら世界の反政府グループの情報技術者はそのような乱用も暴き既に公開していた。今後はそのような乱用を防ぐ情報科学技術も開発されなければならない。Xらはそれにも取り組んでおり、革命完結後に実行する予定である。
  新聞社、出版社、民間の放送局は政府の意図的な紙と電波への規制によってほとんどが倒産していた。または倒産寸前だった。すると、言論や表現の場はインターネットにしか残されていない。だが、政府や軍は大衆しか入ってこないようなサイトに大衆を偽装して侵入し世論を操作していた。そのような操作もXらは暴露していた。検索ロボットを運用する企業を含めて経済的権力の世界的な独占・寡占が進み、異業種の間では馴れ合いが進み、インターネット上の検索では実質的に大企業の宣伝広告が帰って来るだけだった。それが宣伝広告であることさえ曖昧にされていた。Xらはそのような検索プログラムとデータにも侵入して、宣伝広告を削除して、自由な言論や表現が帰って来るようにしていった。それは骨の折れる作業だろう。グループGは潜伏所に数百人の情報技術者を擁していた。「オタク」が「引きこもる」場所を変えただけと思われるかもしれない。そんなことはない。彼ら彼女らはかつては地下やインターネット上ではなく地上の活動家だった。だからこそ政府や軍に顔が割れてしまった。だから、今は潜伏所に潜んでいなければならない。彼ら彼女らも今は耐えている。
  特許について、科学技術と産業と医療福祉の発達と安定化のためには特許制度は必要なのかもしれない。また、市民の健康のためには医療福祉、食品製造…等の営業を許可制にすることは必要なのかもしれない。だが、この頃、政府は大企業と癒着し、それらに優先的に特許と営業許可を与えていた。それも企業の独占・寡占が進んだ一因である。特に製薬を含む医療に係る公私の企業の独占・寡占は激しく、医療費は高額になり、最先端の医療を受けられるのは一握りの政治的経済的権力者を含む高所得者とそれらの家族に限られていた。20XX年以降も遺伝子治療の技術は進歩していたが、それを受けれらるのはほんの一握りだった。例えば、ガンの治療において、最新の早期発見早期遺伝子治療より伝統的な早期発見早期手術のほうが安価で、市民は後者を選択していた。また、製薬会社、医療機器メーカー、公私の医療介護福祉機関、それらの圧力団体、それらに係る官僚と政治家が癒着して暴利をえるようになっていた。Xらはそれらも暴露し公開していた。
  それらのことは世界的傾向であり、世界の反政府グループがGと同様の対抗策を練っていた。さらに、そのような世界の反政府グループが連携していた。また、世界の反政府グループと世界の市民が協調していた。そこには、世界のそれぞれの国家において政治的経済的権力者が市民を支配し、世界はせいぜい国家が構成する「国際」社会であるという「縦割りの構造・動態」に対して、世界の反政府グループが世界の政治的経済的権力者に対抗するという「横割りの構造・動態」がある。私たちにとって国家主義は20XX年以前の遺物でしかなかった。それらのことから私たちは「国民」という言葉ではなく「市民」という言葉を使うようになったのだと思う。今となっては国民という言葉は古語にしか聞こえない。市民の間でも国家主義は衰退していた。私たちは政府と軍を排除している私たちのネットワーク上で以下のようなアンケートをとった。(1)独裁的な自国の政府に支配される。(2)民主的な他国に侵略され占領される。どちらを選ぶかの二者択一である。ほとんどの市民が(2)を選択した。だが、不幸なことに世界のどこにもそのような民主的な国家はなかった。一見したところ民主的に見える国家においても民主的分立的制度は形骸化していた。それらの独裁化、全体主義化、民主的分立的制度の形骸化の原因の一つが政治的経済的権力者による情報科学技術の乱用である。
  いずれにしても諸国の反政府グループと市民は横割りの構造・動態の下層部で連携していた。それに対して、その上層部で諸国の政治的経済的権力者が連携しては厄介である。そこで、下層部は下層で連携していることも隠密にしていた。

国家主義・愛国心の減退

  それらの協議が終り、解散しようかという頃になって、私の心の中でP教授という友を失ってできた隙間が疼き始めた。XもZも同様のようだ。AT街のいつもの店AQに行って飲んだくれるしかない。ということになった。
  以下の世界の権力者と世界の市民という横割りの構造・動態と選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露が可能になるためには国家主義と愛国心がある程度、減退している必要がある。まず、不要な議論を来さないために愛国心、国家主義を明確に定義する必要がある。愛国心は国家権力やその保持者を含む国家全体に対する愛着であると定義できる。国家主義は、独裁的なものか、民主的なものか…などに係わらず、国家の全体を不可欠のものとし、場合によっては至上のものとする思想であると定義できる。国家主義という言葉は民族を不可欠または至上のものとする思想を意味することもあるが、これらの著作では前者を意味することにする。
  国家や国家権力は必要ないと言っているのでは全くない。国家権力を民主化し分立する必要があり、国家主義・愛国心は必須ではなく害悪になることがあると言っているだけである。国家や国家権力を含む組織や機能や権力は必要な部分を見究め活かし改善し悪化を防止する必要があるものである。その全体を愛したり至上のものとしてしまうと、必要な部分もそれらが悪化していることさえもなかなか見えてこない。他方、自由権と民主的分立的制度を破壊して、独裁に暴走する機会を探っている国家権力の保持者にとっては、それらの必要で悪化している部分が市民に見られては都合が悪い。だから、彼ら彼女らは愛国心・国家主義を煽って、美化された国家の全体でそれらの部分を覆い隠そうとする。
  そのように、国家・国家権力のいくつかの部分は必要だが、国家主義・愛国心は必須ではない。その必要性にしても、すべてにおいてグローバル化が進む時代において、国家・国家権力の必要性が地球、世界、国際社会、国際機構、世界機構…などの必要性に勝る理由はどこにもない。また、もし仮に地域や民族の文化的教育が重視されるべきなら、国家の教育が地方自治体の教育に勝る理由はどこにもない。
  国家を構成する要素のうち、市民の多くは国家の全体や国家権力やそれらの保持者を愛していない。それに対して、身近な自然や文化や人々のいくつかを愛している。例えば、生まれ育った土地の食べ物や衣装や芸術に対する愛着はいつまでも色褪せない。そのように多くの市民が愛着を抱いているのは国家の全体ではなく部分にである。そのような愛着は「郷土愛」などの言葉で呼んで、国家主義・愛国心と混同しないほうがよい。
  過去に国家主義・愛国心が反帝国主義、反植民地主義、自由主義、民主主義…などを助長することはあった。歴史の中で国家主義・愛国心の有用さはそれだけである。それ以外では不要または弊害である。例えば、国家主義・愛国心が専制、独裁制、全体主義、共産主義…などを助長することはあった。
  ほとんどの市民について、極端な国家主義・愛国心を抱いているように見えても、強く威嚇されたために抱いている振りをしているだけである。威嚇する者がいなくなれば、その振りさえもなくなる。そのことは第二次世界大戦中または後のドイツとイタリアと日本で多くの市民が証明している。
  国家主義・愛国心は国内の問題を解決することができるかもしれないが、国際的な問題を解決することができない。それどころか、国家間の争い、つまり、国際紛争、戦争を煽る。近代国家の形成以来、それらの多くが国家主義・愛国心によって煽られていた。
  以上のことが把握されると、以下のことが可能になるほどに国家主義・愛国心は減退するだろう。

世界の権力者と世界の市民という横割りの構造・動態、選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露

  二十世紀の「冷戦」なるものの歴史的重要性は、今日では、資本主義と共産主義の対立よりも、核兵器という全体破壊手段の開発、製造、軍官学産複合体の拡大、と以下のMADという観念の普及にある。その冷戦のときに「相互確証破壊(Mutual Assured Destruction(MAD))」「抑止論」…などの言葉が流行った。それらの要点は、複数の超大国が当時は唯一の全体破壊手段だった核兵器をもって他を確実に破壊できれば、超大国は相互に攻撃することがなく、世界大戦は避けられるというものである。そのような観念を「相互確証抑止(Mutual Assured Deterrence (MAD))」という言葉で一括することにする。MADによって冷戦が熱戦や世界大戦にならなかったということは部分的に事実である。
  冷戦とそれ以降の軍事的戦略の核心は、相手の攻撃力と防衛力を完全に破壊することではない。それらを完全に破壊すれば、攻撃に対する相手の報復の可能性を絶てるが、それは不可能なことである。どんなに相手を破壊しようとしてもなんらかの破壊的手段が海底または地底または、何より宇宙に残りうるからである。また、相手の攻撃力を完全にブロックするような防衛システムを構築することも不可能なことである。冷戦以降の軍事的戦略の核心はすべて、相手を「抑止」する、簡単に言って脅かすことでしかない。問題は何を抑止する必要があるかである。
  冷戦の頃のものをはるかに超えて、科学技術、特に情報科学技術は進歩しており、兵器は相手の政府と軍の中枢だけを正確かつ選択的に破壊できるようになっている。全体破壊手段、大量破壊手段…などの無差別的破壊手段に対して、相手の政府と軍の中枢だけを正確かつ選択的に破壊できる手段を「選択的破壊手段」と呼べる。選択的破壊手段は、古い爆弾を搭載する新しいミサイルや宇宙の人工衛星や宇宙船や地上の微小な無人機を含む。それらは偵察手段にも攻撃手段にも防衛手段にもなる。選択的破壊手段でそれぞれの国家の政府と軍は相手の政府と軍の中枢だけをますます正確かつ選択的に破壊できるようになっている。
  軍の指揮権をもつ者を含む国家権力の保持者が最も大切にし必死になって守ろうとするのは当然、自身の命である。次に彼らが大切にし守ろうとするのは自身が獲得した権力であり、それらは兵器や実質的な軍事施設だけでなく行政権、立法権、軍、警察の主要な建物…など権力の象徴を含む。彼らにとっては市民の命よりそれらのほうが大切である。だからこそ、軍の指揮権をもつ者を含む政府と軍の中枢を抑止する効果は絶大である。それに対して、軍の指揮権をもたない一般市民を抑止しても何の効果もない。侵略、先制攻撃、戦争…などを抑止するために抑止する必要があるのは、一般市民ではなく軍の指揮権をもつ者を含む相手の政府と軍の中枢である。選択的破壊手段だけを用いて市民を巻き込むことなく、いくつかの国家の政府と軍が互いを抑止することを、「選択的相互確証抑止(Selective Mutual Assured Deterrence (SMAD))」と呼べ、抑止段階を過ぎると選択的相互確証「破壊」(Selective Mutual Assured Destruction (SMAD))と呼べる。後者になっても権力の保持者が犠牲になるだけである。侵略、先制攻撃、戦争…などを抑止するためにはSMADだけで十分である。選択的破壊手段で、小国さえも超大国を抑止できる。もちろん、超大国は他の超大国を抑止できる。国家は同盟さえも抑止できる。もちろん、同盟は他の同盟を抑止できる。世界の市民だけでなく政府も軍もSMADは効率的な戦略と認めざるをえないだろう。今後は世界の政府と軍の幹部は無差別的手段ではなく選択的破壊手段の開発と製造に集中する必要がある。また、政府と軍の政策と戦略に影響を及ぼす立場にある人々は、例えば「全体破壊手段を開発・使用しなくても選択的破壊手段で敵対国の軍と政府の幹部と主要施設を破壊して目的は達成できる。全体破壊手段を使用すると欲しがっている資源が汚染されてしまう」と政策と戦略を誘導する必要がある。
  そもそも、国際法と諸国家の憲法と法律が、世界の公私権力の内外の人間による全体破壊手段を含む無差別的破壊手段の研究・開発・製造・保持・使用を禁止する必要がある。だが、そうはいかなかった。それは過去には選択的破壊手段を開発し製造する科学技術がなかったからである。そのような科学技術のある現代と今後は無差別的破壊手段は禁止されるだろう。無差別的破壊手段はそのような科学技術のなかった過去の遺物に過ぎない。
  さらに、選択的破壊手段とSMADの選択性を高め、大戦を予防しつつ全体破壊手段を全廃し予防するためには、世界の市民が以下のように振る舞う必要がある。
  国際社会における国家の間の縦割りの構造・動態に対して、「(世界の市民と世界の権力者の間の)横割りの構造(・動態)」も存在し機能しうる。歴史上、専制を倒し革命を起こしたり、宗主国から独立するために、いくつかの国家の反政府勢力が連携することがあった。それらも横割りの構造・動態の例である。今後は全体破壊手段の全廃と予防と世界大戦の予防のために横割りの構造・動態が必要となってくる。以下はその構造の例である。
  まず、世界の政府と軍の主要施設近隣に一般市民が居住しない運動を展開する必要がある。これを「権力疎外」と呼べる。地球規模の権力疎外があれば、前述の選択的破壊手段-SMADの選択性がさらに高まり、一般の戦争において、権力者は互いを破壊し合あい、一般市民を犠牲にせず戦争が終わる可能性が大きくなる。全体破壊手段や大量破壊手段を使用する必要性と可能性が小さくなる。権力疎外は、全体破壊手段が使用された場合に備えるのではない。全体破壊手段が使用されれば、一般市民は地球上のどこにいても無駄である。権力疎外は、選択的破壊手段とSMADの選択性を高め、全体破壊手段と大量破壊手段の開発、保持と一般の戦争の必要性と可能性を減じる手段である。仮に全体破壊手段が全廃された後も、また、予防されている状態でも、大量破壊手段の使用と一般の戦争を防ぐために権力疎外は維持される必要がある。
  また、横割りの構造の下層部が権力疎外を行うだけでなく、その横割りの境界を超えて以下が必要である。少なくとも軍を統括する文官と軍の幹部が職務を行う施設は国家の市民や公私権力だけでなく世界のそれらに公開される必要がある。また、彼らが視察や外交…などの職務のために国内および国外で移動する場合はそれらの職務がなされている現在の場所が公開される必要がある。彼らがそれらの施設または場所から退避したりそれらを外れたり、特にシェルターに退避したり市民の間に隠れた場合は、彼らはその地位を放棄したと見なされ、代替が選任される必要がある。それらが憲法などの基本的法と法律で規定され実施される必要がある。また、政府や軍の主要施設が移転する場合はその周辺住民が移転する費用は少なくとも一部補償される必要がある。
  また、選択破壊手段-SMADをより選択的にするためには、世界のそれぞれの国家の市民、反政府勢力、政権内隠密離反者は自国の政府と軍に係る情報を積極的に他国に互いに漏らす必要がある。それは「権力相互暴露」と呼べる。そうすればより正確かつ選択的に世界の政府と軍の主要施設だけが破壊される。これは世界の市民と世界の権力者の間の横割りの構造・動態の極致と言えるだろう。だが、それだけ一層、それらを暴露した権力内外の人々は「裏切り者」として厳しく非難され処罰される恐れがある。だが、以下のように国際法と諸国家の憲法と法律が改正されていればそのようなことはない。
  そもそも、繰り返すが、国際法と諸国家の憲法と法律が、世界の公私権力の内外の人間による全体破壊手段を含む無差別的破壊手段の研究・開発・製造・保持・使用を禁止する必要がある。また、それらを公私権力の内外の人間が暴露することは奨励される必要がある。それに対して、前述の選択的破壊手段についてはどうだろうか。選択的破壊手段に関する限りで、それらのいくつかの部分、例えば、それらの所在はいわゆる「国家機密」になるように見える。だが、機密なるものは有意義な部分が漏れて誰かの有利または不利になりえるから機密なのであり、そうでなければ機密にならない。選択的破壊手段は宇宙や海底などの探知困難な場所に存在し機能する必要があるだけでなく、その場所は常にランダムに変化する必要があり、誰もそのように整備する。その所在が漏れたとしてそれへの攻撃が行われるまでにはゼロコンマ数秒以上の時間がかかる。そのような時間のうちにはその所在は変化しており現在の所在は予測不能である。だから、選択的破壊手段の所在さえも国家機密にならない。そのように見て行くと、真の国家機密は存在しないことが分る。また、国家権力を含む公権力に係るすべてのものを公私権力の内外の人間が暴露することは、いかなるもののためにも制限されてはならず制限される必要のない自由権である。だから、兵器や戦術や戦略を含む公権力に係るすべてのものを公私権力の内外の人間が暴露することは、その無制限の自由権に基づいてそれぞれの国家の憲法と法律と国際法で擁護されることは必要であるだけでなく可能である。すると、そのような暴露を裏切りとして告訴したり罰することが、違憲違法であり裏切りと見なされる。
  さらに、横割りの構造と縦割りの構造の混合の中で以下のようなことが可能になる。独裁制によって苦しむ国家の市民は民主的分立的制度の確立した他の国家に自国の独裁政権を倒してもらおうとするだろう。だが、この場合に限って、それがSMADとなって後者の国家権力も破壊されたのでは前者の市民も後者の市民も困る。前者の市民と隠密離反者と後者の政府と軍が綿密に連携すれば、前者の政府と軍の中枢だけが破壊され、前者を民主化し分立することは可能だろう。
  権力疎外、権力相互暴露によって選択的破壊手段とSMADの選択性がさらに高まる。それらは重複する。重複するそれらを「選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露」と呼べる。それは世界の市民にとっては、自分たちを犠牲にせず、最悪でも権力者だけを犠牲にすることである。簡単に言ってそれは、世界市民が世界の権力者に「どうしても何かを破壊したいのなら、権力の中枢を破壊するだけで十分だよ」と言うことである。他方、権力者は選択的破壊手段とSMADは効率的な戦略だと認めざるをえない。彼ら彼女らもいっそう安全になる。国防費も削減できる。それは世界の権力者と世界市民の両方から世界大戦と全体破壊手段の必要性と可能性を減じる。
  近代国家の形成以来、独裁、全体主義、大量虐殺、戦争、全体破壊手段の使用と人間を含む生物の絶滅の危機…などの血なまぐさい出来事のほとんどは、国際社会を構成する国家という縦割りの構造・動態の中で生じてきた。それに対して、横割りの構造の中で生じえる血なまぐさい出来事としては権力者の犠牲と世界革命があるだけである。その世界革命を無血革命とするためには権力を有力な権力内隠密離反者で満たしていく必要がある。また、後述するようにして市民の間の争いを極小化する必要がある。

庶民の街

  当初は私たちは権力疎外で、以上のような政治的または戦略的効果を狙っていた。だが、以下のような経済的効果または副作用が現れていた。政府と軍のエリートは主要施設から離れた郊外に住み、郊外から通勤するようになった。一部の大企業も郊外に移転し、従業員も郊外に移住した。少しして中級下級公務員を含む中間層も郊外に住むようになった。そこで、政府と軍の主要施設近隣の地価は低下し、五分の一以下になった。かつて高所得者が住んでいた高層マンションは高層アパートに変り、家賃も五分の一以下になった。そこで、低所得者が政府と軍の主要施設近隣に住むようになった。そのようにしてそこに「庶民の街」が形成されていた。だが、住民は反政府グループが誘導するまでもなく、いざというときは庶民の街のより周辺に移動するつもりでいた。既に大都市は地下、地表だけでなく、地上の高所も、高層ビル、高層道路、高層鉄道…などで過密化していた。庶民の街も同様で、それは高層ビル街でもあった。高層道路や高層鉄道によって郊外に移住した高所得層、中間層は、政府と軍の主要施設と移転しなかった企業に容易に通勤できた。政府は、庶民の街にあった駅やインターチェンジの多くを閉鎖した。だから、庶民の街の人々の主要な交通手段は、徒歩、自転車、バイクであり、交通渋滞はなかった。A1大学と私とX、Zたちのアパートも庶民の街にあり、私たちの交通手段は徒歩だった。また、政府が庶民の街の駅やインターチェンジを閉鎖したことによって、政府や軍は庶民の街に効果的に介入できなくなった。だから、庶民の街は想像もできないほど開放的で平和な街になっていた。いざ「革命でござる」というときは庶民の街の人々がすぐに政府と軍の主要施設になだれこむようになっていた。それらは、A国に限らず、世界的現象である。例えば、A国の首都にはAT街が、B国の首都にはBT街が形成されていた。
  AT街の片隅にこの店AQがある。三人のいきつけで、店主が奥まったテーブル席に座らせてくれた。三人は以上のようなことを飲みながらも確認したが、他の客も店主も誰も聞いていない誰にも聞こえていない。盗聴器も盗撮器もない。三人の話が些末なものになり他に聞こえてもよいほどになり始めた頃、あのUからメールがあった。Uも今夜は眠れないと言う。Uもこの店に来ることになった。
  Uが到着した頃には話題はたわごとになっていた。Uもすぐにそんな話題に溶け込んで、話題は誰も思い出せないほどのものになった。

軍内部の隠密離反者

  あくる朝、私が目を醒ますと、そこはUのアパートだった。Uと私はいい仲になったようだ。Uが朝食を作ってくれていた。二人で差し向かいで食べた。うまかった。そこには普通の女と男しかいなかった。医学界のヒロインにしてエリート官僚にして有力な隠密離反者であることや、A1大学の教授にして反政府グループのリーダーであることは、何の意味ももたない。私はそのUのアパートからA1大学の自分の研究室に出勤した。Uはいつものように自分の研究室に出勤した。Uの研究室は政府と軍の主要施設のすぐ近くの研究所の中にあった。Uのアパートは庶民の街ATにあった。UはAT街が好きだと言う。私も同感だ。A1大学はAT街が形成される以前から政府と軍の主要施設の周辺にあり今はAT街にあった。私のアパートもそうだった。結局、私のアパート、Uのアパート、A1大学、Uの研究室はAT街にある。それとあの国際会議場と公園もAT街にある。だから昨日、あの公園に集結したのはほとんどAT街の庶民だった。
  私が研究室に着くと、Xが既に出勤していた。Xは私の助手を装って私の研究室の一部を活動の場にしている。結局、私の研究室にあるコンピューターの一つと潜伏所にあるZが管理するコンピューターのいくつかが世界の反政府グループと市民のネットワークの拠点になっている。ここのコンピューターについて、X、Z、私以外の者は決して操作できないようになっている。
  Xは複雑な表情をしていた。もしかして…Uへの嫉妬か…それは私の邪推だった。軍のN大佐が私に面会を求めて待っていると言う。私もXも本当にどぎまぎした。ここまで政府か軍の監視または弾圧の手が伸びたか…最悪の事態も想定して対策は練っていたが…Xと私も潜伏しなければならないのか…それはグループの活動性への打撃だ…それらの危惧は不要だった。私はN大佐と別室で話し合った。
  N大佐は私の父より十歳ほど年下の五十代の男性。まず、「これから言うことは内密にして欲しい」と言う。来た!  Uと同様の離反者か…その候補か…  N大佐は続ける。「私が少佐だった頃、あなたの父上は大佐で、私は父上の直属の部下でした。私たちはクーデターを画策していました。当時の独裁政権を倒して民主化することだから、クーデターではなく革命だったのかもしれないが…それを当時は大佐だったM将軍に暴かれて、あなたの父上と母上は無人飛行機の墜落事故を装って暗殺され…」
  私は既に涙をこらえていた。私がA1大学の学生でそのすぐ近くの小さなアパートに住んでいたある日、実家の両親宅に民間の無人飛行機が墜落し、両親が救急病院に搬送された、との知らせがあった。私が救急病院に到着したときには両親は既に死亡していた。妹も来ていた。無人飛行機の管理会社の職員も来ていて私たちに謝罪し、賠償はさせていただくと言う。結局、数千万円の賠償金が支払われた。また、実家の土地を売却した。私と妹はそれらを等分した。妹はその取り分でパン屋を開いた。私は私の取り分で、A1大学の大学院まで進んだ。また、超大国BのB1大学に留学もした。私の進路はさておき、無人飛行機の墜落もその跡の損害賠償も軍か政府による両親の暗殺の偽装だった。父は軍か政府に暗殺された。母はその巻き添えになった。それらが今になってN大佐の告白によって分かった。
  N大佐は続ける。「私の動きは暴かれなかった。私は生き延びた。独裁政権の最大の黒幕はM将軍だ。あなたの父上の暗殺を主導するだけでなく、P教授の暗殺を命令したのもM将軍だ。他にも幾多の人々がM将軍の直接的または間接的な命令で虐殺または暗殺または拉致または拷問死させられた。また、幾多の人々が政治犯として拘束されている。それらはすべて司法過程を経ていない。私はM将軍に疎んじられた。遠い小国の内戦に介入させられた。文字通りの泥沼の戦いで、多くの部下が撃たれて泥沼に沈んだ。何人かは生きたまま泥沼に引きずり込まれた。A国に帰って来ると、反政府グループの殲滅をやらされた。反政府主義者らしき人間を拉致拷問することさえやらされた」
  実際、数年前まではA国にもグループG以外の反政府グループがいくつかあった。だが、殲滅された。隠密行動と潜伏を重視しなかったからだろう。それらの活動家の一部は「政治犯」として司法過程を経ずに拘束されている。私たち、グループGについては、政府に顔が割れたメンバーは私さえ知らない潜伏所に潜伏している。
  N大佐は続ける。「私は耐えてきた。いつの日かM将軍ら独裁政権を倒して民主的な政権を樹立するという願望があったから耐えられた。私は期が熟するのを待っています。あなたは大佐のご子息として…」と私を見つめる。
  私はN大佐を信用していいと思った。端的に「私は反政府グループGのリーダーです」と言った。N大佐は最初は少し驚いていたが、すぐに理解した。私とN大佐はXが作ったネットワークを通じて安全確実に連絡を取り合うことになった。また、ネットワークを通じてZを紹介することにした。それらは強力な同盟になるだろう。そのように離反者のほとんどは、反政府グループと対等の立場にある盟友と言ってよい。さらに何人かは反政府グループのメンバーと言ってもよい。つまり、隠密離反者にして盟友にして反政府グループのメンバーであると言ってよい。N大佐が今日、そうなった。Uは昨日、そうなった。

悪循環に陥る傾向への直面

  M将軍のような政治的経済的権力者の中では後述する独裁者型陥る傾向が形成されていることが多い。それを説明する前に一般の陥る傾向を説明する。人間では一般に様々に大なり小なり、以下のような(悪循環に)陥る傾向が形成される。簡単に言って、誰もが陥る傾向をもっている。だが、強いもののほうが分かりやすいと思うので、ここでは基本的なものとやや強めのものを説明する。まず、基本的用語を説明する。

[母親]実母に限らず、最も頻繁に乳幼児を世話した人間を指す。実母、実父、義母、義父、兄姉、祖父母、近所の人、保育士…などが母親になりえる。また、複数の人間が母親になりえる。例えば、実母が仕事で忙しく、家に不在のときは祖母(実母の実母)が子供の面倒を見ている場合、実母と祖母が母親になりえる。また、実母が仕事で忙しく、幼児を保育所に預けていた場合、実母と保育士が母親になりえる。しかも、保育士は複数である。だが、多くの場合は実母が母親である。それは理想的な理由によるのではなく、現実的な理由による。
[母親の愛情]新生児に初めて対面して世話をするときまたは成長していく乳幼児と接して世話をするときに自然に生じる情動を「母親の愛情」と定義できる。そのような情動は上のような意味での母親になったことがある人間にしか分からない、母親の愛情とは何かと考えるような人間はそれをもっていない、と言うのも一概に極論ではないだろう。いずれにしても有り余る愛や犠牲を厭わない愛が必要というのではない。
[乳児期幼児期前半]自暴自棄、粘着、自己顕示…などの本能的機能を乳幼児なりの幼い自我が模倣しそれらに便乗することによって自我の傾向が形成される時期を「乳児期幼児期前半」と呼べる。人間において平均的に、0歳から3歳まで。
[乳幼児的陥る傾向]人間において平均的に乳児期幼児期前半において、本能的機能を乳幼児なりの幼い自我が模倣しそれらに便乗することによって形成される自我の傾向のうち、様々な悪循環に陥るものを「乳幼児的(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。自暴自棄的傾向、粘着的傾向、自己顕示的傾向、何でも支配する傾向、何でも破壊する傾向、ナルシシズム、孤立的傾向…などがある。
[幼児期後半前思春期]自己のイメージが生成し、自我が自己のイメージに対処することによって自我と情動とイメージの想起の傾向が形成される時期を「幼児期後半前思春期」と呼べる。人間において平均的に3歳から12歳まで。
[前思春期的陥る傾向]人間において平均的に幼児期後半前思春期において、自我が自己のイメージに対処することによって形成される自我と情動とイメージの想起の傾向のうち、様々な悪循環に陥るものを「前思春期的(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。自己のイメージと世界のイメージの間の間隙、自己がやがて死ぬことへの不安、自己永遠化欲求、自己肥大化、自己美化、…などがある。
[思春期]自我が自己の自我の傾向と意識的機能の能力に対処することによって自我の傾向が形成される時期を「思春期」と呼べる。人間において平均的に12歳から17歳まで。
[思春期的陥る傾向]人間において平均的に思春期に、自我が自己の自我の陥る傾向と意識的機能の能力に対処することによって形成される自我の傾向を「思春期的(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。陥る傾向を回避し取り繕う傾向を含む。
[イメージを回避すること]不安、自己嫌悪、恥辱…などの精神的苦痛を生じるイメージを苦痛を生じない他のイメージに切り替えること
[イメージを取り繕うこと]精神的苦痛を生じるイメージを苦痛を生じないイメージで覆うこと
[(イメージへ)直面すること]精神的苦痛を生じるイメージを切り替えたり覆ったりせずに何らの形で操作すること

  乳児期幼児期前半の乳幼児は母親の愛情と世話を求めて、短絡し、自暴自棄的、粘着的になり、自己顕示し何でも支配し何でも破壊する。それらは乳幼児的陥る傾向に含まれる。母親が愛情をもって乳幼児の世話をすれば、乳幼児は乳児期幼児期前半の終わりまたは幼児期後半前思春期の初めに、愛情と世話に満足し、それら以外のものを求め、乳幼児的陥る傾向が減退する。それに対して、母親の愛情と世話が希薄であると、幼児は愛情と世話を求め続けて、乳幼児的陥る傾向が減退せず、生涯に渡っ強いまま残りえる。また、どんな母親も乳幼児と常に一緒に居ることができず、乳幼児は大なり小なり孤立せざるをえず、孤立に対処しようとし、孤立的傾向が形成される。それも乳幼児的陥る傾向に含まれる。母親の愛情と世話の希薄によっては強い孤立的傾向が形成される。
  幼児期後半前思春期の初め頃にはほとんどの人間において。自己のイメージが生成し始める。自己のイメージは複雑である。だから、自己のイメージと世界のイメージの間には間隙がある。自己のイメージが生成し始めてからしばらくして、「自己がやがて死ぬことへの不安」の傾向と「自己を永遠の存在としようとする欲求」の傾向が形成され始める。自己を永遠の存在としようとする欲求を「自己永遠化欲求」「永遠を求める欲求」「永遠を求めること」…などとも呼べる。その間隙、その不安、その欲求の傾向は前思春期的陥る傾向に含まれる。乳児期幼児期前半に強い孤立的傾向が形成されたとき、自己のイメージと世界のイメージの間の間隙が拡大し、その不安とその欲求が強烈になる。また、その間隙の拡大は自己肥大化、自己美化を生じる。それらの傾向も前思春期的陥る傾向に含まれる。
  自己永遠化欲求はその後もほとんど減退せず残る。どうやって自己を永遠化するか。そんなに遠くない昔、多くの人間は宗教の中で現実の世界を超える永遠と見えるものに自己を超越させるまたは一体化することによって自己を永遠の存在としようとしてきた。だが、そのような現実の世界を超えるものを信じることには無理があった。現代では多くの人間は人間を含む自然、一般の人間、「大衆」、身近な家族や友人…などと一体化することによって自己を永遠の存在としようとする。また、愛は個人を超え永遠であると感じ、誰かまたは何かを過剰に愛する人がいる。子供に何かを託せると思い、子供に何かを残そうとする人がいる。美を永遠だと思い、作品に刻もうとする人がいる。歴史に栄誉、業績…などを残そうとする人がいる。この最後の傾向の結末については後に説明する。
  自己のイメージと世界のイメージの間の間隙、自己がやがて死ぬことへの不安、自己永遠化欲求、自己肥大化、自己美化…などの前思春期的陥る傾向のほとんどは粘着、自己顕示、なんでも支配すること、ナルシシズム…などの乳幼児的陥る傾向のほとんどを補強し、その逆もある。
  望む望まないに係らす、子供は大なり小なり母親や父親を含む年長者の自我、情動、意識的機能を模倣する。それらの陥る傾向も模倣する。思春期にはその模倣の対象が思春期以降の生き方を含むようになる。家庭や仕事を大切にする母親や父親の生き方を模倣し、家事や特定の職業に必要な技術を模倣することがある。強い支配性、破壊性、自己顕示性、強い権力欲求、高い権力獲得能力をもつ人間たちと関係し、それらの支配、破壊、自己顕示、権力獲得の方法を模倣し、自身のそれら傾向と能力が増強されることがある。それについては後述する。親たちに反抗して、それらの逆の生き方を模倣することがある。それについては次に述べる。
  どの時期も子供は親たちの干渉に対して反抗するが、思春期には反抗が意図的で力強いものになる。反抗は独立のための原動力になりえるが、強く常に反抗するのでは以下のようになる。反抗という対人機能の能力だけが発達し、それ以外の対人機能の能力が未熟にとどまる。また、反抗の対象の生き方と逆の生き方が偏って形成される。
  思春期的陥る傾向は以上の模倣と反抗から形成される傾向のいくつかと次に述べる陥る傾向を回避し取り繕う傾向を含む。
  自己の乳幼児的、前思春期的陥る傾向がイメージとして現れる(思い浮かぶ)と、不安、自己嫌悪、恥辱…などの強い苦痛が生じる。例えば、粘着性と自己顕示性は、他人から疎んじられるだけでなく、自己嫌悪と恥辱という強い苦痛を生じる。何より、母親に愛されなかったために愛を求め続けて他人に粘着し自己顕示しているなどということは考えたくもないし他人に知られたくもない。また、自己がやがて死ぬことへの不安におののいて名誉を求めているなどということも考えたくもないし他人に知られたくもない。そこで、思春期以降、特に思春期の自我は、そのような苦痛を減退させるために、自己の乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向がイメージとして現れ(思い浮かび)、強い苦痛を生じると、その苦痛に満ちたイメージをあまり苦痛を生じないイメージ、特に自己の美点と思われるもののイメージに切り替える、または、あまり苦痛を生じないイメージで覆い尽くす。それを「(悪循環に)陥る傾向の(イメージを)回避し取り繕うこと」と呼べる。例えば、思春期には誰もそれなりのルックスとスタイルをもっており、それらのイメージで自己の陥る傾向のイメージを覆って取り繕おうとする。また、後に権力を獲得する人間のほとんどは既に思春期にある程度の権力獲得のための能力をもっており、自己の陥る傾向のイメージをその能力のイメージに切り替える。誰もが大なり小なり陥る傾向を回避し取り繕い、誰もにおいて大なり小なり陥る傾向を回避し取り繕う傾向が形成される。乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向が強い人間おいては、強い陥る傾向を回避し取り繕う傾向が形成される。陥る傾向を回避し取り繕う傾向が強く形成されるほど、自我がなかなか陥る傾向に直面できず、陥る傾向は減退しない。それが最大の悪循環である。
  以上の乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向と陥る傾向を回避し取り繕う傾向を含む思春期的陥る傾向を「(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。
  以上は人間の誰にでもある基本的な陥る傾向とやや強めの陥る傾向である。わたしたちのそれぞれがそれなりの陥る傾向をもつ。わたしたちのそれぞれが自己の陥る傾向に直面する必要がある。
  陥る傾向の最大の原因は乳児期幼児期前半の母親の愛情と世話の希薄や思春期の過度の干渉と反抗や模倣にあるのではなく、思春期以降、特に思春期に形成される陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。わたしたちは何より自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。陥る傾向を回避し取り繕ったのは思春期の自我であり、まるで昨日のことのように思い出され、直面できるだろう。社会において権力や権力者から自由になったとしても、個人は個人の悪循環に陥る傾向に陥っている。それから自由になるためにはわたしたちのそれぞれは陥る傾向に直面する必要があり、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。

独裁型陥る傾向

  すべての権力者が強烈な陥る傾向をもつわけではない。だが、ほとんどの強烈な権力者や独裁者や専制者は以下のような陥る傾向をもつ。以下のような陥る傾向を「独裁型(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。
  乳幼児的陥る傾向の中で支配性、破壊性、自己顕示性、ナルシシズム、孤立性が優位になる。その原因としては、愛情と世話が希薄な中で、支配、破壊が疎んじられなかったこととあまり賞賛されなかったことがあると考えられる。それらは権力者の家庭によくあるだろう。
  前思春期的陥る傾向の中では以下のとおり。乳児期幼児期前半に孤立的傾向が強く形成されたことによって、自己のイメージと世界のイメージの間の間隙が拡大している。だから、自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求が強くなる。
  幼児期後半前思春期と思春期には以下のようなものが模倣される。例えば、家族の中にある程度の栄誉を得たり業績を残している人間がいて、その人を模倣するかもしれない。また、実在のまたは架空の英雄や偉人の物語を読んで模倣することがあるかもしれない。すると、歴史に栄誉、業績…などを残し、それによって自己永遠化欲求を満たそうとするようになる。そのために社会の中で他人を支配して何か偉大なことをしようとする。そうしようとする人間のほとんどにおいて、そのためには権力とカネを獲得しなければならないという観念が強く形成される。すると、それらのための手段であったはずの権力やカネに対する欲求が強く形成される。社会の中で他人を支配するための手段を「(狭義の)権力」と呼び、それに対する欲求を「(狭義の)権力欲求」と呼べる。そのような狭義の権力、権力欲求は、ニーチェが言う広い意味をもつ権力、「権力への意志」とは少し重なるだけである。
  そこまできた人間はそれらの傾向と欲求をもちある程度の実績を上げた人間たちに憧れるまたはそれらの人間たちの中に入ることが多い。彼らはそれらの人間の自己顕示、支配、破壊、権力獲得…などの方法を模倣する。すると、彼らの自己顕示性、支配性、破壊性…などの乳幼児的陥る傾向と自己肥大化、自己美化…などの前思春期的陥る傾向と権力欲求がますます強くなる。それとともに、自己顕示する能力、支配する能力、破壊する能力、権力を獲得する能力…なども形成される。
  そこで、自己の陥る傾向がイメージとして現れる(思い浮かぶ)と、そのような能力をもつ自己のイメージでもって陥る傾向のイメージを回避し取り繕う。また、後に権力を握ると権力の取り巻きからはもてはやされる。そこで、自己のイメージがますます美化される。それらの自己のイメージでもって陥る傾向のイメージを回避し取り繕う。そこで、陥る傾向を回避し取り繕う傾向が強くなり、陥る傾向に直面することができず、陥る傾向は減退しない。
  そのようにして形成される強烈な支配性、破壊性、自己顕示性、ナルシシズムを含む陥る傾向と強烈な権力欲求を「独裁型陥る傾向」と呼べる。それをもつ人間が権力を握ると、権力を拡張し独裁や全体主義や独占・寡占へと走る傾向がある。そのような人間は自己の陥る傾向に直面する必要があり、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。
  以上のことがM将軍について言えるだろう。実際、数か月後にM将軍はそれを認めることになる。

自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求を減退させること

  独裁型陥る傾向を含む陥る傾向の第二の重点は強烈な自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求である。また、陥る傾向の外でその不安とその欲求が強く形成され、独裁者型陥る傾向と同様に模倣によって権力欲求と権力獲得能力が強く形成されることがある。強い自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求とをもつ人間が、強い権力欲求を形成し独裁や全体主義や独占・寡占へと走るのを防ぐためには、それらの人間を含む私たちのそれぞれが前述のその不安を減退させる決定的方法に至り、その不安を減退させる必要がある。宗教がその不安を減退させることはもはや不可能である。だから、前述の決定的方法に至りその不安を減退させる必要がある。その方法に至ると、自己は既に永遠の存在であって、わざわざ自己を永遠の存在にする必要も、わざわざ自己を永遠と思われるものに一体化させる必要も全くないことを私たちのそれぞれは知る。例えば、栄誉を得て残したり歴史に残るようなことをしたり、宗教や神を信じて善い行いをしたりする必要がないことを私たちのそれぞれは知る。すると、自己永遠化欲求は減退する。すると、その不安とその欲求が強い人間が強い権力欲求と権力獲得能力を形成し独裁や全体主義や独占・寡占に走ることはかなり防げる。
  だが、その不安とその欲求をあまりもたない人間が強い権力欲求と権力獲得能力をもつことはある。また、強い権力欲求がなくても個人や集団が権力を握り拡張し独裁、戦争、独占・寡占…などへ暴走することはある。だから、もちろん、私たちは、既に述べてきたようにして権力そのものを抑制する必要がある。
  自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる決定的方法に至ることによって、私たちは生と死の限りない繰り返しの中で人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛があることを知り、前述の世代を超えて実現可能な究極の欲求・目的に至る。そのような苦痛を直接的に生じるのは権力であり、権力がなければそのような苦痛は生じない。だが、だからといって権力をすべて破壊する必要があるというのでは全くない。苦痛を減退させるためには社会権を保障する人の支配系(S系)は必要である。苦痛に対して快楽は、私たちは自由に追求する必要がある。だが、自由権も権力によって侵害されうる。自由権を擁護するためには自由権を擁護する法の支配系(L系)は必要である。また、民主的分立的制度を擁護するためにもL系は必要である。また、S系が社会権を保障する、つまり、人間を含む生物の生存を保障するためにも言論の自由と公正な選挙が必要でありL系が必要である。生存と自由を両立させるためには、私たちは陥る傾向に直面しながら、L系とS系への分立を含む民主的分立的制度を確立し維持し、選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露と軍官学産複合体の解消による一方的廃止の積み重ねによって全体破壊手段を全廃・予防する必要がある。

私の陥る傾向

  私の陥る傾向は以下のようにして形成された。父は私にともかく力をもつことを求めた。母は私にともかく理性をもつことを求めた。結果として両親は愛情が希薄だった。乳幼児の私は愛と賞賛を求め続けたのだろう。そこで、私には乳幼児的陥る傾向としては特に粘着性と自己顕示性が形成された。粘着性は今になっても独りになることへの強烈な不安として残っている。P教授を失った夜も独りになりたくなかったが、そのような感情は主として最大の友を失ったことから来ているのであって、粘着性だけから生じたものではない。実際、あの夜はXやZも独りになりたくなかった。幼児期後半前思春期の自己のイメージが生成する頃には、乳児期幼児期前半からの孤立によって自己と世界の間の間隙が拡大していたと思う。そこでやはり自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求が強くなった。その不安は強烈で、四歳から六歳頃はよく泣いて親を困らせていた。
  ところが、私には父への反抗があった。私にとっては権力を獲得することではなく、権力に反抗し権力を永遠に破壊することが、自己顕示することであり、永遠を求めることであり、自己がやがて死ぬことへの不安を減退させることだった。思春期には父だけでなく、学校の教師や警察や当時はまだ残存していたヤクザに反抗した。あのTとは激しい議論をした。Tは「権力を改革するためには権力の中に入って中から改革する必要がある」というようなことを言っていた。私は「そんなことをすれば権力が破壊されるときに自分も破壊されてしまう」というようなことを言っていた。そして、権力に反抗する勇ましい(そう思っていた)自己のイメージによってそれらの陥る傾向を回避し取り繕っていた。だから、私は自己の陥る傾向に直面できなかった。だから、私の陥る傾向は減退しなかった。これが私の最大の悪循環である。だが、権力に反抗する勇ましい自己のイメージは揺らいでいた。やはりさほど勇ましくなかったからだろう。だから、思春期を過ぎてから私はそれらの乳幼児期からの陥る傾向の形成過程に直面できた。罪悪感や恥辱でもっては陥る傾向は減退しない。陥る傾向の形成過程に直面すると、陥る傾向への辟易、というか「うんざり」というか、そんな感情が生じてきて、陥る傾向は少しずつにでも減退していく。また、いくつかの権力は生存のためだけでなく自由のためにも必要であるこを理解した。また、P教授と出会い語り合うようになって、権力にやみくもに反抗するのではなく、国家権力を民主化し分立することの重要性を知った。さらに、思春期の私は本物の権力者ではない人々に対して反抗していた、つまり、相手を間違えて無意味な反抗をしていたことが分かってきた。いまでもそんな自分を思い出すとたまらない自己嫌悪というか恥辱というかそんな感情に苛まれて喚きそうになる。
  それらの私がかつて陥っていた傾向を指す専門用語はないが、「反抗型陥る傾向」と呼んでみる。独裁型と反抗型の違いは自己永遠化欲求から権力を求めるか、権力に反抗するかの違いがあるだけである。つまり、独裁者と革命家は紙一重である。だが、そのことを知ると、以下のようになることがある。権力を獲得して自己顕示して歴史に栄誉を残そうとする人間などどこにでもいる。自分はそんな者と同類になりたくない。自己を永遠の存在にするだけでなく唯一無二の存在にしたい。そのためには自己顕示せず栄誉を残さず人知れず匿名で二度と独裁に逆行しないような民主的分立的制度を確立したい。実際、人知れず世界や歴史を変えようとすることには言い知れない快感がある。しかも、生存と自由の両立などという困難なものに挑戦していると、胸がワクワクしてくる。しかも、困難であればあるほど、なかなか達成できず、それらの快感が長く続く。こんな都合のよいことはない。XやZやUやN大佐も同様のことを考えているかもしれない。
  そして、今、N大佐の告白から、私は父と同じ道を辿っていたことを知った。父や母が力や理性をもつことを私に求めたのは、権力を民主化し分立するためには力と理性が必要だとわきまえてのことだったのだろう。私がその力や理性を少しでももてたのは両親のおかげである。ところが、親孝行できないどころか、反抗するべきではない親に無意味な反抗をして苦しめただけだった。親にだけではない。思春期の私は広い範囲で反抗する相手を間違えて無意味な反抗をしていた。
  例えば、私は家出をしたことがある。両親らはもちろん私を探したが、学校の生徒会長も私を探していた。家出から戻って、学校に戻ったとき、その生徒会長に私は「余計なことしやがって」と言っていた。そのときのその生徒会長の悲しそうな顔が忘れられない。また、私は父が軍人として家で厳重に保管していた拳銃をこっそり持ち出して、当時は残存していたヤクザを脅したことがある。それもヤクザ壊滅のきっかけになったのかもしれない。だが、そのような私の行為は父にとっては失態である。それは父らがクーデターというか革命を遂行する上でわずかにでも支障になったかもしれない。こんなこともあった。私はアルバイトで貯めたカネで二、三人の友達とストリップを見に行くことがあった。そのストリップ劇場に五十代、独身のチビでハゲの同じ学校の教師が見に来ていた。鉢合わせになった。これから性的に発達していく少年と、既に成熟して衰えていく、しかも満たされていない中年男性とでは立場が全然違う。教師はそそくさと帰って行った。子供でもこれは言いふらしてはいけないことだと分かる。一緒に行った友達と言いふらさないようにしようと約束した。だが、私はついつい他の同級生にしゃべってしまった。その後、その教師のことは学校で伝説になってしまった。その教師は寂しげに私を見ていた。その顔も忘れられない。そのように、私は権力者に見えて実際にはそうではない、または、たいした権力者ではない人々を苦しめるようなことをしていた。それらを思い出すと、私は本当に馬鹿だったと思う。いや馬鹿では言い足りない、何と言ったらいいのだろう、喚きそうになる。N大佐が帰った後、私は最大の声で喚いてしまった。Xが心配してドアを開いて見ていた。私は「独裁政権の最大の黒幕はM将軍だ。N大佐は最強の離反者だ」と言っておいた。それは事実なのだが。そのときそう言ったのは喚いてしまったことの取り繕いだった。

適材適所

  N大佐が来た数日後にあのTが私の研究室にやってきた。あの国際会議で自然の保全、適正人口の維持、経済の安定化、市民の最低限度の生活の維持ためには総合的な政策の立案と推進が必要であること、そのためには科学者と人工知能の協調が必要であることを強調していたトップクラスの経済学者にしてエリート官僚のTである。私とは中学校と大学での同級生でもある。TもA1大学・大学院出身であり、校内の地理には慣れている。Tが私の研究室を訪れてくると互いに「ヨオー、久しぶりー」と、別室に入るとすぐにTが政権の暗部を暴露し始めた。
  「俺たちと人工知能が精巧な政策を立てても、政府と企業の幹部のヤツらがつるんでヤツらの利権を押し付けてきやがる。ただでさえ立案困難な政策が、ヤツらの利権が絡んで成り立つわけがねえんだよ。生存も社会権も自然の保全もあったもんじゃねえ。俺たちの苦労が水の泡だ。人工知能もヤツらの下手な操作でぶっ壊れちまうかもしんねえ。すると俺たちが蓄積したデータもプログラムも水の泡だ。何より人工知能の学習成果が消えちまう。人工知能でも学習には時間がかかるんだぜ。自然や社会の変化も学習しないといけないからだ。それらが全部消えちまう。バックアップも追いつかねえんだぜ。俺たちはヤツらが人工知能を不正に操作している決定的な証拠をつかんだ。暴露してやろうぜ」とTは一気に言う。分かりやすい。だが、Tにもそれなりの辛抱があったのだと思う。それを言うと、Tは今までの苦労を延々と語り始めた。幼児期後半前思春期からエリートとして生きて来た。勉強も遊びもスポーツも万能だった。だが、数学と経済学の研究においてはものすごい努力をしていた。一見したところの天才にも隠れた努力がある。20XX年以前の中世までは努力をしなくても才能と独創性だけでやっていけることがあった。だが、それ以降は歴史の中で積み上げられた人間の知識と技術を吸収してからでないと新しいものを生み出せない。Tは新しい経済学を構築していた。それには相当な努力が必要だった。その努力が政治的経済的権力者の私利私欲によって踏みにじられている。それは悔しいだろう。しかも、そんな中でもTは数年、辛抱してきた。だが、もう耐えられなくなったようだ。Tが信用できる人間であることは分かっている。私はTに私の裏の身分を明かし、Tは自然に隠密離反者にして盟友にしてGのメンバーになった。
  しばらくして二人は黙った。政府の人工知能の不正操作を暴露するとTが危ないのではないか。私はXを呼んだ。TもXに助言を求めた。XはTに「それを暴くと、あなたたちが暴いたことがどうしてもバレてしまう。あなたたちは政府による拉致、監禁、拷問または暗殺の危険に晒される。暴くなら、あなたたちは潜伏するしかない」と真摯に語る。Tはまた黙ってしまった。しばらくして「俺が潜伏する分にはまだいいんだけど…俺の両親や部下や部下の家族をどうすればいいんだ…」とTは苦悶する。これは難問だ。それらの人々も少なくとも拉致監禁されるだろう。今、潜伏所に潜伏しているスタッフは皆、二十代、三十代であり独身だ。家族や部下がいる人間はどうすればいいのか。長い協議の末、革命の直前に暴露するということになった。すると革命に勢いが付き一気に決着が付き、Tらに手が及ばないだろう。実際それらはうまくいくことになる。
  その後、TとXは私事を語り始めた。私はその部屋をこっそり出て行った。XはTに以前から憧れていたようだ。また、XもTも独身だ。社会権を保障する人の支配系(S系)における最強のカップルが誕生した。最高の経済学者と超一流の情報技術者である。
  S系の人材としてはT、Xのような有能で臨機応変な人が適する。それに対して、自由権を擁護する法の支配系(L系)の人材としてはP教授のような厳格で融通の利かない人が適する。それらの二系を分立することによって、それぞれに適した人格の選択が可能になり、適材適所が可能になる。P教授は亡くなったが、今の独裁的な政権においても、司法権や立法権に関する限りで、L系に適しそうな裁判官と議員がいる。ただ、それらの人たちはM将軍らの圧力の下、自己抑制せざるをえない。

自己破壊型悪循環に陥る傾向

  私とUの恋愛は続いた。Uと私は互いのアパートを行ったり来たりしてほとんど同棲状態になっていた。二人は結婚を考えるようになった。Uには結婚離婚歴なし。私には結婚離婚歴が一回ある。
  前妻Qは乳児期幼児期前半に両親から虐待・放置されていた。Qの左前腕には自傷の新しい傷跡があったが、背中には虐待による古い火傷の跡があった。私は愛情希薄を被ったが、Qは愛情の欠如と世話の希薄と虐待と放置を被った。一般に乳幼児期に愛情と世話の希薄があった乳幼児においては、短絡性、自棄性、粘着性、自己顕示性、破壊性、支配性、ナルシシズム、孤立性…などの乳幼児的陥る傾向が強く形成される。愛情欠如、世話希薄、虐待、放置を被った乳幼児ではそれらが強烈に形成されることが多い。それらのいくつかは20XX年以前に言われた「境界性人格障害」に相当するものに発展することがある。Qの陥る傾向はそのようなレベルに達し、私のものをはるかに超えていたと思う。
  幼児期後半前思春期のそのような子供では、自己のイメージが生成しても、想起されるのは愛されず虐待、放置される自己のイメージばかりで、子供はそのような自己のイメージを手当たり次第に破壊してしまう。だから、自己のイメージは確固としたものにならず、自己がやがて死ぬことへの不安は強くならず、自己を永遠の存在としようとする欲求も強く形成されない。そのことが破壊性が他人より自己に向かう一因である。また、そのような自己のイメージの破壊が20XX年以前に言われた「多重人格」を含む「解離性障害」に相当するものに発展することがある。Qはそのレベルには達していなかったと思う。
  Qについて乳児期後半前思春期には、虐待は治まったものの放置は続いた。そこで、乳幼児的陥る傾向は減退しないどころか強固になった。思春期には破壊性が自己に向かい自傷をするようになった。実際、彼女と付き合うようになって、Qの左前腕の皮膚には古い切り傷のようなものがあるを見つけた。恐らく思春期の切り傷のうち深いものが残ったのだろう。それと新しい浅い切り傷もあった。そのような自己に向かう破壊性は主として、乳児期幼児期前半に形成される破壊性と自棄性と幼児期後半前思春期に形成される自己が死ぬことへの不安の欠如または希薄によっていると考えられる。
  そして、自己の陥る傾向がイメージとして想起されると強烈な不安が生じ、それにさいなまれる思春期の人間は自傷して自己の身体を破壊することによってそれらの自己の悪循環に陥る傾向のイメージを破壊しようとする。それも陥る傾向を回避し取り繕う傾向に含まれる。そして、陥る傾向に直面することができず、陥る傾向は減退しない。
  以上の傾向を「自己破壊型陥る傾向」と呼べる。自己破壊型陥る傾向における自己に向かう破壊性に対して、他者に向かう破壊性は主として思春期とそれ以降に年長者または同僚の破壊性、支配性、自己顕示性を模倣することによって形成される。
  Qにとっては年長者を模倣する場は家庭でしかなく、Qは両親の陥る傾向を模倣せざるをえなかった。私と結婚した後は支配性が目立ってきた。Qは家庭において家族の構成員、つまり、私と二人の子供を支配しようとしてきた。だが、Qの家庭の支配はいわゆる「家ではライオン、外ではネズミ」、つまり、外の社会で何も支配できない人が家庭で家族を支配しようとすることとは異なる。何故なら、Qにとっては外の社会はなく家庭がすべてだからである。支配性と自己顕示性に関する限りで、自己破壊型陥る傾向と独裁型陥る傾向は紙一重であり、例えば、QとM将軍は紙一重である。だが、もう少し考えてみると犠牲者の数が違う。例えば、Qの被害者は私と子供の三人だけである。だが、その三人にとっては重大である。子供については後述する。
  Qは結婚前には粘着性を前面に出して来た。その粘着性は私のものとはレベルが違っていた。実際に私から二十四時間、離れなかった。出会った初日から私のアパートに住み着き、大学まで付きまとって来た。そんな若い女性の粘着性はそれなりにかわいかった。私はそれを愛と錯覚した。結婚後は支配性が前面に出てきた。家庭において二人の子供も私も支配しようとした。その支配は子供に対しては囲い込み・独占となった。そのため、子供二人はたまたま休日に私と三人で外出するといやにのびのびしていた。それがなんともかわいそうだった。子供がそうなった過程については後述する。私に対してはQは休日はともかく家庭に居て、家庭で研究をしないことを要求した。私は子供と遊びながらもときにポケットコンピューターで論文を書いていた。すると、Qは破壊性をむき出しにし、私に喚き散らしパソコンも取り上げて壊そうとしてきた。また、食事のときに私が何か気に障ることをいうと食器を投げる、刃物を出す…など暴力を振るうようになった。私の顔にはスープのカップを投げられた跡が数か月残っていた。A1大学ではよく笑われた。そのように破壊が他者に向かうことはあるが、基本的にはQの破壊性は自己に向かう。Qには一人で風呂に入る習慣があり、その間、私が子供の世話をしていた。実際はQは風呂で密かにやはり左前腕屈側を自傷していた。私が離婚を少しばかり考えていたある日、Qは離婚届を居間のテーブルの上において子供を連れて去って行った。郊外の実家に帰ったようだ。私は離婚届けを役所に提出し受理された。その後のQと子供については後述する。
  Qが去って行った後、私は彼女に係ることについて割り切ろうとしたが割り切れなかった。Qの言葉が響いた。Qは「I(私)は人を愛すことを知らない。愛とはいかなる犠牲もいとわないこと」とよく言っていた。そんなことはない。結果として犠牲になる愛は許容できる。それに対して犠牲を強いる愛は間違いまたは偽物だ。それは十分に分かっていたが、割り切れなかった。「権力の民主化や分立や革命だの言っているが、俺は何のために生きているのだろう」「本当に俺は愛に生きることとか、人間が生きることを知らないのではないだろうか」「権力の民主化や分立などをとやかく言う人間性をもっていないのではないだろうか」…などと思い悩んだ。また、私に乳幼児期から形成されている粘着性、つまり、独りになることへの不安、孤独…などが強烈に出てきた。独りのアパートに帰るのが恐かった。誰でも恋人や配偶者と別れた後はそんな気持ちがあるだろう。私の場合はもとからあった粘着性によってそういう気持ちが強烈になったのだと思う。
  私は思想史の研究に没頭した。既にある文献を漁るだけでなく、あの「放射能残留立ち入り禁止区域F」に入って放射能が残留していないことを確かめながら文献を発掘した。その区域に張ったテントが私の家になった。その辺りの自然にも溶け込んだ。想像上のあの少女とその父親が夢に出てくることもあった。少女は「何だこの変なおっさんは…」というように私を見ていた。父親とは真剣に議論していたが、いつも私が負けていた。ちなみに夢は他人を含む外的状況を直接反映せず、自己の情動を含む内的状況を直接反映する。夢に出てくる外的状況は自己のそれらについての認識や情動を直接的に反映する。夢に出てきたそれらは、当時の私の自己に対する嫌悪や不信を反映していたのだと思う。そうこうしているうちに時間が解決してくれた。「Qと結婚したのが間違いだった」「何故、あのとき結婚したのか」「結婚する前のしばらくは愛し合っていたのだから仕方がない」…などとほとんどの夫婦が言うようなことを思うようになった。
  その後も私はF区域に度々、入ってあの少女とその父親の手記、20XX年以前の図書館に残っていた文献…などの発掘と保存を続けた。それはもはや孤独を凌ぐためではなく、それらの発掘と保存が今後の私と世界に必要だと考えたからだった。実際、図書館から発掘した文献はあのP教授らが活かしていた。宗教、倫理、道徳…などの衰退した現代において、あの少女の手記は筆者を替えられたが、既に活きて宗教の代わりになっている。今後は伏せておかれたあの父親の手記も活きて従来の倫理、道徳…などの代わりになるだろう。
  そして今、Uと出会い結婚を考えている。これは新しい人間との出会いであって、将来何が起こるかは分からず、過去の経験は参考にならない。それは恋愛や結婚に関する限りで言える。簡単に言って、恋愛や結婚に過去はなく、現在と未来があるだけである。

世代を超える悪循環に陥る傾向

  そのようにUとのことを考えているある日、心理カウンセラーQCがA1大学の私の研究室を訪れてきた。A2大学発達科学部心理学科出身で、私は彼女と大学時代に心理学の歴史についてちょっとばかり議論をしたことがある。彼女は現在、児童福祉の公的機関で子供のカウンセリングをする。今、前妻Qとの間の二人の子供のカウンセリングを行っていると言う。私の話をカウンセリングの参考にしたいと言う。
  Qは子供と三人で郊外の実家の近くで暮らしていた。両親も歳をとって、Qや孫たちに寛大になり、Qは両親と和解したようだ。QCはQの子供への接し方はいわゆる「子供に対する過干渉」とはまた違うと言う。私は思った。Qは家庭において家族の構成員を支配しようとするが、今は子供しかいない。Qの子供に対する支配性の発現は相当なものだろう。だが、問題はQの現在の支配性だけではない。以下のようにして子供には既に(悪循環に)陥る傾向が形成されている。
  人間は大なり小なり様々な対人欲求をもつ。一般に陥る傾向が強い人間は疎外され孤立することが多く、対人欲求を含む欲求の不満に陥っていることが多い。そのような人間のうちの母親は、家庭で子供で不満に陥った欲求を満たそうとすることが多い。その傾向に母親の乳幼児期から形成されている支配性、粘着性…などが加わる。すると、それらは通常の「過干渉」とは異なる「独占」とか「囲い込み」と呼べるものになる。そのように母親に囲い込まれている子供は母親以外の人間に接するときはいやにのびのびしている。私が子供に感じたものはそれだったのである。過干渉ならまだしも、そのような独占や囲い込みでは母親の愛情は希薄になるまたは欠如する。何故なら、母親は愛情からほど遠い自分の欲求を満たすことしか考えていないからである。そもそも、囲い込みのあるなしに係らず陥る傾向の強い母親は愛情が希薄なのだが、囲い込みによってさらに愛情が希薄になる。さて、愛情の希薄によって、乳児期幼児期前半から子供には陥る傾向が形成される。また、乳幼児にとって母親の乳幼児的陥る傾向は模倣しやすく、実際に模倣される。さらにそのような囲い込みの中で、乳児期幼児期前半から子供は通常のものとは異なる反抗をし、破壊性、支配性…などの陥る傾向が強くなる。それらが「世代を超える(悪循環に)陥る傾向」である。
  それらのことは当然、心理カウンセラーは分かっている。QCは子供にカウンセリングをするだけでなく、Qにもカウンセリングを勧めていた。ところがQは応じない。もちろん、心理カウンセラーは私に介入を要求するようなことはしない。QCが所属する機関が母親から子供を引き離すような手段に出ることもできるが、それは身体的な虐待や放置がある場合に限られる。また、心理カウンセラーとしてもそのような手段に訴えるようなことはしたくない。どうするか。やはり、Qにカウンセリングを受けるよう説得を続けるしかない。QCもそのことは最初から分かっていた。QCはQについて私がもつ情報が欲しかったようだ。私は、Qが虐待放置を受けていたこと、自傷していたこと…などできる限りのことを伝えた。当然、心理カウンセラーはそれらが私の口から出たことを誰にも明かさない。かつての私ならそれらを語ることは強い苦痛を生じ多くを語れなかっただろう。今ならできた。また、それらを語ることによって苦痛がさらになくなったと思う。つまり、QCは短い時間だったが、意図せずに私のカウンセリングもしていたわけだ。しかも無料で。それにしても、QCはこれから大変だと思う。あのQと渡り合えるのか…
  20XX年以降、「精神障害」の定義は限定的となり、「人格障害」と「発達障害」の多くは、乳幼児期からの人格の形成過程における障害、特に(悪循環に)陥る傾向であることが分かってきた。だから、それらは一般市民にとって身近なものになるはずだった。だが、普通の市民はカウンセリング料や精神科医療費を簡単に支払えない。だから、普通の市民は心理師や精神科医の助けを借りずに陥る傾向への直面を自分でやっていた。そもそも、直接的に自己に直面することができるのは自我でしかない。だから、市民が自分で自分の陥る傾向に直面することはよいことだろう。
  ところが、この頃の独裁政権は世界的に、反政府主義者を、暗殺または拉致拷問するだけでなく、精神障害者として精神科病院に幽閉するようなこともしていた。20XX年以前にもあったことだが、それがまたここ数十年、復活してきた。だから、精神障害という概念はまた広がり始めていた。それらの趨勢に抗議する心理師や精神科医もはたまた同じ苦境に追い込まれる次第である。彼女ら彼らも現在の独裁政権の下では苦労している。
  早く独裁政権を倒して、市民もカウンセラーも精神科医も自由に陥る傾向に直面できるようにしたい。それはQや子供たちのためでもある。あの区域Fに事実上、住んで文献と遺跡を漁っていた頃、私にも前妻との間の子供と別れた、失った悲しみがときにあった。その度に権力を民主化し分立することによってしか子供に何かをすることはできないと思っていた。だが、そんな情動が混入すると、その民主化と分立に偏りができるかもしれない。今はそれらを別個に追求できるようになった。

人格はほとんど遺伝しない

  さて、あいかわらず、Uと私は互いのアパートを行ったり来たりしてほどんど同棲状態だった。Uのアパートに二人で居るときに、Uの実母がやって来ることが二、三回あった。なるほどUの実母だけあって、顔だちはよく、頭の切れも相当よさそうだ。Uにカネを借りてそそくさと帰って行った。その実母はUの実父との結婚後も男と遊び回り、実父はUの妊娠後、去って行った。Uが産まれた後も、実母は遊び回り、Uは生後すぐに親戚に当たる女性に引き取られた。Uはその女性を今でも「お母ちゃん」と慕っている。その女性を「養母」と呼ぶことにする。
  その養母はAT街の片隅で大衆食堂をやっている。Uと私は昼の忙しそうな時間帯をはずして午後2時半頃に行ってみた。予想通り他に客はいなかった。昼の定食の材料はまだ残っていたので、注文した。独創的な料理で旨かった。養母は遠い親戚だから、当然、Uとも実母とも似ていない。養母はカウンター越しに言う。「Uは子供の頃から勉強ができて、しかも誰にも優しい子だった。私が育てたも同然と人は言うかもしれないが、ほとんど手のかからない子で、私は何もしていない」とUについて語る。
  だが、Uよりその養母の人格の深みと優しさが滲み出ている語りだった。カウンターの中には養母の実子二人と子供の頃のUが兄弟姉妹のように写っている写真が飾られていた。それを見て思った。「醜いアヒルの子」とは違う。アヒルの中で育ち醜いと思われていた子が美しい白鳥になっただけでなく、アヒルの親子も美しかったのである。
  (悪循環に)陥る(自我の)傾向は前述のようにして後天的に形成される。悪循環に陥るにせよ陥らないにせよ、自我の枠組みは主として遺伝子よって先天的に形成される。それに対して、自我の傾向を含む内容は後天的に形成される。個人の人格は、知性、知識、情動の傾向、意識的機能の能力、自我の傾向…などから構成されるが、自我の傾向が人格の大部分を占める。だから、人格は主として後天的に形成される。人格はほとんど遺伝しない。Uとその実母と養母とその実子がそれを証明している。もう少し詳しく言うと、Uの知性と容貌とスタイルは実母から遺伝的に受け継ぎ、Uの知性を除く人格は養母に保護されつつ後天的にU自らが形成した。
  Uと私は店を出て散歩した。私がその養母の人格を讃えていると、Uは「お母ちゃん(養母)やお姉ちゃん(養母の実子)をいつか北の国に連れて行きたい」と言う。私は思わず「俺も一緒に連れて行ってくれ」と言っていた。二年後にそれらの願いはかなうことになる。北の国にウインタースポーツをしに行くことになる。今、A国は盛夏。暑い。Uが「雨でも降れば涼しくなるだろうな」…私が「夏はやっぱりアイスキャンディーだ」…などと言っていると、稲妻が走り雷が轟いて本当に夕立が注いで来た。Uも私も大喜びで駆け出し、本当にアイスキャンディーの専門店に駆け込んだ。

反政府主義者の暗殺者の独裁政権による暗殺とそれらの暗殺者の反政府グループによる保護

  Xは軍の諜報機関の内部ネットワークにも侵入し、驚愕する事実をつかんでいた。軍の中には反政府主義者を暗殺する暗殺者の集団がある。P教授を暗殺したあの若い男もその一人である。彼らはM将軍の命令によって暗殺を実行している。ところが、暗殺の事実とそれがM将軍の命令によるものであることを隠蔽するために、その暗殺者たちもいずれはM将軍の命令によって暗殺される。あの若い男もいずれは暗殺される。
  それらについて私、X、Zは以下のように議論した。

X:彼らもいずれは暗殺されることを暴き、彼らを離反させよう。
私:それでは彼らはすぐに暗殺されてしまう。
Z:彼らに隠密にそれらを暴き彼らを潜伏させよう。
私:そうすれば、反政府主義者の暗殺は激減するだろう。
Z:だが、彼らを信用するわけにはいかない。彼らが潜伏所に潜伏しても彼らを絶えず監視していなければならない。
X:だが、彼らの証言はとれる。特定の人々の死が事故ではなく暗殺によること、それがM将軍の命令によること…などの証言はとれる。それは必要だ。
私:そう思う。彼らは革命の裏方としては役には立たないが、証人として重要だ。
Z:そうだな。彼らの保護は困難なことだが、何とかやってみよう。

その後ただちにZらが彼らの保護を実行した。その結果、反政府主義者の暗殺は激減した。彼らは潜伏者になるだけでなく完全な離反者になり様々な情報を提供してくれた。あの若い男も含めて。数か月後に、M将軍は幾多の暗殺が自分の命令によることを否定するが、彼らがそれらがM将軍の命令によることを証言することになる。あの若い男も含めて。彼らは完全に離反し実行を認めM将軍の命令を証言したので、実行について追及されず、実名も公開されなかった。あの若い男も含めて。それらは他の離反者の他の種類の実行についても言える。

何故なんだろう

  私はA1大学で当然、教育の仕事もしなければならない。今まで例のF地区の発掘の仕事で忙しかったが、いくつかの講座はもち、レポートや論文の書き方の指導もしていた。十五年ほど前にA国は南方の小国に侵略した。密林での長期の局地戦争となり、A国の20歳から25歳の市民の約10パーセントが徴兵され、前線に送られたほとんどが戦死した。それらの「戦死」の中には密林での遭難や餓死や医療の不備による病死も含まれていた。そのときの戦死者の遺族の語りを集めてドキュメンタリーにして論文とした男子学生がいた。その中で以下のようなことを語る六十代の女性がいた。

  ある日、偉そうな軍人がやってきた。息子が戦死したと言う。軍人は「密林で襲撃され、遺体も遺品も回収できなかった。墓は政府が作る。息子さんの遺影となる写真を貸して頂きたい」というようなことを言っていたと思うが、私はまともに聞ける状態でなかった。手元にあった写真を渡した。しばらく外出することもできなかったが、政府が主催する葬儀と彼らがいう埋葬にはなんとか行った。葬儀の祭壇にも彼らがいう墓にも無数の顔写真の片隅に息子の写真と名前が小さく見えるだけだった。しばらくして、私は、息子は死んでいない、世界のどこかで生きている、という確信のようなものをもつようになった。そう思い込もうとしたわけではない。自分の頭がおかしくなったとも思わない。息子の遺体も遺品も残らなかったからかもしれない。息子の遺体が帰ってきたとしても、それは別人だと思ったかもしれない。何故か分からないが、そのような確信をもつようになった。何故なんだろう。

とその女性は語る。
  私はその息子の出征前の人柄についての母親のコメントも入れたほうがよいと思った。私はその学生とともにその母親に会いに行った。母親は以下のように語る。学生はカメラを回している。

息子は平和主義者で反戦論者だったと思う。いかなる戦争も許されないというようなことをよく言っていた。だから、徴兵されても拒否すると思い、息子だけでなく自分に降りかかる災難も覚悟していた。だが、息子はいつもの穏やかな口調で私といつものことを会話して、出征していった。

  私はその息子の名前を尋ねてメモしておいた。学生とはいつものように実名は伏せることを確認した。今の独裁政権の下ではそれは常識である。

脳の自然な老化

  私は科学技術史の実習の一つとして「脳の自然な老化」専門の病院と施設の複合体に学生を連れて行くことがある。
  この頃の世界の平均寿命は九十歳を超えていた。前述のとおりこの頃、ほとんどのガンと感染症は克服されていた。だが、遺伝子治療のような高度な医療は高額で庶民の手は届かない。だから、平均寿命を引き上げているのは、政治的経済的権力者と高額所得者とその家族である。それらの人々はガンと感染症と心疾患や脳血管障害…などを乗り越えてきたし、これからも乗り越えるであろう人々である。では、それらの人々の精神生活やいかに…
  20XX年以前には人間はそれらの病気だけでなく「老化」も克服でき、人間が死を乗り越えることは全く不可能ではないという期待が一部にあった。確かに、心臓、血管、肺、消化管…などの老化を抑えることはある程度できた。だが、神経系、特に中枢神経系、いわゆる脳の老化を抑えることはほとんどできなかった。それは認知症を克服することができなかったということではない。認知症はある程度克服できた。だが、認知症がなくても脳は自然に老化する。そのような脳の自然な老化を抑えることができなかった。
  歴史上、百五十歳を超えて子供や孫の名前を全部言えた女性が伝説になったことはあった。だが、それは一握りの人間に過ぎない。百歳を超えると脳の自然な老化によって、ほとんどの人間の記憶力と思考能力はかつての半分以下になる。一週間に一回は面会に来る家族の顔さえ認識できないことが多い。字は書けない。読書はできない。映画やドラマを見ても内容を理解できないが、なんとなく笑っている。食欲、飲水欲などは残るが、一対一に近い介護がないと食事摂取ができない。
  実習の学生はそれら人々の介護を実際にするわけではない。学生にはともかく高齢者と遊んでもらう。大抵の学生は音楽を奏で一緒に歌おうとする。一緒に歌えるのは高齢者が若い頃に流行った歌だけである。今の歌ばかりだと、高齢者は去って行く。だから、この実習のここまでは音楽史の研究のようになる。ここまでは学生も高齢者とけっこう楽しくやっている。
  ここまでの実習で学生の相手をするのは一階二階のせいぜい百歳までの高機能高齢者である。その後には上の階の本物の病院の見学が待っている。そこに居るのは、わけの分からないことを喚く人々、喧嘩をしてスタッフに止められる人々、一日中同じところに座っている人々…だが、それはまだいいほうで、寝たきりの人々はもちろん、骨と皮だけで頭蓋骨がいやに大きく見える人々、チューブだけでなく機械を装着された人々、目を合わせるとしても虚ろな目。ここまで見学した後、大学に帰って討論をやる。すると、

…平均寿命を延ばす必要はもうないのではないか…医療や福祉はもうこれ以上進歩しなくていいのではないか…一般市民もああいうのを目撃すれば、低所得者層や中間層に生まれてよかった、高所得者層に入りたくないと思うんじゃないか…低所得者向けの医療を充実させ低額化する必要はある…医療を充実させ低額化する必要があるが、それはあのような高齢者医療を除いてではないか…あのような高齢者医療を高額化して、その分を低所得者と中間層向けの医療の低額化のために回せばいいんじゃないか…

となる。ここで注意していただきたいのは高額化するのは「あのような」高齢者医療であって、一般の高齢者医療ではないということである。
  あのUにそれらの実習と討論のことをたまたま話してみた。すると、「医療費は全部、低額化すればいいじゃないの」とあっさり片付けられてしまった。討論の背景を理解してもらわなければならないと思ったが、今の二人にはもっと重大な問題がある。

偽の全体破壊手段

  さて、Uの今の仕事はUが開発した偽物の全体破壊手段を増産することと、それが偽物であることがバレないように監視し守ることだった。Uはほとんどの時間を研究所で過ごさないといけなくなった。私も夜はUの研究室で寝泊まりするようになった。軍事施設や諜報機関やガチガチの公的機関ではないからお咎めや怪しまれることはなかった。Uの研究室にはU専用の当直室があり、風呂トイレ付き、研究者の仮眠用とは思えない豪華なベット付き。豪勢な夜食と朝食も付いていて、Uの多めの一食分を二人で分けた。それで二人とも十分だった。私もUもそこでの夜と朝を満喫した。超高層ビルの最上階にあり、窓からは首都が見渡せる。朝には遠くの山の端から太陽が昇るのが見え、部屋の中にも朝日が差し込んで来る。手前にはあの夜、市民が集結した公園が見え、木々が青々と茂っている。その北では大河がビルの間を縫って流れている。20XX年以前には内陸部の農産物と近海の産物を運ぶ船が往来していたと言う。今も浚渫船が橋をくぐるのが見える。結局、首都の一部はその大河の河原に建設された。20XX年の第三次世界大戦で不変遺伝子手段を含む生物学的兵器によってこの街は無人となった。その後、地下のシェルターに逃げ込んで生き延びた者たちの子孫はほとんどの建造物を建て替えた。大河の流れさえ変えられた。堤防も過剰なほどに堅牢なものとなった。都市計画のうちそのような堤防を作ることだけは成功だった。20XX年以降、洪水の記録はない。といっても、堤防の高さはせいぜい三階建てのビル程度で、高層ビルと比較するとたいしたことはない。
  さて、Uは次のような全体破壊手段のうちの不変遺伝子手段の開発をM将軍らから強要されていた。

(1)遺伝子の塩基配列以外のものを変えて、変異を被らないようにし、永続的な感染力と毒性をもたせる。
(2)従来のウイルスより軽量で、咳やくしゃみがなくても日常会話だけで感染する感染力をもたせる。
(3)現在のどのような薬剤も消毒法も効果がない。
(4)肺胞細胞から血液中に出るが、終始、免疫によってブロックされない。
(5)変異を起こさないことによって、感染から数か月~数年後に造血幹細胞に感染し破壊し、赤血球とB細胞、T細胞を含む免疫細胞群を枯渇させ、貧血と免疫不全による地上の人間の死を確実にもたらす。
(6)人間を標的とするが、哺乳類等の高等動物に感染してもかまわない。

それに対してUは、遺伝子の塩基配列以外のものは変えず、(2)の感染性は軽度にあるが、(1)(3)(4)(5)(6)は一切ないものを開発し製造していた。すると、政治的経済的権力者は感染を防ぐためにシェルターに潜りながらしばらくはその感染性に満足するだろう。長い潜伏期の後に地上の人間は絶滅すると待つだろう。ところが、彼らが期待したことは何も起こらない。権力者が私たちのもくろみを知り憤慨するのは数年後だろう。それまでに私たちは決着をつけられるだろう。
  Uは当然、人工臓器や人工組織に対するテストはしていた。念のために実際の人間にもしておいたほうがいいだろう。Uは既にそれらのテストを自らに施していた。また、私、Z、X、T…などグループGのスタッフも引き受けた。U、X、Tの症状は軽い風邪程度、私とZにはなんの症状もなかった。Zはともかく、俺って馬鹿なのかと思った。20XX年以前にはいくつかの文化圏で「馬鹿は風邪を引かない」という諺があったからである。
  さらにUは種々の哺乳類でテストした。この点に注意していただきたい。私たちは人間にテストしてから他の動物でテストした。従来と逆である。それは、犠牲を自ら負うというような精神ではなく、Uは自分を信じ、私たちはUを信じていたことと、重要な手段は重要な対象からテストして、対象に何かあればすぐに手段の改善に取り掛かるというUのポリシーによっていた。おおかたの哺乳類でのテストも風邪以下で済んだ。Uは研究所でウサギRを飼っていた。UはRにもテストした。すると、Rにとってはきつい風邪だったようで目をやられて失明してしまった。かつてウサギの目は赤いと言われていたことがあるが、瞳孔が赤いのではなく白目に出血があった。UがRに近づき話し掛けると、RはUを臭いと声で識別したのか、よたよた歩いてUにすりよってきた。Uはそれを抱きしめて「ごめんね」と泣いていた。
  ところが、Rは失明していなかった。その目は回復し、視力も回復した。Uは泣いて笑って喜んだ。そして、Rの目が炎症を起こしたのは他の病原体によることが分かった。その病原体を運んだのは新参者の私のようだった。通常、実験動物は仮説に無関係のものの影響が及ばないように厳密に隔離される。だが、Rは実験動物というよりUのペットだった。UはRの目の炎症の原因をもっと早く追跡するべきだった。史上最高の医学研究者といえども、そういう盲点があるのだろう。だが、Uが開発し製造した偽物の全体破壊手段が完全な偽物として機能すること、さらに後にUがガンと感染症を完全に克服すること、医療を低額化すること…などについて間違いない、と私たちは確信していた。後にそれらの確信は正しかったことが分かることになる。
  Rの快復の数日後の夜にM将軍と軍の技術者がやって来て、Uが開発し増産した偽物を大事そうに巨大な保冷庫に詰めて持って行った。らしい。私はその夜だけはUの研究所にもその建物にもその周辺にも立ち入らないようにした。偽物であることがバレないか心配だった。だが、それ以上に一夜といえどもUと会えないのがつらかった。毎晩会っているとそういうものなんだと痛感した。M将軍はUをいやらしそうな目で見ていたと言う。それで偽物であることがバレないなら仕方がないと思った。実際、偽物であることはバレなかった。また、M将軍らが使用したのはUが開発製造した偽物だけだった。だが、後にM将軍によってU、私、X、Tに限って、普通の恋人や夫婦には考えられないことが降りかかることになる。

政治的権力と経済的権力の連携、癒着、汚職

  さて、私とZとXは相変わらず例のAT街の店AQに一週間に二、三回は飲みに行った。N大佐もたまには来てくれた。Tはよく来るようになった。Uは疑似の全体破壊手段を搬出した後も、軍の施設に赴いて公的にはそれらの管理、実際はそれらが偽物であることがバレることを防がなければならず、忙しく店にはあまり来れなかった。また、Uは軍の他の施設も視察し他の全体破壊手段の使用準備の兆候がないことを何度も確認した。また、Xも軍のコンピューターや人工知能に潜入してそれを確認している。この確認は非常に重要である。今後もUとXはその確認を続ける。だが、Uは夜は研究所に帰ってきたので、私は相変わらずUの研究所に寝泊まりしていた。
  店AQの常連客の中にAT街のY社のY社長がいた。Y社は中小企業で食品製造をやり、AT街の飲食店に製品の卸しをしていた。店AQにも卸し、Y社長はその客でもあった。私はカウンターでY社長とたまに話をするようになった。社長と言っても中小企業の社長だからフランクに話せる。あるときY社長が愚痴をこぼし始めた。「政府高官と大企業の幹部の癒着、汚職はすさまじい。昔、Y社はアルコール発酵によって食品を消毒するとともに長期保存ができ水溶性ビタミンを維持できる技術を開発した。俺は技術への特許と製造販売への認可を取ろうとした。だが、どちらも取れなかった。特許と認可が下りなかった理由はアルコール発酵は酒類製造業にしか許されないというものだった。それは名目に過ぎなかった。その技術を政府高官が食品製造の大企業に売って、大企業は使っている。それも高級食品にしか使っていない。俺なら庶民向けの食品に使用する」と悔しそうな表情と口調で語る。そりゃ悔しいだろう。自分が開発した技術を、自分は使えず、大企業は使っているのだから。また、庶民はその恩恵にあずかってないのだから。
  経済的権力の利潤追求そのものは大きな問題にならない。また、独占・寡占がなく自由競争が無傷なら、資本主義経済や市場経済は大きな問題にならない。大きな問題になるのは政治的権力と経済的権力の連携である。「癒着」「汚職」のレベルまでいかなくても問題になることがある。いずれにしても、連携という言葉は癒着、汚職を含むことにする。既に十九世紀頃からそのような連携によって、政治的権力の実質的な独裁は進み、経済的権力の独占・寡占は進む。「軍官学産複合体」が拡大し強化される。
  千年代末期と二千代初頭の超大国と大国のいくつかは民主的であり、いくつかは非民主的と見なされていた。だが、非民主的なものだけでなく民主的と見なされていたものも全体破壊手段の開発、製造、保持、使用、第三次世界大戦、地上の人類の絶滅へと突き進んでいった。それはそれらが、自由主義と民主主義の覆いの下で、政治的権力の独裁は目立たなくても、以下の(1)-(5)が進んだからである。

(1)政治的権力と経済的権力の癒着や汚職すれすれの連携
(2)または暴露困難な癒着や汚職
(3)経済的権力の独占・寡占
(4)軍官学産複合体の拡大
(5)軍官学産複合体による軍拡、特に全体破壊手段の開発、製造

この(1)-(5)は独裁的な国家においてだけでなく一見したところ民主的な国家においても暗部で進行し、軍官学産複合体はひとりでに拡大し、必要、不必要に係らず兵器、特に全体破壊手段を生産し続ける。だから(1)-(5)はやっかいなのである。20XX年以降は超大国を含む国家は、新たに形成されたが、そのような自由主義と民主主義の覆いさえ希薄であるか形骸化しており、国家権力はすべて独裁的である。結局、独裁制と従来の自由主義と民主主義を含めて従来の政治制度の下では、(1)-(5)はなくならない。
  後述するとおり、国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することによって、軍官学産複合体を解消し、政治的権力と経済的権力の癒着と汚職をかなり減退させることができる。
  Y社長が開発した技術の政治的経済的権力による乱用もそれらの乱用をもたらしたそれらの間の癒着と汚職も違法である。だが、政府がその技術による製造販売をY社に認可しなかった以上、Y社長がその技術を使って何かをすることが違法になってしまう。そこで、Y社長はこっそり製造しAT街の飲食店にこっそり卸していた。この店AQにも卸していた。私も米や麦のぬかを食べやすくしたという「革命でござる」なるものを食べてみたが、うまかった。ぬかがこんな風になるとは意外だった。Y社長の開発した技術を使えば、破棄されたり人間の食用以外に利用されていた生物資源が食べられるようになる。これは食糧難に対する決定的な技術になるかもしれない。それを現在の政府と大企業は高級食品の製造にしか使用していない。
  UとY社長の技術について議論してみた。以下の方向に議論は進んだ。

政府や大企業はすぐに原子核操作や遺伝子操作や小惑星操作に走ろうとする。そんなものに走らなくても素朴で自然な生物学的技術で食糧難を克服して社会権を保障することは可能である。いずれにしても、原子核操作、遺伝子操作、小惑星操作のうち、核兵器、不変遺伝子手段、小惑星の軌道を変えるような小惑星操作が全体破壊手段であり、それらの全廃と予防が最優先だ。

結局、いつもの結論に達した。

資本主義経済・市場経済の限界、試行錯誤の限界、繁栄と衰退のサイクルからの逸脱

  店AQでY社長の愚痴を聞く人の中に大企業の社員がいた。三十代の男性で「やっぱり市場経済が最高の経済体制だよ。政府は経済にいっさい干渉せず、完全な自由競争に委ねればいい」とエネルギッシュに語る。
  従来の資本主義経済・市場経済は限りない環境、資源、人口、市場、投資、技術革新、経済成長を前提としてきた。それはその理論の核心が環境の悪化、資源の消耗、世界人口が地球で維持できるものを超えつつあること、市場(当時はそれらの多くが植民地にあり、その植民地の限界さえあまり認識されていなかった)の限界、科学技術を制限しなければならない状況…などがまだ明らかになっていない時代に確立したからである。それらの限界が明らかになった現代においては、従来の資本主義経済・市場経済は完全には機能しない。
  また、従来のものだけでなく最新のものも含めて、資本主義経済・市場経済は試行錯誤を前提とする。例えば、自由競争、価格の自動調節機構…などの大部分は試行錯誤である。だが、現代においては錯誤の後の再試行がないことがある。極端な例を挙げるが、全体破壊手段が使用された場合は、錯誤があるのみで再試行はない。
    それらのことから、資本主義経済・市場経済は完全には機能しない。だから、現代の経済は厳密な意味での資本主義経済または市場経済、共産主義または社会主義…などのいずれかではなく、それらの混合であり、今後はますますそうなっていくだろう。その混合のあり方を巡る議論は、既に活発だし今後もますます活発になるだろう。だが、かつての資本主義か共産主義かを巡る論争ほど激しくならない。
    そもそも、経済に限らず、日常生活、科学技術を含めて人間が生きること自体が試行錯誤である。生物の進化も壮大な試行錯誤である。突然変異が試行であり、自然淘汰、つまり環境に適応できないものが死滅することが錯誤である。
  人間以外の生物の種は、繁栄し人口が増大すれば、自らの自然と他のいくつかの種とそれらの自然を破壊する。すると、自らの自然の破壊によってその種は衰退または絶滅する。一方でその衰退によって自らの自然は復活しその種も復活し、人口はゼロにならない。他方でその絶滅によって他の種は復活する。それを「繁栄と衰退のサイクル」と呼べる。このサイクルも壮大な試行錯誤でもある。このサイクルは同種または異種の一握りの生物の生き残りと復活を前提とする。この前提を忘れないで頂きたい。
  人間はそのサイクルを逸脱しているように見える。だが、人間の機能と手段のすべてがそのサイクルを逸脱しているわけではない。例えば、工業は環境を破壊し資源を消耗させてきた。人間がそのような工業を抑制または改善しなければ、環境の破壊と資源の消耗が過度に進み、人間自体が衰退せざるをえず、工業も衰退する。すると、環境と資源は復活する。すると、人間も工業も復活する。だから、工業は繁栄と衰退のサイクルを逸脱していない。工業は大量破壊手段ではあるが全体破壊手段ではない。
  それに対して、全体破壊手段は繁栄と衰退のサイクルと試行錯誤を逸脱している。それは全体破壊手段が前述のような生き残りと復活と再試行の余地を残さないからである。全体破壊手段に関する限りで、繁栄と衰退のサイクルを含む試行錯誤の決定的限界がある。全体破壊手段を繁栄と衰退のサイクルを逸脱した手段とも定義できる。

遺伝子と進化

  店AQの常連客の中にAT街で開業する四十代の男性医師がいた。私はその医師とカウンターでときに話すようになった。ある日、医師は次のように嘆く。

…遺伝子治療の研究をしていた数年前、政府の要人が、一般市民の支配性、破壊性と権力欲求を減退させるような遺伝子操作の研究をするよう所属する研究室の教授に迫ってきた。倫理的にだけでなく実際の可能性からもそんなことができるわけがない。支配性、破壊性…などの自我の傾向と権力欲求…などの精神的情動の傾向は遺伝子によって先天的に形成されるのではなく、遺伝しない。それらは悪循環に陥る傾向として主として乳児期から思春期に後天的に形成される。それらが遺伝子操作によって変えられるわけがない。教授はそのような研究をすることを断った。すると教授は軍か政府に拉致されたようだ。その後、教授がどうなったかは分からない。今の独裁政権下では本当に必要で可能な研究ができない。それと市民が受けられる医療福祉と富裕層が受けられるそれらとの間の格差には目に余るものがある。だから、研究をやめて、この庶民の街ATで開業した…

私とその医師は、遺伝し進化するものと遺伝せず進化しないものを区別することの重要性を確認した。さらに医師は以下のように語る。

…狭義の進化は種から別の種への進化である。そのような進化は数万年から数十万年の時間の中で生じる。人間もそんな意味での進化をし、数万年後には別の種へ進化するだろう。それに対して、種の中での亜種から別の亜種への進化も想定でき、それは「種内進化」と呼べる。そのような進化は何百年、何千年の時間の中で生じえる。そのような種内進化の一環として、医療福祉の発達によって、人間が医療福祉がなければ生存できないような脆弱な亜種に種内進化することは確実だ…

それについて私は次のように同意した。

…現状では、経済的格差によって一般市民は十分な医療を受けられない。数からいうと一般市民のほうがはるかに多いのだから、現状が続く限りそのような種内進化は顕著にならないだろう。だが、将来はそのような格差は縮小され、一般市民は十分な医療を受けられるようになるだろう。だから結局、そのような種内進化は避けられない…

私とその医師は「難しい…どうすればいいんだ…」とうなり声をあげた。医師は「だけど…一般市民への医療福祉を制限することはできない、医療福祉スタッフもできるだけのことをしないわけにはいかない」と言う。私は次のようなことを考えた。

…健康で長生きしたい。子供に先立たれたくない。家族や友人に健康で長生きして欲しい。そのような市民の願いは切実だから、医療福祉の発達にストップをかけることはできない。だから、人間が医療福祉がなければ生存できないような脆弱な人間に種内進化することは人間の宿命だ。それに対応するしかない。受けて立つしかない。国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立して、公的機関と、医療福祉の私的機関とそれらの圧力団体との間の癒着と汚職を断てば、高所得者向けの営利目的の過剰な医療福祉を抑制し、その抑制された部分を中間層と低所得者に再分配し、それに対応することは可能だろう。
  遺伝子と進化についてまとめる。生物の構造と機能はすべて遺伝子によって先天的に、かつ、状況や自己の機能によって後天的に形成される。だが、問題は先天的形成と後天的形成のどちらが優勢かである。だから、厳密には先天的に形成される、後天的に形成される、遺伝する、進化する…などの言葉に「ほとんど」「主とし」「稀に」…などの修飾語を付加する必要がある。だが、それらの修飾語を逐次、付加していると文章が煩雑になるので、省略されることがある。
  まず、感覚、快不快の感覚、欲動、自律機能、本能的機能は遺伝子によって先天的に形成され遺伝し進化する。では、人間の記憶、感情、欲求、自我、思考についてはどうだろうか。それらの枠組みは遺伝子によって先天的に形成され遺伝し進化する。例えば、それらを可能にする神経細胞そのものは先天的に形成される。それに対して、それらの能力と傾向を含む内容は後天的に形成され遺伝せず進化しない。権力闘争、独裁、全体主義…などにおいて問題となるのは支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向と権力欲求と権力獲得能力であり、それらは主として悪循環に陥る傾向の中で後天的に形成され、遺伝せず進化しない。
    突然変異について。突然変異と言うと、進化に繋がるとして、肯定的にとらえる傾向が私たちにはある。だが、重要な遺伝子が突然変異を起こした場合、変異した遺伝子をもつ生物の大部分は環境に適応できず生存できないまたは子孫を残せない。自然淘汰とはそういうものである。環境に適応できて子孫を残し進化するのはごくわずかである。その厳しさを、人為的淘汰や遺伝子操作に進む前に、認識しておく必要がある。
  人間は遺伝子操作を始める以前から「自然」淘汰に対して「人為的」淘汰を作物や家畜と呼ばれる他の生物に対して行ってきた。それは人間にとって有益になる方向に他の生物の進化を助長することである。遺伝子操作をしない限りはそのような人為的淘汰は大きな問題をもたらさない。
  さらに、人間が遺伝子を操作するにしても、塩基配列を変えるだけなら、それは突然変異に等しく、それを含む生物または手段は従来の生物と大差がない。それに対して、人間が遺伝子の塩基配列以外のものを変えた場合、どうなるか。だが、そのような遺伝子まがいのものの大部分は遺伝子として機能せず、生体の中で分解され排出されるか免疫系によってブロックされる。だが、人間が創意工夫を凝らして塩基配列以外のものを変えた遺伝子を含む生物または手段、つまり「不変遺伝子手段」は、前述のとおり、全体破壊手段の一つである。端的に言って「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」である。
  いずれにしても、生物は進化する。人間も進化する。例えば、前述のとおり、人間が医療福祉がないと生存できない病弱なものに種内進化することは確実である。それを考慮しても、現在の人間のうち、進化することに抵抗しようとする人間はほとんどいないだろう。だから、あの父親の言う究極の欲求・目的に「進化した人間」が加えられたのである。「人間または進化したそれら」などの言葉を使わなくても、「人間」という言葉は人間または進化したそれらを指すことにする。

進化からの逸脱

  生物の進化も壮大な試行錯誤である。突然変異が試行であり、自然淘汰の中で環境に適応できない生物が死滅することまたは子孫を残せないことが錯誤である。前述のとおり、人間の記憶、感情、欲求、自我、思考の、能力と傾向を含む、内容は後天的に形成され、遺伝せず進化しない。それに対して、それらの内容を容れる枠組みは遺伝子によって先天的に形成され、遺伝し進化する。例えば、記憶の枠組み、つまり、イメージを生成し記銘し保持し想起する神経細胞群は遺伝子によって先天的に形成され、遺伝し進化するが、記憶の内容、つまり、イメージそのものは後天的に生成し、遺伝せず進化しない。さらに、思想や観念、社会の構造と制度、芸術、科学技術を含む文明の内容は遺伝せず進化しない。それに対して、それらを生み出し伝達する枠組みは遺伝し進化する。より具体的には、独裁制や民主制、資本主義や共産主義、天動説や地動説、創造論や進化論、インフォテクやバイオテクは遺伝せず進化しない。それに対して、それらを記銘し保持する神経系やそれらを伝達する喉頭、舌、口唇や手指のような枠組みは遺伝し進化する。
  そして、それらの内容が全体破壊手段を生み出し、人間を含む生物の生存に適さないものになっている。だが、何度も言うが、それらの内容は遺伝せず進化しない。この場合は全体破壊手段の製造方法も廃止予防する方法も遺伝せず進化しない。とすれば、人間が進化の中で生存のための適者となる方法は、全体破壊手段を廃止し予防する方法を内容として容れるような枠組みが進化の中で形成されるだけである。これだけでもかなり非現実的である。だが、さらに決定的なことがある。前述のとおり、進化は思考錯誤を前提とするが、全体破壊手段が使用された場合は錯誤があるだけで再試行はない。だから、人間は繁栄と衰退のサイクルを逸脱するだけでなく、進化からも逸脱している。
  そもそも、従来の生物においてはそれらの内容は希薄であり、生存に係るもののほとんどは遺伝し進化し、自然淘汰、適者生存、進化は直接的に機能してきた。それに対して、人間においてはそれらの内容は濃厚であり、自然淘汰、適者生存、進化はかなり間接的にしか機能しない。つまり、人間は前述の繁栄と衰退のサイクルだけでなく、進化も逸脱している。進化を一つのゲームと見なすと、人間はそのルールを無視している、または、その競技場の外でプレーしている。十九世紀以来、人間は苦心して進化論を構築してきたのだが、人間はその逸脱に気づいているのだろうか。
  繰り返すが、それらの枠組みが遺伝し進化するのであって、それらの内容は遺伝せず進化しない。実質的には私たちはそれらの枠組みを変えることはできない。それに対して、私たちはそれらの内容を変えることができる。それらの内容を全体破壊手段を全廃し予防できるものに変えることは可能である。

思想、信念、信仰の自由

  店AQには独身者が多く、独り暮らしの高齢者もカウンターにちらほら座っていた。私はときにカウンターに座って彼らの話を聞くようになった。そんな中に独居老人Kが居た。Kは言う。「若い頃はよく仕事をしてよく遊んだ。仕事は港湾労働者の安全帯の点検だった。『Kの点検した安全帯なら信用できる』と若い者から慕われた。若い者を遊びに連れて行った。不倫もギャンブルもした。ある日、妻子が出て行った。離婚はしていないが完全な別居状態になっている。退職して、若い者はしばらくは来てくれたが、やがて彼らの足も遠のいた。高齢者福祉はあるが、人間関係はほとんどない。寂しい。酒が飲みたいわけでもないのに、飲み屋に通うしかない」と。店主は「独り者は長居をする。なかなか帰ってくれない。自分が若い頃は独り者を疎んじていた。だが、自分も歳を取って、独り者の気持ちがよく分かる。長居してもらってかまわない」と言いながら「だけど…一時間に一品はオーダーしてちょうだいね」とKと私に向かって言う。店主がそう言う事情もよく分かる。超大国が戦争へと向かう中、客は減っていたから。
  その後しばらくしてKが入院したという噂が広がった。メシが喉を通りにくくなったらしい。私とAQの店主はその病院に見舞いに行った。Kは相部屋のベッドに横たわっていた。点滴され鼻からチューブを入れられている。握手をするが手に力はない。声はか細い。年配の女医が私たちを別室に呼んで、「食道ガンかもしれません。郊外の大病院に転院したほうがいいです。今なら遺伝子治療なしで「早期発見早期手術」で間に合うでしょう。ですが…あの方は医療保険に加入していません。大病院はそんな患者を受け入れてくれない。そもそも遺伝子治療は言うまでもなく、手術にしてもその費用を保険なしで払えるわけがない」と言う。Kは退職とともに医療保険から脱退したのだろう。医療保険の再加入手続きには本人か家族がいかなければならない。私たちはKのベットに戻り、三人で困っていた。そんなとき、六十代の年配の女性と三十代の女性が現れた。妻子が噂を聞きつけてやってきたようだ。健康保険の再加入手続きを終えて来たと言う。妻子は大仕事を終えたように偉そうにしている。だが、本人または家族でさえあれば、保険の再加入手続きはたいしたものではない。その費用は本人払いだから家族に金銭的な負担がかかるわけでもない。Kは「ごめんな」とか細い声で妻に言う。妻は「これが最後ですよ」と平然と言う。Kは額や口元の皺をもっと深くして「もう許してくれてもいいじゃないか」と言うようにため息をついて苦笑いしていた。そのときのKの顔が忘れられない。泣いたり怒ったりするのではなく苦笑いしていたからこそ忘れられない。
  結局、独居老人Kは郊外の大病院に転院し、早期発見早期手術で無事、退院してきた。店AQには一週間に一回は来た。酒は少ししか飲まなくなった。食べ物を飲み込むときは注意している。Kはカウンターで語る。私や店主が口を挟まないほうがいい。「若い頃は仕事や遊びができなくなったら、死んでもいいと思っていた。退職後は寂しかった。今、ガンを生き延びて、生きていてよかったと思う。朝、目が覚めるごとにそう思う。『人はパンのみにて生きるにあらず』と言うが、それは若いうちの生き方だと思う。毎日、安い食材を買って来て、自分なりに工夫をして自炊して食べるのが楽しみだ。特に試作してみるのが楽しい。たまにはこの店で変わったものを食べて調理法を想像するのも楽しみだ。あのY社長と新しい食品の調理法や加工法を議論するのも楽しみだ。食べ物を自炊してときに試作して新しい発見をする。そしてまずくない。それだけでも生きる価値がある」と。恐らく術前術後に絶飲食していた反動もあると思う。だが、それだけではない。Kは人生について考えて語ることにも優れていると思う。
  ところが、カウンターに座っていた二十代の男がKに「人生ってそんなものか。それで寂しくないか」と言う。Kは聞いていない。Kは「『人はパンのみにて生きるにあらず』と言うが、それは若いうちの生き方だと思う」と断っているじゃないか。物分かりの悪いヤツだなと私は思った。そこへいかにも特定の宗教の信者という感じの四十代の女性が「もっと人生を精神的に豊かにしましょうよ」とKに言う。「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ったとされる〇〇を始祖とする宗教の信者のようだ。この頃、宗教は衰退していたが、ちらほら残っていた。「人はパンのみにて生きるにあらず」のかつての解釈は、現代と違って、宗教的なものだった。Kは論争の起こりかねない文献を引用してしまった。二十代の男が今度は女性に向かって「そんなのそれぞれの勝手じゃん」と言う。今度は女性が若い男に向かって説教を始めた。若い男は言い返す。私は思った。
  そもそも、思想、信念、信仰…などの純粋心的機能の自由は直接的には侵害されえない。身体、生命などの物理的身体的機能の自由が侵害されることによって間接的に、また、それらを侵害するぞという脅かしによってさらに間接的に侵害される。そのような侵害は主として十七世紀とそれ以前は主として宗教によって、十七世紀とそれ以降は主として国家主義によって、二十世紀には共産主義や全体主義によって行われた。現代ではそのような侵害は目立たない。現代では政治的経済的権力者による隠密の操作によって一般市民の純粋心的活動が一定の方向に誘導されることが多い。そのような操作の手口としては様々あるが、最も重大と考えられる手口を一つ挙げる。政治的権力者と検索システムを運営する経済的権力者が結託して、彼らの都合のよいように検索結果のヒット順位を変える。例えば、民主的分立的制度を擁護するサイトを10ページ目ぐらいで出てくるようにする。「自由、民主、分立、法の支配、擁護、保障、尊重…」などのキーワードに着目させればそれはコンピューターにもできる容易なことである。それに対して、それに対抗するのは大変なことである。だが、Xらは奮闘している。
  結局、若い男の「宗教はやめてくれ」で、その場は終わりかけた。単に宗教を敬遠するだけで終わってしまっていいのだろうか。宗教は現実の世界を超え過ぎて、現代人は信じることができない。だが、人間には自己がやがて死ぬことへの不安があり、その不安が自己永遠化欲求を形成し、人間を権力を獲得して振るい栄誉を残そう…などと駆り立てる。権力を握ったものが権力をさらに拡張し、独裁や戦争や虐殺に走ることがある。だから、彼らのその不安を減退させる必要がある。現代ではもはや宗教はその不安を減退させることはできない。とすれば、あの少女の手記のように宗教抜きでその不安を減退させようと試みるぐらいのことはする必要がある。
  そんなことを考えているとき、今度はカウンターに座っていた五十代の男性が「宗教が衰退しても、社会が混乱しないように何らかの価値観や倫理や道徳は必要なんじゃないか」と穏やかに言う。それに対して若い男は「そんなのいらねえよ」と言う。それに対して私は思った。個人の生き方や社会のあり方について人間に普遍的なものを求めて語り合うことは結局、個人の生き方を磨くことになるのではないか。それも価値観だと言われれば、そのとおりだと言うしかない。さて、その頃にはKはカウンターで頷くように眠っていた。

明日からやめる

    店AQにはあのカウンセラーQCもときに来ていた。あのQにはカウンセリングができるようになったと言う。今日で5回目だったと言う。QCは「自傷をやめれば、何か生産的なことが始まるではないかということになった。しばらくしてQは『今夜を最後にして明日から自傷をやめる』と言う。私はそれを受け止めた」と言う。私は「『明日からやめる』では、明日になったら『明日からやめる』で、永遠にやめられないんじゃないか」と思い、それをQCに言った。するとQCは「『明日からやめる』という気持ちになっただけでも進歩じゃないの」と言う。私は「それもそうだな」と思わず叫んでいた。実際にそう思った。かつてのQからするとすごい進歩だ。
  数日後にQCが泣きながら店AQまでやってきた。Qが亡くなったと言う。「あの夜に飲酒、大量服薬した後、自傷して風呂に入り、眠ってしまい失血死したようだ」と言う。Qは続ける「Qは最後の自傷にするために激しくやったんだと思う。それを私は見越せなかった。私が間違っていた。あなたが言ったとおり『明日からやめる』では永遠にやめられない。危険で効果のない『明日からやめる』などということを容認するべきではなかった」と涙を流れるままにする。私は思った。Qは哀れだ。QCが数日前に言った通り、自傷をやめればQに未来はあったと思う。たまたま、最後にしようと思った自傷が激し過ぎただけだ。そう思い私はQCに「『明日からやめるでは永遠にやめられない』というのも、君が言った『そういう気持ちになっただけでも進歩だ』というのも正しいと思う。君は間違っていない。Qの自傷の仕方がたまたま派手だっただけだ」と言った。私はそう言うことしかできない。QCはしばらくして立ち直った。今は子供たちのことを考えなければならない。子供たちをどうすればいいのか。私に父親としての気持ちが甦ってきた。だが、それは束の間だった。
  QCが言った。「子供は、私がカウンセリングを行うだけでなく、私が引き取って育てる」と。私はびっくりしてグラスを倒してしまった。今の私の立場では何も言えない。「よろしく頼む」とか「本気なのか」とか言える立場にないだろう。何も言えない。QCはそのような私の心境を察したようで、「あなたには関係ないことよ。私は既に子供たちの母親なのだから」と言う。その言葉に私はさらに驚いた。やはり何も言えない。QCは言う。「これはQが亡くなったこととか、あなたが子供たちの生物学的な父親であることととか、私があの子たちとQのカウンセリングを行っていたこととは無関係よ。あの子たちは本当にかわいい。だから、私は母親になった」と言い放って、去って行った。
  私に沸いた父親としての気持ちは行き場を失って、自己卑下と言えばいいのだろうか、自己嘲笑と言えばいいのだろうか、そんなものとして帰ってきた。私などが出て行かないほうがいい、などというのは言い訳に過ぎないとそのときは思った。だが、しばらくして私は本当にそう思い、耐えなければならないと思った。
  結局、前述の「世代を超える悪循環に陥る傾向」が断ち切られた。実際、二十数年後に男児はUに憧れて優れた医学研究者に、女児は母親であるQCに憧れて優れた心理カウンセラーになった。もちろん、彼ら彼女らの生物学的な父親の現在も生物学的な母親の過去も伏せておかれた。もちろん、それはQCと子供たちに敬意を表してのことである。彼女ら彼らは、生物学的な父親や母親とは無関係に、自分たち自身の手で道を切り開いたのだ。

いかなるもののためにも制限されてはならず制限される必要のない自由権

  AT街の店AQに私たちが行くたびに例の「権力疎外」は広い意味で進んでいるのが分かった。政府や軍や警察の下級中級公務員は郊外に住むが、仕事帰りにAT街に寄って、飲み食いして帰ることが増えてきた。軍高官や上級官僚が売春婦や水商売女をAT街から外の高級繁華街に連れ出し、彼女らだけが深夜や朝に帰還することもあった。この頃の売春婦と水商売女の区別は曖昧になっていた。またこの頃のそれらの性別は様々だった。だが、それらを「彼女ら」と呼ぶことができた。
  20XX年以降、政治的経済的権力者の独裁や独占・寡占だけでなく、各種犯罪、ヤクザ、薬物の密造密売、売春、その斡旋…なども復活した。少し前までは軍や警察の高官が彼らから賄賂を得て彼らを存続させていた。だが、彼らの賄賂はたいしたことがない。だから、彼らは殲滅された。彼女らはネットで自力で客を探した。斡旋業者がいないから、彼女らの稼ぎは相当なものになった。しかも、彼女らは直接的に自由に客を選択できる。彼女らは不愉快な客は選択しない。またこの頃、「性行為感染症」は克服されていた。また、簡単な避妊法が開発され普及していた。だから、彼女らの医療費はたいしたことがない。それらのことから彼女らは今の繁華街の実質的な支配者だった。郊外の高級レストランやホテルのいくつかは彼女らのグループに買収されていた。
  AT街の外の高級繁華街に赴き稼ぎがよいにせよ、彼女たちの住み家はAT街にあることが多く、仕事がないときは彼女らはAT街の店で飲み食いしていた。AQにも少なからず居た。彼女らは金払いのよさそうな男しか相手にしない。私は金払いがよい男に見えないだろう。だが、人の話をよく聞くタイプの人間に見えたのだろう。私は彼女らの愚痴を聞く存在になっていた。あのZもそうだった。彼女らの多くはシングルマザーだ。深夜や朝になってAT街に帰ってきて店で食べて少し飲んで、日が昇った後に家に帰って子供を起こし朝食を食べさせ保育所に送って行って、帰って眠って、夕方に起きて子供を保育所に迎えに行って子どもに夕食を食べさせ、寝かせてからAT街の外の高級繁華街に向かう。
  さらに彼女らが政府や軍の高官のスキャンダルに巻き込まれることが多々あった。特にM将軍のスキャンダルには、売春そのものが違法でありスキャンダルでもあるのだが、それ以上のスキャンダルがあった。金払いはよいが、身体を拘束して好き勝手なことをやるらしい。それはいわゆるサディズムを越えていて、医療器具のようなものや薬を使って身体を拘束する。やっぱり変態だ。と彼女らは言う。私はそれは違うと思う。M将軍は周到な人間で恋愛の対象や性的対象さえも過剰なほどに警戒しているのだろう。だが、公費を割いてそのように警戒することはやはり違法でありスキャンダルだろう。少なくとも私とXとZは、M将軍のスキャンダルと違法行為を暴露することを考えた。
  自由権とは本来、国家権力と軍、警察…などの公的武力を含む公権力からの介入を避ける権利であって、私的権力や一般市民に何かをする権利ではない。言論の自由は本来、公権力の保持者の違憲違法行為と公権力そのものの欠陥を暴露し批判するためにあり、一般市民を誹謗中傷したり一般市民の私生活を暴露するためにあるのではない。一般市民を誹謗中傷したり一般市民の私生活を暴露することは、完全な自由ではなく、一定の条件のもとに制限されえる自由権である。それに対して、公権力の保持者と公権力に係る言論は完全な自由である必要があり、いかなるもののためにも制限されてはならない自由権である。
  では、公権力の保持者の私生活の暴露や批判についてはどうだろうか。私生活は公権力に係わりがないように見える。だが、もしそれらの暴露や批判が制限されるなら、公権力の保持者が私生活を守るという名目で公務に係る言論まで制限する恐れがある。だから、公権力の保持者に関する限りで、彼らの私生活の暴露と批判も完全な自由権である必要がある。
  公権力と公権力の保持者に係る一般市民による故意または過失の誤情報の発信についてはどうだろうか。ここでも、誤情報の発信が制限されるなら、普通の情報の発信が制限される恐れがある。だから、公権力と公権力の保持者に関する情報発信に関する限りで、またメディアを含む一般市民による情報発信に限りで、それは完全な自由権である必要がある。
  結局、国家権力と軍、警察…などの公的武力を含む公権力とそれらの保持者に係る言論と表現の自由は、公権力の保持者の私生活の暴露や批判や故意または過失の誤情報の発信も含めて、完全な自由である必要があり、いかなるもののためにも制限されてはならず制限される必要のない自由権である。
  その必要性のなさについてここで説明する。例えば、私有財産の自由や契約の自由は(1)環境を破壊し、資源を消耗し、労働者の権利を侵害する…などして社会権を侵害しえる。だから、私有財産の自由、契約の自由は社会権の保障のために制限される必要が生じえる。さらに、厳密に言えば、言論や表現の自由は、(2)紙、電磁波…などの媒介と公園、街路…などの公共の場を使用しえ、環境の破壊、資源の消耗、混雑…などをわずかにでも生じえる。だが、(1)と比較すると(2)は深刻ではない。さらに、公権力と公権力の保持者に係る言論と表現による(2)はないに等しい。だから、それらに係る言論と表現は制限されてはならないだけでなく制限される必要がない。また、何度も繰り返すが、社会権を保障するためにも自由な言論は必要である。
  だからと言って、権力者のスキャンダルの暴露や誤情報の発信を勧めているのでは全くない。それらを暴露、発信したい者やそれを見て聞きたい者がそうすればよく、したくない者はしなければよいだけのことである。それらをしないのも思想の自由である。市民も他人のスキャンダルや私生活を見て聞いて喜んでいるほど暇ではない。また、普通の情報と誤情報の見分けがつかないほど馬鹿ではない。
  権力と権力者に係る言論と表現の自由とともに、思想の自由と生命の自由もいかなるもののためにも制限されてはならない自由権である。警察や裁判所で何を考え言うのも言わないのも思想と言論の自由である。現代の死刑のない世界においては生命の自由はいかなるものによっても侵害されないはずである。それを世界中の独裁政権は虐殺、暗殺、拷問…などによって侵害しているのである。
  現代では売春は犯罪であり、公費を割いてのそれはなおさら犯罪である。それを捜査し告訴するのは検察、警察である。だが、今の警察や検察は権力者の犬であって、権力者の捜査を求めても無駄である。また、M将軍の実態を知らずに、M将軍を崇敬する部下や市民がいるかもしれない。そこで、少なくともZとXと私は、彼女らや下級軍人のスキャンダルは伏せて、M将軍のスキャンダルに限って暴露することを考慮に入れていた。
  だが、数日後にはそんな考えは吹っ飛んだ。その日は私とZが店AQに居た。店によく来る売春婦の中にQPが居た。QPはシングルマザーだったが、二年前に一人娘を交通事故で失った。QPが泣き崩れ、他の売春婦が肩をさすっている。私とZが行ってみると、他の売春婦が「QPが『M将軍が娘を殺した』と言っている」と言う。私とZは近くに座って、QPの話を聞いてみた。QPは「私は二年ぐらい前はM将軍の愛人も同然だった。M将軍にとっては娘がうっとうしかった…交通事故を装って娘を殺したに違いない…昨夜、とった客がたまたまM将軍の部下だった。その話をすると、『そんなことはよくあることさ』と鼻で笑っていた…そんなことで済まされていいの…」と泣きじゃくりながら語る。
  QPは酔って荒れそうだ。軍や警察に抗議にでも行ったら、店AQにも捜査が入るかもしれない。それはやっかいだ。彼女たち数名とZと私がQPを港の近くの公園に連れて行って、QPの酔いを冷まそうということになった。最初は彼女たちがQPを抱きかかえるようにして連れて歩いたが、やがてQPも独力で歩き始めた。公園は埠頭より少し高いところにあり、港を見渡せる。空も海もどす黒いが、高層ビルは海面に映って輝いて波立っている。客船と埠頭は明るく照らされている。若い恋人たちは埠頭に座って足を投げ出して海面に映る光を眺めている。夜風は涼しい。この港には軍専用の埠頭もある。その埠頭は立ち入り禁止で見えないが、障壁とそれを貫く検問所は見える。今日の軍務が終わったのか、私服の男たちが検問所から出てくる。その中に身なりのよい数人の男たちがいた。Zが私だけに囁いた。「M将軍だ」  明らかに身なりの違う初老の男がその数人に囲まれて歩いていた。私は「お前、目がいいなあ」と呟く。Zは「あの顔を目に焼きつけておいてくれ」と言う。だが、私には遠くてよく見えない。その時、QPの「Mだ」という声が聞こえた。振り返るとQPがその方向を見つめていた。QPはふらつきながらその方向に走り出そうとする。彼女たちがQPを抱き止めた。QPの手を引いて逆方向に歩こうとする。QPは抵抗したが、彼女たちの力が勝った。皆でそれらの障壁も検問所も見えない所まで戻ってベンチに座って、海を眺めた。客船が何隻か外洋から帰って来る。幸いなことに軍用船は見えない。やがてQPは彼女たちの一人の膝を枕にして眠りについた。

資源に限定した局地的侵略戦争

  さて、第四次世界大戦の引き金がやってきた。超大国Bが、食糧資源が豊富で超大国AとBの間にある小国Dに侵略した。B国のBP大統領によって宣言された名目は、「A国がD国の資源を乱用している。B国がD国の資源を保全しなければならない」というものだった。その「乱用している」は的確な表現であるとともに、その文句の全体はB国のD国への侵略の名目でもあった。D国は生物資源にして食糧資源の豊かな国だった。食糧資源または生物資源は倉庫に蓄えられた食糧だけを指すのではない。食糧を持続的に生産できる農地、牧草地、果樹園、養殖場、漁場…などとそれらに必要な肥料、淡水または海水、太陽光…などを含む。遺伝子操作や培養肉や人工光合成などの生物学的技術は20XX年以降も進歩していた。だが、それらによる食糧生産の増分はたいしたものではなかった。20XX年以前にも飢饉や食糧難はいくらでもあったが、それらは局地的なものだった。現在は食糧資源の限界は地球レベルのものとして明らかになっており、地球レベルの食糧難がさし迫っている。現代において最も重要な資源は、石油やガスや鉱石ではなく食糧資源である。そこで、B国は「資源に限定した局地的侵略戦争」の戦略をとった。つまり、

(1)全体破壊手段を使用せず通常兵器のみを使用する。全体破壊手段を使用すると略奪しようとしている食糧資源が汚染される恐れがあるからである。
(2)食糧資源を産出する地域で生活する市民の避難路を遮断しない、あるいは、それとなく避難路を作る。あからさまに避難路を作ると反感をかうからである。
(3)他国から軍が派遣された場合は応戦するが、武装しない救援チームが派遣された場合はその妨害をしない。

(1)(2)(3)によって必要な食糧資源だけを略奪または占領し、不必要な住民を虐殺せず駆逐できる。住民は他国、または自国の食糧資源を生産できない地域に避難し他国からの救援によって一時的に生存する。
  歴史上、他の国家や地域に侵略し征服する者たちは残留した住民を虐殺したり奴隷にしたり弾圧したり普通に支配したりしたが、ここまで意図的かつ狡猾に住民を避難させることはなかった。食糧資源が極めて貴重なものとなる今後はこのような戦略がちらほら出てくるだろう。
  私はB国の政府または軍がそのような戦略を意図的にとっていることを公に暴いた。さらに「政府はそれに軍事的に介入しないほうがいい。軍事的介入で世界大戦や全体破壊手段の使用を招かないでくれ。非武装の救援チームだけを派遣するように」と向こう見ずにも付け加えてしまった。すると、A国の政府が私を救援チームの団長に指名してきた。なんと、あのM将軍がA1大学の私の研究室に説得に私服でやってきた。私はA国の軍人でも高位の文官でもないという点で適任である。だが、M将軍を含む政治的経済的権力者にとってはきわめて不都合な人間である。だが、M将軍らはそれを全く知らない。M将軍は「今はまだ、戦争を起こすわけにはいきません。時期尚早です。あなたなら救援チームを率いて平和裏に彼らを避難させることができると考えます」と丁重に言う。それらの言葉の本当の意味は「我々が戦争を始めるだけでなく戦争に勝つ準備をするために時間稼ぎをしてくれ」ということだろう。利用したい相手にはへりくだる本物の権力追求者だと思った。経済的権力追求者にはよくあるのだろうが、こういう政治的権力者や軍人こそが最も恐ろしいと感じた。M将軍は彼なりに精一杯のカジュアルな服装でやって来た。私服だが明らかにプロと分かる護衛を連れて来ていて、A1大学の事務局はちょっと騒いでいた。M将軍は護衛を大学の校門の外に残して来た。この点も丁重だと言える。寛大であるあるいは自信があるとも言える。単なる経済的権力者のへりくだりとは異なると思った。こういう権力者こそが恐ろしいと思った。私は最初は断った。すると、M将軍は別種の恐怖を私に植え付けようとし始めているのが分かった。私とグループGの未来のために私は引き受けた。
  M将軍が帰った後、Xが自作の電子機器を探知する装置でM将軍が歩いて座った跡を探知した。廊下までさりげなく探知した。そのようなことは、不審人物が訪れてきた後だけでなく、常日頃やっていた。さすがに盗聴器、盗撮器はなかった。私たちはXのハードウエアについての技術も信頼していた。
  UやXやZもD国への救援に一緒に行くと言い出した。それはありがたかった。だが、「君たちには重責があるじゃないか」と留まるよう説得した。アウトドアライフのマスターたち、彼ら彼女らが指定したアウトドア用品、医療介護スタッフ、彼女ら彼らが指定した医薬品・医療機器、飲料水、高栄養食品、衣類、井戸を掘るための掘削機、水を汲み上げるためのポンプ、それらを積んだ数千台のトラック、移動式の簡易トイレと医療施設、それらの運転手、十分と思われる燃料…などとともに私は現地にやってきた。
  25YY年の夏の終わり、現地には広大な農地が延々と広がっていた。それを見るとこの侵略の理由を理解しないわけにはいかなかった。青い空と白い雲の下、黄緑色の麦、稲…などが風にそよいでいる。トンボが飛び始めている。お分かりだろうか。もう少しで麦や稲は黄金色になり収穫できるのだが、まだ黄緑色で収穫できない。避難民は作物を収穫して携えて避難することもできない。B国のBP大統領は時節まで見計らっていたのだろうか。収穫直前になってあわてたのだろう。幸運なのは盛夏を少し過ぎ、暑さが少し和らいでいることぐらいだった。だが、依然、暑い。トンボだけが涼し気に飛んでいる。避難民たちは「青田刈り」もせず「焦土戦術」もとらない。しかも、実質的な農地に入らず、農道を縫うようにして避難している。それが何とも哀れだった。どうぜB国に占領され略奪される資源なのだが、食糧資源を大切にする気持ちが染みついていたのだろう。
  障害者、病弱者、高齢者は担架や「おんぶ」で運ばれていた。それは想定していた。車椅子や介護ロボットはこのような土の農道や山野を運行できない。電源がないからすぐ停止する。農業地帯にも車道はあるが、わずかしかなく必需品運搬のトラックと移動式の医療施設でいっぱいである。車椅子や介護ロボットは都会の中でしか役に立たない。想定していたとはいえ、避難民と医療介護スタッフは苦労していた。
  B国軍のヘリコプターやドローンが上空をときに飛ぶ。避難民がどこまで避難したか偵察しているのだろう。エンジンとプロペラの奇妙な音をたてる。避難民はその度におびえ、子供は泣かなければならない。避難民の最後尾に文字通り「最後尾」と書いた巨大なバナーを掲げた。すると上空を飛ぶものはトンボだけになった。
  避難民の中には元D国軍兵士もいた。彼らは次のようなことを語る。「B国軍とD国軍の戦闘が始まると、しばらくしてD国軍のほとんどは投降しB国軍に編入された。D国軍兵士の中には投降も編入も拒み、編入されたD国軍と戦う者もいた。自分たちは編入される前に軍から離脱し避難民となる道を選んだ。だから、助かった」と、複雑な表情、口調で語る。私は思った。投降し編入された兵士も軍から離脱した兵士も責めることはできない。彼らも生存のためにやむをえなかった。すべては資源に限定した局地的侵略戦争の戦略を立てたBP大統領らにある。私はその話を一般の避難民にしないよう頼んだ。また、「今は生きるだけで大変なんだから、過去に直面するのは未来にとっておこう」と伝えた。また、スタッフには「D国の政府や軍の高官のように見える者がいたら、何も語らず何もせず、私に報告するよう」伝えた。結局、そのような高官はいなかった。B国軍とうまくやっているのだろう。それはそれでやむをえない。
  そのうち農地になりえない山野に入った。標高としては上昇していく。だから、避難民たちはかつて生活の糧としていた豊かな農地を見渡すことになる。これは残酷だと思ったがルートはこれしかなかった。既にB国軍が農道に展開している。太陽の光を受ける黄緑色の麦や稲の絨毯にどす黒い軍用車両が点在する。それを見て、年配の人々は薄っすらと涙を浮かべている。子供の頃から文字通り培ってきた農地だろう。若い人々は「また、戻って来る」「必ず奪還する」と励まそうとする。私は「新しい土地の開拓はある」と思ったが、今はそれを言わないほうがいいと思った。
  B国も明らかに要らない不毛の山野に達した。野営ができる。至るところで野営が始まった。飲料水は持って来たし、往復のトラックで届くが、避難民やスタッフもシャワーを浴びて衣服の洗濯をしたいだろう。だから、掘削機とポンプで地下水を汲んだ。まず、担架や「おんぶ」の人々とこれ以上歩けない高齢者、障害者、病人、乳幼児…とそれらの家族から野営してもらい、十分な物資とスタッフをおいた。私たちが進むにつれて、野営地が広がり、野営する人々が増えていった。前方には山と谷があり、振りかえると緩やかな斜面に野営地が点在していた。
  A国政府は避難民が百万人を越えることはないと私に保証していた。百万人以下なら山間部での野営で冬を超えられるはずだった。ところが、避難民は既に百万人を軽く越えていた。A国政府もいい加減なものである。この頃、小国と言えども人口は一千万人以上だった。野営地から溢れた健常者はどこへ向かえばよいのか。避難民とスタッフと話し合って、とりあえずA国に向かおうということになった。
  大人は黙々と歩くが、泣く子が多い。その中にひときわ激しく泣く女の子がいた。家にぬいぐるみを忘れて来たことに今頃、気づいて泣いているらしい。女の子にとってそのぬいぐるみは両親の形見だったようだ。三十代の女性がやってきて、リュックサックからぬいぐるみを出して与えていた。女の子は泣き止んだ。両親の形見にはなりえないが、一般の人間の善意を感じ取ったのだろう。その女性は女の子を抱きしめて泣いていた。その夫らしき男性が「私たちの女児は退避前の戦闘で流れ弾に当たって亡くなった。遺体を埋葬することさえもできなかった。そのぬいぐるみはその女児の遺品だ」と言う。その夫は救援チームの臨時スタッフになることを申し出てくれた。妻もやがて立ち直って、臨時スタッフになって、孤児の面倒を見てくれた。というより、この頃には私も含めて避難民とスタッフの区別もつかなくなっていた。
  さしあたりA国に向かって歩いて来た。この先、どこに向かうか話し合った。私には一つの案があった。例のA国辺境の「放射能残留立ち入り禁止区域F」はここから歩いて数日の距離にあった。残留放射能がないことは既に私が確認していた。さらに、この季節、野生の果実や山菜や無毒のきのこが豊富に採れ、汚染されていない地下水がたっぷり汲めることも確認済みである。兎や鹿も獲れるかもしれない。私はそれを提案した。彼ら彼女らのほとんどが同意した。というより他に選択肢がなかった。
  私たちは歩きに歩いた。日が暮れると、掘削機で井戸を掘り、火を起こし、テントを張った。幸いなことに害獣、害鳥、害虫はほとんどいなかった。盛夏を過ぎたとはいえ、まだ暑い。どこまでも続く青空の下、涼しげに飛ぶトンボを見ることだけが憩いだった。子供も大人も喜んでいた。「ドローン(無人飛行機)のようだ」という子供もいる。虫や鳥が飛行機やヘリコプターのまねをしたのではなく、その逆なのだが、議論するほどのことではない。20XX年の直前もそうだったのかもしれないが、この頃、都会はもちろん郊外でもトンボを見かけることはなかった。
  避難民の中に世界的な報道写真家BCがいた。BCはB国出身の四十代の女性である。D国での戦闘の最中に、B国軍に両眼を傷害され、両眼摘出となり、眼帯をしている。杖を頼りになんとか自力で歩いている。カメラは手放さない。私は彼女を子供たちがトンボを追いかけている草原に連れて行った。彼女は急に胸を張って顎を引き、眼帯の奥の無いはずの眼にカメラを近づけて構えた。私は無いはずの眼がキラッと光ったように感じた。子供たちの歓声と草の臭いと肌に当たる太陽の光と風で光景をとらえているのだろう。彼女はシャッターを何回も切っていた。その写真の何枚かは避難民に感動をもって迎えられ広がった。虐げられる者としての共感もあっただろう。だが、それだけではない。それらの写真には視覚以外の感覚による視覚芸術の手探りがあった。文字通り手探りの写真なのだ。「盲目の写真家(Blind Cameraperson)」の始まりだ。私たちは歩きに歩いた。BCは子供たちに囲まれて歩いた。
  区域Fに着くと、予想以上に野生の果実がいたる所にたわわに実っていた。木々が適度に茂り、木漏れ日が差し、適度な気温である。美しい羽根や帽子を付けた鳥と大型の蝶がゆったりと飛ぶ。兎が耳を立て、鹿が頭をもたげるが、それらに警戒心は少ない。普通の森林ではありえない光景だった。美し過ぎる。私が発掘した地域も美しかったが、そこには落ち着いた懐かしいような美しさがあった。区域Fは広く多様だからだろう。猛獣、猛禽、毒蛇、人間にとっての害獣、害鳥、害虫はほとんどいない。20XX年に植物だけが生き残り動物は放射線によって絶滅したのだろう。ということは虫媒の植物も絶滅したということだ。では何故、実の成る植物や美しい鳥や蝶や警戒心の少ない兎や鹿が生息しているのだろうか。恐らく、放射能の減退に伴い、食物連鎖の下位にある植物食の動物や蜜を吸いながら受粉を助ける蝶や鳥からこの森に戻ってきて、虫媒の植物も繁茂し始めた。核爆発でできたと思われるクレーターも小型の淡水魚が泳ぐ池になっていた。今後は、植物連鎖の上位にある動物食の猛獣、猛禽らも戻ってくるだろう。区域Fは森として形成途上にあり、避難のタイミングがたまたまよかったということだ。
  避難民たちは歓声を上げてさっそく掘削機で井戸を掘り始めた。もはや慣れたものである。また、果実を採るためのはしごや兎や鹿を獲るためのわなも作り始めた。これもすぐに慣れた。母乳や人工乳のある乳児や離乳食のある幼児を除いて大人も子供も、それぞれに適したサイズ、柔らかさの果実を皮ごとかじった。兎や鹿は、当然、捕獲後すぐに安楽死させて、丸焼きにして皮をはいで解体し、骨を持って横紋筋の部分に食らいついた。果実も肉もうまかった。横紋筋や脂肪組織はすぐにたいらげられた。焼け残り食べ残りの皮や骨は干しておいた。何かに使えるかもしれない。頭部、心臓、大血管、気管、肺、消化管…などは土に埋めた。肥料になるかもしれない。山菜やきのこも採れた。スープにして食べた。それらもうまかった。きのこについては、毒があったらいけないから、見慣れないものは採らないようにした。アウトドアライフのマスターたちもこんな体験は初めてだと言う。医療スタッフたちは都会人の食生活よりよっぽど健康的なんじゃないか、と言う。安楽死させた後でとはいえ、兎や鹿を丸焼きにしたことだけはUに言わないようにしようと思った。
  途中で野営していた人々も合流し始めた。十数日で無数の集落が自然に発生した。それぞれの集落は十数人から数十人からなる。そのレベルでは権力もカネも法も必要ない。食糧資源はありあまるほどあり、その争奪戦もない。
  私は私が所属する数十人の集落で野生のブドウからワイン造りを始めた。パン焼き用のドライイーストで補強すると数日で集落全員の分ができあがった。最初は近隣の集落に分からないように、こっそり飲み始めた。だが、焚火はした。それを囲んで飲んだ。火で人々の顔が浮かび上がる。酒で赤いのか火で赤いのか分からない。濾過ができず濁っていたがうまかった。あまり飲めない人はすぐに眠ってしまった。避難の間は抑えられていた酔っ払いが復活した。もちろん女の酔っ払いも少なからずいた。服を脱いで踊る男女もいた。喧嘩をする男女もいた。それらも一夜のことで悪くないだろう。ワインは一夜で尽きる。既にもう残り少ない。他の集落から嗅ぎつけて紛れ込んだ男女が十数人いたから。輪になって飲み食いしながら誰かが言った。「この森は俺たちの森だ」  歓声が森にこだまする。しばらくは狩猟採集だけで行ける。そのうち農耕牧畜も始まるだろう。だが、そのうち猛獣や猛禽もやってくるだろう。いや既にどこかに潜んでいるかもしれない。気をつけろよ。猛獣や猛禽は来なくても、伝染病が蔓延するかもしれない。人間が開発し使用する全体破壊手段ほどひどくないが、微生物には気をつけろよ。この森はまだ若い。本格的な食物連鎖と生存競争と共生はこれからだ。

第四次世界大戦前夜

  私はその森Fでのワイン造りに未練があった。ドライイーストで補強せずブドウに元からある酵母だけでやってみたかった。だが、救援チームの団長を交替してもらった。避難の山場を超えていたし、放射能が残留していないことは広まっていたから、団長は競って交替してくれた。「20XX年以前の遺跡や文献のようなものは保存しておいて」と歴史学者として人々に最初からお願いしていた。そのとおりにしてくれていた。「放射能残留立ち入り禁止区域F」つまりあの森Fに立ち入ったことへのおとがめはなかった。あの初回の酒宴の翌日、私はこっそりA国首都に向かった。往復するトラックに乗せてもらった。A国に着くと、私たちの努力の甲斐もなく、第四次世界大戦前夜だった。だから、おとがめがなかったんだ、政府や軍には私を責めている暇がなかったんだ、と思った。あの森Fでの暮らしは夢のようだった。だが、私はすぐに現実に戻った。その現実は以下のとおり。
  前述のとおり、超大国Bは既に周辺の小国Dに侵略し征服していた。超大国Aも既に他の周辺国に侵略し、征服しつつあった。また、A国、B国はそれぞれいくつかの国家と同盟を結び軍を派遣し、それらの国家の間では既に交戦が始まっていた。残る超大国Cは現在のところは中立を維持しているが、その動きは不気味で、A国もB国もその動きを注視していた。
  超大国A、Bの政府はもともと独裁的だったが、さらに独裁的になってきた。両国は戦時体制を宣言し、憲法を停止した。元から形ばかりで不正だった選挙を停止した。元から形ばかりで機能していなかった立法権と司法権を停止した。超大国Cでは数十年前に民主化があり民主制はすぐに形骸化したが、独裁に戻る速度が増した。P教授は独裁制において、軍人が完全に政治的権力を握ることを「軍独走型」独裁と呼び、文官が軍を完全に掌握して乱用することを「文官軍乱用型」独裁と呼んで区別していた。また、P教授は以下のことも強調していた。もちろん、それらは連続体の両極であって、それらの中間がいくらでもある。A国の独裁制は、M将軍が実質的な政治的権力を握るが、AP大統領が形式的な国家元首に留まり、前者に近い中間になった。文官を前面に立てたほうがM将軍にとって都合がよいだろう。いざとなれば文官を非難の矢面に立たせることができる。B国はBP大統領が軍を完全に掌握し乱用し後者になった。世界の主要国で、少数の文官または軍人が完全に軍を掌握し指揮権を握り、いつでも世界大戦を始め、全体破壊手段を使用することができるようになった。

国家主義・愛国心、人口問題、国益

  また、諸国で政治的経済的権力者が、衰退していた国家主義や愛国心を再興し煽り利用するようになった。その煽り方、利用の仕方は20XX年以降は狡猾になっていた。特にB国のBP大統領は狡猾だった。ところが、A国のM将軍に至っては「家族を守るためには男は国のために戦わなければならないことがある」などともはや化石のような言葉を吐く。戦争が何のためにもならないことは言うまでもない。グループGの何人かはこのときばかりは「俺たちは、男も女も、家族や友人を守るためにはM将軍を暗殺する必要がある」と思わず言っていた。実際、私はM将軍のために両親とP教授を失った。ZとXが本気になれば、グループGはM将軍を暗殺することができた。だが、そうしたのでは私たちの何人かが犠牲になる。また、今まで追求してきた「無血」革命が達成できなくなる。
  また、人口問題が乱用された。人口を抑制すために、自然災害、大規模人災、飢饉、食糧難、パンデミックなどの自然と人間との間で生じる苦難(AAA群)と、戦争、虐殺、全体破壊手段を含む無差別的破壊手段の開発、使用…などの人間の間で生じる苦難(BBB群)、を甘受する知識人が意外と多数いた。市民はそれらを甘受する知識人に批判的だった。政治的経済的権力者は狡猾であり、それらを甘受しない振りをしていた。結局はAAA群とBBB群の中でも局地的なものによって世界人口は地球でかろうじて維持できるものに抑えられている。ここで最も重要なことは以下のことである。BBB群が局地的なものであったから絶滅に至らなかった。もしBBB群の一つが世界的なものになり全体破壊手段の使用に至っていれば、人口抑制どころか地上の人間を含む生物のいくつかの種が絶滅していた。AAA群を軽視しているわけでは全くない。BBB群を防ぐ努力はAAA群を防ぐ努力と少なくとも同等である必要があると言っているだけである。例えば、ある大国の政府は、飢饉や食糧難において、低エネルギー(カロリー)のダイエット食品を配布した。言うまでもないことだと思うが、飢饉や食糧難において最も重要なのはエネルギーだ。エネルギーを欠く食糧を配布された人々の驚きと怒りと絶望は想像を絶する。冗談や笑いごとではない。世界中の医師や科学者たちがそのような政府を痛烈に指摘した。それも重要だ。だが、少なくとも同じほど痛烈に、全体破壊手段を開発し保持し続ける世界の政治的経済的権力者を批判する必要があった。
  二十世紀以降、BBB群を防ぐ努力がAAA群を防ぐ努力よりかなり小さかったことは否定できない。それは、人間がBBB群は人間社会の性であってどうしようもないと諦めていたからではないだろうか。それに対して、世界の反政府グループはその諦めは性急であると考え全体破壊手段の全廃と予防は可能であることを示そうとしていた。
  それらの国家主義や愛国心と人口問題への取り組みが奇妙な形で協働することがあった。少なくとも超大国AとBで次のようなことを公然と語る政治的権力者と経済的権力者がいた。「自国民は他国民より文化的かつ生物学的に優勢である。他国を攻撃破壊し全滅させれば、人口問題は解決し、優勢な人間と文化と遺伝子が生き残る」と公然と語っていた。彼らはさすがに批判された。それに対して、A国のM将軍とB国のBP大統領はそのようなことを公然と語るほど馬鹿ではない。秘かに語るか思っているのだろう。前述のとおり、20XX年に地上の人類は絶滅した。言語を含めて文化的にほぼ同質な人間が地下に潜って生き延びた。その子孫が私たちである。かつて文化的に同質であったものがわずか500年で大きな文化的差異を生じず、優勢と言うほどのものは生じない。生物学的なもの、つまりこの場合、遺伝するものについてはなおさら、わずか500年で差異や優勢は生じない。それどころか、一万年経とうがそれらは生じない。そのことは20XX年以前に生物学者や人類学者が証明していた。私たち人間はすべて数十万年前からホモ・サピエンスという一つの種でしかない。差異があるのは肌や虹彩や毛の色や面構え、体格などの外見と体質だけである。知性や気質に差異があるわけでは全くない。それらのことは世界の市民も権力者も分かっていた。分かっているからこそ上のようなことを言ったり考えたりすることがいっそう奇妙だった。
  ところが、さらに恐ろしい考えがちらほらネット上で匿名で出てきた。「もし、20XX年の地上の人間の絶滅がなかったら、人口は増大し環境はさらに悪化し資源はさらに消耗し、地上の人間はもっと苦しんでいた。だから、このあたりでもう一度、地上の人間を絶滅させておくのも悪くない」というようなものだった。それらは匿名であるだけでなく市民の振りをして出されていた。「20XX年の後の十数年間の苦しみ以上のものがあるのか」などの反応もあった。私はそんな苦痛の大きさを比較する議論が高じないほうがよいと思った。権力者が最悪の方向に高じた議論を戦争を起こしたり全体破壊手段を使用するための名目として利用する恐れがあると思ったからである。結局、それに対する反応はインターネット全体の中ではわずかだった。しかも、わずかな反応の中でも「どんな苦しみもいやだね」「それより今日のメシのことを考えろよ」…などの反応が多かった。それに関する限りで私はホッとした。
  国家主義や愛国心などの精神的なものに対して、政治的経済的権力者が戦争を始める名目として実際的に見える「国益」なるものに訴えることは今まで多々あったし、この度も多くが訴えている。それに対して、世界の反政府グループと市民が、仮に局地戦争に終わるとしても、戦争が国益になることは決してないとネットワークで反論した。それは適切である。だが、食糧資源が地球規模で枯渇していく状況の中では、争われているものは国益などという複雑で曖昧なものではなく、極めて明白な食糧である。言うまでもなく、それは生存に不可欠なものであり、命と言ってもよい。

軍事技術

  選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露については既に述べた。それは世界の権力者と世界の市民という横割りの構造・動態の中で世界大戦と全体破壊手段の開発、使用を防ぐ決定的方法である。ここでは主として軍事技術について述べる。
  既に千年代末のMAD華やかなりし頃にも、MADの均衡を破ろうとする理論があった。それは当時はやった映画のタイトルで呼ばれたが、端的に言って「ミサイル迎撃システム」であり、迎撃する現場を大気圏内から大気圏外に広げただけのものだった。最近になってまた、斬新と主張する理論が少なくとも超大国A,Bで出現した。彼らは言う。「ミサイルを大気圏外で迎撃するより、大気圏内で迎撃するほうが経費がかからず確実である。再び大気圏内に立ち返って、敵国からのミサイルをすべて迎撃するシステムを開発した。その迎撃できるミサイルは海底発のものも宇宙発のものも宇宙を迂回するものも含む。それによって、敵国からのミサイル攻撃と報復をほぼ完全に封じ込めることができる」と。理論としては分かりやすい。本当に機能するのか。はったりではないだろうか。いつの時代も威嚇のために、軍事技術が進歩しているように見せかける政治的経済的権力者がいる。隠密離反者(内部隠密情報提供者)によると迎撃できる確率がミサイル一機につき10パーセント以下であることは確実だとのことだった。実際にそのとおりになって私たちのSMADはうまく機能することになる。
  さらに、彼らが過信する軍事技術はシェルターのものを含んでいた。20XX年以降はシェルターそのものだけでなく、シェルターと地表との間の通信技術も進歩していた。その通信技術によって、全体破壊手段が使用されなかった場合、世界の政治的経済的権力者は、シェルターから地上に残された政府と軍と企業を、コントロールできると確信していた。それらに対して、権力者がシェルターに退避すると、シェルターに連れて行かれなかった政府と軍と企業の下層と中間層が一気に離反し、彼ら彼女らは反政府グループと市民の側につく、と私たちは確信していた。結局、私たちの確信が現実になった。権力者は科学技術だけを信じ人間の情動を理解していなかった。シェルターに連れて行かれず地上に残された者、つまり見捨てられた者が、見捨てた者に従うわけがない。
  地方の政治的権力者や中央の政治的権力者と癒着できなかった経済的権力者について、彼ら彼女らもそれぞれのシェルターを建設しようとした。だが、中央政府のものの性能と規模のシェルターを建設することは不可能だった。だから、彼ら彼女らはそれぞれのシェルター建設を諦めていた。彼ら彼女らは中央政府が建設したシェルターへの便乗を狙った。いちようのオーケーが帰ってきた。だが、それは当てにならない。何故なら、シェルターの増設の様子がなかったからである。そこで、反政府グループと市民だけでなく、彼ら彼女らも全体破壊手段が使用されないことを願っていた。
  それらは世界的現象である。
  全体破壊手段が使用された場合で、シェルターに逃げた人間の生存が可能だとしても、世界の人口と比較すると、ほんの一握りの人間が生存するに過ぎない。仮に人間を含む生物が別の天体に移住して生存するとしてもそれらは地球上の生物とは別の方向に進化する。私たちはそれらを地球の生物の生存と認めない。私たちが目指す人間を含む生物の生存とは、太陽または地球の激変のときまでそれらが、この地球上で、厳密には地表で生存することである。そのためには、全体破壊手段の全廃と予防が不可欠である。侵略してくる異星人や衝突してくる彗星を核兵器で迎撃するなどというのは20XX年以前のSFに過ぎない。私たち人間は人間自身がもたらす危機に対処していればよく、人間以外がもたらす危機に対処する必要は全くない。

最初で最後の戦争

  さて、現在、環境の悪化、資源の消耗、世界人口がそのような環境の中でそのような資源によって維持できるものを超えようとすることは、政治的経済的権力者が独裁と独占・寡占への名目として掲げる部分を除外しても、切迫している。特に食糧資源の限界がさし迫っている。過去にも飢饉や食糧危機はいくらでもあった。だが、それらは局所的なものであり、地球レベルでのものではなかった。20XX年の直前も切迫していたように見えるが、当時は開発する食糧資源がまだ十分に残っていた。今は開発の余地は世界で三か所の「放射能残留立ち入り禁止区域」ぐらいなものである。あの森Fは残留放射能がないことが確認でき比較的広かったが、他は、残留放射能がないことが確認できても、狭く多くを生産できない。何よりあの森Fは既にあのD国からの避難民でいっぱいである。過去には遺伝子操作や培養肉や人工光合成などの生物学的技術に対する期待もあった。だが、それらによる食糧生産の増分が人口の増分に及ばないことは明らかになりつつある。
  そこで、例の「資源に限定した局地的侵略戦争」はあのD国だけでなく、他のいくつかの食糧資源の豊富な地域を巡っても始まっていた。現在の戦争は、前述の複雑で曖昧な国益や覇権、領域、宗教、民族、イデオロギー…などではなく、生存に不可欠な食糧資源を巡る戦争である。何故、かつて人間は不可欠でないもののために戦争をしていたのだろうか。それらは避けられたはずだ。第一次、第二次、第三次世界大戦さえも避けられた。生存に不可欠なものを巡る戦い。それがこれからの戦争だ。これが本来の戦争だ。つまり、最初の戦争だ。この危機を乗り切って、全体破壊手段を全廃し予防し、民主的分立的制度を確立し維持するしかない。そうしなければ生存はない。戦争さえもない。つまり、最後の戦争だ。つまり、最初で最後の戦争だ。それを防ぐのは最初で最後の戦争への対抗だ。と思った。
  世界の反政府グループと離反者が打合せ通りに動いた。既に一般市民のほとんどが、政府と軍の主要施設近隣に居住していなかった(権力疎外)。庶民の街の中でも人々ができるだけ周辺に移動している。世界の市民と反政府グループと離反者がそれぞれの国家の政府と軍の主要施設の位置情報を互いに暴露し合っていた(権力相互暴露)。特に政府や軍の内部にあって情報を入手できる公務員(内部隠密情報提供者)が、最新の情報を提供してくれている。もちろん彼ら彼女らも、全体破壊手段が使用されれば、地上に残された人間は死滅することを知っている。まず、シェルターに連れて行ってもらえそうもない人々が熱心に情報提供してくれた。シェルターに連れて行ってもらえそうな人々でさえも、シェルターでの生活を嫌がって、情報提供してくれている。世界の反政府グループはそれらの情報を互いに暴露するだけでなく、政府と軍にも暴露していた。それによって政府と軍は互いだけをより正確に破壊し合うことができる(SMAD)。また、世界の反政府グループが、政府と軍からの隠密離反者に対して革命後は罪を問わず、革命後も公務に留まる場合は従来以上の待遇を保証すると宣言していた(離反推奨)。また、政府や軍の内部にあって政策と戦略に影響を及ぼす立場にある人々(内部隠密戦略誘導者)が例えば「全体破壊手段を使用しなくても相手の政府と軍を選択的に破壊できる。また、全体破壊手段を使用すれば、苦労して獲得しようとしている資源が汚染される。だから、全体破壊手段を使用する必要はないし使用しないほうがよい」と誘導してくれた。上と同様の理由で、それらの人々が忍耐強く誘導してくれた。また、できる限り多くの国々が中立に留まるよう勧めた(中立推奨)。特に残る超大国であるC国にそう勧めた。
  それらの反政府グループ側の準備に対して、平時なら政治的経済的権力者は弾圧に全力を尽くしただろう。だが、このような世界大戦に突入している状況では、彼らに国内の反政府グループや市民を弾圧している余力はなかった。というより、彼らはシェルターへの準備で大忙しだった。特にシェルターに連れて行く者の選考で忙しかったようで、一部では争いもあった。そのような国内の反政府グループや市民を弾圧する余裕もないような状況に政治的経済的権力者を追い込むことも私たちの準備に含まれていたが、ここまでうまくいくとは思わなかった。
  ここまでの準備は20XX年の地上の人間の絶滅寸前のときも諸国の反政府グループが考えていた。だが、準備は進まず、地上の人間の絶滅を止めることはできなかった。それは何故か。国家内の反政府グループの間でもでも世界のそれらの間でも反政府グループどうしが政治制度と経済体制を巡って争ってしまったからである。この度は次のようにしてそのような争いを防止している。国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立し、L系においては厳格な自由権、政治的権利、三権分立制、法の支配を確立する。

経済体制は資本主義・市場経済か、共産主義・社会主義経済か、それらの間の連続体のどのあたりか
企業の独占・寡占をどうするか、
国営企業をどうするか
福祉制度をどうするか、高福祉高負担か低福祉低負担か、それらの間の連続体のどのあたりか
医療制度をどうするか、高医療高負担か低医療低負担か、それらの間の連続体のどのあたりか
自然の保全をどうするか、公権力が積極的に介入するか、企業や市民の自主的な保全に委ねるか、市場経済に委ねるか、それらの間の連続体のどのあたりか
大きな政府か小さな政府か、それらの間の連続体のどのあたりか…

などの議論は革命後にS系で随時やって、最終的な決定は市民が随時下す。それらで世界の反政府グループのすべてと世界の市民の大部分が合意していた。実際、反政府グループどうしの争いは皆無で、市民の争いはほとんどなかった。
  さらに、世界中の反政府グループはそれぞれの国家における暫定憲法と暫定政権の枠組みをネット上でに過ぎないにせよ市民の投票にかけた。そして、それらのほとんどが三分の二以上の多数によって承認されていた。何度も言うが、それらはネット上でに過ぎない。だが、ネット上でしかできない市民が投票と集計の過程を細部まで閲覧できるプログラムをXらが開発し実行していた。それによって現政権によって操作された現行のものよりはよほど厳正な投票集計になっていた。当然、新憲法と新政権の成立時には紙の投票用紙を併用し、少なくともそれによって選ばれた人々が在任中は証拠として保存する。そのように新憲法・新政権樹立の際には紙の投票用紙を必ず併用することも暫定憲法で規定された。さあ準備は整った。

革命の実質の計画

  私、U、T、X、ZとN大佐がA1大学の私の研究室に集まって、もう一度、それらの準備が整ったことを確認した。さらに革命の実質の計画を確認した。それは以下のとおり。

(0)世界の国家の政府と軍に全体破壊手段を使用する必要がないことを反政府グループと離反者(内部隠密戦略誘導者)が強く誘導し続ける。だが、A国のM将軍はUが開発した偽物の全体破壊手段(不変遺伝子手段)を本物と思って使用するだろう。
(1)A国のグループGは世界の他の反政府グループと世界の離反者に、A国のM将軍が全体破壊手段を使用するだろうが、それは疑似のものであることを、隠密に伝える。
(2)A国の離反者(内部隠密情報提供者)がM将軍の(疑似の)全体破壊手段使用とシェルターへの退避の前兆を察知し、グループGにそれを伝える。
(3)グループGは世界の反政府グループと世界の隠密離反者に、間もなくM将軍が(疑似の)全体破壊手段を使用すると隠密に伝える。
(4)グループGを含む世界の反政府グループが世界の市民と公務員に対して、まもなく政府と軍の主要施設が破壊されるから、(市民のほとんどは既にそれらから離れて住んでいるが)さらに遠方に退避するよう伝える。また、また、世界の隠密離反者が世界の政府と軍の幹部に対して、まもなくM将軍が(実際は偽物だが本物の)全体破壊手段を使用すると伝える。
(5)それと同時に、世界の国家の政府と軍の幹部はシェルターに退避するだろう。M将軍は既に退避しているだろう。
(6)私たちが提唱してきたSMADによって、少なくとも超大国AとBとそれらの同盟国がそれぞれの政府と軍の主要施設を相互に破壊するだろう。
(7)シェルターに連れて行かれなかった政府と軍の下層と中間層は、自分たちを見捨ててシェルターに退避した幹部に従わず一気に離反するだろう。彼らは破壊されたまたは破壊されていない主要施設に戻って来て反政府グループと隠密離反者と市民とともに政府と軍の主要施設を占拠しようとするだろう。
(8)政府と軍の幹部がシェルターに退避している間に、世界の反政府グループと離反者が政府と軍の破壊されたまたは破壊されていない主要施設を占拠する。
(9)シェルターに退避した者が逆襲し地表に全体破壊手段を使用しないよう、厳重にシェルターの出入口を閉鎖する。
(10)それぞれの国家で既に承認されている暫定憲法を公布しそれに基づいて暫定政権を樹立する。
(11)それぞれの国家で紙の投票用紙を併用したレフェレンダムと選挙を実施し新憲法と新政権を樹立する。
(12)世界で政府と軍の主要施設を占拠する(8)とともに、反政府グループと離反者が速やかに全体破壊手段を不活化する。
(13)全体破壊手段全廃予防のための国際会議を開催する。
(14)全体破壊手段全廃予防のための国際機構を樹立する。
(15)全体破壊手段をできるだけ早期に全廃する。
(16)全体破壊手段を永遠に予防する。

それらを確認した。既に世界の反政府グループとネットを通じてそれらを確認していた。だが、私は超大国B、Cの反政府グループのリーダーと直接、会って確認したかった。私は研究者としてB国とC国に赴くことになった。
  それから私の研究室で革命の前夜祭となった。この日のためにビールやワインを冷蔵庫に入れていた。あの森Fで作ったワインも少し持ち帰ってさらに熟成していた。皆の酔いがだいぶん回ってからXが「記念写真を撮ろう」と言う。Uは「I(私のニックネーム)がB国C国に行くと帰って来れないかもしれないから、今、撮っておこう」などということをずけずけと言う。Xはさらに「それでわれわれのサイトを飾ろう」と言う。ZとN大佐は「それだけはやめてくれ。政府に顔が割れると大変だ」と言う。Xは「顔や体形を識別不能にすることぐらいは簡単。高層ビルの屋上のでっぱりで朝日を背景に立つ六人。朝日を背景にするから逆光で顔は真っ黒けになる。ビルは現実に存在しえないものにする。体形もだぶだぶの服と帽子で隠す」と言う。Xは画像の編集でも信頼できるだろう。皆が同意した。Xが間に合わせの三脚にカメラをセットしリモートコントローラーを持って、UとXが真ん中に入って肩を組み、彼女たちの両脇に私とTが立ち、その両脇をZとN大佐が固めた。結局、カメラから見て左からZ→私→U→X→T→N大佐の横の並びになった。身長からするとM字型になった。前方には大都会の全景があり上方には広大な空があり背後には昇る朝日があることをイメージした。ZとN大佐はルネッサンスの闘士の像のようになってしまっている。Xが「緊張していると集団飛び込み自殺のように見えるだろうから、リラックスしてよ」と言うと、皆が笑い体の緊張もほぐれてシャッターが切れた。実際にXの画像編集技術で政府に顔は割れなかった。映画の公告のような写真になった。

感じたものが何かをとらえること

  B国、C国に行く前に私はA国の軍のO参謀と会った。彼はこの時点では隠密離反者ではないが、独裁的な軍や政権の中にあっても、全体破壊手段の不必要性と私たちのいうSMADと同様のものを提唱していた。私はA1大学の研究者の身分で彼と会って話をした。全体破壊手段の定義と不要性とSMADに関する限りで、私たちと全く同じ考えだった。B国やC国の政権や軍の中にも同様の考えをもつ人々がいるらしい。
  О参謀は「M将軍にも全体破壊手段の不要性を何度も説明してきた。M将軍は納得した振りをしているが、彼は何をするか分からない。私も暗殺されるかもしれない」と言う。私は「それは困りますが、あなたがM将軍にシェルターに連れて行かれても困ります」と言う。O参謀はそこまで考えていなかったようで、呆然としている。私は今が切り出し時だと思った。私は実際の私の立場を明かした。O参謀は喜んで隠密離反者になってくれた。また、ネットを通じてN大佐とZを紹介することになった。強力な同盟が出来上がった。また、B国とC国の政権や軍の中にあってО参謀と同様の考えをもつ人々のうちの重要人物を紹介してもらうことになった。また、A1大学の教授の資格だけでなくそれらの重要人物と会うためのO参謀の特使の資格も私に付与してくれた。
  私はB国でまず、それらのB国の重要人物と会い、O参謀と同様に隠密離反者、内部隠密情報提供者、内部隠密戦略誘導者になってもらった。次いで、Vと会った。Vは私のB1大学留学時代の同僚である。今は、表向きはB1大学の法学部教授であり、裏ではB国の反政府グループHのリーダーだった。生前のP教授とも交流していて、憲法と政治制度についてP教授がまとめたものを共有していた。それらはほとんど私の鏡像のようなものだった。明らかに違っていたのは、Vは仕事と家庭を両立させることができるタイプの人間で、結婚後、五児をもうけていた。五児をもうけなどということは現代において稀なことである。
  それはさておき、P教授のただ一つの弱点は、表現が一般市民に分かりずらいことだった。そこで、P教授がまとめたものを、Vらが内容はそのままにして、一般市民に分かりやすく書き直した。それが後に世界の諸国の憲法の基本となる。さしあたりは暫定憲法としてネットを介して諸国の市民の承認を得ている。あの革命の実質の計画について、GとHはXらが構築したネットワークを通じてよく交流しており、確認する必要はないほどだった。また、О参謀が紹介してくれたB国の重要人物についても、Vもそれらの人物に接触しようとしていたところで、後はVがそれらの人物と直接的に協働することになった。
  議論すべきことが一つあった。B国には反政府グループが複数ありグループHは他と協働していた。最近になってある宗教団体が反政府的な動きを見せるようになり、それらとの協働がB国の反政府グループの間では問題になっていた。20XX年以前には宗教団体が革命に便乗して、新政権の中核を占め、結局、宗教的な独裁へと走ってしまったことがいくつかあった。そのような失敗を繰り返してはならない。当然、「政教分離」の原則は世界中の暫定憲法で明記されている。そのことを十分に確認したうえでその宗教団体と協働してもよいのではないか。Vはそういう立場だった。私は言った。「俺たちの準備は十分だから、そんな宗教団体の助けは要らないんじゃないか。それと、あいつらは革命の本番ではシェルターに退避していて役に立たないだろう」と。結局、私の予想が当たった。より正確に言うと、宗教団体なりのシェルターに逃げ込んだのはその宗教団体の幹部だけだった。
  それらの重要なことを確認した後、私とVは庶民のB国のBT街の店BQに飲みに行った。B国のBT街はA国のAT街の鏡像のようなものだ。留学時代にVたちとよく飲みに行ったが、その頃は多くの酒をオーダーするカネがなかったから、酔うというほどではなかった。この日もあまり飲まなかった。その店は一流の芸術大学B2に近く、画学生がよく集まっていた。だが、今は時節柄、画学生を含めて客はあまり来ず、画学生Jが一人で食事をしているだけだった。Jは二十歳過ぎの女性。Vとはよく話をしていたようだ。Jは父子家庭で父親は貧乏画家。三歳頃から父とともにB国を旅してスケッチをした。小学校高学年までは木炭と画用紙のデッサンだけで、色を付けることを禁じられた。小学校高学年から水彩を許され、高校に入ってからようやく油彩を許された。一流の芸術大学B2に合格し、三年までは教授陣から高評価を得た。だが、最終学年になって、教授陣がJの油彩を「アマチュアに過ぎない」「その歳になってこんなものなら、画家をやめたほうがいい」…などと酷評するようになった。Jはそんな話をVにしていたらしい。
  私とVは少し飲んだ後で、Jのアパートまで行って実際にJの作品を見てみた。Jはさっそく、教授陣に酷評された油彩を三点、私とJの前に並べた。すばらしいと私は思った。新緑の中の小道、行く手に開けた草むらがあり、その奥に廃屋がある。その道を歩いて行きたいと思う。あの少女とその父親の手記への道そのものだった。別の絵では土壁に木漏れ日が当たっている。言い知れない懐かしさがある。また別の絵は青い空と白い雲の下、草原から元気いっぱいの兎が飛び上がっている。兎は伸びやかで、私もそんな風にジャンプしたいと思う。あの森Fで本物を丸焼きにしたことさえ忘れさせる。何故、教授陣は酷評したのだろうか。Jはそれをこの数か月思い悩んでいた。Vも考えていた。私も考えた。私は分かったような気がした。Jは絵を見る人たちが何を感じているかが分かっていない。例えば、私が「歩いて行きたい」「言い知れない懐かしさがある」「そんな風にジャンプしたい」と思っていることが分かっていない。確かに自分が感じたものをそのまま描くことには優れている。だが、写真と絵は異なる。写真は自分が感じたものをそのまま切り取るだけでもよい。また、絵画や彫刻にしても、ともかく何かを塗りたくって造りながら自分や他人が何を感じるかを見ていくという手法もある。だが、20XX年以降の美術や音楽の手法は、十九世紀以前のものへの復興の傾向が強く、光景や曲を緻密に構成してていくものが多い。Jの手法もそうである。そのような手法では自分や一般の人間が感じるものが何かを把握して強調する、あるいは少なくとも他のものがそれを邪魔をしないよういするほうがよい。Jの現在の絵では、感じるものが複数あるのはよいが、それらが互いに邪魔をしているのではないか。私はそのような私の考えをJに率直に言ってみた。Jには思い当たるところがあったようだ。
  結局、芸術に必要なのは、(1)豊かで鋭い情動、(2)情動をある程度自覚し、情動の対象を絞り込む力、(3)それらの対象を再現する技能、の三つだと思う。Jにはすばらしい(1)がある。Jの父親は(2)(3)に秀でていたが(1)に乏しかったのだろう。恐らく(1)は思春期以前にしか育まれない。だから、父親はJを旅に連れて出てJの(1)を育むことに専念したのだろう。そうしながらも父親はJの(1)に嫉妬していたに違いない。私の父にもそんな嫉妬があったと思う。今思うと、父は権力にストレートに反抗できる私に嫉妬していた。
  その後、Jは絵を描き直した。私は描き直し前のあの小道の絵を後でもらって、後の私の家の私の部屋の壁に掛けている。この書の表紙にもそのコピーがある。確かに、木立の間隙の左の角に見る者の目が逸れてしまう。書き直した後の小道の絵にはそのような角がなく、サラリーマンの一生の所得の十倍ほどの値がついている。だが、私は書き直し前の絵も好きだ。それはあの森Fでの少女とその父親の手記発掘の思い出から来ていると思う。そう言えば、あの木漏れ日がさす古壁に似たものもあの発掘のときに森Fで見たと思う。また、あの兎のジャンプもあの避難のときに森Fに至る山野で見たと思う。後で森Fであの廃屋への道を通ったときに、見てみた。すると、やはり描き直し前の絵にあったような角があった。ついでにあの森Fへの山野で見たトンボも「暑い夏が終わった」安堵感という情動をくすぐるだろう。実際、子供も大人も感動していた。初秋、青空と白い雲の下、涼しげに飛ぶトンボの絵もあれば…今度、Jと会ったら提言しようと思う。

名目と信念の混合・一体化、信念の偏狭さ

  B国からC国に発とうとしている頃、なんと、B国のBP大統領が私に面会を求めてきた。私はBP大統領と面会することについてVに彼の研究室で相談した。Vは「『人当たりのよい独裁者・戦略家』だから騙されないように」と言う。BP大統領は六十代の女性である。私は大統領の私邸に招かれた。BP大統領は非公式な会談には私邸を利用するらしい。大統領秘書を名乗る三十代の女性と年配の男性運転手が私が宿泊するホテルの前まで迎えに来た。その秘書は大統領私邸に常駐し、現在はBP大統領が蒐集した美術品の管理をしていると言う。車は私邸の門をくぐった。庭園にはシソ科植物が咲き乱れていた。本館は20XX年以前の中世ヨーロッパの城のように堅牢な造りだが、兵士や武器のようなものは目につかなかった。車は正面玄関のすぐ前まで行き、その秘書が私を中に案内した。長い薄暗いアーチ道を抜けるとまばゆい大広間に出た。内装は絢爛豪華で、世界のほとんどの人々が一目でそれと分かるであろう20XX年以降の有名な美術品が置かれたり掛かったりしていた。その秘書は私にそれらのいくつかについて分かりやすく説明してくれた。もちろん、美術史については私よりその秘書のほうが詳しい。B国出身の画家や彫刻家の名作だけでなく、世界の名作があった。しばらくしてBP大統領が現れ、その秘書は出て行った。
  BP大統領は紅茶や高級菓子を自分で煎れて出しながら「私はD国の資源をA国が乱用していることに耐えられませんでした。あの森Fも今までA国が放射能がないことを隠して立ち入り禁止にしてきたことが許せません…」と語る。その口調から判断すると、彼女にとって自然の保全や人類の生存は、単に独裁制や全体主義を敷くための名目であるだけでなく、信念でもあるようだ。つまり、名目と信念が混合しある程度一体化している。恐らく、最初は名目であったものが信念にもなり、その逆もありえるのだろう。
  考えてみれば、名目だけで生きている人間はいない。どんな人間も生きるには信念、生きがい、価値、目的…などが必要であり、それらがなければ虚しくなる。過去の独裁者にとっても、共産主義、社会主義、国家主義、民族主義…などは単に名目であるだけでなく、信念でもあった。20XX年以前ではヒットラーやスターリンや毛沢東でさえもそうだった。経済的権力者さえも自分が扱う商品や製造する製品は、利潤をもたらすだけでなく、人類の進歩や幸福をもたらすというような信念をわずかにでももっている。家庭における独裁者であるあの前妻Qでさえも「愛とはいかなる犠牲も厭わないこと」などという信念をもっていた。
  信念、生きがい、価値、目的…などで問題になるのは、その内容であり、内容の偏りの少なさである。例えば、生存と自由について、生存に偏っていれば、独裁、全体主義、世界大戦…などに向かってしまう。自由に偏っていれば、生存が危うく、結果として自由も危うい。
  結局、BP大統領との面会は私にとっても彼女にとっても利益も害もなく終わった。その夜にVとあの店BQで少し飲んだ。店の客は私とVだけだった。そのことからも世界大戦が近いことを感じずにはいられなかった。Jもいなかった。Jに関する限りであれらの絵を描き直しているのだろう。芸術家というのは、良いも悪いも、そういうものなんだと思った。私はVにBP大統領との面会のことを報告し「ああいう独裁者のほうがやっかいなんじゃないか」と尋ねた。Vは「確かに、少し前までは市民も騙されていた。だが、あの資源に限定した侵略戦争の戦略をI(私)が暴露したこともあって、最近は市民もBP大統領を信用しなくなった。あのD国侵略の戦略はBP大統領が直接、意図的に立てて命令していたんだ。それとあの報道写真家BCの両眼の傷害を命令したのもBP大統領で直接的な命令だった」と言う。BCの眼の障害の命令の話は今、初めて知った。写真家の眼を限定的に傷害するとは陰湿だ。私は、BP大統領の人当たりのよさに魅力を少し感じていたから、BP大統領に騙されたような気持ちになった。少し考えて分かってきた。私はVに「BP大統領はあの森FもB国に併合しようとしていたんだ。私からあの森の情報をつかもうとしていたんだ」と言った。Vは「そんなもんさ」と平然と言う。Vはさらに「それとBP大統領はI(私)を取り込もうとしたのだと思う。IをFの管理者にして、FをA国攻撃のための基地にするつもりだった」と言う。M将軍にしてもBP大統領にしても権力を拡張するのに利用できる人間には表面的に遜る筋金入りの権力者だ。私は冗談半分で「それなら取り込まれた振りをして、逆に利用してやろうか」と言う。Vは「もうそんな必要はないさ。市民はもうBP大統領から覚めている。後は計画通りにやるだけさ」と言う。考えてみれば、M将軍は水面からして荒れている。BP大統領は穏やかな水面の下にどす黒いものが流れている。A国でM将軍に慣れていると、BP大統領のほうが恐ろしい。
  名目の背後に隠されている独裁、独占・寡占…などの真意は「いずれは」暴かれ正される。また、信念、生き方、価値、目的…などの内容の偏狭さは「いずれは」暴かれ修正される。私たちは生存と自由の両立を目指しており、偏狭さは比較的少ないと思う。だが、「比較的少ない」に過ぎず、偏狭さはあるだろう。例えば、私たちは自由の方に傾いているかもしれない。それもいずれは暴かれ修正されるだろう。歴史上、偏狭さのない「哲人」による政治は伝説、つまり、虚構に過ぎず、そのような人間がいたという証拠はどこにもない。
  だが、それらの「いずれは」では遅い場合がある。例えば、政治的経済的権力者が掲げる「生存」が名目に過ぎないこと彼らが生存に偏向していることの暴露が遅かったから、第三次世界大戦で地上の人類は絶滅した。大量破壊、全体破壊、滅亡、絶滅…などの危機を乗り越えるためには、偏狭さがより少ない内容によって偏狭さがより多い内容を変える必要がある。そのためにも速やかに言論の自由を確保する必要がある。そして、それらの危機を乗り越える最中でも後でも言論の自由に基づいて内容を議論し、それらの偏狭さをできる限り小さくしていく必要がある。

中立

  C国でも私は、О参謀が紹介してくれた重要人物と会い、C国の反政府グループに紹介した。その後で私は、伝説的女性革命家Wと会った。かつて、C国は一度、民主化された。そのときの革命家である。だが、その後、民主制は形骸化し独裁化が進んだ。それは革命後の政権が民主制のみを重視し権力分立制と法の支配を軽視したからである。Wは権力分立制と法の支配の重要性を強調したのだが、他の革命家たちは無視した。そこで、革命直後にWは引退し、現在の独裁政権からの弾圧はなかった。
  C国の首都からWの隠遁所までは鉄道とバスと徒歩で二、三時間足らずである。バス道に沿っては自然が残されていた。世界有数の長さの滝もある。普段なら観光客で混雑するのだろうが、乗客はまばらだった。バスが山道を登り針葉樹林を抜ける。その滝も遠くからだが見えた。細い水の流れが岩と風と太陽の光を縫っていた。登るにつれて肌寒くなった。
  バス停に着いた。鉄道の駅への帰りのバスの時刻のメモを忘れないようにした。山道を歩いて登った。やがて、視界が開け、小さな村に着いた。予想通りの古びた隠遁所でWと会った。Wは、七十代の女性で、予想通りにとりとめもないことを語る。P教授の話になった。予想通りにWは「Pの性格なら、公にあのようなことを語らざるをえなかった。それにしても、自分より先に暗殺されるとは思わなかった」と言う。これは予想外で、Wは「Pと恋に落ちたことがあった」と言い出した。P教授にとってはWは年上の人である。Wは若かりし頃のPをまるで昨日のことのように語る。私は次第にそんな話が退屈になってきた。私はWにある形で協力をお願いするために来た。「三顧之礼」をしている時間はない。
  私にとって長いと感じられる時間が経った後、Wは自ら言った。「君たちは権力分立制と法の支配を重視し、革命が一時の熱狂に終わらないよう十分な注意を払っている。私はそれを評価している。Pも喜ぶだろう」と。そのときの私を見るWの目は、情熱的な革命家ではなく熟練した革命家の目だ、と私は思った。Wは隠遁していても、私たちの動きを把握してくれていた。Wは革命の実質では戻って来てくれると思った。私は真摯に「C国政府は一見したところ中立を守っていますが、軍は大戦と革命のどさくさに紛れて急遽、A国とB国の両方に侵略し世界制覇を目指すかもしれません。革命の頂点でもなんとか中立を維持させてもらえませんか」とお願いした。それを言うとWは私を見据えた。研ぎ澄まされた革命家の目だと思った。「よし分かった」とWはキリっと言う。私は「よろしく」と退散しようとする。するとWは独居老人の目になって「さみしいじゃないか。もう少し居ておくれよ」と言う。窓ガラスの外にはWの自作と思われる苔むす庭園が広がっていた。太陽の光を受けて水々しい苔が輝いていた。私が「いいお庭ですね」と言うと、Wはまるで子供のようにはしゃぎながらその庭園を案内してくれた。あのAT街の独居老人Kに自炊の仕方を尋ねたら、このように教えてくれるだろうと思った。何歳になっても発見や試作の喜びはあるものだと思った。
  帰りはバス停から別ルートになった。バスが山道を昇り降りする。まだ、日は沈んでいない。途中で展望台に立ち寄った。観光客はやはりまばらだった。ここにはかつて堅牢な造りの修道院が建っていた。さすがに千五百年の風雨に耐えられず崩壊し、跡地が野ざらしの展望台になっている。見渡す渓谷は変わっていないだろう。絶壁が西側にあって、沈む太陽を見下ろせる。空があまりにも広い。今、つくづく思うことがある。過密と高層化が進みビルの谷間で生きる人間にとって、広く澄んだ空への憧れは強烈である。高層ビルの展望台は、晴れた日は暑い日でも寒い日でも単純に空を見たい人でいっぱいである。昇るのに長い行列ができている。
  さて、空のほとんどの部分が視野に入るように見上げてみた。結構、これが難しい。そういえば、空を見上げるとしても、せいぜい西から東へ見渡す程度だった。立ったままではなかかできない。ベンチに寝転んで初めてできた。結局、地上の動物の多くは空を見渡すように進化していないんだ。主に大地に注意が向くように進化したんだ。鳥類を天敵とする動物ならできるのだろう。人間には無理があるのだろう。と思ってあきらめて、夕日を目に焼きつけておいた。日が沈んだ後は、大地を這いずり回ってやろうという意欲が沸いてきた。もしWと会ってあの話ができていなかったら、こんなことを考える余裕はなかったと思う。

陽はまた昇るのか、どさくさに紛れて

  私はA国に帰り、まずO参謀の執務室に直行してB国、C国の重要人物との交渉成功について報告した。О参謀はその直後に言う。「全体破壊手段を使用しないようM将軍を説得しているが、困難だ。核兵器の使用は何とか抑えられるが、不変遺伝子手段の使用を抑えることは困難。超小型の無人飛行機を用いて不変遺伝子手段を世界中に散布しようとしている」とため息をつく。О参謀は既に隠密離反者になっており、それらの「不変遺伝子手段」がUがすり替えた偽物であることを知っている。だが、やはり偽物の使用も抑えたい。世界の市民に恐怖または不安という苦痛をもたらすかもしれないからである。Z、X、U、Tにも来てもらって、その苦痛を防ぐ方法を練った。恐怖が広がれば、偽物であることを公開せざるをえないかもしれない。それまでにシェルターに逃げ込んだ者たちの地上への反撃を完全に抑えておかなければならない。それを確認した。実際にそれらはうまく行くことになる。
  N大佐には最後の最後まで、場合によってはシェルターに潜った後もM将軍をマークしてもらわなければならない。そのためにN大佐は最近は慎重で、相互の連絡もとらないようにしていた。それはN大佐も私たちも想定していた。
  唯一の残る問題は、О参謀、U、Tを含むM将軍にとって重要な意味をもつ隠密離反者がシェルターに連行されてしまうことを避けることだった。それについて、M将軍がシェルターに潜り(疑似の)全体破壊手段を使用する直前に、それらの連行されそうな隠密離反者はZらが作り管理している潜伏所に潜り、時が熟したときに一気に表に立って革命を遂行することになった。私とXについては彼らと行動を共にすることになった。私、U、X、T、О参謀を含む政府に顔が割れていないグループGのメンバーは潜伏所の所在地を知らないようにしていた。政府や軍に捕まったときに拷問され潜伏所の所在地等を吐いてしまう恐れがあるからである。だが、ここまで来るともう拉致、拷問の危険はないと思った。
  意外と早くそのときが来た。私、U、X、TとO参謀らは潜伏所に初めて潜った。潜伏所は政府と軍の主要施設の近くでAT街の地下にできていた。これは盲点だと思った。結局、展開していた権力疎外はここでも活きた。これは安全確実だ。しかも、革命の実質ではそこから政府と軍の主要施設を一挙に占拠できる。電気や水道は公共のものを黙って拝借していた。地下の潜伏所の福利厚生は意外と充実していた。トレーニング施設やサウナもある。顔が割れたために地下に潜伏せざるをえなかったスタッフたちと私とXは再会した。それらの設備のおかげで潜伏前より健康的になっていた。日焼けのための施設もあるようで、潜伏前より日焼けしていた。Zら潜伏所と地上の連絡を行うスタッフは前述の自殺装置を外した。もうそんなものは要らないだろう。私はホッとした。秒読み段階に入った。皆、無口になった。互いの心臓の鼓動が聞こえるようだったが、それは地上の人間の絶滅への不安によるのではなく、世界同時革命への期待によっていたと思う。今まで地下で潜伏生活を余儀なくされてきた同僚たちにはともかく地上に出て日の目を見ることへの期待もあったと思う。
  そして、そのときが来た。内部隠密情報提供者からM将軍らがシェルターに退避しつつあるとの情報が入ってきた。(疑似の)全体破壊手段の使用とSMADによる世界の主要国の政府と軍の主要施設の相互破壊は数時間後だろう。
  Xら情報技術者は世界に「数時間後に世界の政府と軍の主要施設が破壊されます。そこから退避してください。既に退避している方々はもっと周辺に退避してください」と発信した。もちろん世界の政府と軍の幹部にも発信されている。彼ら彼女らはシェルターに退避するだろう。さらに、世界の反政府グループと隠密離反者が世界の政府と軍の幹部に隠密に「A国のM将軍が全体破壊手段を数時間後に使用するかもしれない」と伝えた。彼ら彼女らはすぐにシェルターに退避するだろう。世界の隠密離反者には隠密に「シェルターに連行されないように、政府と軍の主要施設から隠密に退避してください」と発信した。幹部以外の公務員には一般市民と同様のことが伝わっている。実際にそれらは速やかに実行された。瞬く間に世界の政府と軍の主要施設が無人になった。世界の政府と軍の幹部がシェルターに退避した。政府と軍の主要施設の周辺にあるAT街、BT街などの庶民の街の人々もできるだけ周辺に移動した。それらをXらが確認した。ちなみに、Xら世界の反政府グループの情報技術者は政府の監視カメラにも潜入して、その映像も随時、入手していた。私たちも潜伏所内でできるだけ周辺に移動することになった。
  そんなとき。Uが「実験動物の設備の安全性を確認をしていなかった。研究所に戻る」と言う。O参謀はあっけにとられている。Zは「駄目だ」ときっぱり言う。Xは研究所等の監視カメラに潜入している。研究所の中とその周辺が無人であることをXが確認した。政府と軍の主要施設が無人であることは既に確認していた。M将軍らがシェルターに降りて行ったことも既に確認していた。Uの研究所は政府や軍の主要施設から比較的離れており破壊されないだろう。Zも「後は計画通りにやるだけだ。おめえらは好きなようにしていいよ」と折れた。O参謀は笑っていた。
  Uと私は潜伏所から地上に出た。誰もいない研究所に戻って、実験動物への補給路の堅牢さと酸素、水、飼料…などの補給物の備蓄を確認した。十分だった。ウサギRはケージに入れて連れ出した。周辺部に向かって歩いた。25YY年、秋たけなわ。誰もいない都会というのは美しい。今は街路樹になっているイチョウの黄色の鮮やかさは太古のままだろう。どんなに高層化が進み汚染されても空と太陽はある。ビルの谷間であっても太陽が沈んでいくのが分かる。太陽の光がビルの窓ガラスで反射して私たちにも当たり、Uの顔は薄紅色だ。Uは「陽はまた昇るのか」と言う。それは正確な表現ではないだろう。視覚をもつ動物はまた昇る朝日を見るのだろうかが、正確な表現だろう。だが。Uの表現は比喩として悪くないと思い、それについては何も言わなかった。
  誰もいない大通りを歩いた。陽は沈み、街灯も消えていて薄暗い。と思ったら、数人のホームレスが広い車道のど真ん中で焚火をして酒宴を開いていた。なるほど、こんなときにしかそんなことはできない。彼らは「おう、兄ちゃん姉ちゃん飲んで行けよ」「こんなときにペットを連れて散歩とはいい度胸してるね」と言う。よく言うよ。似たものどうしじゃねえか。私はちょっと飲んで行こうかと思ったが、Uが私の手を引いて行った。あの国際会議場を過ぎ、数か月前に市民が集結していたあの公園に入った。私たちが何をしたかはだいたいの想像がつくと思う。私たちはその公園の広い芝生に入って、ケージを地面に置いて、横たわり抱きしめ合った。
。。。
過密が頂点に達した現代において、このような体験はこのようなときにしかできなかった。誰も居ないと思っていた。だが、同じようなことを考えるカップルが数組いた。だが、広い芝生で互いに邪魔にならなかった。唯一気になるのはRのゴソゴソという動きだった。芝生のチクチクや夜風はむしろ心地よい。夜空の下
。。。
ビルはすべて倒壊して、瓦礫が延々と広がる。人を探すが誰も居ない。私は歩いた。瓦礫だけが広がる。空はどこまでも広く澄み渡っている。だが、鳥も飛ばない。瓦礫を超えて河原に着いた。水は澄んでさらさらと流れる。だが、魚も泳がない。上流を見渡すと、中州に女性が一人立っていた。髪と長い袖を風にたなびかせている。私は近づこうとした。すると一瞬、その人の体が引き裂かれたように見えた。だが、髪と服だけが風に吹かれて舞って行った。人はそこにも居なかった。
。。。
ポケット・コンピューターが振動している。夢だった。何故、あんな夢を見たのだろう。孤独への不安の表れだろう。また、自分がやってきたことへの自信のなさの表れだろう。過信があるよりマシだと思い直した。陽はまた昇っていた。しかも、既に高く昇っていた。午前11時45分だ。Uも私も何もこんな時間まで寝ているつもりはなかった。少し芝生で寝ころんですぐに潜伏所に戻って革命を手伝おうと思っていた。ポケット・コンピューターを開いた。早朝から何度も着信があったようだ。テレビ電話に出た。Zが「おめえら何をやってやがんだ。公園で二人で寝てたのか。なんてやつらだ。革命は完結したよ。世界無血革命だ。SMADもうまく機能した。すべて計画どおりだ。いまさらおめえらが来ても何の役にも立たないが、寂しいだろう。政府前広場に来いよ」と言う。ZはXに変った。Xは革命を主導するだけでなく、世界の情報を集めていた。「世界同時無血革命よ。C国でちょっと危ない動きがあったけど、封じ込められた。あのWが出て来て封じ込めてくれた」と言う。A国、B国、C国の政府と軍の主要施設は破壊されたらしい。私たちのSMADはうまく機能した。私とUが寝ていた公園はA国の政府や軍の主要施設から一キロメートルも離れていない。それらの崩壊音も聞こえないほど私たちは熟睡していたようだ。Uは私の話し声で目を醒ましたが、起きづらそうだ。軽い風邪を引いたようだ。夜風のせいで、あの偽物のせいではないだろう。後にUはそれを自ら確かめた。私はやはりなんともない。「馬鹿は風邪を引かない」という諺がいやに出てくる。私たちは政府前広場に向かった。公園ではイチョウだけでなくメタセコイアも紅葉しかけていた。
  革命の最中でも世界の情報を収集していたXによると、シェルターに連れて行かれなかった政府と軍の下層と中間層の公務員が反政府グループの側に一気に離反してきた。それは私たちの予想通りだった。シェルターに連れて行かれなかった者、つまり、見捨てられた者が、見捨てた者に従うわけがない。遅ればせながらも離反してきた人々も、革命前から隠密に離反していた人々ほどではなににせよ、厚遇されるだろう。だが、遅ればせながらの離反者の中には、例えばA国ではAP大統領や高級官僚や財界首脳も含まれていた。そのような人々を「傀儡」と呼ぶのだろう。「傀儡」とは慣用上、そこそこの権力をもっていながらより強大な権力者に操られている人々を指すのだろう。いずれにしても、それらの人々も赦免されるだろう。
  結局、世界のすべての国家においてあの計画通りに進み、無血革命となり、SMADもうまく機能していた。ただ一つの危惧が現実になりかけていた。Xによると、シェルターに逃げ込んでいた超大国Cの軍の実質的支配者が地上に残る軍に、超大国AとBに侵略し占領する指令を出していた。彼らの意図は他国のどさくさに紛れて世界制覇を目指すことだったのだろう。しかも、市民の反政府的なエネルギーを他国への攻撃へとそらす。いかにも第三国の政治的経済的権力者が考えそうなことじゃないか。もしこれが成功すれば史上最大の「どさくさに紛れて」だった。私はそれを防ぐためにC国であのWと会って相談していた。Wはその前兆を察知し、C国の市民と地上に残された軍の前面に立ち「…他国に構うな。自国の国家権力を民主化し分立することに専念しよう…」と演説を行った。C国の地上に残された軍は、シェルターに退避した者に従わず、Wらに従い、シェルターを封鎖し、シェルターに退避した者が地上に戻れないようにした。Wは暫定憲法の公布まで、市民と反政府グループの背後に立ってくれた。Wはあの約束を守った。結局、C国の革命は新旧の反政府勢力が協調しての革命になった。だが、今回の革命は民主制だけではなく権力分立制と法の支配も重視しており、過去の失敗を繰り返すことはないだろう。

カリスマ排除、地味で地道な民主的分立的制度の維持

  Uはまだ軽い咳をしているが、元気を取り戻しつつあるようだ。政府前広場に行くには庶民の街を通ることになる。庶民の街は既に日常に戻りつつあった。ビルの谷間でも真昼の太陽の光は街路樹や歩道の縁石のところどころに差す。一階の大衆食堂も既に開店していた。客も増えてきた。何事もなかったかのようだ。庶民のたくましさがひしひしと伝わってくる。Uも私も、水分は摂っていたが、昨日の夕食から食事なしだった。だが、食堂に寄って食べてから行くのは控えた。
  政府前広場に着いた。広場の周りの政府と軍の主要施設はほぼ破壊されていた。Uの研究所はそれらから少し離れていて無事だった。私たちのSMADは本当にうまく機能した。グループGの潜伏していたスタッフと離反した公務員の一部とAT街の有志が大型のテントを張ってくれていた。そのテントが暫定政権の建物になる。交戦はなくても疲れているだろう。深夜から働きっぱなしではないだろうか。彼ら彼女らのことを考えると、Uと私は、悪いような気がして、広場の周辺を歩いた。ところが、人々が私たちを見つけて寄ってきた。私たちは革命の裏方として凱旋するようになってしまった。革命の実質では裏方さえもしていないのにである。人々は微笑んでいる。眠っていたことが伝わっているのだろうか。テントの外でZらが立ち話をしていた。Zが私たちを見つけて「この大革命の真っ最中に首謀者が眠っていられるとは…どんな神経をしてやがんだ」と笑う。AT街の人々が炊き出しをしてくれていた。あのY社長があの技術で製造した食品を炊き出しの材料に持って来てくれていた。もうY社長のあの技術による製造への不条理な規制はない。Zは食材を購入しようとして現金を差し出したが、Y社長は受け取らなかったらしい。私とU以外のグループGのメンバーは既に朝食も昼食も済ませていた。私とUはようやく朝食兼昼食にありつけた。うまかった。あの「革命でござる」も入っていた。Y社長の苦労を考えると、この場で宣伝するのも許されると思う。あの店AQで食べたときよりうまかった。Y社の技術は日進月歩しているのだろう。停止されていた報道機関も再開しつつあった。結局、私とUは革命の絶頂を世界に既に放映された映像の録画で見ることになった。朝食兼昼食をほうばりながら、次のように。
  歩いて来たと思われるAT街の人々が、既に大きく開かれた正門を抜けて広場に押し寄せる。その後を地下の潜伏所で組み立てられた戦車が一台進む。その周りを人々が進む。後にも人々が続く。正門の外にも人々が続く。それらを望遠レンズがとらえる。結局、地下で組み立てられた戦車は、ここでこんな風にしか役に立たなかった。それは好ましいことだ。Zが戦車のハッチに座って照れくさそうに笑っている。砂ぼこりが立つ。それを朝の太陽の光が差す。なかなかいい映像だと思った。無血革命を目指し、衝撃的な映像を残すような革命にしたくないと思っていた。だが、無血革命はいい映像になると思った。だが、Zには「なんだ、お前も戦車もこれだけのことをしただけじゃねえか。俺たちは寝ててよかったよ」と言っておいた。本当は「無血革命」を精一杯祝福していた。眠っていた私たちだけでなく、世界の反政府グループと市民の誰もが戦闘をしていない。それどころか戦闘を見てもいない。かすり傷一つ負っていない。これが文字通りの無血革命だ。世界中の国家で同様の無血革命が起きた。朝食兼昼食がうまい。だが、ヒヤッとした。数人が戦車によじ登ろうとし、Zが引き上げようとした。戦車はすぐに止まった。「馬鹿野郎!事故が起きたら、無血革命じゃあなくなるじゃねえか」と私は思わず叫んでいた。私はそれが録画であることも忘れていたようだ。数人が無事に戦車に昇った。Zは他を丁寧に制止し、戦車は再び動き出した。昇ってきた人々が腕を空に突き上げる。人々の歓声が響き渡る。Zは、ハッチから出て、戦車に昇って来た人々に突起物をしっかり掴ませていた。Zは、このような事態も想定して、戦車の突起物まで確認していたのだろう。Zらはしっかり準備をしてくれていた。そして市民の犠牲をゼロに抑えた。これこそが真の革命家じゃないか。復活したばかりのマスコミのカメラワークと編集も、さすがプロだと思った。弾圧中も、機材を点検し、レンズを磨いていたのだろうか。やがてカメラが人々の中に入っていく。カメラに手を振る人々もいた。この時点では庶民の街の外の郊外の人々も大勢なだれ込んでいて、貧富の格差は分からなかった。それも望ましいことではないだろうか。そんなとき、あの森Fの住民たちも来ているのに気づいた。あのぬいぐるみとそれを与えられた女の子とそれを与えた女性も堂々と歩いていた。彼女ら彼らがデモに参加するとすれば、いったいどこの国のものに参加すればよいのだろうか。D国かB国かA国か、将来独立するであろう「F国」か。だが、そんなことを考える私のほうが「国家」にとらわれていた。彼女ら彼らはたまたま往復のトラックに乗せてもらえたからここに来たのだろう。彼女ら彼らのほうが国家にとらわれていない。それに感心した。
  その後早々と、Uと私の「凱旋」の様子も放映された。私は髪の毛ボサボサ、髭ボーボー、服はしわクチャだ。私は「俺って写真うつり悪いな」とぼやいていた。私はウサギRの入ったケージを持っていたので、軽快には歩けない。Uは軽やかにさわやかに映っていた。Uの間に合わせのポニーテールが、文字通り子馬のしっぽのように揺れていた。Uの歩き方は、子馬というより、小鹿のようだった。Uには悪いが、三十過ぎとは思えなかった。Uは「一日一分でできる健康法」という一般市民向けの本も書いていて、その中で"U-step"という脳への間接的な衝撃を少なくするとともにつまずき・転倒を予防する歩き方や"U-jump"という一日一分でできる筋トレ兼ストレッチを紹介し、それも有名になっていた。そのU-step自体が軽やかだが、それより軽やかだった。だが、Uはその歩き方を見て、「いやだー」と目をそむけていた。軽やか過ぎたのだろう。ところで、Rは革命で凱旋した史上初のウサギとして有名になった。
  B国でも革命はスムーズに進んでいた。最後にはあのBP大統領が地下のシェルターから地上に投降してきた。それが放映されていた。かつての「人当たりのよい独裁者・戦略家」の人当たりのよさはなく、憔悴しきっていた。彼女にもそれなりの内的葛藤があったのだろう。群集は彼女を精神的に追い詰めようとした。そこであのVが行き過ぎにならないよう群集をじっくりと説得していた。その「じっくり」はVにしかできないと思った。ところで、あのBP大統領私邸にあった美術品はシェルターに持って行かれなかった。あのBP大統領秘書も連れて行かれず、離反した。B国の革命の最中に私邸の建物は外壁に落書きをされたが、秘書は美術品を守った。後に、私邸はあの大広間の美術品とその落書きをそのままにして国立の美術館になり、秘書はその館長になり、あの長いアーチ道も展示スペースになることになる。それらの過程をVらは見守った。さらに後に、あの画学生Jの絵画とあの盲目の写真家BCの写真がその美術館の大広間で歴史的な美術品とともに永遠に展示されることになる。
  C国のWのあの演説も世界に放映されていた。七十代の伝説的革命家でなければありえないド迫力だった。Wの頑丈な顎が際立っていた。Wには悪いが棺桶に入れて葬れば数百年はその顎は健在だと思った。それだけ余計に背景の青空と白い雲が引き立った。後に、C国の暫定政権樹立宣言時の映像も流れたが、そのとき既にWは居なかった。隠遁所の庭の苔への水遣りを急いだのだろう。
  やっぱりWも表に立ちたくないし立つには適さない。P教授もそうだっただろう。私もUもZ、X、T、N大佐、O参謀…もそうだ。カリスマ性は排除しなければならない。カリスマは熱狂的な革命の原動力になりえるが、革命後は独裁に走り革命の成果をぶち壊す。それは20XX年以前にも以降にも何度もあったことである。グループG、Hを含めて世界の反政府グループは意識してカリスマ性を排除していた。その排除の指標は(悪循環に)陥る傾向のうちの支配性と自己顕示性だった。簡単に言って、「目立ちたがり屋」を排除した。
  また、「演説」なるものも自粛した。演説も言論の自由に基づくのだから、禁止することはできない。だから、自粛した。憲法や法律や政策の内容を説明するのは構わない。だが、人々を感動させるような演説になってはいけない。過去に「偉大な」と言われる政治家の演説が有名になったことはあった。それらの演説は感動させるだけで、政治制度と政策についての内容がない。現代の世界の独裁者たちもよくそのような演説を行っていた。一般市民はそのような演説に辟易していた。この度の革命で演説のようなものになったのはC国のあのWのものだけだった。革命の前を見渡してみても、そうなったのはP教授のあの国際会議場でのものだけだった。だが、彼ら彼女らの演説のように見えるものには、民主制だけでなく、権力分立制、法の支配を確立しなければならないという濃いい内容があった。Wのものが演説調になってしまったのは数十年前の癖が残っていたからだろう。P教授のものがそうなってしまったのは今まで抑えていたものがはちきれたからだろう。
  私たちのカリスマ性排除には前述の私のものと同様の動機もあったと思う。繰り返すが、「権力を獲得して振るい自己顕示して栄誉を残そうとする権力者はどこにでも居る。私たちはそんな者たちと同類になりたくない。権力を民主化し分立するだけでなく、自己顕示せず栄誉を残さず人知れず匿名でそれをやりたい」  そういう動機があったと思う。実際、人知れず世界や歴史を変えることには言い知れない快感がある。しかも、生存と自由の両立などという困難なものに挑戦していると、胸がワクワクしてくる。しかも、困難であればあるほど、なかなか達成できず、それらの快感が長く続く。こんな都合のよいことはない。簡単に言って、好きでやっている。UやZ、T、X、V、W…もそうだろう。P教授もそうだっただろう。
  だが、「好きでやっている」というのは、革命が成功した直後でしか言えない。誰もが苦しんだ。例えば、私は両親とP教授という最大の友を失った。Zらは例の「自殺装置」を数年間、はめざるをえなかった。N大佐はM将軍をマークしなければならず今もシェルターに潜っている。まだ、約千人のいわゆる「政治犯」がM将軍にシェルターに連行され、まだ解放されていない。ここで問題なのは生きている政治犯の数が少なすぎることである。政治犯の多くは即、殺害され文字通り闇に葬られた。世界革命は無血革命になったが、その前には、20XX年以降の五百年間の世界で、独裁政権による戦争と虐殺、暗殺によって少なくとも一千万人の人間が犠牲になった。それは独裁政権による飢饉、自然災害、パンデミック…などへのまずい対応による犠牲者、つまり「人災」による犠牲者を除いてである。それらによる犠牲者も入れれば、20XX年以降の地上の人類が絶滅した後の五百年足らずで、世界の独裁政権による犠牲者は百億人を超える。
  Uは、風邪など吹っ飛んだようで、朝食兼昼食を急いで食べ、ウサギRを研究所に戻した後、全体破壊手段の不活化の確認に走って行った。既にO参謀が中心になって軍の専門家が全体破壊手段を不活化していたが、その確認にである。XとTは、私たちが政府前広場に着いた頃には既に、人工知能の起動に取り掛かっていた。人工知能は相当な地下にあって、ハードウエアが破壊される危険はなかった。だが、停電またはバッテリー切れによる突然のシャットダウンによる障害を予防するために、TとXが潜伏所に潜る前に意図的にシャットダウンさせていた。専門家は忙しい。革命に酔いしれたりカリスマ性を追求したりしている暇はない。他のスタッフも疲れているだろう。戦闘はなくても離反者への感謝、市民の誘導、テントの設置…などに奔走していた。彼ら彼女らには仮眠をとるよう勧めた。実際、Zは小さなテントに入ってすぐにいびきをかき始めた。
  以上のように今回の革命は世界的にうまくいった。数年間、しっかり準備をし計画していたからだと思う。うまくいき過ぎてそんなに準備をし計画を練らなくてもよかったのではないかと思うほどである。権力者をあそこまで追い詰めなくてもよかったと思うほどである。だが、今後、また独裁制が復活しても、25YY年と同じようにして革命を起こせばいいやと思われては困る。今回は全体破壊手段がまだ全廃されていなかった。だから、世界の政府と軍の幹部が全体破壊手段を恐れてシェルターに即座に一斉に逃げ込んでくれた。だから、今回の革命はうまくいった。今後は全体破壊手段は全廃され予防される。だから、権力者が一斉にシェルターに逃げ込むことはない。だから、今回のような「世界同時」革命が起こることはない。
  だから、私たちはそれぞれの国家において、独裁制が出現しないように民主的分立的制度を地味で地道に維持する必要がある。民主的分立的制度にはそれ自体を維持する機能が内在する。例えば、自由な言論は政治家の独裁的な言動を暴き批判することができ、公正な選挙は独裁的な候補者を排除することができる。そのような内在する機能を最大限に活かして、民主的分立的制度を地味で地道に確立または維持する必要がある。もし、独裁制に逆戻りし、改革や革命を実行したとしても、熱狂的で瞬発的なものに終わらずに、民主的分立的制度を地味に地道に維持する必要がある。そのような地味で地道な努力が最も重要だ。それを世界の反政府グループと市民は確認した。

紙の投票用紙

  結局、地上のすべての国家で暫定憲法、暫定政権だけでなく新憲法、新政権の樹立が完結した。Uが開発した疑似の全体破壊手段は結局、世界で一握りの人々に軽度の風邪症状を生じただけだった。それが疑似の全体破壊手段であり、M将軍が本物の全体破壊手段と思い込んで使用したこともスムーズに公開できた。現在のことろM将軍らはシェルターに潜ったままで反応がない。
  革命前からUと私はA国に留まらず全体破壊手段の全廃と予防のために世界に向かうことはグループGの中で合意済みだった。私とUはその頃には、E国のEC市に居たが、流れから言って、諸国の暫定憲法、暫定政権、新憲法、新政権の樹立の過程をここで述べておいたほうがよいと思う。
  革命前から、グループGはあのP教授のまとめた民主的分立的制度を、Xらが構築したネットワークを通じて世界の市民と反政府グループに公開し、世界の市民の多くが理解し支持していた。B国のあのVら憲法学者がそれらを分かりやすく書き直して憲法の基本として提示していた。世界の反政府グループはその基本を翻訳し若干の諸国への応用を加えて、それぞれの国家の暫定憲法として市民に提示し、ネットを通じての投票に過ぎないにせよ、世界のすべての国で3分の2以上の過半数で承認されていた。革命直後にそれを暫定憲法として公布しそれに基づいて暫定政権を樹立した。
  暫定政権の人選について、立法権においては、従来の上院がL系のL議院になり、従来の下院がS系のS議院になった。それに大きな問題はなかった。立法権に関する限りでL系とS系への分立は既にある程度は成されていたということである。司法権の裁判官はほとんどが留任した。警察と軍を含むL系の行政権とS系の行政権について、両系の公務員はほとんどは最終段階までに離反者となっており留任した。暫定憲法の承認について、ネットを通じてに過ぎないにせよ、旧政権の都合のよいように操作されていた電子投票よりはよっぽど厳正なものだった。だが、新憲法の承認と新政権の選挙については、いかに厳正なものであれ、電子投票だけではだめだろう。紙の投票用紙との併用が必要であり、紙を証拠として少なくともその投票によって選ばれた人々が在任の間はそのまま保存する必要がある。
  革命前は独裁政権が言論統制のために(1)紙の製造業、印刷業、製本業と(2)電波の生成に規制をかけていた。(1)の規制は新聞社、出版社への、(2)の規制は民間の放送局への言論統制のためだった。(2)の復旧は早いが、(1)の復旧は早くない。だが、(A)新憲法承認のための投票と新政権の選挙を延期することはできない。紙の投票用紙なしで済ませることもできない。それらをすると、悪しき前例を残してしまう。そこで、世界のすべての国が紙の投票用紙を伴う(A)を敢行した。すると、独裁政権の下で衰退していた(1)と他のいくつかの業種が盛況となり雇用も生まれた。だが、選挙やレフェレンダムは頻繁にあるものではない。それらの間欠期にそれらの産業がどうするか。それはTらS系の社会権の保障の専門家たちが答えることである。企業が一見したところの他業種に手を出すことへの過剰な制限をTらは撤廃した。その結果、従来の大企業の独占・寡占がさらに解消され、自由競争がさらに促進され、経済がさらに上向いた。例えば、(1)は(3)製薬や食品加工の一部にも進出した。実際、(1)の技術は(3)の一部に応用できた。(1)は衛生管理をすることができないなどというのは、独占・寡占を目指す(3)とそれを許して賄賂、つまりは政治資金を得る旧政権の政治家の名目に過ぎなかった。実際、(1)は衛生管理ができた。その結果、薬の値段と医療費と、食品の値段がさらに下がった。

国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの詳細

  結局、世界のすべての国家で、選挙とレフェレンダムがあり、国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)することを含む民主的分立的制度を規定した新憲法とそれに基づく新政権が成立した。民主的分立的制度に基づく国家権力の骨組みとその人選をA国の例を挙げて以下のように説明する。世界の国家間で大きな違いはない。

司法権
  最高裁判所
    長官を含む裁判官:後述するとおりL議院が優位性をもってL議院とS議院が選出
自由権を擁護する法の支配系(L系)
  L系に固有の立法権(L議院)
    L議院の議長:L議員が選出
    L議院の議員:小選挙区制で選挙
  L系に固有の行政権
    軍を指揮・監督するL議院の中の委員会:L議院が選出
      軍
        軍の長官:L議院が指名:Zが指名された
    検察・警察を指揮・監督する委員会:L議院が選出
      検察・警察
        検察・警察の長官:L議院が指名
    国内における全体破壊手段全廃予防を査察監督する委員会:L議院が選出
      国内において全体破壊手段を全廃予防し査察する機構
        その長官:L議院が指名:O参謀が指名承認された
    L系に固有の外交委員会:L議院が選出
      L系に固有の外交機構
        その長官:その委員会が指名、L議院が承認
    選挙とレフェレンダムを管理する委員会:全国の地方自治体の選挙管理委員会が選出
社会権を保障する人の支配系(S系)
  S系に固有の立法権(S議院)
    S議院の議長:S議員が選出
    S議院の議員:比例代表制を含む大選挙制で選挙
  S系に固有の行政権
    長官:全国区制で選挙:Tが選挙された:以下の部門の長官はこの長官が指名する。
      経済部門
      自然保全部門
      労使関係調整部門
      医療福祉部門
      教育文化部門
      科学技術部門:Xが長官に指名された
      財政税務部門
      S系に固有の外交部門
      その他の部門

以下を補足する。
  国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立に伴い、立法権は、L系に固有の立法権(L議院)と、S系に固有の立法権(S議院)に分立される。暫定政権では従来の上院がL議院となり、従来の下院がS議院となっていた。それに大きな支障はなかった。既に上院と下院の目的と機能の配分は、L議院とS議院のそれらに近いものになっていたということである。つまり、立法権に関する限りで既に、L系とS系への分立はある程度、成されていた。暫定憲法と新憲法でそれぞれの目的と機能の配分が明確に規定された。目的の配分について例えばA国においては「立法において、L議院は自由権と政治的権利の擁護と民主制と権力分立制と法の支配の維持、拡充を目的とする…S議院は社会権の保障を目的とする」となった。機能の配分については、「上記のL議院の目的のための立法に関しては、L議院が先議し、S議院が異なる議決をした場合で、L議院が三分の二以上の多数で再議決した場合は、L議院の議決が法律となり…社会権を保障する立法に関しては(上の逆)」などとなった。選挙制度について。L議院には小選挙区制が適し、S議院には比例代表制を含む大選挙区制が適する。暫定憲法でその概略が規定され、暫定政権のL議院とS議院でそれに基づく選挙法が可決され、新政権の選挙で初回の選挙が実施された。
  国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立するに伴い、行政権もそれぞれに固有のものに分立される。警察、軍…などの公的武力はL系の行政権に属する。犯罪のほとんどは自由権を侵害することであり、警察、検察による犯罪の捜査と告訴のほとんどは自由権を擁護することだからである。また、侵略は自由権と民主的分立的制度を侵害することであり、軍による国防はそれらを擁護することだからである。それらがL系に編入されるとき、従来の行政権のほとんどがS系の行政権に容易に編入できる。S系の行政権を分岐させるほど、行政の効率は低下し、公的経費と税金は増大する。また、社会権を保障するための総合的な政策の立案と推進をいっそう困難にする。思い切ってS系の行政権を分岐させず一つの機構とすることも考慮されたのだが、それは今後の課題となった。それに対して、L系においては、司法権、立法権、行政権の三権を厳格に分立させるだけでなく、検察・警察と軍を厳格に分立させる必要がある。何故なら検察・警察は軍の違憲・違法行為を捜査し告訴しないといけないからである。警察・検察と軍のそれぞれを監督するのは、L議院の別個の委員会である。それら委員会の兼任は禁止される必要があり、実際に禁止された。
  行政権のL系とS系への分立に伴い、外交部門もそれぞれに固有のものに分立される。国際会議にはそれらの二つの外交部門の二人の長官が出席することがありえる。
  教育と文化について、大人についてはどのようなものを享受し創造するのも個人の自由であり、その自由を自由権の一種として擁護するのはL系である。大人に対して、子供についてはどうだろうか。子供が最低限度の教育を受ける権利、または親が子供に最低限度の教育を調達する権利は社会権の一環である。そのような教育を提供することは社会権の保障の一環である。それに必要な立法と行政はS系に属する。特定の地域の文化的教育について、その地方自治体の市民の多くが子供にそのような文化をその地域の子供たちに教えることを望むなら、その地方自治体のS系の行政権の中の教育文化部門に相当する部門がそのような教育を推進していいだろう。
  司法権について、L系においては厳密な民主制と三権分立制と法の支配が機能する必要があり、S系においては人間的な民主制と緩やかな三権分立制と法の支配が機能する必要がある。S系において司法権は不要というのではない。司法権に持ち込まれる市民からの訴訟と検察からの告訴の多くが、民法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法に基づき、自由権の擁護に係る。S系は後述する提供していたサービスを停止するというS系に固有の権力をもつ。だが、稀なことだがその権力が無効な場合は、脱税、福祉を乱用する個人、自然の保全のための規制に従わない企業…などをS系は司法権に告訴しなければならない。また、市民はS系の怠慢、つまり社会権が保障されていないことを司法権に訴えることができる。だから、S系においてもL系ほど厳格にではないにせよ司法権は機能する必要がある。
  機能としては、L系の司法機能とS系の司法機能は異なる。だが、司法権が独立している限り、それらの異なる司法機能を別個の司法機構に付与する必要はなく、それらの異なる司法機能を一つの司法機構に付与しても構わない。
  L系とS系の分立の詳細について裁定する権限は司法権だけに与えられる。例えば、S議院、L議院の一方が先議するべき事項を他が先議した場合は、前者が司法権に訴えて司法権が裁定するとする必要がある。
  司法権の独立を守るために司法権の最高裁判所の長官や判事を誰がいかに選出または指名するかという問題が残る。従来の大統領が指名するなどというのは弊害が多過ぎた。市民が直接選挙するという方法もありえる。市民がそれを望むのであればそうするべきだろう。市民がそれを望まないのであれば、以下のようにするのが最適だろう。従来のように行政権の長官が最高裁判所の長官や判事を指名するより、立法権の議員が選出するほうが弊害は少ない。前述のとおり、L系においては司法権が厳格に機能する必要があり、S系に対しては司法権はそれほど厳格に機能する必要がない。何より、司法権の独立を含む法の支配の確立維持はL系の目的の一つである。だから、司法権の最高裁判所の長官と判事の選出または指名は立法権が行い、これについてはL系のL議院が優位に立つ必要がある。例えば、L議院が先議し選出し、S議院が異なる議決をした場合で、L議院が三分の二以上の多数をもって再議決した場合は、L議院の議決が立法権の議決になるとするのが適切である。
  地方自治体について、中小国に等しい大きな自治体においては国家よりやや緩めのL系とS系への分立が成された。中小の自治体では従来の制度が維持されている。今後、それらにおいても議論が成されていくだろう。いずれにしても、L系とS系への分立は国家権力のような巨大な権力を主たる標的にしている。国際機構または世界機構については後述する。

国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果と疑問点・問題点

  以下のような国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果が早くも世界で現れた。

[適材適所、それぞれに適した選挙制度、L系において政党を排除すること]

  前述のとおり、L系の公務員には、あのP教授のような厳格で融通の効かない人が適する。そのような人々が選ばれるためには、大選挙区制より小選挙区制が適する。実際、世界で新政権のL系のL議院の選挙において小選挙区制が採用され、地域で独裁政権の弾圧の下でも人権擁護などに係ってきた人々が選ばれた。それに対して、S系の人材としてはあのT、Xのような有能で臨機応変な人が適する。そのような人々が選ばれるためには、小選挙区制より全国区制、比例代表制…などを含む大選挙区制が適する。実際、世界でS系のS議院とS系の行政権の長官の選挙において大選挙区制が採用され、独裁政権の下でも「総合的政策」を追究していた経済学者、情報技術者…などが選ばれた。A国においてはS系の行政権の長官にあのTが選ばれた。Tのようなエリートを大衆は敬遠する傾向が少しあった。だが、困難な政策の立案と推進を専門家に委ねようとする傾向が勝った。そのような傾向はS系に関する限りで適切である。
  また、S系をめぐっては、候補者は選出された後に実行する政策を市民に明確に提示する必要がある。さらに、S系に関する限りで、大衆迎合的な派手な政策の提示も許される。社会権の保障とは端的に言って、市民の欲求を満たすことだからである。例えば、この頃の市民は、官僚や企業の重役より、自然の保全や人口抑制を望んでいた。その願望は日常的感覚による。
  また、S系に関する限りで、S系の行政権とS系の立法権(S議院)の連携は許され、「与党」の形成は許され、政党政治は許される。A国においてはあの徒党を組むのが苦手で嫌いなTでさえもまず政党を結成し次いで与党を形成した。それに対して、L系は自由権と民主的分立的制度を憲法に従って地味で地道に擁護していればよい。L系を巡っては、大衆迎合的な派手な政策の提示は控えるべきである。特に国益のための戦争などという政策の提示は控えるべきである。また、L系においては政党政治をできるだけ排除する必要がある。政党を排除するためにもL議院の選挙制度としては小選挙区制が適する。実際、世界で新政権のL議院の選挙において、政党を単位としたり、派手な政策を呈示する候補者はあまりいなかった。その「あまり」いないだけでも大きな効果と言えるだろう。

[社会権の保障]

  国家権力をL系とS系に分立することは、まず自由権を擁護するためにあったように見える。だが、社会権を保障するためにもあった。後者のほうが大きいと言えるほどである。だが、社会権を保障するためにも自由権を確保する必要があるということは当初から強調されていたことである。
  世界でL系が擁護する言論の自由とS系に固有の人間的な民主制によってS系が市民や科学者と活発な議論を行い「総合的政策」を立案し推進し始めた。すると独裁政権下で偏り硬直化していた政策が臨機応変なものになり、短期間のうちにも市民の日常生活は最低限度以上になり、経済が安定化を超えて成長し始め、環境と資源の保全が進んだ。また、科学者の自由な研究によって、かつての独裁政権が言っていたように世界人口は地球で維持できるギリギリのものを超えているのではなく、少しだが増加の余地があることが分かってきた。それが分かることは私たちも予想していなかった意外な効果だった。いずれにしても、かつての独裁政権の主張のほとんどは独裁へと暴走するための名目に過ぎなかったことがますます証明された。また、市民の日常生活の改善によって世界人口の増加にさらに抑制がかかることが見込まれている。それらのことから、自由権と民主的分立的制度を擁護するためだけでなく、社会権や人間を含む生物の生存を保障するためにも国家権力をL系とS系に分立する必要があったのである。
  また、諸国で例の旧政権の情報科学技術の乱用が暴かれ、そのような乱用を防ぐシステムが確立された。それにはXがA国にあっても世界に多大な貢献をした。
  (1)医療福祉について、世界的に(2)旧政権と(3)医療福祉機関とその団体が結託して、(3)への助成金は過剰になり、(1)には過剰部分が生じ、過剰部分の収益の少なからぬ部分を(2)(3)が着服するようになっていた。Tら世界のS系の行政権の長官たちはそのような暗部を暴露し、その過剰部分を明確にし、過剰部分への助成金を撤廃した。その結果、(1)の過剰部分はなくなり、公的経費はさらに削減され、市民の税負担はさらに減少し、経済はさらに上向いた。その結果、(1)の必要部分への助成金は増大し、市民の自己負担分は減少し、(1)はむしろ充実した。簡単に言って、市民は質のよい(1)を必要に応じて安く受けられるようになった。その結果、経済的不平等に対する市民の怒りは減少した。経済的不平等について市民が怒っていたのは何よりそれによる医療の不平等だったのである。贅沢に格差が出るのは耐えられるが、自分や家族の健康と寿命に格差が出るのは耐えられないことである。
  (PP)政治的権力・公権力と(EP)経済的権力の(0)癒着と汚職について、それらを操作し告訴するのは(PP-L)L系に属するべき警察・検察である。また、(EP)と癒着し汚職するのは(PP)の中の(PP-S)S系に属するべき官僚である。国家権力のL系とS系への分立が成されていないとき、(PP-L)と(PP-S)も癒着し、(0)に抑制が効かない。それらの分立があるとき、(PP-L)と(PP-S)の癒着は減退し、(PP-L)は(PP-S)をより厳密に捜査し告訴できるようになり、(0)が減退する。実際、そうなった。例えば、旧政権と特定の大企業の癒着と汚職によって後者が特許、営業や製造の許可…などの特権を独占していた。L系とS系への分立によってそれらの癒着と汚職が絶たれ、中小企業や新興企業がそれらの特権を取りやすくなった。それらによってそれらの企業のうずもれていた技術が活きて、自由競争が促進され、物価が全般的に下がり、市民の生活はいっそう豊かになった。例えば、あのAT街の中小企業のY社はあの技術を特許としてとり、あの技術による製造を許可され、食糧難の解消に大いに貢献し、大企業となった。食品開発者が競って入社してきて、Y社長が開発した技術を超えようとしているらしい。Y社長も負けじと超えられたものを超えようとしているらしい。
  教育について、諸国の政治的経済的権力者は、それらの独裁と独占・寡占を強固にするために、市民の子供たちの最低限度の教育を敢えて疎かにして、エリートと市民の全般的能力を低いままにしようとしていた。そのために、エリートの子供は親の経済的援助が終わった後もエリートになるという比喩的な意味での「世襲」的な格差が維持されていた。大人の教育は大人が自由権によって享受する必要があるが、子供への最低限度の教育の提供は社会権の保障の一環である。L系とS系の分立によって、諸国のS系の行政権の教育文化部門は最低限度の教育をすぐに拡充する必要性を認識し、着手した。その結果、エリートの子供と一般の子供の全般的能力の格差が少しずつ縮小していることが分かった。今後はさらに縮小し、自由競争がさらに促進され、経済がさらに活性化されることが予想される。

[独裁や全体主義に走る名目と権力の消滅、社会権からの逸脱の予防、S系が陥りがちな弊害がL系に及ぶことを防ぐこと]

  国家権力のL系とS系への分立の第一の目的は、国家権力が人間を含む生物の生存の保障や社会権の保障を名目として掲げ、独裁、全体主義…などへと暴走すること、つまり社会権からの逸脱を防ぐことだった。
  今後も、(1)環境は悪化し、(2)資源は枯渇し、(3)人口は地球で維持できるギリギリのものになり、それらによって(4)経済と市民の日常生活はますます逼迫する。だから、(1)-(4)に対応するという名目で(5)独裁制、全体主義…などが出現する可能性が残る。だが、何度も言うが、(5)は(1)-(4)に対応するためにも機能しない。(1)-(4)に対応することは社会権を保障することに過ぎない。(1)-(4)への対応を名目にして(5)に走ることは「社会権からの逸脱」に過ぎない。国家権力がL系とS系に分立しているとき、S系は(5)に走るための武力や憲法改正または停止…などの権限をもっていない。そもそも憲法停止などという権限はどこにもあってはならないものである。他方、L系は社会権の保障という名目を立てることができない。そのようにして(5)に走る権力と名目の両方が消滅する。実際に世界で短期間のうちにL系とS系の公務員のそれぞれが、それぞれの本分をわきまえ、L系の公務員が社会権の保障や生存の保障を名目とすることは皆無となり、S系の公務員が国防や治安を論じることは皆無となった。
  百歩譲って、(5)が必要だとしても、(5)が必要なのはS系においてだけである。L系とS系が分立していれば、(5)がL系に及ぶことを防ぐことができる。S系は、(5)だけでなく、多数派の横暴、大衆迎合、世論操作…などにも陥りがちである。国家権力をL系とS系に分立することはS系が陥りがちな弊害全般がL系に及ぶことを防ぐ。

[共産主義、資本主義…などの経済体制に係る思想と情動が独裁や全体主義へと走ることの予防]

  これは前述の「社会権からの逸脱」の予防に含まれるが、ここで詳細を説明する。二千年代末には共産主義または社会主義が独裁や全体主義へと走り、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を破壊し、弾圧どころか大量虐殺や人為的飢饉を生じた。言論の自由と選挙がなかったために、経済計画を立案する者が批判されず切磋琢磨せず無能に陥り賢明な経済計画を立てられず、共産主義は崩壊した。つまり、彼らは彼らが本領とする経済計画において失敗した。賢明な経済計画を立てるためにも自由権と民主的分立的制度が必要だった。また、共産主義または社会主義に係る思想と情動と資本主義経済または自由主義経済または市場経済に係る思想と情動が対立し、「冷戦」と当時は唯一の全体破壊手段だった核兵器の開発保持を含む驚異的な軍拡を生じた。そんな経済体制を巡る論争はS系を巡ってやっていればよいことだった。L系とS系への分立によって、そのような論争をS系に限定し、軍事力をL系に限定し、国家権力の全体が戦争や全体破壊手段の開発・保持へと暴走することを予防することが可能になる。L系とS系の分立は現在や未来だけでなく、少なくとも二千年代末から必要だったのである。この分立が1940年に実現していれば、冷戦と核兵器という全体破壊手段の開発保持を含む驚異的な軍備拡張はなく、冷戦終結後の20XX年の地上の人類の絶滅もなかっただろう。
  20XX年以前の数十年間は市民の間で共産主義への反感と嫌悪が残っていた。20XX年以降はそのような情動はない。また、いつの時代もある経済的不平等への怒りは市民の間でつのるばかりである。だから、共産主義の再興は20XX年以前の数十年間よりありえる。現在の経済体制は純粋な、共産主義経済、社会主義経済、資本主義経済、自由主義経済、市場経済…などのいずれでもなく、すべてそれらの混合である。その混合のあり方についての論争は激しい。実際、世界革命後、その混合の中で社会主義がかなり優位になった国家がいくつかあった。経済的格差への怒りが爆発したからである。だが、経済体制に関する論争はS系を巡ってやっていればよいことである。L系とS系への分立によってその論争の爆発がS系に限定され、L系が擁護するべき自由権と民主的分立的制度が損傷することは皆無だった。

[政治的権力と経済的権力の癒着、汚職の予防]

  繰り返すが、(PP)政治的権力・公権力と(EP)経済的権力の(0)癒着と汚職について、それらを操作し告訴するのは(PP-L)L系に属するべき警察・検察である。また、(EP)と癒着し汚職するのは(PP)の中の(PP-S)S系に属するべき官僚である。国家権力のL系とS系への分立が成されていないとき、(PP-L)と(PP-S)も癒着し、(0)に抑制が効かない。実際、過去には(0)が「軍官学産複合体」の形成、拡大、軍拡、全体破壊手段の開発、製造、政治的権力の独裁、経済的権力の独占・寡占…などに繋がっていた。それらの分立があるとき、(PP-L)と(PP-S)の癒着は減退し、(PP-L)は(PP-S)をより厳密に捜査し告訴できるようになり、(0)が減退する。実際、世界の旧政権で横行していた(0)が多々、捜査され暴かれている。世界の警察と検察は過労に陥っている。そのような過労自体がS系とL系への分立の効果だと言える。今後は(0)が予防され、警察と検察の過労は解消されるだろう。
  資本主義・自由主義経済・市場経済において、純粋な利潤追求と自由競争は問題にならない。一方で、経済的不平等、劣悪な労働環境、環境の悪化、資源の消耗…が問題になる。それらを解決するのは社会権を保障することであり、S系が思う存分それらに取り組めばよく、L系とS系の分立がその取り組みを阻害することは決してない。残る問題のうち主要なものは、政治的権力と経済的権力が癒着・汚職とそれらによるそれらの独裁、全体主義…などと独占・寡占への暴走である。それらの問題が上のようにして解決される。一方、共産主義・社会主義においては、経済計画そのものは、正確である限りにおいて、問題にならない。自由権と民主的分立的制度が損傷しやすいことと、自由な言論と選挙が損なわれやすいために経済計画が議論されず不適切になる傾向にあることが問題となる。それらの問題がL系とS系への分立によって解決される。結局、国家権力をL系とS系に分立することは、資本主義・自由主義経済・市場経済の問題点と共産主義・社会主義の問題点の両方を解決する。
  この(0)とそれによる経済的権力の独占・寡占と軍官学産複合体の形成拡大は、政治的権力の露骨な独裁より目立たず暗部で進行し、外部の市民からは一見したところ自由主義的で民主主義的に見える。1940年から20XX年にかけては超大国または大国のうちのいくつかがその見かけの典型だった。20XX年以降の国家については、一見したところの自由主義も民主主義さえも形骸化していた。いずれにしても、見かけに過ぎない自由主義や民主主義でさえも、露骨な独裁制や全体主義よりはマシだった。20XX年以前の数年間にしても、もしどちらが絶滅をもたらしたか二者択一を迫られるとすれば、後者だった。自由権とS系とL系への分立を含む民主的分立的制度がそれらよりマシなことに間違いはない。

[提供していたサービスを停止するというS系に固有の権力、二重の文民支配]

  以下の効果は、既に世界革命の真っ最中に、諸国で現れていた。
  諸国で旧政権の幹部はシェルターに退避し、シェルターに連れて行かれなかった者は離反した。その離反の傾向は、S系の行政権に相当する部分で全般的に大きく、軍、警察のような公的武力で全般的に小さく、軍で最小だった。つまり、わずかな時間の中でも、最後まで抵抗したのは軍だった。いつの時代でも、公的武力に必要な水道、電気、ガス、燃料、食糧、資金、そして最も重要な情報通信網を提供する、または提供を管理するのは、S系の行政権に相当する部分である。それぞれの国家でそれらのサービスを提供していた、または提供を管理していた部分が、軍に対するそれらのサービスの提供を停止してくれた。すると公的武力は弱体化し、遅ればせながらもそれらのスタッフは一気に離反した。つまり、S系は、提供していたまたは提供を管理していたサービスを停止する、または停止を予告するというそれに固有の権力をもっている。その権力は、例えば自然を保全せず破壊する企業や、福祉を乱用する個人にも使えるのだが、軍や警察という公的武力にも有効である。そのようなS系に固有の権力は国家権力のL系とS系への分立によって初めて顕在化した。
  もちろん、公的武力とそれを掌握する文官に対しては、そのようなS系に固有の権力よってだけでなく、L系の内部での三権分立制と法の支配の中での立法権、司法権による厳格な抑制がなされる。これらを、従来の一重の文民支配に対して、公的武力に対する「二重の文民支配(ダブル・シビリアン・コントロール)」と呼べる。この度は二重の文民支配は、革命において軍の抑制のために使用されたが、今後も軍や警察…などの公的武力が暴走しそうなときにいつでも使用できる。

[S系の行政権の部分の効率化、公的経費、税負担の減少]

  それぞれの国家において放っておくと行政権は肥大化し、公的経費と税は増大する。それに対する反動から行政権を縮小しようとする試みが生じる。それは20XX年以前から何度も繰り返されてきた。公的経費の増大の主要な原因は、(1)「軍官学産複合体」の形成による軍拡による軍事費の増大と(2)S系に相当する行政権の部分の過度の分枝である。(1)については後述するとおり、L系とS系の分立によりそのような複合体は解消する。ここでは(2)について述べる。
  一般に公的機構の費用の増大の主因はそれらを過度に分岐させることにある。それによって分岐の間の連携が乏しくなり、権益争いと責任転嫁が激しくなり、それらの機能の効率が低下し、不要な公務員が増え、資源の浪費を促し、公的経費が増大する。それとともに総合的な政策の立案と推進は困難になる。それらの機構と機能を見渡してみると、以下のことが分かる。L系の中では、三権分立と軍と警察の分立は必須である。総合的な政策を立案し推進する必要があるのは、社会権の保障のためであり、S系においてであり、特にS系の行政権の部分である。その部分の中では分枝は必要でないだけでなく弊害である。国家権力をL系とS系に分立することによって、分立や分枝の必要性が明らかになりそれらが混乱することを防げる。
    A国では、あのTが、暫定政権のS系の行政権の部分の長官に抜擢され、新政権のそれに選挙された。TはS系の行政権の部分を、分枝を少なくするどころか、一つの機構とすることを考えていた。私はそれこそTの真髄だと思った。それぐらいのことはしてよいと思った。だが、Tはリアリストでもある。Tは徐々に改革していこうとした。Tは、分枝間の異動を促すべく、その異動に特別な手当てを支給した。また、分枝の間の連携を促し権益争いと責任転嫁を抑制するべく、分枝ごとに算定されていた歩合給、ボーナス…などを廃止し、S系の行政権の部分の全体で均等に算定されるそれらを採用した。すると職員は他の分枝の実績も上げ他の分枝の経費も削減しなければ歩合給、ボーナス…などが上がらない。それはTが実行した一例である。世界ではS系の行政権の分岐を少なくする端的な方法が実行された。それらによってS系における総合的な政策の立案と推進が進むとともに、行政機能は効率的になり公的経費は減退した。これと後述する「軍官学産複合体」の解消によるL系の軍事費の減少によって、公的経費と税は激減した。Tは今回は控えていたS系の行政権を一つの機構とすることを、次の選挙で市民にはっきりと説明し再選されてからやるだろう。一つの機構のほうが市民にも分かりやすい。税金はもっと減るし、役所でたらいまわしにされることも減るだろう。

[必要な学問と科学技術の発達、余裕の経済学]

  独裁政権は(1)発達してはならない全体破壊手段開発のための科学技術と独裁制強化のための技術を促進し、(2)発達する必要のある自由権と民主的分立的制度に係る哲学、法学、政治学、経済学、社会学、心理学…などを抑圧し、(1)以外の科学技術を軽視していた。それに対して、L系とS系の分立があるとき、L系は(1)を抑制することしかできず、S系は(2)と(1)以外の科学技術を促進することしかできない。実際、革命から数か月という早さで(1)が衰退し始め(2)と(1)以外の科学技術が発達し始めた。
  さらに、独裁政権にとっては、人間や生物の生存の保障という名目に現実味をもたせるためには、環境は悪化し資源は消耗し人口は地球で維持できるギリギリのものを既に超えており、それらに余裕はなくそれらは切迫していると見せるほうが都合がよかった。そこで、独裁政権はそれらにはまだ余裕があり切迫していないことを暴くような科学を抑圧していた。革命後に初めて、次のような「余裕の経済学」が誕生した。その余裕の経済学によって、現在の環境と資源の中で地球で維持できる人口にまだ余裕があることが分かってきた。それによって、かつての政治的経済的権力者たちのあれらの主張が独裁と独占・寡占に走るための名目に過ぎなかったことがますます明確になった。
  余裕の経済学について、例えば、十九世紀終わりから1970年頃までは銀粒子を最初はガラス板に次いでフィルムに定着させる技術によって、写真、映画…などの視覚的芸術が開花した。その後、銀という限りある資源の枯渇の見通しによって、銀を利用する視覚的芸術は自主規制せざるをえないか規制されるのではないかという危惧が生じた。ところが、半導体や受光素子を用いる写真、動画の技術が開発され、その危惧はなくなった。ところが、それらの原料も限りある資源である。電波と紙も限りある資源であると政治的経済的権力は主張するかもしれない。だが、それは放送局や出版社への言論統制への名目でありえる。電波は、混雑による障害はありえるが、限りある資源ではない。紙の主原料は樹木であり、樹木は限りある資源ではなく再生可能な資源である。紙は限られた資源ではなく再生可能にして循環可能な資源である。ちなみに、食糧資源は再生可能な資源である。
  限りある資源については、現在の地球にどれだけ余裕があり、現在の使用の質と量に対して将来にどれだけ余裕があるか、循環再生可能な資源については、現在にどれだけ余裕があり、現在の使用の質と量と循環と再生のペースに対して、将来にどれだけ余裕があるかが探られ公開される必要がある。
  残り少ない資源の購入費用がいかに上昇するかは伝統的な経済学に基づいて予想できる。企業は余裕の大きい資源を使用する事業に進出する必要がある。そのほうが企業の将来のためである。
  局所的な環境破壊について、プラスチック、放射性物質…などの有機化学的に合成されたまたは放射線物理学的に操作された物質の多くは分解または中和されるまで数世代から数千世代かかる。それらには廃棄や排出の量や条件に余裕があまりない。それに対して、そのように操作されていない食料、紙、綿、毛…などの物質は比較的早期に分解され、廃棄や排出の量や条件に余裕がある程度はある。余裕の大きいそれらへの規制は余裕の小さい物への規制より緩やかである必要がある。
  地球温暖化、気候変動…などを含む地球規模の環境について、その悪化をとらえることは資源の消耗や局所的な環境の悪化より困難である。未来のものはもちろん、現在のものさえもとらえることが困難なのである。そのよう場合、未知のものは余裕がないと判断される必要がある。だが、それでも明らかな余裕があるものは明言される必要がある。例えば、デモやストライキに伴う排出物が地球環境と呼べるようなものを破壊するわけがない。もしそれが環境保全や資源の保全のためという名目で規制されるなら、それは言論、表現、集会の自由の侵害に他ならない。
  そもそも、一般市民は、資源や環境と呼べるようなものを全くまたはほとんど消費または悪化させない人間の機能を日常で把握している。感覚、知覚、情動、思考のような純粋心的機能はそれらを消費または悪化させず、思想の自由を構成する。純粋心的機能を超えても、例えば、公園や広い街路で言論や表現を行うことはそれらをほとんど消費または悪化させない。それらの機能は専ら言論、表現の自由に基づき、それへの制限はあってはならないだけでなく必要がない。
  技術革新について、生産効率がよいように何が何でも技術革新すればよいという時代は既に終わっている。多大な資源の消耗と環境の悪化につながるような資源と技術はすぐに規制されるか自主規制せざるをえなくなり、そのような技術への投資はすぐに無駄になる。そのことも政府と企業は見越す必要がある。また、科学者・技術者は、多大な資源の消耗と環境の悪化に繋がらない代替資源と技術の開発にもっと精力的に取り組む必要がある。
  世界人口と市民の情動について。例えば、地球で維持できる人口にはまだ余裕があることが分って公開されるとしても、世界の出生率が急に上昇するわけではない。子供を作ろうという欲動と欲求を含む市民の情動には外的状況に左右されないだけの余裕がある。簡単に言って、世界の人口がどうであろうが、ほとんどの市民は自分のために子供を作る、または、作らない、または、避妊に失敗する…など。
  環境、資源、人口、人間の情動の限界と余裕を予測することは比較的容易である。それに対して、地球環境の限界と余裕を予測することは困難である。それについては前述した。さらに、科学技術と技術革新の限界と余裕を予測することも困難である。ここでは禁止も考慮する必要がある。人間を含む生物の生存のためには全体破壊手段が全廃され予防される必要があり、全体破壊手段の開発と製造に繋がる科学技術も禁止される必要がある。だがその必要性が分かると同時に、それ以外の科学技術を禁止する必要はないことが分かってくる。すると、科学技術には進歩の余地がかなりあることが分かってくる。例えば、全体破壊手段や大量破壊手段の開発が禁止されても、さらに選択的になる必要がある選択的破壊手段の開発が残っている。また、遺伝子の塩基配列以外のものを変えずに、不変遺伝子操作以外の遺伝子操作や伝統的な生物学的手段を用いて新しい生物資源や新しい遺伝子治療法を開発することは可能である。また、環境を保全し資源を保全しつつ有効利用するための科学技術も進歩の余地があることが分かってくるだろう。br>   従来の経済学は環境、資源、世界人口、人間の情動、科学技術の限界を無視する傾向にあった。それ対して、今後は限界を強調しずぎる経済学が出現するかもしれない。それに対して余裕の経済学は限界と余裕の両方を明確にしようとする。さらに、政治的経済的権力者がそれらの限界を強調して自由権、民主制…などを制限することを予防する。
  そのような科学は革命の直後に超大国や大国ではなく小国のS系で生まれた。Tもそれを導入した。いずれにしてもS系から生まれた科学である。今後も必要で新しい科学がS系からまたはS系の周辺で生まれるだろう。それに対してL系は基本的に将来は伝統となるであろう自由権と民主的分立的制度を厳格に維持する必要がある。あくまでもその厳格さの中で、L系に属する警察や軍は効率的な捜査手段や防衛手段を開発し保持する必要がある。そのようにL系とS系では科学技術に対する態度が異なる必要があり、それらを分立することによってその必要性が満たされる可能性が大きくなる。

[軍の機能の国防への限定、国益のための戦争の予防、「軍官学産複合体」の解消、全体破壊手段の全廃と予防]

  前述のとおり、軍や警察…などの公的武力が暴走するときは、S系は提供してきたサービスを停止するというそれに固有の権力をもって公的武力を抑制することができる。それに対して、軍や警察…などの公的武力を直接的に掌握し監督するのはL系である。S系は、公的武力を抑制することができても、促進したり発動することができない。だから、S系は「国益」のために軍を乱用することができない。「資源に限定した局地的侵略戦争」をすることができない。S系は国際社会または世界で外交によって限られた資源を分かち合うしかない。他方、L系は国防、つまり、その国家の市民の自由権と民主的分立的制度の擁護のためにしか軍を使用することができない。かくして、軍の機能が国防に限定され、国益のための戦争が予防される。
  L系とS系の分立によって、国家権力の少なくとも行政権のすべてを掌握していた「大統領」や「首相」はもはや存在しない。そのような個人が、軍、警察…などの公的武力を含み社会権を保障するための部門を含む行政権をごちゃまぜにして掌握していたことが間違いだったことが分かるだろう。また、そのような個人やいわゆる「国家元首」は必要がない。実際、革命後の世界中でのL系とS系の分立後は実質的な「国家元首」なるものはどこにも存在せず、それでも不都合はなんら生じていない。「形式的な」国家元首については後述する。
  革命直前は世界はA国とB国という二つの超大国を渦の中心とする大戦の状態にあった。また、C国という超大国の「どさくさに紛れて」が起こりかけた。革命後に世界でL系とS系の分立が成立してからは、S系は国際社会において外交によって限られた資源を分かち合おうとしている。超大国と大国の国外の軍は自国に撤退した。世界で短期間のうちにも、軍事予算が余りかえり、大幅な減税が行われ、市民の日常生活は改善し、経済は上向き始めた。次の予算では国防予算が本格的に削減され、それらが持続することは確実である。
  以下が最も重要なことである。いわゆる「軍産複合体」は冷戦以前からあり冷戦初期に強く意識されそう呼ばれるようになった。それは実質的には(1)軍(2)軍を掌握する文官(3)兵器等を開発する科学者と技術者、そして(4)兵器等を製造する公私の企業の複合体である。それらは「軍官学産複合体」と呼び直せる。(1)(2)は権力の拡張を求め(3)は権威と名誉を求め(4)は利潤を求めて、その複合体は放置すればひとりでに拡張する。そのために軍備、特に全体破壊手段の開発・製造は驚異的なペースで進む。国家権力をL系とS系に分立することによって、その複合体のうち(1)(2)はL系に属し、(3)(4)はS系の下にあり、その複合体は解消する。もう少し詳しく見てみると、それらの二系への分立によって、文官としてL系の中の文官だけでなくS系の中の文官(5)の存在が明らかになり、それらの文官(5)が(3)(4)を管理している。(5)の機能は、破壊的なものではなく平和的な科学技術を促進することである。それらの二系への分立によって(5)は(1)(2)から独立している。(5)と(5)によって管理される(3)(4)は(1)(2)への協力を断ることができる。そのように(5)が楔となって軍官学産複合体はほとんど解消する。さらに、従来の大統領や首相は解消しており、(2)と(5)を統括する者は存在せず、軍官学産複合体は解消する。そもそも「軍産複合体」や「軍官学産複合体」などの看板を掲げる機構やその建物があるわけではなかった。結局、(1)は全体破壊手段や大量破壊手段を含まず選択的破壊手段と防衛手段を主体とする軍になり、(3)(4)は選択的破壊手段と防衛手段または平和手段の開発・製造のための研究機関・企業になった。
  世界革命後、全体破壊手段、大量破壊手段を含む無差別的破壊手段の研究、開発、製造、交易が国際法と諸国家の憲法で禁止された。L系とS系の分立によって、S系はL系に属する軍またはそれを掌握する文官の無差別的破壊手段の開発と製造への協力の要請を憲法に基づいて拒絶することができ、拒絶しなければならない。一方、選択的破壊手段や防衛手段の開発と製造への協力の要請には応えることができる。そのような軍事に対して、自然の保全、市民の医療福祉…などの社会権の保障のためのS系と科学者技術者と公私企業の連携は促進される必要がある。国家権力がL系とS系に分立されても、そのような平和的な連携を阻害するものは何もない。
  この分立による軍官学産複合体の解消により全体破壊手段だけでなく不必要な軍備全般が縮小され、軍事費が減少した。これと前述のS系の行政権の部分の過度の分岐の解消によって、公的経費と税は減少し、経済は上向き始め、市民の日常生活は最低限度以上のものになった。全体破壊手段廃止に着目すると、軍官学産複合体の解消がなければ全体破壊手段の全廃があのように容易に成されることはなかっただろう。
  さて、問題点・疑問点について。

[問題点・疑問点]
  以下の疑問が生じるかもしれない。
  まず、「国家元首」はどこにいるのかという疑問はすぐに生じるだろう。前述のとおり実質的な元首は必要がない。形式的または象徴的な元首について述べる。いくつかの儀式や祭典に国家元首なるものが立ったり座ったりしゃべったりすることは過去にあった。そのような儀式や祭典も必要がない。だが、市民が国家元首を伴う儀式や祭典を文化として楽しみたいのなら、それは一概に排除する必要もない。そのような場合はその元首が形式的または象徴的なものであることを明言しておく必要がある。そのような元首としては、司法権の最高裁判所の長官、L系のL議院の議長、S系の教育文化部門の長官…など誰でもよいのではないだろうか。
  S系に属するべき部門が主催または後援する祭典において、L系に属するべき軍や警察の楽団が伴奏したり空軍が航空ショーをすることは過去にあった。市民がそのような祭典を望むなら、S系の教育文化部門がL系と無関係にやればよい。軍や警察の伴奏や空軍の航空ショーは何にも必須ではない。もし市民がそれらのパフォーマンスも見たい聞きたいと言うなら、それらの楽団の有志が自費で自主的にそれらに参加することに問題はないだろう。航空ショーについては、隊員の自費で自主的参加というわけにいかないだろうし、公費の無駄づかいだろうし、事故が発生したときに問題が生じるだろう。
  L系とS系の両系にまたがる立法と行政をどうするかという疑問は出てくると思う。立法権において明らかにL系とS系の両系にまたがる予算全体の決定などの議題について、そのような議題を憲法で網羅し、L議院とS議院の両議院が同等の権限をもつと憲法で規定すればよく、実際に憲法でそのようになった。だが、今後、網羅されなかった微妙な議題が生じえる。また、明らかにL系またはS系のいずれかの議題だが、他方がそれを無視することはありえる。その場合は司法権の最高裁判所が裁定すればよく、実際にそのように憲法で規定された。
  S系の行政権が行うべき自然災害、飢饉、パンデミック…などの非常事態への対応において、L系に属する警察や軍の協力が必要なことはある。これについては、S系は協力を要請することができ、L系が協力する場合も最高の指揮権はS系にあると憲法と法律で規定すればよく、実際そうなった。国防と集団安全保障における軍事制裁は専らL系の管轄である。それに対して経済制裁についてはどうだろうか。この手の制裁となればS系も機能しなければならない。この手の制裁に関する限りで、上の逆が適切であり、憲法と法律でその逆が規定された。
  今後、その他の問題が生じ、言論の自由に基づいて議論されるだろう。だが、生じる問題は細部に限られるだろう。他方、以上の効果は持続し、予期しない効果が現れるだろう。細部における問題と効果を比較すると、効果のほうが大きく、この分立において細部が改善されつつ骨組みは維持されるだろう。

残虐の跡をどうするか

    A国のM将軍は大量虐殺の跡はそのつど消していた。また、地上の政治犯そのものとそれらへの拷問と監禁の跡も消して一部の政治犯を連行して地下のシェルターに潜って行った。B国のBP大統領は大量虐殺の跡は消していたが、慌てて地下に潜ったので、地上の政治犯の拷問、虐殺の痕跡が残ってしまった。他のいくつかの国家では大量虐殺の跡も残っていた。それらの残虐の痕跡をどうするか。最終的にはそれぞれの国家の立法権が法律の形で示すだろうが、それに先立って世界の有志がB国の国際会議場に集まって討論することになった。その討論は世界の立法権での討論の参考になるだろう。この手記で既に書いた人物の中からはA国から私(I)とZがB国からVが参加した。Vは司会者になった。

市民1:独裁制への逆行を防止するためには、その悲惨さを私たちが記憶に留めておく必要がある。だから、それらの残虐の跡は保存し市民に公開したほうがいい。
市民2:だが、そのような蛮行を模倣したり、破壊的な思想に触発される人間もいるのではないか。それを考えると…
市民3:特に子供には…どんな影響を及ぼすか計り知れない。子供には公開しないほうがよいと思う。
市民4:子供にもある程度は見せて、その後で教師の指導の下に討論したほうがよいのではないか。
市民5:だが、その討論における教師の役割は重大すぎる。教師が下手をすると討論が間違った方向に向かってしまう。
市民6:やはり十五歳以下には見せないほうがいい。
(という意見が多かった。以後、公開するとしてもその対象は大人に絞られた)
Z:虐殺や拷問の手段の中には無差別破壊に使われそうなものがある。それらは公開しないほうがいい。結局、公開してよいものを選択する必要がある。(そのような意見は多かった)

そのように討論がある程度、展開した後でVがB国の政治犯の拷問虐殺の跡を視察することを提案した。討論の参加者の全員が同意し視察に向かった。

  BP大統領は捕獲した反政府主義者を神経学的実験の被験者として使っていた。前述のとおり、中枢神経系の記憶や思考に係る神経細胞群は有意義選択性をもち、それらに何らかの記憶装置を埋め込んで、記憶力、思考力を増強したり、まだ個人がもっていない知識を個人に付与するようなことは不可能である。何故なら、その有意義選択性を維持するためには神経細胞群に属する何万の神経細胞のそれぞれをなんらかの電極のそれぞれに接続しなければならないが、それは不可能だからである。その不可能なことをBP大統領は捕獲した反政府主義者に試みていた。神経細胞の軸索末端の一つ一つが一つ一つの電極を探して接合するとでも思ったのだろうか。そんなことを考えるとすれば馬鹿だ。BP大統領はそんな馬鹿ではない。BP大統領もそれが不可能であることは分かっていただろう。とすればこれは拷問、虐殺の手段でしかない。その拷問虐殺の施設ではBP大統領がシェルターに避難し放置して行った直後の状態が維持されていた。ただし、遺体の腐敗を防ぐために低温低湿にしてある。視察者は貸し出された防寒着をはおった。視察者はまず、互いの吐く息の白さに驚いた。だが、それどころではない。身体拘束と実験のための機器が乱立する。数百の遺体が数十の大きな容器の中に投げ捨てられていた。四肢には拘束のための器具が、頭部には装着された電極や機器が残されていた。これが人体実験などというものではなく拷問虐殺であることは明らかだ。こんな実験もどきのものを行われて生存しているわけがない。何十体かは顔も見えた。多くは目を見開いたままで、口が開いたままのものもあった。表情はもはや苦痛を超えて、なんと言ったらいいのだろうか、虚空を見つめていると言えばいいのだろうか。
  その施設を出て会議場への帰途に着いた。VとZと私は視察前は公開に傾いていた意見が視察後はわずかにでも非公開に傾くのではないかと予想した。だが、その予想は外れた。会議場に戻るとほとんどの参加者が沈痛な表情で黙っていた。しばらくしてようやくB国市民の一人が絞り出すように言った。「やはりあの惨状は写真などで記録し公開するべきでしょう」  参加者が頷き始めた。あの視察がなかったらそれに確信がもてなかっただろう。別のB国市民がすかさず言った。「記録した後はあの方々を埋葬してあげましょうよ」  Vは言った。「記録は反政府グループがあの施設を占拠したときに既にしてあります。さっそく犠牲者を埋葬するよう新政府に働きかけましょう」  あの視察がなかったら、犠牲者の埋葬は遅れ、遺族をいっそう悲しませていただろう。いずれにしてもこの討論と視察は必要だったと思う。

遅ればせながら

  さて、第一の山場、つまり世界革命を超えた後、私とU、TとXはそれぞれ結婚した。あれらの犠牲者と遺族のことを考えて結婚式、披露宴…などは控え、入籍だけにした。
  B国に占領された農地はD国に返還された。その後も避難民のほとんどはあの森Fで暮らし、結局、森FはF国として独立した。過去に「移民の国」が有名になったことがあったが、これは「難民の国」として有名になるかもしれない。感染症対策、下水道の整備…など課題は多々ある。その独立式典に私は招かれた。私は「建国の父」の一人扱いに、あの避難は20XX年よりはるか前の伝説「出エジプト(Exodus)」扱いにされそうになった。そんなことよりあの少女とその父親の手記の原稿とそれを容れる廃屋を含む遺跡と文献の保存をお願いしておいた。
  あの少女とその父親の手記とP教授がまとめたものは、グループGが既にインターネットで公開していたが、紙の書籍としても民間の出版社から出版された。
  P教授のグループGとしての葬儀はGなりに厳粛に行った。今さらかつての独裁政権への恨みを言っても仕方がない。誰も言わなかった。B国のあのVとC国のあのWも来てくれた。VもWもほとんど何も語らなかった。葬儀が終わると、VはA1大学での講演に向かった。Wは例によってあの庭園の苔への水遣りを急いだ。私がWを空港まで見送った。この頃の飛行機は数時間で地球の反対側までも行くことができ、Wは日帰りだった。飛行機がどんなに速くなっても、その程度の速さで光速でない限り、人間の感覚でとらえられる時間は変わらないだろう。P教授とWの出会いは歴史的な出会いだったことにそのとき初めて気づいた。こうなったらWに長生きして欲しいと思った。Wとまた語り合いたい。Wが居なくなったら寂しい。
  その後で私はP教授の遺族宅に遺骨を返しに行った。五十歳代の妻と二十代の長男、長女が残されている。やはり、誰も恨みを言わなかった。妻は「家では政治や社会のことを一切、語らない人だった。普通の夫であり、子供にとっては普通の父親だったと思う」と語る。子供らは現在は一般企業に勤めている。普通のサラリーマン、OLだ。長男も長女も「革命後に職場でよく『君のお父さんは凄い人だったんだ』と言われるが、ピンとこない」と言う。私はいつもの講義でもあの国際会議場での講演でもP教授が着ていて、あの日は講演者の控室に残されていた上着を出して差し出した。妻はそれを手に取った。このときばかりは妻は思わず泣いていた。しばらくして、妻は「I(私)に着て欲しい」と言う。私は「それはありがたいのですが、ご長男が着られたほうがいいと思います」と言う。私は実を言うと、その上着を遺族に返すか、オークションに懸けるか迷っていた。オークションに懸けたほうが大切にされるかもしれない。一様遺族に返すことにしたが、後でこっそり長男にオークションに懸けることも考慮するよう言っておいた。グループGや私がオークションに懸けるより、遺族が懸けたほうが自然で大切にされるだろう。また、しばらくしてそうしたほうがP教授の記憶が長く残るだろう。とりあえず長男が着てみた。やはり顔だちも体格もP教授に似ている。だが、P教授の代替にはならない。それは長男の知性や知識が劣るという意味でではない。長男とP教授が異なる人格をもっているという意味でである。だが、それは長男の人格が劣るという意味でではない。あくまでも長男とP教授が異なる人格をもっているという意味でである。
  遺族宅からの帰りは歩きになった。夕焼け空の下、大河に架かる橋の歩道を一人で歩いた。私の中でP教授という友を失ってできた空洞がまた疼き始めた。今まではその空洞が革命で掻き消されていたのだろう。あの少女は「生と死の繰り返しは、記憶をもつ動物のそれぞれが、記憶と個性の喪失を繰り返しつつ、永遠に生きること同じである」と言う。だが、死は特定の人との完全な離別でもある。その完全な離別がつらいじゃないか。いずれ死ぬのは仕方がないが、別れはつらい。しばらくそんな思いを書いてみようか。
  だが、変革が終わったわけではない。これから第二の山場がある。諸国の新政権は、今こそ全体破壊手段の全廃のための好機と見て、大国Eの大都市ECに代表を派遣した。それに私とUがA国から派遣された。全体破壊手段の全廃に限らず、世界の平和全般のための機構を目指す反政府グループ、暫定政権、新政権があった。だが、そのような機構の失敗は、20XX年以前にも以降にもいくつかあった。グループGとHを含む多くの反政府グループと新政権は、さしあたり全体破壊手段の全廃と予防に限定した機構を作ることを目指した。それによって、他の挫折のために全体破壊手段の全廃予防も挫折してしまうことを防ごうとした。
  その機構作りを目指す総会においてまず、暫定理事国の選抜と暫定事務総長の選出が行われた。暫定理事国としては、超大国A,B,Cを含む全体破壊手段保有国と、非保有の大国のいくつかが選ばれた。暫定事務総長について、私は何事につけても妥協しない人間だと思われているようで、私が選出された。私はこれでもいくつかのことについて妥協してきたつもりだ。例えば、M将軍のスキャンダルを暴露しなかったことについては妥協していた。だが、自由権と民主的分立的制度の確立維持と全体破壊手段の全廃予防と悪循環に陥る傾向への直面に関する限りで、妥協したことはないしこれからも妥協することはない。その思考過程を就任の挨拶のときに率直に言うと、各国代表は「やっぱり妥協しないヤツだ」と言わんばかりに笑っていた。
  機構の仮称は「全体破壊手段全廃予防機構」となった。憲章は機構の構成と権力の概要も含む必要がある。25YY年、国際機構として残されたのは、政治的経済的権力にとって比較的無害な通信、保健、自然保全…などのための機構だけだった。最も重要な集団安全保障や軍縮に係る国際機構は、既に遠い昔に名目だけのものとなり自然消滅していた。国際機構の無力さという現実を残しただけだった。それらは参考にもならなかった。国際機構または世界機構の構成と権限、これは未知の領域にあるように見える。だが、あのP教授、あのV、私…などは、それらについても十分に語り合っていた。国際機構または世界機構においても、自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立を含む民主的分立的制度が活きるだろうと語り合っていた。
  諸国の反政府グループと暫定政権と新政権は、全体破壊手段の全廃は世界的な革命の直後しかない。それを逃せば困難である。と思っていた。そこで「地球上のすべての全体破壊手段世界が五年以内に全廃されなければならない」「暫定政権または新政権は、核兵器と不変遺伝子手段を不活化したままにするだけでなく、それらの安全な破壊・破棄に今すぐに着手する」「小惑星操作について、なんらかの爆発を生じえる操作を即、停止する」を含む「暫定憲章」が可決され即公布・実施された。
  その後、私にはたった一人で訪ねてみたい遺跡があった。かつての「ヒロシマ・ナガサキ」から発掘された石碑である。石碑としては、一回目の全体破壊手段使用の後に建てられ、二回目の使用も生き延びて、発掘され、その発掘現場に建てられた記念館で展示されている。記念館は高層ビルの谷間にあり、当然、一回目の使用の跡形も二回目の使用の跡形もない。石碑は大きなガラスケースに安置されている。記念館の研究員が碑文の解説してくれた。その碑文が「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」と訳せることを私は当然、知っていた。その過ちを一度、繰り返した。さらにもう一度、繰り返そうとしていた。その碑文が垢で埋まっていくのを見て、「遅ればせながら…」とつぶやくしかなかった。初めて全体破壊手段が開発、製造、使用されてから六百年以上の時間が経ってしまった。

全体破壊手段の一方的廃止の積み重ね

  ところが、意外なことが分かってきた。世界革命の前から世界の反政府グープと離反者たちは革命直後の機会を逃せば、全体破壊手段の全廃はないと思っていた。また、その廃止のための国際会議と国際憲章と国際機構は不可欠だと思っていた。一概にそうでもなかった。私たちはなんらかの国際的な機能と機構による相互の廃止・予防を「相互廃止」と呼び、それぞれの国家による自主的一方的な破棄・廃棄を「一方的廃止」と呼んで区別していた。前述の選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露があれば、全体破壊手段は不必要であるだけでなく、維持するのに莫大な経費と労力を要するお荷物である。また、少しでも注意を怠れば、全体破壊に繋がらなくても大量破壊に繋がる。そんなものはすぐに一方的に破棄・廃棄したほうがおトクである。全体破壊手段、大量破壊手段…などの無差別的破壊手段を増強するより、前述の選択的破壊手段と防衛手段の増強に専念するほうがよい。小国も選択的破壊手段をもつことができ、大国の政府と軍の中枢を破壊することができ、大国を抑止することができる。全体破壊手段を保有していた国家権力は過去の政策と戦略を嘲笑するしかない。もはや全体破壊手段や大量破壊手段は過去の遺物でしかなく、誰もが一方的に廃止したほうがよい。実際、かつての保有国の多くで暫定政権または新政権が、全体破壊手段を不活化するだけでなく、自主的、一方的に破棄・廃棄していた。国際会議を待つまでもなくそうしていた。今の時点でも全体破壊手段はほとんど不活化されるだけでなく破棄・廃棄されていた。数か月以内の全廃は可能だろう。また、かつて言われていた「全体破壊手段は技術的にも安全面でもすぐに廃止できるものではない」というのが保持し続けるための名目に過ぎないことも分かってきた。その文句に対する疑いは革命前から世界の反政府グループがもっていた。何より、一方的廃止の力への期待は革命前からあった。だが、それがこんなにも積み重なり、その積み重ねの力がこんなにも大きく、それだけで十分だとは誰も思っていなかった。唯一の誤算であり、うれしい誤算である。
    だが、以下が一方的廃止の積み重ねをある程度は促進したことは確かである。世界の権力者と世界の市民という横割りの構造・動態が熟成し、(1)その下部で世界の市民が信頼し合う。(2)縦割りの構造の中でそれぞれの国家において市民が国家権力を民主化し分立する。(3)(2)で選ばれた国家権力の保持者が少なくとも互いに不信感をもたない。確かに、(1)(2)(3)が一方的削減の積み重ねをある程度は促進した。だが、それらは促進剤であって不可欠ではない。それぞれの国家が一方的に廃止しているのは、自国の利益のためであって、信頼などという情動は不要のようである。実際、A国のZたちとB国の例の重要人物たちによると、それぞれの軍の幹部らは他国の動向など探らずに廃止していると言う。やはり、選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露による一方的廃止の積み重ねが全体破壊手段全廃予防の決め手である。
  国際機構や事務局は一方的廃止の邪魔をしないというぐらいのつもりでいたほうがよいと思った。当然、事務局のスタッフと特定の国家との癒着や汚職があってはならない。事務総長は過剰な査察や癒着や汚職がないように、まず内部を監督しなければならないと思った。だが、過剰な監督もしてはならないだろう。適正な監督をするためには、何より私が自己抑制しなければならないと思った。他方で事務局のスタッフと総会や理事会や司法権の間の板挟みになることはあるだろう。それらは私にとってよい経験になると思った。それらを活かして次のステップに進もうと思った。
  私は、憲章の草案に乗せるべき全体破壊手段等の定義と機構の構成と権限を練りに練った。さらに、憲章にならない詳細も練らなければならない。例えば、事務局の査察部門の構成について、(1)原子核操作査察部門、(2)遺伝子操作査察部門、(3)小惑星操作査察部門が最低限度必要で、それぞれに、このような専門性をもつ人間が最低限度必要…など。(1)の長官にはA国のあのO参謀が(3)の長官にはB国の宇宙開発企業の研究者が最適と考えた。ネット経由の交渉により内諾を得た。O参謀にはさっそくEC市に来てもらって、原子核操作部門の詳細について検討を開始してもらった。この時点ではA国のあの部門の長官との兼任である。数週間後には専らこの部門の長官となった。そして、(2)の長官には誰が見てもUが最適だろう。Uに宿泊先のホテルで相談した。Uはガンと感染症の完全克服と医療の低額化のための研究に戻りたかった。それらは医学研究者の夢だろう。だが、私が「科学技術は自らを抑制する科学技術も究めなければならないんじゃないか」…などと説得した。ただし、十年の任期という条件付きでである。十年後でもUは四十半ば、U本来の夢の実現は可能だろう。それと、Uは既にそれらへの道筋を引いていた。後は他の医学研究者にできるだろう。Uがいなくてもできる。そういう見通しもあった。だが、それは言わなかった。数日後、「科学技術は自らを抑制する科学技術も究めなければならない…」の説得の内容は的を射ていると思った。この頃、自然を保全する科学技術はかなり進んでいた。それに対して、全体破壊手段を抑制する科学技術はあまり進んでいなかった。
  さらに以下が分かった。全体破壊手段を抑制する方法を最も究められる者は、やはりその開発方法を知っているものだろう。すると、この機構の内部の科学者技術者の自己抑制を強化しなければならないと思った。しかも、その自己抑制は彼ら彼女らが機構から離れた後も持続しないといけない。すると彼ら彼女らの公私企業への天下り禁止、終身雇用、給与のさらなる増額…などが必要だと思った。するとUの十年という任期も考え直さないといけない。Uは信用できるだろうが、他に対するしめしがつかない。期限撤廃はしばらくUに言えなかった。あの森Fで兎や鹿を丸焼きにしたことさえ言っていたのだが。だが、数週間後にUは期限撤廃を了解することになる。また、Uはその職にとどまりつつ、医学研究も続けることになる。そして、彼女の夢を他の医学研究者とともに実現することになる。
  憲章の草案の原案ができて委員会に提出しようかと思っている頃に、A国で私たちの身に直接的に係る全く予期していなかったことが起こった。M将軍は千人を越える「政治犯」をシェルターに連行し人質としていたのだが、その千人以上と、UとXの二人とを交換しようという提案を持ちかけてきた。Uと私はすぐにA国に帰国せざるをえなくなった。
  私はVに副事務総長に就き、Uと私がA国にいる間、この機構で憲章の原案のさらなる熟成と委員会と総会への提出、質疑応答の対応…などをすることを依頼した。Vは喜んで受けてくれた。憲章をさらに議論しながら磨くにはVのような法学者が私より適切だとも考えた。実際、あのP教授がまとめたものもVたちがさらに分かりやすくまとめていた。それが世界の憲法の基本になった。同様のことは憲章の原案についても言えるだろう。これを機会にVと本格的に交代したほうがよいのではないかとさえ思った。VはB国で暫定政権が成立してからB1大学の学長になっていた。それとの兼任になる。総会と理事会はVが副事務総長となることを承認した。さらに、私が戻って来れなかったときは、Vが事務総長に就くことも承認された。Uが戻って来れなかったときの代わりとしては、UがC国の有名な生物学者に依頼し同意を得た。

全体破壊手段の全廃予防の詳細

  ところで、あの国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立について、それが最初に唱えられた時は2000年より前の「冷戦」初期で、最初に唱えた人物は現在のB国内にあった大学の法学者だったことが分かった。Vらは世界革命後にその大学の跡地を様々な目的で発掘調査していた。そこで発掘された文献のいくつかから、この分立は最初は冷戦を解決する手段として研究されていたことが分かった。確かに、もし冷戦初期にその分立が世界の国家で実現していれば、冷戦はあそこまで深化せず、当時は唯一の全体破壊手段だった核兵器を始めとする驚異的な軍拡はなく、20XX年の地上の人類の絶滅もなかっただろう。その分立は少なくとも冷戦初期から必要だったのである。その発掘調査も一段落して、VはEC市に来て短期間だが実質的な事務総長である副事務総長に就くことができた。
  以下をB国からEC市へ移動する前のVに、インターネットで以下を確認した。

…全体破壊手段は第一に核兵器(1)、第二に不変遺伝子手段(2)、第三に小惑星の軌道を変えるような小惑星操作である。(3)について、人間の操作は小惑星の軌道を変えて地球に衝突または接近させうる。そのようなことは人間が意図しなくても資源の探索や開発中の事故でも生じえる。だから、小惑星の開発や探索をする場合は、最悪の事故でも軌道を変えない方法が探り当てられる必要がある。その方法が探り当てられないのなら、どんな形にせよ小惑星操作を禁止するべきである。(2)について、例えば、Uも拷問されれば、不変遺伝子手段の開発方法を吐いてしまうだろう。また、他の科学者がいずれは開発法を発見するだろう。だから、不変遺伝子手段とそれ以外の区別を明確にして、不変遺伝子手段を全面禁止。端的に言って、「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」である。一方で不変遺伝子手段以外の遺伝子手段をあまり厳しく制限しないほがよい。特に遺伝子治療について、健康で長生きしたい、家族に健康で長生きして欲しい、子どもに早死にされたくない…などの一般市民の願いは切実である。遺伝子治療や品種改良は不変遺伝子手段以外の遺伝子手段や遺伝子手段以外の生物学的手段によっても十分に可能である。それを一般市民に説明する必要がある。そうしないと一般市民はついてこない。そのためにも、不変遺伝子手段とそれ以外の遺伝子手段の区別を明確にする必要がある。そこでは、やはり「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」というのが決め手になる。(1)について、核融合にせよ核分裂にせよ、使用時に人為的な原子核の変化を伴う兵器を核兵器と定義し、全廃する必要がある。問題が残る。平和利用の原子力の発電所、潜水艦、船、飛行機、宇宙船、人工衛星…などをどうするか。25YY年になるのにまだ、それらが残っていた。それら自体は全体破壊手段でないように見える。だが、テロや戦争においてネット経由で侵入され、それらが一斉に暴走、暴発すれば、全体破壊手段になる。また、事故や自然災害によって暴走、爆発すれば、全体破壊手段にならなくても、大量破壊手段になる。また、それらから核兵器を開発することは比較的に容易であり、それらは「前全体破壊手段」でもある。何より原子力に代わるエネルギー源は開発されている。だから、平和利用のものも全廃したほうがよいのではないか…その議論を今後していくことは憲章に明記される必要がある。

などと確認した。Vは「I(私)とUが戻って来るまでは全力を尽くす」と言う。私は戻って来ないほうがよいのかもしれない。やはり憲章の原案を練るにはVのほうが適切だろう。Vにはそのことを正直に言った。するとVは「やっぱり妥協しないやつだ」と言わんばかりに笑っていた。

超法規的〇〇


  諸国で旧政府と旧軍の幹部は、それぞれのシェルターに逃げ込み、そのことが彼らの命取りになった。諸国で暫定政権と新政権がシェルターの出入口をすべて封鎖し、シェルターと地上が別の宇宙のようになっていた。シェルターに退避した者たちは、地の果てに隔離されてしまった。シェルターに退避したのは、旧政府と旧軍の上層部だったが、その中にも上層部と下層部があった。上層部はいいとしても、下層部には「なんで俺たちがこんなところに居なきゃならないんだ」という疑問と不満があった。上層部は下層部の意向を汲み入れざるをえなかった。世界でシェルターに退避した者たちが地上に投降し生還しつつあった。だが、抵抗する権力者もいた。シェルターから一般市民向けに演説を行い、旧政権を正当化する権力者もいた。それも言論の自由のうちと、その国の暫定政権または新政権は逐次反論しなかった。旧政権の残虐や非効率や無駄遣いを改めて調査し公開しただけだった。権力者は数値が示すものに反論できなかった。
  ところが、A国のM将軍は一筋縄ではいかなかった。M将軍は、彼らの言う政治犯をシェルターに連行して、人質としてとっていた。その数は千人を越える。M将軍は、その人質と、UとXとを交換しようと言う。つまり、A国に限って最初から、シェルターと地上は別の宇宙でなかった。シェルターと地上は人質によって繋がっていた。シェルターに隔離されたかに見えたM将軍には地上に戻って地上を支配する突破口が残っていた。M将軍はUとXを得て、Uには今度は本物の全体破壊手段の開発を強要するだろう。Xには世界の情報通信網のコントロールを強要するだろう。それらがあれば再度、地上に戻って世界を支配することが可能だろう。とM将軍は考えたのだろう。しぶとい。すぐにへりくだって投降してくるような並みの権力者と異なる。また、シェルター内に千人以上の人質が居れば、シェルターなりの環境の悪化と資源の消耗は馬鹿にならないだろう。それをUとXの二人と交換できたら、どんなに楽なことか。賢い。しかも、UとXは魅力的な女性である。だが、仮にUとXに性的魅力がなくても、M将軍は彼女たちを選んだだろう。
  Z、T、U、X、私と新政権の警察、軍の幹部らはネットを介して考えた。千対二の交換になるように見えて、UがM将軍の手に渡ってしまえば、全体破壊手段が開発され使用され、結局は数十億人との交換になるのではないか。だが、Uは言う。不変遺伝子手段の開発には核兵器と同様で希少な資源と機器が要る。それらも揃える必要がある。それらの調達も含めて数か月はかかる。時間は稼げる。M将軍は今の時点ではそのことを知らないだろう。と言う。Xも、シェルター内のシステムを世界をコントロールできるようなものに変えるには自分一人では無理で相当な時間と労力と資源が要る。と言う。それらも踏まえて大勢は以下のようになった。ここで人質交換に応じれば、M将軍の要求はさらに高じ、何を要求して来るか分からない。また、今後の誘拐人質事件に悪い前例を残す。善良な千人にせよ有能で有用な二人にせよ貴重な人質である。それと、M将軍は冷静な人である。人質に容易に危害を加えないだろう。危害を加えるとしても徐々にである。UとXの二人についても、用が無くなれば危害を加え始めるだろうが、それは数年先のことだろう。だから、すぐに交換に応じなくてよいし、応じるべきではない。それらが大勢だった。私については正直言って、Uとせっかくつかんだ幸せを壊されたくないという気持ちが優勢だった。Uはもちろん、地下に囚われたくない。自分の身の上や私たちの将来のこともあるが、Uのガンと感染症の完全克服と医療の低額化という夢も消え去る。だが、Uは交換に応じない場合、市民の理解が得られるか危惧していた。千人となると相当な家族友人がいる。それらの人々が理解するか。一般市民が理解するか。Tは、千人の人質なら、そのうちM将軍は食糧や医薬品を要求することになる。するとそれを供給するまたは供給しないという社会権を保障する人の支配系(S系)に固有の権力をもって交渉を有利に進められる。と言う。いかにもS系の行政権の長官らしい。だが、Tにおいても私と同様の気持ちが優位であるようだった。Tは中学校の頃から女性関係が広く様々な女性を見てきた。そのTがXを選んだのだから、Xへの愛は相当なものだろう。Xは、地下に潜って端末からシェルター内の主要なコンピューターを操作して、地下で革命を起こすとともに二人とも生還して見せる。といかにも超一流の情報技術者らしいことを言い始める。そんなXを信じたい気持ちもあるが、この度ばかりは信じられない。人質の身では無理だろう。
  P教授が生きていればどう言うだろうか。こう言うだろう。「超法規的」事態が生じた後は、それを想定できなかったことを反省し、そのような事態に対する対処法を法で明確に規定する必要がある。そのようにして超法規的事態と措置を極力ゼロにする必要がある。例えば、今回のような事件を含めて人質をとる事件に対しては、即時に人質の救出に取り係り、容疑者の捕獲が困難な場合は即、容疑者を殺害してよいと明確に法で規定してもよい。そう法で規定した上で、警察等は臨機応変な戦術を練り実行する必要がある。過去には臨機応変な戦術の成功または失敗はあったが、法での明確な規定がなかった。さらに、それらによっても超法規的事態が残ることを想定して、一定の条件の下に超法規的措置をとれるものとし、その条件を法で明確に規定する。例えば、超法規的かつ緊急事態に対しては最高裁判所長官と自由権を擁護する法の支配系(L系)のL議院の議長を必ず含む緊急会議を開き決定すると。実際、今回の事件の解決後に世界の国家でそれらの概略が憲法に追加され詳細が法で規定された。それらを憲法と法で明記せず曖昧にすれば、超法規的事態や緊急事態を名目とする民主制、権力分立制と法の支配の形骸化が生じかねないからである。
  私とUはA国に着いた。今まで様々なことを想定してきたが、こんな形で「帰国」するとは思わなかった。上の理念に従って最高裁判所長官、L議院議長と、他に警察の長官、警察を監督するL議院の委員会の長、軍の長官としてのZ、軍を監督するL議院の委員会の議長、当事者UとX、その家族としての私とTが集まった。この状況では、TはS系行政権長官としてではなく、私は全体破壊手段全廃予防機構(仮称)の事務総長としてではない。必要となりそうな情報技術者、旧政権のシェルターの設計者、施工者…などの専門家も招かれた。まず、最高裁判所長官が前述のP教授が言うと予想されたことと同様のことを語る。警察の長官が前述の大勢を繰り返す。旧政権のシェルターの施工者は「建設時の足場がまだ残っていて、数分でシェルターの実質まで降下することができる。ただ、その足場の最終部分で交戦になりえる。隠密の離反者の協力があれば交戦も避けられるだろう」と言う。これが具体的な情報として今までで最も価値のあるものだった。
  Zはこの会議室でもあのN大佐と連絡をとろうと必死だった。「もう少しで連絡がつくだろうから待ってくれ」と言う。Xと他の情報技術者数名もZに加わった。N大佐は革命完結後もM将軍をマークし好機にM将軍を捕獲しようとしてきた。シェルターに降りてからは最大限に慎重で、連絡が取れなかった。それはN大佐も私たちも想定していた。だが、この非常事態で事情が変わった。どうしてもN大佐の情報と考えが欲しかった。N大佐からも連絡を取ろうとしてくれていた。繋がった。N大佐がスクリーンに大写しになる。だいぶんやつれている。N大佐は「UとXには悪いが、人質交換に応じて欲しい。交換のときが千人以上の人質の解放とM将軍の捕獲の最初で最後のチャンスだ。地下では既に多数の兵士が隠密に離反し準備ができている。UとXの安全は絶対に保証する」とカメラを見つめてはっきりと言う。Uが「地下に降りるわ。よろしく」と言う。Xが「行こう。地の果てまでも」と言う。UとXが見つめ合う。それらで決まった。他の幹部は最初からこうなることを願っていたようだ。やはり千人の命と二人の命を比較考量していたのだろう。これで市民に対する申し訳が立つ。最悪でもUとXを悲劇のヒロインにして、できるだけのことはしたと市民の理解が得られるだろう。私がもし当事者の家族でなかったら、私もそう思っていたかもしれない。続いてN大佐とZが計画を立てた。N大佐は離反者とともに地下をコントロールし、N大佐から連絡があり次第、Zらが応援に地下に急降下することになった。
  私とU、TとXは、それぞれ一夜を二人だけで過ごした。TとXについては当然、プライバシーだ。私とUについては以下のとおり。あの懐かしいかつてのUの研究室でウサギRを抱きながらUはさすがに多くを語らなかった。何か考え込んでいるようだった。心なしか、Uの目尻の皺が深くなったように感じられた。一挙に十年歳をとったようにも見える。やはりUにも地下に降りることと生きたいという思いの間で葛藤があるだろう。このときばかりは私が受け止めなければならない…などと思っているとき、Uは言った。「不変遺伝子手段を不活化する手段を開発することは可能だわ。だけど、それも不変遺伝子手段でしかない。それを完全破壊する手段も不変遺伝子手段でしかない…と続く。だから、やはり『遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ』しかない。不変遺伝子手段を含めて全体破壊手段は全廃するしかない」と。不変遺伝子手段を不活化する手段をこんなときに思いつくとは…何てヤツなんだ。もし今回の作戦がうまくいかず、UがM将軍に利用され、全体破壊手段の開発を強要されたら…
    さらに、Uは「私がもし生還できなかったときのために、不変遺伝子手段を完全破壊する手段の製法を残しておいたほうがいいのかもしれないけど、それも不変遺伝子手段なのだから、残さないほうがいいわね。あなたも聞かなかったことにしてね」とあっさり言う。私は何も言えなかった。今夜に限ってUにとっても世界にとっても私は必要ないと思った。さらに、この事件が解決するまでは私は余計なことをしないほうがよいと思った。
  次の夜、人質交換が始まった。UとXがシェルターの入り口に向かうときにはどこから嗅ぎつけたか世界中のマスコミのカメラが何層もの放列を作っていた。確かに歴史的瞬間であることに間違いはない。ライトも何重にもなり彼女らは本当に眩しそうだった。その放列の中をまずUが、十数分後にXが地下に去って行った。二人ともまるで「こんなカメラとライトの中より地の果てのほうがマシだ」と言わんばかりに逃げるように走って去って行った。それだけだった。交換で解放された人々も映っていた。このときばかりは他人の幸せが目に痛かった。これが当事者だったら人質の解放はうれしかったかもしれない。私は当事者家族で、中途半端だったからだろう。

犠牲の極少化

  Zはシェルターへの急降下の準備で忙しい。私とTはこの度の作戦の臨時の指令室の片隅に座って待った。予想したよりN大佐からの連絡が遅い。医療スタッフからは仮眠をとるよう勧められたが、眠れるわけがない。私もTも、「Mの野郎、ただの男と女がつかんだささやかな暮らしまで取り上げることはないだろう…政治や社会とは関係ないだろう…おれたちがなんでこんな目に逢わなければならないんだ…」というのが正直な気持ちだった。だが、前向きに…と、私とTはUとXのさらなる交換も考えてみた。だが、どう考えてもM将軍が欲しそうなのはUとXでしかない。私のような思想史と科学技術史が専門の歴史学者が要るわけがない。革命家や権力分立論者や全体破壊手段全廃論者も要らないどころか邪魔なだけである。Tのような社会権の保障の専門家も要るわけがない。要るとしてもM将軍らが地上に戻ってから十年以上後である。全体破壊手段の開発者と情報技術者なら要るだろうが、それがまさしくUとXで、彼女たちを超えるそれらは世界のどこにも存在しない。そんな話を私とTがしているとき、N大佐から「M将軍を除く全員がM将軍から離反した。UとXを無事確保。M将軍は逃走中。私はM将軍を追跡する」との連絡が入った。Zらがシェルターへ急いだ。私とTも急いだ。
  地の果てに着くと、UとXが毛布にくるまって椅子に座っていた。私とU、TとXがそれぞれ抱きしめ合ってハッピーエンドというわけでは全くない。Xは「M将軍は逃走した。M将軍は全体破壊手段のコントロール室に向かいっている」と言う。Uは「全体破壊手段のコントロール室は離反者が確保し不活化にとりかかっている。それはだいじょうぶ。だけど、N大佐が…」と言葉が詰まる。Xが「N大佐はM将軍を追跡している。N大佐が危ない」と言う。離反兵士たちは「自分たちが『M将軍は新型の銃を持って全体破壊手段のコントロール室に向かった』という話をしていると、N大佐はもう居なかった」と言う。M将軍は最後に私たちもろとも自爆しようとしている…わけがない。M将軍はそんな自己破壊的な人間ではない。今度は全体破壊手段を人質にしようとしているのだろう。N大佐はそんなM将軍を追跡している。N大佐はM将軍を生きたまま捕らえようとするだろう。M将軍はN大佐を即、殺害しようとするだろう。N大佐が危ない。全体破壊手段のコントロール室は離反者だけでなく地上からの別部隊も確保している。だが、その途中が手薄だ。Zと私は他の十数名の地上からの兵士と離反兵士とともにそこに急いだ。UとXには人間ドック入りのために病院に直行してもらった。Tにはそれに同伴してもらった。
  私たちは懐中電灯で照らしながら廊下を急いだ。従来の銃声と表現のしようのない奇妙な銃声が聞こえた。私たちはさらに急いだ。暗い廊下の脇に人が一人、あおむけに倒れていた。N大佐だった。Zらはその先を急いだ。N大佐は、従来型の防弾チョッキも胸骨も肋骨もぶち抜かれ、心臓の右半分はない。背骨もぶち抜かれ直径約10cmの空洞ができ背後には血の池がある。その底は廊下の床だろう。後ろの壁にやはり直径10cmほどのくぼみができている。なんらかの波動か素粒子を発する銃だろうか。くぼみはまだ熱を帯びているようで奇妙な煙が立つが、深さは1cm程度にとどまっている。新型銃といえどもシェルターの壁を貫通できないようだ。M将軍はシェルターの堅牢さも認識して新型銃を使用したのだろう。N大佐の体の周りには血の川が広がっている。もはや流れる血はほとんど残っていない。
  私もその先を急いだ。人が廊下を這いずり、その周りをZらが囲んでいた。M将軍だった。左の下腿を撃たれて出血し血の跡を引きずっている。左下腿はひん曲がっている。恐らく、N大佐はM将軍の下腿を従来型の銃で撃ち生きたまま捕獲しようとした。M将軍にとってはN大佐を生かす必要はない。M将軍は倒れながらも新型銃でN大佐のど真ん中を狙って撃ち返した。N大佐にM将軍を生かす必要がなかったら、M将軍は先に射殺されていただろう。Zらがその新型銃も従来型のサイドアームも既に取り上げていた。Zらは救急隊を呼び、臨時の止血に取り掛かった。M将軍は痛みに悶えている。止血のためにならない。救急隊が到着すると鎮静がかけられた。
  私とZはN大佐のもとに戻った。N大佐は十数年間、独裁政権を倒し権力を民主化し分立しようとじっと耐え、M将軍をマークしてきた。そして今、それらを成し遂げた。それと同時に死んでしまった。共に喜ぶことも悲しむことも、何もできない。振り返るとZは敬礼していた。Zにとっても敬礼などという古典的なものをするのはこれが最初で最後だろう。その後でZは「N大佐に『人質や自分や部下に身の危険があったり全体破壊手段使用の危険があれば、M将軍を殺害してくれ』とひとこと言っておくべきだった」と悔いていた。警察で、通常の誘拐人質事件ではそれらについてどうするかを前もって決定しておくのだろう。だが、今回はそれらについて決定しておく余裕がなかった。
  そもそも、誘拐人質事件は軍ではなく警察の管轄である。今回は軍が警察に協力した形をとり、シェルター内に関する限りで警察が指揮権を軍に譲った。今後はそのあたりで曖昧さが生じてはならない。軍と警察の分立は厳格でなければならない。何故なら、警察・検察は軍の違憲違法行為も捜査し告訴しなければならないからである。警察と軍の分立のあり方は既に憲法で規定されている。次にそれらが協働する条件と限界も明確に憲法と法律で規定される必要がある。実際、この事件の後に世界の国家でそれらの協働の条件と限界が憲法に追加され詳細が法で規定された。特に大量破壊または全体破壊に繋がりえる状況においては警察と軍が協働できると憲法で規定され、その詳細が法律で規定された。
  Zらは全体破壊手段のコントロール室を含めて、地下の捜索を始めた。離反しなかった者が潜んでいないかの確認、全体破壊手段と新型銃を含む兵器の調査、N大佐殺害の証拠収集…などと、何より全体破壊手段の不活化に速やかに取り掛かった。例の全体破壊手段全廃予防機構はその跡を査察することになる。その機構の専門家が既にこちらに向かっている。

復讐心や恨みを越えろ。被害者や加害者のためではなく、自分のために生きてくれ

  私は地下で離反した兵士の大部分と一足先に地上に向かった。地上の離反者と違って、彼ら彼女らは地の果てで長時間耐え抜いた。地上に着くと夜明け前だった。25YY年の初冬、吐く息は少し白い。さすがにシェルターのすぐ近くに高層ビルはなかった。東から西へ空色が紅色、薄紅色、水色へと変わっていく。薄紅色の雲が流れる。地上に生還した兵士たちへの賛歌にも、地の果てで朽ち果てたN大佐への鎮魂歌にも見えた。そう言えば、P教授とこんな空を見上げたことがあったが、あれは夕方だった。兵士たちも、N大佐のことを思い、率直には喜べないようだ。家族がいる者は密かに連絡している。連絡する家族も親戚も友達も恋人もいないという独り者が意外と多くいて集まっていた。友達や恋人は同僚の中に居るのだろう。独り者の中には、男も女もいた。性別の分からない人もいた。上官も混じっていた。もはや従来の性別や新しい性別や階級は関係ないようだった。恐らく男性と思われる兵士が言う。「地の果てはもう飽きたから、今度は宇宙の果てまで行こうぜ」  ようやく笑みが漏れ、気勢が上がった。周りの人々は不思議そうな目で見ている。「家族がいる者には分からないだろうな…」とつぶやく恐らく女性と思われる兵士もいた。
  M将軍の身柄が地上に出て、救急車まで運ばれている。私はその方向に向かった。Zらが警護する。まだM将軍には鎮静が効いている。もちろん生きている。市民も来ているようで、M将軍に罵声が飛ぶ。そのとき、刃物をもつ女性が割り込んできて、M将軍の腹部を刺した。その女性にはZらも油断したようだ。Zらが女性を制止する。女性は「子供まで殺すことはないじゃない」とM将軍に鎮静がかかっていることも知らず叫ぶ。市民からどよめきが上がる。同伴の救急隊が「傷は浅い」と言う。刃物はM将軍をくるむ毛布と衣服を僅かに貫いただけのようだ。M将軍は僅かに呻くだけで、鎮静から覚めることもない。人々が寄ってくる。その女性をよく見ると、あのM将軍に娘を殺されたと言っていたQPだった。Zもそれに気づいたようだ。ZはQPを制止するだけでなく「傷はたいしたことはない。逃げろ」と言う。QPはZを見る。理解ができなかったようだ。私はQPに「復讐心や恨みを超えろ。子供やM将軍のためではなく、自分のために生きてくれ」と言っていた。QPは私を見た。しばらくしてうなずく。ビルの窓ガラスで反射した朝日でQPの眼と頬の涙が輝く。ZはQPに刃物を返す。果物ナイフだ。しかも血が先端に僅かに付いているだけだ。刃の根元にはリンゴの皮のかけらさえ残っている。QPには返り血もない。QPは、ポケットから鞘を出し、ナイフを入れ、ポケットにしまった。市民のうち初老の男性が「俺は何も見てないぜ」と言う。他の市民もうなずく。QPは去って行った。市民は道を開けていた。
  私はあのような言葉を反射的に言ってしまった。言葉の内容に間違いはないと思う。だが、復讐心や恨みを越えて自分のために生きるには長い年月が要るだろう。わたしもそうだろう。あのようなことを言うのは、時期尚早だろう。あのQPは受け止めてくれたが、あのような言葉は早急に吐くものではないと思った。それと正直言って「組織の変革のため、今は検察・警察も裁判所も忙しい。変革の支障にならないでくれ」という気持ちも少しあった。それは最初から最後まで言わないほうがいいだろう。
  それにしても、復讐心や恨みをあまりもたない自分ってなんなんだろうと思った。両親やP教授やN大佐を含む幾多の人々を虐殺、暗殺し拷問死させた独裁者たちを生かしておいて精神的苦痛を味あわせるのが最大の復讐だ…などという複雑な心情はない。多分、それらの復讐心や恨みをもつために、せっかくここまできた民主的分立的制度の確立と全体破壊手段の全廃予防を、台無しにしてはならない、という気持ちがあったからだと思う。そんな気持ちがなかったら、私もQPと同様になっていたかもしれない。復讐心や恨みと戦うことを免れたという意味では、私は幸運だったとも言える。また、「無血革命」を目指す以上は権力者の血も流さないでおこうという完全無欠を求める気持ちもあったと思う。また、M将軍らの独裁の根本的な原因は、独裁という政治制度を許した私たちにあると思った。私たちがもう二十年、早く民主的分立的制度を確立していれば、M将軍らの独裁と第四次世界大戦の発端と幾多の弾圧、虐殺、暗殺、拉致、拷問…などと全体破壊手段の使用の危機と、難民、人為的飢饉、自然災害の人為的深刻化…などはなかっただろう。「罪を憎んで人を憎まず」の表現法を借りれば、「政治制度を憎んで人を憎まず」である。結局、私たちが改革する必要があるのは、国家や国際社会や政治や経済や社会や権力そのものではなく、政治権力に係る政治制度だ、と思った。また、前述のような理由で経済体制でもないと思った。
  結局、グループG、暫定政権、新政権は、M将軍を除くすべての旧政権の人々を赦免してしまった。それはA国に限らず世界的傾向である。今後、それらに対する批判が犠牲者遺族から出てくるだろう。その批判に対してどう応えるか。ちょっと難しい課題を新政権に残してしまった。だが、離反を促し無血革命を達成するためには、離反者に限って、旧政権中の罪を問わず、赦免する必要があった。結局、離反者が続出し、そのおかげで無血革命が達成されたのである。革命の実質では確かに無血革命だった。その実質の前後でP教授とN大佐の血は流れてしまったが。
  残されたM将軍の身柄をどうするか。さしあたり救急病院に入院した。N大佐の葬儀はM将軍から離反しN大佐についた離反者らが中心になって軍で挙行された。Zは当然、軍長官として葬儀委員長になった。私とU、X、Tも出席した。私とUはその後、すぐにE国のEC市の全体破壊手段全廃予防機構に戻った。以下はその機構の事務総長として聞いたことである。M将軍について、左下腿の膝から下に義足が入った。義足、義手、人工関節を含む人工臓器そのものとその装着技術とリハビリ技術はますます進歩していた。一か月も経てば普通に歩けるよういなるだろう。また、リハビリの間にA国の警察と検察が、M将軍の大規模弾圧と幾多の虐殺、暗殺…などについて取り調べ、A国の司法権に告訴することになった。その後でM将軍は、全体破壊手段全廃予防機構に移送され、全体破壊手段の開発、製造、保持と使用未遂について取り調べを受けることになった。その機構と暫定憲章ができる前のそれらについては告訴できない。その後のそれらについてはその機構の司法権に告訴できる。その告訴の後で、M将軍はA国に送還されA国の裁判を受けることになった。いずれにしても現代に死刑はない。M将軍のA国での終身刑は確定的である。全体破壊手段全廃予防機構の司法権がどう裁定するかは分からないが、A国での刑罰が実質になるだろう。

生きていた

  解放されたかつてのいわゆる「政治犯」、少し前の「人質」の多くは、家族や友人と再会し、家庭や社会に戻りつつあった。だが、囚われている間に向精神薬で鎮静をかけられていた人々は身元さえ分からず、臨時の施設に収容されていた。だが、その鎮静も切れてきて、次第に身元が判明しつつあった。私はそれらの人々の名簿に目を通した。あった。生きていた。あの男子学生が作ったドキュメンタリーの中のあの女性の息子が生きていた。私はすぐに学生を呼んで一緒に、息子が収容されている施設に行った。
  息子は三十代。まだ、鎮静が効いていてベッドに横たわるが、話ができる。以下のことを語る。学生はカメラを回している。

  徴兵を拒否すると…大変なことになる。自分だけでなく母親らも…表向きは穏やかに出征した。同僚になった徴収兵たちと密かに計画を練った。自国の軍から脱走する。深夜に基地を抜け出してジャングルをさまよった。それは戦闘より苛酷であることに気づいたが、なんとか進んだ。朝日が昇った。なんとかなる。と思ったらA国の基地からさほど離れていなかった。A国軍に見つかり、他の仲間は銃を持っていたため射殺された。自分は銃を持っていなかったので、生かされ…A国に送還され、政治犯として…

  私は考えた。M将軍の前の独裁者も相当なヤツだ。人質の必要性を感じて、安全な人間を生かしておいたのだろう。M将軍はそれを引き継ぎつつ新たに補充したわけだ。だが、それは息子にも学生にも言わなかった。私は学生とともにあの母親の家まで息子を送って行った。それは感動的な再開だったが、母親はしばらくしてカメラに向かってニヤッと笑って言った。「やっぱり生きていた」
  帰り道、学生は「感情のこもった笑いならいいんだけど、あのニャッとした笑いは…」と、あれを削除しそうだった。私は「あれがいいんじゃないか…あれが庶民のたくましささ」と、削除しないことを勧めておいた。また、息子のその後の生き方を追いかけることを勧めておいた。反戦論にしても何にしても自由に語れる時代が来た。その後について、学生は放送局に就職しレポーターになった。息子は教員免許を取り小学校の教員になった。その教員の授業をそのレポーターは撮っていた。教員は生徒たちに自分の体験を少しばかり挙げて「何もしないことが最善の生き方であることがある」と語っていた。私は「であることがある」と言うのはさすが平和主義者だと思った。だが、小学生には理解するのが難しいかもしれない。また、小学生には消極的な生き方は示さないほうがよいのかもしれない。実際、生徒の親からそんなことを言った彼に対する批判が少し出た。私は思った。「権力疎外」は一般市民にも十分可能だが、離反や権力相互暴露は一般市民には無理がある。だが、少なくとも戦争や独裁に加担したり協力したりせず、表立って反抗したり…もしないことが一般市民にとっては最善の生き方だろう。実際、あの母親も息子も生き延びた。もし、徴兵を拒否していれば、母親も息子も生きていなかったかもしれない。もし基地から逃走せず、戦闘に参加させられていれば、息子は戦死していただろう。もし銃を持って逃走すれば息子は射殺されていただろう。もし有力な反戦または反政府論者と見なされれば、息子は捕獲後、即、殺害されていただろう。もし表立って息子は生きていると主張し息子を探せば、母親は暗殺され息子は殺害されていただろう。母親もそのようなことを直感し、息子が生きていると確信し待ったのだろう。それは市民の感性であって霊感や超能力ではない。

亡くなっていた

  私とUがE国EC市への引っ越しの準備をしているとき、Uのあの養母がやってきた。Uの実母が亡くなったと言う。あの遊び歩いていた実母のことである。Uの養母と実母は遠い親戚でもあるが、幼馴染みでもあって、よく行き来していた。養母は語る。「(実母は)体の調子が悪そうだったが、医者に行かなかった。元来、医者嫌いだった。しばらく見ないので心配して(養母が実母の)アパートまで見に行くと、(実母は)亡くなっていた。血を吐いたようだ。血は黒く乾いていた」と。Uも私も突然のことで返す言葉がなかった。養母は続ける。「本当は(実母は)ずっとUのことを心配していた。『医者の不養生にならなければいいが…』と。だが、『そんなことを言うと、子供が有名になった後で態度を急に変える薄情な親だと誰からも思われる。わずかなカネを借りに行って、元気なUを見て安心することしかできない』と言っていた。(実母は)Uが子供の頃からUのために密かに手袋やセーターを編んでいた。だが、(実母はUに)渡せなかった。『やっぱり自分みたいな人間(実母)は遊びの道をひたすら進むしかない』と言っていた。私(養母)は『そんな意地張らずに渡せばいいのに』といつも言っていたが、『こんなもの渡しても何の役にも立たない』と渡さなかった。検死で死因は食道静脈瘤破裂とのことだった。そういえば、最近、酒の量が増えていた。遊び疲れというより飲み疲れという感じだった。死亡推定時間はあの人質交換の前だった。新政権下の検死だから間違いはないと思う。(養母が実母の)部屋を整理しているとき(これらが)見つかった」と養母は言って、手作りの透明な包装に入った手編みの子供用の手袋とセーター数点をバッグから取り出す。「あなたたちが付き合っていることが分かった後は子供(実母にとっては孫)に要るだろうと編んで綺麗に包装していた。包装を開けずにそのまま持ってきた。全部、お母さん(実母)の手作りよ」と養母はUに手渡す。リボン付の包装も中身も三歳から十歳ぐらいの女児が喜びそうだ。Uはそれらを手に取り最初は「かわいい」とつぶやいていたが、やがて涙が包装を濡らし始めた。
  U、養母、養母の実子、私の五人でささやかな葬儀を執り行った。Uはそれらの手袋とセーターを包装をそのままにして「子供に着せる」と引っ越しの荷物の中に入れていた。実母は子供の頃のUに着せるために編んだものも綺麗に保存していた。孫に着せるために最近、編んだものは包装も真新しく区別できた。結局、同年配または年下の者への対人情動として、(1)性的欲動(2)恋愛(3)友情(4)配偶者に対する情動(5)子供に対する愛情(6)孫に対する愛情のどれも豊かな人だったのだろう。(1)-(6)のどれも満たせたらよかったと思う。だが、それは困難なことである。その困難さを実母が実証している。第一、そんなことのできる人間がいたら嫉妬されるか反感を買うだろう。人間はそれらのいずれかが満たされないとき、他で代償または他に没頭するのだろう。例えば、(1)(2)が満たされず(3)で代償する、またはその逆の人は多いだろう。(1)-(6)のどれも満たされないときでも、人は独りでの遊びや趣味や仕事に没頭するのだろう。そのような没頭が可能であることは独居老人Kや隠遁者Wが実証している。ひとまずUの実母の(1)(2)を讃えたい。一般の(1)(2)についても書いてみたい。と思ったが、私には(1)(2)を把握し描写する力はないと思った。

全体破壊手段の全廃と予防の必要性

  さて、私とUとウサギRはE国EC市の全体破壊手段全廃予防機構の敷地の臨時の職員寮に移住した。憲章について、全体破壊手段の定義、機構の骨組、権限等を載せた私の原案が、Vと委員会によってさらに練られ、内容が分かりやすいものになり、委員会で可決された。私たちが戻って、総会での審議があり可決承認され、実施に移された。その総会での審議、可決、承認後に、VはB国に帰った。Vは「もっと一般市民に分かりやすく書かなければ駄目だ。分かりやすくするのにちょっと苦労した」と言っていた。P教授もそうだったが、私もそうだったのか…今後の重要な課題がまた一つ増えた。
  そして、革命から半年もたたない25YY+1年1月20日に全体破壊手段は全廃された。かつての保有国は競って全体破壊手段を廃棄・破棄していた。そのような一斉で急な廃棄の査察に全体破壊手段全廃予防機構の事務局は何とか対応できた。最後の全体破壊手段は核兵器でB国に残った。その「信管」と呼べる部分を破壊する映像は世界に放映された。何と早い。あっけないと思われるかもしれない。その通り。全体破壊手段の全廃はこんなにも簡単だった。前述の「一方的廃止の積み重ね」の力が証明された。それが証明されたことを歴史に刻みたい。
  民主的分立的制度が確立され、全体破壊手段が全廃された今、つくづく思うことがある。あの父親は「苦痛をできる限り全般的に減退させて、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい」「そのような欲求を満たし目的を達成することは全く不可能なわけではない」と言ったが、その推測は現実になったし、現実であり続けると思う。つまり、二千年代を乗り越えるどころか、「地球や太陽の激変のときまで」は可能だろう。何故なら、民主的分立的制度が確立され全体破壊手段が全廃された今、そのような生存と自由を妨げるものが何もないからである。当然、人間は進化するだろう。だが、進化することに抵抗する者はあまりいないだろう。
  さて、暫定理事国と暫定事務総長は正式なそれらになった。それらはもちろん総会で決議された。また、「全体破壊手段全廃予防機構」は仮称だったが、それが正式名称になった。その敷地の片隅に臨時の職員寮が建っており、その一室に私とUとウサギRは住んでいる。Rのケージも持って来た。私たちが仕事に行っている間はRにはそのケージに居てもらった。もちろん、餌と水を入れて行く。私たちが徹夜残業しても十分にもつようにしている。今は全体破壊手段全廃予防機構は査察のための技術と機器の開発が急務である。だから、科学者技術者が忙しい。私よりUのほうがはるかに忙しく、私が先に帰って来てRをケージから出してやることが多い。トイレには自主的にケージに入る。私にも多少はなついてきた。
  全体破壊手段全廃の数日後にM前将軍はA国の病院での治療、リハビリ、A国の警察、検察の取り調べと司法権への告訴を終えてこの機構に護送されてきた。A国での警察・検察の取り調べと告訴について簡単に述べておく。表立った弾圧、虐殺等について、Mはそれが自分の命令によるものであることを認めざるをえず、告訴された。だが、暗殺についてはMは自分は命令していないと主張した。それに対して離反したMの元部下が命令されたと主張した。結局、P教授、AT街のQPの娘のものを含む近年の暗殺のほとんどについてもMは司法権に告訴された。私の両親のものを含むだいぶん前の暗殺については、唯一の証人と考えられるN大佐は既に亡くなっており、証拠・証人無で告訴されなかった。この機構での全体破壊手段使用未遂についての取り調べを受けた後にMはA国に送還され、A国の裁判を受ける。現代の死刑のない世界ではA国での終身刑は確定的である。
  この機構の司法権の建物は建設中である。だが、臨時の拘留所はできていて、Mはそこに収監された。臨時だがよくできた拘留所で私たちの部屋より豪勢だ。もちろん、厳重な警護付きである。Mが逃走することもMが誰かに狙われることも防がなければならない。この頃にはMの面接が私の仕事の一割程度を占めていた。Mは面接室には手錠をされて入って来る。この頃は手錠もかなり進歩していて、Mに不自由はほとんどなく、痒い目や耳はもちろん痒い背中も自由に掻ける。筆記用具またはコンピューターさえあれば文筆活動も自由にできる。
  さて、全体破壊手段使用の動機について、Mは語る。現代において死刑はなくA国に戻された後は終身刑は確実だから、ここではMは何も隠すことなく語る。「正直言って、全体破壊手段を使用することには葛藤があった。自分が使用した全体破壊手段が偽物であることが分かったときは、正直言って、ホッとしている自分もいた。だが、いつもの自分が優勢だった。シェルターに潜る前から、自分の権力が危ういなら、シェルターに潜って全体破壊手段で地上の人間を絶滅させ、その後で地上に戻って地上を支配しようと思う自分が優勢だった。シェルターに潜った後はUに今度は本物の全体破壊手段を開発させ、Xにはシェルターから地上の人間の行動を監視するシステムを構築させ、地上の人間を絶滅させ、その後で地上に戻って地上を支配しようと思った」と語る。20XX年の地上の人類の絶滅の直前にも、同様のことを考える権力者がいた。Mも、葛藤がありながら、ここまではっきりした動機をはっきりと自覚し、臆することなく語る。いや葛藤があることを正直に語るからこそ、それらは正直な気持ちだろう。ここで私たちは「怖い」「恐ろしい」…などと目を反らしていていいのだろか。
  さらに恐ろしいことが私には分かってきた。世界の独裁者たちは、表立ってではなく暗黙の裡に以下のことで合意していたのではないだろうか。

誰かに全体破壊手段を使わせてその者を極悪人にする。自分たちはいち早く地下のシェルターに退避する。その者に地上の人類を絶滅させてもらう。自分たちはその後で地上に戻って地上を支配する。その極悪人はうまく処分する。人口は激減し環境は悪化せず資源はありあまるほどあり、互いに争いは生じない。かといって互いに協調する必要もない。それぞれが好き勝手に地上を支配できる。これこそが地上最後の楽園(PARADISE)だ。

それらはあくまでも表立ってではなく、いわば「無意識」的に、暗黙のうちに合意されていたのではないだろうか。20XX年の地上の人類の絶滅のときもそうだったのではないだろうか。そのような自己の奥底に直面できるのは陥る傾向への直面に熟練しているMだけだろう。他の独裁者がそのようなものに気づき語ることはもはやないだろう…と思っていた。だが、数日後にB国のあのVがあのBP元大統領と面接する機会をえた。そのときVはBPにそんなことを考えなかったか尋ねてみた。すると、「BPは『確かにそんなことを考える自分もいた。同じようなことを考える権力者は世界で何人かいたと思う』と言っていた」とVは言う。「そんなことを考える自分もいた」ぐらいでは処罰の対象にならないが、MやBPは私たちが大いに参考にしなければならないことを言ってくれた。
  ここで私たちは「怖い」「恐ろしい」「人間ではない」「狂気だ」…などと目を反らしてはならない。私たちが直視しなければならないことは以下のことである。権力者は何を考えるか何をするか分からない。いやより正確には、人間は権力を握ると何を考えるか何をするか分からない。権力を握った人間が専制へと走り、人々を弾圧し虐殺し戦争を繰り広げ…などはよくあったことで、世の常だ…などということは、科学技術が発達せず、全体破壊手段や大量破壊手段がなかった時代に言えることである。現代では権力を握った人間は科学技術を乱用し、全体破壊手段を利用して何を考え何をするか分からない。だから、私たちは油断せずに権力を徹底して民主化し分立する必要がある。
  私にしても事務総長だからよかった。査察等をする権限に加えて軍事制裁を決定する権限や軍の指揮権ももっていたら、過剰な制裁をするかもしれない。全体破壊手段予防のための規定を破った個人や集団に軍事制裁や経済制裁を加えるか加えないかを決定するのは総会であり、軍事制裁の詳細を決定し軍を構成し指揮官を指名するのは理事会である。そのようにこの機構にも、今後改革していかなければならないが、現状のものでもそれなりの権力分立制がある。
  繰り返すが、抑制のない権力を握った人間は何を考えるか何をするか分からない。だから、少なくとも、国家レベルで民主的分立的制度を、国際または世界レベルで国家レベルのものとは少し異なる民主的分立的制度を確立し徹頭徹尾、維持する必要がある。全体破壊手段は削減や相互確証破壊(MAD)であってはならない。MADは権力を握った者が理性的であることを前提とする。権力を握った人間はいつ理性を失うか分からない。あるいは権力を握った人間の理性がどのようなものになるかは測り知れない。例えば、指揮官や兵器を直接的に制御する人間が突然、躁状態や幻覚妄想状態になったり、薬物乱用による離脱に陥るかもしれない。自然災害による全体破壊手段の暴走はありえる。だが、それらは予測困難であっても予測可能である。権力を握った者の行動は本当に予測不能である。テロリストの行動も予測不能である。だから、全体破壊手段は、地表はもちろん地底や海底や宇宙のものも含め、公権力がもつ可能性があるものも私的権力がもつ可能性があるものも含めて全廃でなければならない。私たちは国家レベルと国際レベルで民主的分立的制度を確立し、その後は徹頭徹尾、維持し、全体破壊手段を全廃し、その後は徹頭徹尾、予防する必要がある。そうしなければ、人間を含む生物の生存はありえない。
  それらを私は全体破壊手段全廃予防機構の理事会と総会で、Mとの面接の中間報告する中で、確認した。憲章にはそれらも盛り込まれていたが、再確認した。国際機構と国際憲章を改善していく必要があることも憲章に盛り込まれている。私とVが盛り込んだ。

世界機構を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立こと

  全体破壊手段全廃予防機構において、憲章に違反して査察に応じない、または全体破壊手段を開発しようとする集団に対して軍事制裁や経済制裁を行うか否かを決定するのは総会であり、総会は自由権を擁護する法の支配系(L系)の立法権(L議院)に相当する。それらの制裁の詳細を決定し軍を構成し指揮官を指名するのは理事会であり、理事会はL系の立法権(L議院)の委員会に相当する。事務局は武力をもたず科学技術の専門家をもって査察を行うが、L系の行政権に相当する。今後はまず総会の世界市民による直接選挙が必要だろう。だが、国家の代表も必要だろう。とすれば、総会を世界市民の直接選挙によるものと国家が代表を派遣するものに分立する必要があるだろう。さらに事務総長の世界市民による直接選挙、理事会の委員会的なものへの格下げ…なども必要だろう。国際機構または世界機構には発展または改善すべき点がいくらでもある。
  過去には国際機構はあくまでも国家の代表による「国際」機構であり、国家の代表による総会とそれによって選出される委員会または理事会と事務局しか考えられず、それらに発展または改善の余地はほとんどないという見方が多かった。国家が構成する「国際」社会という「縦割りの構造・動態」しか念頭になかった時代にはそのような見方に無理はないのかもしれない。国際機構とは、国家を単位として、それぞれの国家が構成する機構である。それに対して、国家を単位としない部分が単位とする部分より優位である機構を「世界機構」と呼べる。世界の市民と世界の権力者の間の横割りの構造がある程度、根付くと、世界市民による国際機構または世界機構の直接選挙の可能性が見えてくる。その可能性が見えてくると、世界機構が見えてきて、国際機構または世界機構の改善の余地が見えてくる。
  また、世界の市民の自由権、政治的権利…などの擁護と社会権の保障を含む多目的で広汎な世界機構の可能性が見えてくる。それとともにそのような機構の独裁、全体主義…などへの暴走の恐れが見えてくる。わたしたちは国家レベルのそのような暴走の恐ろしさを身をもって体験してきたのだが、世界レベルのものの恐ろしさは想像を絶する。そのとき広汎な世界機構を、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む従来の権力分立制、法の支配で抑制するだけでなく、それを自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)へ分立することの必要性が見えてくる。広汎な世界機構のL系とS系の分立は、国家権力のそれとほとんど同じであり、可能であり容易である。つまり、その分立には必要性だけでなく可能性もある。だが、その分立の必要性は、広汎な世界機構の必要性が見えてきたときに限られるように見える。だが、その必要性が見えるまで待っているのでは遅いかもしれない。その必要性が本当に見える前に、人間や生物の全体の生存を名目として、その必要性を誰かが捏造し、広汎な世界機構を構築し、独裁、全体主義…などに暴走する恐れは十分にある。だから、その必要性が見えて来る前に、国家権力だけでなく広汎な世界機構をL系とS系に分立する必要性と可能性を世界の市民が理解しておく必要がある。

悪循環に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面すること

  最近、つくづく思うことがある。ほとんどの権力者が自己に直面するのは破滅した後だ。権力への上り坂や絶頂では自己に直面することはほとんどない。だから、市民は権力者への抑制を徹頭徹尾、緩めてはならない。それは過去、現在、未来に言える鉄則だ。言い方を替えると、破滅した後のかつての権力者が自己に直面して、私たちの参考になることを言うことがある。それを私たちが活かせることがある。
  Mは次第に個人的なことも語るようになってきた。ある日、「私に父はおらず、母親には愛情がなく、強烈な干渉と極端な放置が入れ替わり立ち替わりしていた…」と私が予想した通りの独裁型陥る傾向の形成過程を語り始めた。ところがしばらくして、予想外の展開が始まった。

…そのようにして思春期までに陥る傾向の原型が形成された。思春期には模倣によって支配性と破壊性が強くなった。だが、それだけではない…

私はドキっとした。Mは続ける。

…思春期には同級生や教師から「自己愛、強すぎ」「自己顕示し過ぎ」「ネチネチしている」「ギトギトしている」…と疎んじられた。私は自己の陥る傾向にどこかで気づいていたのだと思う。自己の陥る傾向が想起されると強烈な不安と自己嫌悪と恥辱が生じる。母親に愛されなかったためにいつまでも愛を求めてこうなった、自己がやがて死ぬことへの不安におののいてその不安を鎮めるために栄誉を残そうとしてこうなった…などということは考えたくもないし人に知られたくもない。だから、思春期の私は陥る傾向がイメージとして想起されると、そのイメージを他の自己の美点と思われるものに切り替えて回避し取り繕っていた。自分は見た目はよくないが、体力はすごく知的能力も優れていると思っていた。実際にスポーツ万能で学業成績は悪くなかった。その点だけは同級生や教師も認めていた。そこで、そのような「力」のイメージで自己の陥る傾向のイメージを回避し取り繕っていた。そこで、私には自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向が形成された。だから、私は自己の陥る傾向に直面できなかった。だから、自己の陥る傾向が減退しなかった。陥る傾向の最大の原因は陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。それが最大の悪循環である。陥る傾向の主因は、母親の愛情と世話の希薄や年長者の模倣にあるのではなく、思春期以降の自我、つまり自分自身にある。人間は何より陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。乳幼児期の人格の形成過程とか、母親の愛情希薄が陥る傾向の主要な原因だという考えには納得がいかなかった。それだけじゃないだろうと思っていた。思春期以降の自我による陥る傾向を回避し取り繕う傾向に主要な原因があることが分かって、納得した。母親の愛情の希薄による陥る傾向の形成は三歳以前のことであり、記憶にない。思春期におけるその傾向の形成過程は、あのときこう回避したとか、こう取り繕った…とかまるで昨日のことのように思い出せる。

とMは一気に語り、「これから、自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面していく。その過程を書き留めたい」とクレヨンと画用紙をねだる子供のような顔をしている。私は「A国に帰ったら書ける保証はない。この機構に居るうちに書いてしまってくれ。私がそれを出版する。印税はすべて、世界の勾留所や刑務所の福利厚生に当てる」と明言した。私はMにネットには決して繋がらない、また、凶器になりえないノート・コンピューターを差し入れ、Mは書き物がまとまるごとに外部記憶装置に保存して私に渡すことになった。
  Mは以下のようなことも言った。「俺は権力を追求した。お前(私)は権力に反抗した。俺とお前の違いはそれだけさ」と。私はそのときは「全くそのとおりだ」と感心していた。だが、しばらくして考え直した。現在のMは自己の悪循環に陥る傾向に私よりスムーズに直面している。ということはMは自己に直面しようと思えばできる人格をもっていたということだ。だが、それはMの人格が全般的に優れているというのでは全くない。悪循環に陥る傾向に直面できる人格をもっていると言っているだけである。それだけでもすごいことだと言っているだけである。
  Mは数日後に次のようなことも言った。「かつての自分のような独裁者は人々を苦しめ、不必要で執拗で大規模な苦痛を生じる。生と死の限りない繰り返しの中では、自分のような人間がいては苦痛が増大する。生まれ変わって自分のような人間に苦しめられると思うとゾッとする。だから、かつての自分のような独裁者が出現する可能性を絶っておきたい。君たちはその一環として権力を民主化し分立し全体破壊手段を全廃した。まだ、やることがある。独裁者になる可能性がある人間が自己の悪循環に陥る傾向、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面できるようにすることだ。今の俺にできることはそれだけだ」と一気に言う。
  私はMが生きていてよかったと思った。心からそう思った。だが、そんなことを公に言うとMの幾多の犠牲者の遺族は私を冷血人間だと非難するだろう。何より私も犠牲者の遺族ではないのか。それと私は暗殺されたP教授と殺害されたN大佐の友ではないのか。Mはそんな私の葛藤も汲み取ったようで、「俺も罪悪感なるものに苛まれることはある。だが、罪悪感や『せめて罪滅ぼしに…』などという動機からは新しいものは生まれない。生まれ変わってかつての自分のような独裁者に苦しめられるのはいやだ。だから、独裁者の出現の可能性を絶っておきたい」と言い放ち、Mは私が既に差し入れていたコンピューターに向かってタイプし始める。結局、内容はあの少女とその父親の手記の父親が書いた部分に行きついていると思う。だが、Mの表現のほうが分かりやすいのではないだろうか。やはり、私は冷血人間だと非難されても、Mの書いたものは出版しようと思った。Mは単なる独裁者ではなかった。自身の残虐に罪悪感に苛まれるだけの者でもなかった。Mは自身の中の独裁者を克服した。しかも、それを克服する方法を後世に残そうとしている。もし、私が独裁者や罪人になったとしてもそうありたいと思う。もし、Mの心が変わったとしても、現在のMの気持ちは評価したいと思う。
  ところで、あのB国のVもあのBP元大統領に対して同様の面接を行っていた。BPもMと同様の過程を辿り始めているようだ。今後のBPの展開も楽しみである。
  さて、数か月後には実際、Mの書いたものを私が出版することになる。あのときMに約束した通り、その出版に伴う純利益はすべて世界の刑務所の福利厚生費に自動的に振り分けられるようにした。筆者のMやその著作を出版した私に対する批判は多少はあった。だが、その著作の内容に対する批判はほとんどなかった。むしろ、賞賛が多かった。もっとも、その内容はあの少女とその父親が書いた手記、P教授がまとめた民主的分立的制度、カウンセラーらがまとめた悪循環に陥る傾向への直面と大きな違いはなかった。だが、そうなったのは結果としてであって、Mがそれらを読んで模倣したわけではない。また、大差がないのは内容であって、用語や文体はかなり違ったものになった。だから、Mが書いたものは、特に政治的経済的権力を追求しそうな人間に分かりやすいものになった。だから、賞賛され普及した。もちろん、私はMの著作を専門家に校正してもらい出版しただけでその内容を変えていない。もちろん、書名もM自身が決めた。『私を最後の独裁者にする方法』となった。
  そのようにMを讃える私について、Mによって虐殺、暗殺された両親、P教授、N大佐を含む幾多の人々とそれらの遺族に対する罪悪感のようなもの(1)があった。また、当然、それらの人々を殺したMへの憎しみのようなもの(2)も私にはあった。だが、両親については、無意味な反抗をしてしまったという悔い(3)があった。P教授については、あの国際会議場の講演の直後にただちにZらとともにP教授を無理やりでも潜伏させていればあの暗殺を防げたのではないかという悔い(4)があった。N大佐については、Zがあのとき言ったように、人質や自分や部下の身に危険があったり全体破壊手段使用の危険があればMを殺害しても構わないという指示を明確に出しておくべきだったという悔い(5)があった。私にとって最も苦痛だったのはそれらの悔い(3)(4)(5)だったのではないだろうか。そこで、私は悔い(3)(4)(5)を罪悪感のようなもの(1)と憎しみのようなもの(2)で覆って取り繕っていたのではないだろうか。まず、私は悔い(3)(4)(5)に直面していこう。
  数日後、Mは宗教に触れて次のようなことも言った。

  …権力者が永遠を求め自己を永遠化しようとしするとき、そこにまだ神がいると、権力者は神にさえも嫉妬して、自身が神になるか神を超えようとして支配性と破壊性を増すかもしれない。神がいないときより神がいるときのほうが権力者が恐ろしい存在になりえる。人間が作り出したに過ぎない神にそのような弊害があるなら、今度こそ神を殺すべきなのかもしれない…

  一瞬、私の思考が付いて行けなくなった。しばらくして思った。もしも人間の自己永遠化欲求が神や宗教と張り合ってそこまで高じるならば、神を殺し宗教を消滅させる必要があるのかもしれない。だが、神を信じるも、宗教をもつも、神になろうとするも、神を超えようとするも、神を殺そうとするも、宗教を消滅させようとするも、それらのいずれかを主張したり非難するも、思想・言論の自由であり不可侵である。つまり、神や宗教を信じて言論・表現を行う人々を弾圧したり虐待したりすることはできない。そのことは確認しておく必要がある。それと同時に神や宗教を批判する人々を弾圧したり虐待することもできない。Mがそのような議論を展開するのも言論の自由である。それも確認しておく必要がある。そして、もしもMがそれらの確認を怠っていれば、私がそれらの確認を早急にしなければならないだろう…などと思っていた。だが、結局、Mは著作の中で宗教には触れなかった。

人間は個人の記憶と個性の喪失さえも乗り越えてきたのかもしれない

  その日はMとの面接に時間がかかり、私はいつもより遅く家へ向かった。職員寮は機構の敷地の隅にあり近いが屋外を通る。機構はE国の大都市EC市の中にあるので、夜空に星は見えない。と思ったら、金星(ビーナス)が見えた。都会でも金星ぐらいは見えるのだろう。

と思ったら。明滅が止り、持続的で不気味な光に変わった。金星ではなかった。近づいてくる。ぐんぐん近づいてくる。ミサイルだ…

などという最後にどんでん返しがある映画のシナリオみたいなものを考えてみた。二十世紀後半にあったようなサイエンス・フィクションみたいなものがまた流行るだろう。この度の世界革命も多少、脚色されて映画化またはドラマ化されるかもしれない。私などよりZの視線で描けばもう少しスリリングなものになってよいかもしれない。UやXや、はたまたMの視線で描くのもいいかもしれない。数か月前までの世界には、私やUやZ、X、Tも含めて、そのような冗談や虚構を言ったり表現したりする余裕さえなかった。そのような冗談や虚構を表現できる時代が来たことは喜んでよいことだと思う。
  職員寮が近づくと街灯で、真冬を過ぎたとは言え、吐く息がまだ白いことが分る。職員寮には窓の灯が増えてきた。新しい機構ができつつあることが実感できる。私たちの家の扉を開けるとおいしそうな臭いがプンプンしている。いつもと違って暖房が既に効いていて暖かい。キッチンに行くと、Uが水を使いながら子供の頃に作ったという歌を口ずさんでいる。テーブルの上にはUにとって精一杯の手料理が並んでいる。Uが透き通った声で言う。「私、妊娠したわ。産前産後は産休をもらうわ」  あのウサギRが耳をピクっと立てる。私は思わずVサインをしてしまった。そんな古典的なポーズをとったのは物心がついて以来なかった。また、何かが始まる。実際、既に展開がある。Uのお腹の中で発生した胎児のことを考えると、次のようなことが思い浮かんだ。
  あの少女は「わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる…それらを知ると、自己がやがて死ぬことへの不安は減退する」と言う。確かにその不安は減退する。人間を含む記憶をもつ動物が甘受する必要があるのは記憶と個性の喪失だけだ。それ以外は乗り越えられる。実際、人間は独裁、全体主義、全体破壊手段…などを少しは乗り越えてきた。また、固まったり偏ったりした思考や観念は捨て去って、ゼロから考え直すほうがよいかもしれない。だが、やはり記憶と個性の喪失はつらい。記憶と個性の喪失は、特定の人との完全な離別でもある。私が死んだら、Uや胎児やRと別れることになる。それはつらい。生まれ変わって別の人と出会ったとしても、Uの個性はない。Uと出会ってUの個性を知った後では他の人間は愛せないと私は思っている。それが愛というものなのだろう。Rが私に少しはなついたのもRに記憶があるからだ。Rが死んだらそれもなくなる。それも寂しい。私が死んだら、父や母やP教授やN大佐との思い出も消えてしまう。父母は死んで、私のような子供から解放されてほっとしているかもしれない。だが、過干渉な両親の下に生まれて反抗しているかもしれない。P教授やN大佐は暗殺や拉致拷問の恐怖から解放されてほっとしているかもしれない。だが、よその系の惑星に生まれて、そこの独裁者に苦しめられているかもしれない。あるいは、権力を民主化し分立しようと潜伏しているかもしれない。だが、そんなことを言うと誤解を招くだろう。あの少女とその父親が言いたかったのは「輪廻転生」や「因果応報」とは異なる。少女はあくまでも現実の世界での生と死の繰り返しを語る。父親は現実の世界における生と死の繰り返しから回避または超越しようとしない。父親は現在の地球の現実を変えようとしている。現実を変えようとすると、平和なときでも生きる力が湧いて来る。民主的分立的制度の確立と全体破壊手段の全廃の後、もし、変える必要がある現実がなかったら、私はたまらなく空しくなっていただろう。UやT、X、Z、V…などもそうだろう。国際機構の世界市民による選挙が視野に入ってくると世界機構が見えてきて、まだまだ変える必要がある現実が見えるてくる。前述のとおり、私には世界機構のL系とS系への分立の模索がある。Uにはガンと感染症の完全克服、医療の低額化と科学技術を抑制する科学技術の開発がある。Mには陥る傾向を回避し取り繕う傾向への直面がありその文書化と普及がある。Xには情報科学技術の平和利用がある。TにはS系の行政権を一つの機構とすることがある。Zには休息のあるライフスタイルの模索がある。あのAT街の独居老人Kには自炊での試作がある。あのY社長には、新入社員が開発したY社長の技術を超える技術、をまた超える技術の開発がある。あの画学生Jには新しいテーマの手探りがある。あの隠遁者Wには苔の突然変異の発見と選別淘汰があるかもしれない。あの生きていた息子には彼なりの平和主義の模索がある。あのかつての森F、今はF国の市民には感染症対策と下水道の整備がある。あのぬいぐるみの女の子とあの女性と、あのQCとあの子供たちには母子関係の手探りがある。あの盲目の写真家BCには視覚以外による視覚芸術の手探りがある。Mを刺したあのQPには恨みや復讐心を超えることがある…そんなことを考えていると、個性を軽視してはならないと改めて思う。私、U、子供、R…などの個人や個体にはそれぞれの記憶や情動の傾向や自我の傾向や意識的機能の能力がある。それが個性だ。今、Uのお腹の中にいる胎児にも記憶や情動や自我があり個性があるかもしれない。今はないとしても、胎生末期には視覚と聴覚以外の感覚と身体的情動はほぼできあがっており、それらの個性が少しはあることは確実だ。何より、今を生きている間は、この生において欲求を満たし苦痛を減退させたい。簡単に言って、私たちのそれぞれにとってはこの自己の人生がすべてだ。だが、一般のものを把握し語る必要もある。個性が重要というのも一般のものを把握し語ることだ。一般の生と死をとらえなければ無限の入れ替わりを把握することができない。一般の国家権力をとらえなければ世界の国家権力を民主化し分立することはできない。一般の陥る傾向をとらえなければ、一般のそれへの直面を把握し語ることはできない。Uの手料理をたらふく食って、眠くなってきた。Uは洗い物をしている。手伝って一緒に寝よう。洗い物をしながらも思考は慣性で進んだ。何かをしながら思考を連想に委ねたほうが発見ができることが多い。ちょっとした発見をした。一般の陥る傾向とそれへの直面を把握し語るのは心理学者や他人の仕事だ。個人の陥る傾向に個人が直面することは一般のものをとらえなくてもできる。他人に尋ねたり文献をあさるのも自由だ。だが、自己に直面するのに他人や文献はあまり助けにならない。自己に直接的に直面できるのは自我でしかないのだから。用語にしても何でもかまわない。「直面」でも「立ち向かう」でも「逃げない」でもかまわない。「粘着」でも「ネチネチ」でも「ギトギト」でもかまわない。「自己」でも「私」でも「自分」でもかまわない。だか、「自己」と「自我」は区別する必要がある。自己をとらえて自己について考えるのが自我だ。それに似たことは既にデカルトが言ったのでは…そろそろ眠くなってきた。いずれにしても、人間を含む記憶をもつ動物が甘受する必要があるのは記憶と個性の喪失だけだ。それ以外は乗り越えられる。実際、人間はいくつかのものを乗り越えてきた。繰り返すが、固まったり偏ったりした思考や観念は捨て去って、ゼロから考え直すほうがよいかもしれない。だが、後で活かせるかもしれない。私の今までの体験は滅多に味わうことができないものではないだろうか。死ななくても記憶は薄れていく。できることはあの少女の父親が書いたことだけだ。これまでのことを書き留めておこう。そうすることによって人間は個人の記憶と個性の喪失さえも乗り越えてきたのかもしれない…Uは既に眠っている…私は何故だか眠れない…そのうち眠れ…

参考文献

生存と自由   生存と自由の詳細   それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること   感覚とイメージの想起   自我とそれらの傾向   悪循環に陥る傾向への直面  

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